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30話『血濡れの雪は、どうしたって俺のものだ』

「――こっちに来ていいですよ。八木原(やぎはら)先生」


 喫茶店『バタフライウインド』の奥の席、やや死角のなるその位置にいた男が、席を立ってこちらに向かってくる。

 黒のジャケットを着こなした二十代後半の男――桔梗高校の音楽教師、八木原。


 彼もまた『別れさせ屋』に関わったものであり、神崎凪沙(かんざきなぎさ)を通して連絡を取り、協力してもらった。


常盤(ときわ)君。すまない、さきほどの話は聞かせてもらったよ。君のことは私から学校に報告させてもらう」


 『別れさせ屋』被害者を利用した生徒の襲撃。その言質が取れた以上、常盤の敗北は確定した。

 本命は録音ではなく、この場にいた八木原に会話を聞かせることだったのだ。


「……ああ……ああ……そうか……。これは……お見事、やられたよ」


 常盤はゆっくりと席を立ち、俺と向かい合う。


 ――俺の勝ちだ。

 たとえ公の場で『別れさせ屋』のことが暴露されたとしても、この状況はひっくり返らない。


 あとは常盤が新たな報復にでないように後詰めを怠らず、この一件を終わりに――。


「……僕とお前は似ているな、冬馬。嫌気がさすほどに」


「気色悪いことを言うな。俺は君とは違う」


 常盤は笑う。

 俯き、長い前髪で顔を隠すようにして、不気味に、静かに(わら)う。


「いいや同じさ。お前は僕をサイコ野郎だと言った。お前もそうだ。人を騙し、操り、陥れる。だけどサイコパスは理由もなくイカれたことをする人種じゃあない。必ず自分なりの信念を持っているんだ。それが現代社会と相いれないだけで、生まれる時代を間違えただけで――」


「君は誰からも愛されない人生を送ってきた。だから自分を好きだと言ってくれる恋人ができて、ずっと欲しかったものが手に入って、心の底から大切にしようと思ったんだろう?」


「ああ。だからこれは、僕なりの愛し方だ。痛みは何よりも強く刻まれる。両親は僕に何の感情も向けてくれなかったが、それでも痛みが僕に生の実感を与えてくれた。痛みだけが僕に()ったものなんだ」


 少しずつ常盤の声に力が込められていく。


「温かい喜びが幸せだということは知っているさ。けれど僕は冷たい痛みにこそ何物にも代えがたい価値を見出しているんだよ!」


 この広い世の中だ。誰かしら常盤に同情する人だっているかもしれない。

 だが俺は絶対に認めないぞ。冷たい痛みなんて空しいだけだ。


「そんな価値観が許容される時代なんて来るものか。君は親から愛されずに育ち、愛情に飢えているただの悲しいやつだ」


 俺は真正面から常盤の訴えを否定した。

 だが彼は、俺がそうすることを分かっていたように薄ら笑いを浮かべる。



「――だから同じなんだよ」



「……?」


「お前は自分が救われたいから他人に手を伸ばす。――欲しいんだろう? 自分の存在を認めてくれる人がさァ。()()()()()()()()()()()、喉から手が出るほどに欲してる」


 ――何か、嫌な予感がした。

 俺のチェックメイトは完璧だ。相手が反撃に出られる隙は万が一にもない。

 常盤にとってどこまでも不利なこの状況は覆らない。


 なのに……常盤大河の冷めた目が、突き刺すような言葉が、俺の足を掴んで深淵に引きずり込もうとするようで。

 失くしたはずの何かがざわつく。


「――冬馬白雪(とうましらゆき)。お前は思ったよりも有名人みたいだ。ネットで検索をかけたら記事が出てきたよ。お前が小学生のときに、両親が詐欺罪で実刑。今でも牢屋の中だ。でもこれでよかったのかな、記事によると子供は虐待されてたって書かれているし」


 ――常盤は口を閉じない。得意げに俺の過去を紐解いていく。


「親から愛されなかったのはお前もだァ」


 それを見て、聞いて、浮かび上がる感情は……怒り。

 常盤大河という男が知った風に俺の過去を語るのは、虫唾が奔る。


「その後お前は別の家族に引き取られたが、悲劇は続いた。一昨年のホワイトクリスマスに起きた一家惨殺事件――通称『十七夜月(かのう)事件』。お前は一躍ゴシップ記事のスターとなった。引き取られた先の家族に死をもたらした疫病神として」


「……それ以上、口にするな」


 ダメだ。思考が崩れていく。何も考えられなくなