31話『琴平花灯という自称ウザカワ系』
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その日の夕方。俺は未だ喫茶店『バタフライウインド』に滞在していた。
さすがに紅茶一杯で数時間も粘るのはあれなので、途中に昼食を挟みつつ、隅の席に移ってひたすらに窓の外を眺めていたのだった。
「……」
常盤大河の言葉がまだ、頭の中で響いている感じがする。
気分は最悪だ。
だがそれでも世界は回る。
常盤の元カノを病院に連れて行った音楽教師の八木原からはメッセージが届いていた。
内容を要約すると。
まずは常盤の元カノの状況として、命に別状がないこと。体にできた痣はいずれ綺麗に消えること。精神的に不安定なところはあるが、両親と相談し、常盤に対してしかるべき措置を行うということが書かれていた。
そしてもう一つ。これは常盤というよりは八木原自身のことなのだが。
どうも彼は夏休み前の辺りを境に、現在勤めている桔梗高校から別の学校に移るそうだ。
建前としては、人手の足らない学校からの要請に応えた転勤。
しかし希望を出したのは八木原自身で、つまるところ桔梗高校から去ることで、いよいよ七瀬七海との関係を終わらせるつもり――あるいはそのけじめなのだろう。
八木原からは、七瀬をよろしくと言われた。
どうも彼女は、八木原に俺のことをある程度話していたそうだ。
彼が俺に何を期待しているのかは定かではないが、当たり障りなく、自分にできることはやるという旨の返事をしておいた。
紅茶を啜る。種類はレディグレイ。個人的にはアールグレイよりも飲みやすくて気に入っている。
ふと、珍しく『バタフライウインド』に来店を知らせる鈴の音が小さく響いた。
扉を開けて入ってきたのはちんまい少女。
ゆったりとしたサイズのフード付きのパーカー、ショートパンツ、靴は黒い厚底のものだが、元々の背が低いためか背が高く見えるという印象はない。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
そう言われて、少女は迷いなく俺がいる席の向かいに座った。
少女の名前は琴平花灯。
左目の下の泣きぼくろと、笑ったときに見える八重歯が特徴的な、俺のクラスメイトだ。
「どうも、冬馬くん。……あ、すみません、このストロベリーパフェを一つください」
と、席に座るなりパフェを注文する花灯。
かしこまりましたと戻っていく店員を横目に、俺は言葉を返す。
「やあ、神崎との話はうまくいった?」
「まあ。冬馬くんのおかげで、話は案外スムーズにいきましたよ。神崎さんの本心をどうしてわたしが知っているのか、少し驚いていたみたいでしたけど。さすがに盗聴していたとは答えませんでしたから安心してください」
「それはよかった」
常盤との対決の少し前。
神崎の本心を引き出したあのとき、俺のスマホは通話状態になっており、通話先は花灯のスマホだった。
神崎が花灯を脅してまで『別れさせ屋』を結成した理由。
それは、俺だけでなく花灯自身も疑問に思っていたことで、だからこそ神崎が以前行ったようにスマホを介しての盗聴をさせてもらった。
俺としてはあのとき語った通り、彼女にはもっと暗くてじめっとした理由があるのだと思っていたのだがそれはまったくの見当違いで。
『花灯と仲良くなりたい』――彼女がそう吐露し、それを本人が聞いていたから。
今ならば冷静に対話できるだろうと考え、神崎を離脱させたのだ。
で、その結果だが。
「神崎さんには『ちゃんとした友達の作り方を学んでこい』って言ってやりました。今後しばらく、わたしとあの人が仲良くなることはないでしょう」
「意外とはっきり言ったね。神崎は、確かにその行動は歪んでいたけど君に対して悪意があったわけじゃない。今ならいい友達になれると俺は思ったんだけど」
「かもですね。わたしのお父さんのことを知って、それでも友達になってくれるなら、きっとすごくよい関係になれると思います。でもどちらかが望んだこととはいえ、これまで多くの人の気持ちを引き裂いてきた『別れさせ屋』には、こういう結末が相応しいと思うんですよ。じゃないと、示しがつきません」
「君がそこまで抱える必要はないと思うけど」
「まあぶっちゃけ、友達になりたいってだけであそこまで拗らせる人とか超めんどいじゃないですか。アレが世に言うヤンデレってやつですかね」
「え、急に辛辣すぎやしないか?」
途中まですごくいい雰囲気出てたのに。このままちょっとビターな感じでエンドロール流れそうだったのに。
すべてが台無しだよ。
「お待たせしました、ストロベリーパフェになります」
「わーい!」
生クリームに苺やらビスケットやら練乳やらをかけたパフェがやってきて、花灯は無邪気な子供のような反応を見せた。
「と、こほん……失礼しました。というかですよ?」
それも一瞬。
キラキラした目は一瞬で普段通りに戻ってしまい、声の調子も誤魔化すように早変わりしている。
どうも彼女は幼い子供のような面があるようだ。ある意味見た目通りではあるけれども。
「わたしも警戒しすぎた部分はあったかもしれないですけど、それにしても脅して従わせるのはやりすぎだと思いませんか? 不祥です。人としてどうかと思いますよね!」
「え? ……ああ、まあ……」
「なんで目を逸らすんですか」
心当たりがあるんですか、と続ける花灯。まあその通りで、俺は美原夏野を救うためとはいえ七瀬を脅している。
なんなら今回、常盤も脅して大人しくさせようとしたし……。
「まあ、こんな作戦を思いつくあたり冬馬くんってかなり性格悪そうですもんね。心当たりの一つや二つあっても不思議じゃありません」
「本人を目の前に悪口言うとはね。気持ちが楽になったのは分かるけど、ちょっとはしゃぎすぎなんじゃない?」
「いえいえ。わたしは本来このような性格ですとも。ウザくもありカワいくもある。それがわたくしこと琴平花灯なんですよ。白雪姫くん」
う、うざい……!
以前に不祥だと断固拒否した名前を再び弄り直してくるのは本当に鬱陶しい。
でも舌足らずな声と小動物的容姿がその毒気を相殺している。
スプーンで苺を乗せたクリームを掬って頬張る姿なんかとても愛らしい。
ウザカワ系――か。うーん。げに恐ろしいやつだ。
「……とりあえずその呼び方はやめてくれ。そもそもどうして白雪姫なのさ。どこにも姫要素なんかないよ」
「でもほら、いつも授業中眠ってるじゃないですか。白雪姫も寝てますし、名前的にもぴったりだと思うんですよね。あと周りの人とか冬馬くんに影響されて眠くなるとか言ってますし」
「いや俺は誰かにキスされなくても起きるし、そもそも白雪姫は寝てるっていうか、百歩譲っても仮死状態だと思うんだけど。何なら君は、白雪姫と眠り姫と混同してる気がする」
「まあどっちもよく知らないしただの軽口なんでどうでもいいんですけどね。細かい人は嫌われますよ」
「女の子を殴りたいと思ったのは生まれて初めてだ」
「……む、殴りたいだなんて。不祥ですね……」
俺は呆れるように窓の外に目を向けた。
と、そこで自分の顔が反射して気付いたのだが、なんと俺の口元、口角が上がっているではないか。
どうやら無意識のうちに、花灯との会話を楽しんでいたらしい。
思えば確かに、さきほどまで沈んでいた俺の心は多少なりとも楽になっている気がする。
人とのコミュニケーションは毒にも薬にもなる。
もしかして花灯は毒のように見せかけた薬を俺に与えてくれたのだろうか。
「うーん。白雪姫がダメなら……らーゆくんとかどうですか?」
……どうやら考え過ぎのようだ。
「俺はそんな油々してないし、無理にあだ名を考える必要もない」
「そうですか……せっかく似た境遇を持つもの同士、神崎さんと違って仲良くなれると思ったんですけど……」
「露骨に神崎の部分を強調しないでって……。解放されたからって自由が過ぎるよ」
「いやいやわたしのあの人への恨み辛みはこんなものではありませんからね。今のうちにこうして消化しておかないと」
「……」
「で、わたしの気持ちの整理がついて、あの人がしっかり更生したら――今度こそちゃんとした友達になれるかなって思うんです」
花灯はどこか清々しく、そう言った。
「……そっか」
「それとですね、冬馬くん」
パフェの最後の一口を食べ終えた花灯は、こう続ける。
「わたし、冬馬くんのことをネットで調べました。両親のことだけじゃなく、一昨年あったことも記事で得られる情報は知っちゃいました。……それで、もしよければなんですけど、同盟を組みませんか?」
「同盟?」
「はい。周囲にバレたら困ることがあるもの同士、お互いにフォローしあうというかですね。わたしとしても、今回冬馬くんに助けてもらった以上は、何かお返しをしたいところですので。貸し借りとかきっちりしたいタイプですので」
いつの間にか、花灯は背筋を正して俺をまっすぐ見つめていた。
同盟――俺の過去はきっと、いずれ周囲の人間の知るところとなるだろう。
けれど女の子と秘密を共有し、それを守ろうと努力するのは、なんだかいかにも青春らしいじゃないか。
そう考えると、断る理由なんかない、
「……ああ。そういうことなら、よろしく。花灯」
俺は右手を差し出した。
「はい。こちらこそよろしくお願いしますね、冬馬くん」
花灯も右手を伸ばし、握手が成立した。
似た境遇と同じ困難を乗り越えたおかげか、俺たちは不思議と心を許し、自然に笑いあうことができた。
「改めまして――助けてくれて、ありがとうございました」
こうして『別れさせ屋』を主軸とした問題は終わりを迎えた。
四月が終わり、五月が始まる。
初夏が始まり、そのうち夏が到来する。
夏が終われば秋が、秋が終われば冬が、冬が終われば春が――桜の季節がやってくる。
今年の桜はとっくの昔に散ってしまった。
ならば来年の桜はどうだろうか。
俺はそのとき、どんな気持ちで舞い散る花びらを眺めることになるのだろうか。
――そんなこと今の俺に分かるはずがないから。穏やかに考えることをやめた。
琴平花灯編、一段落。




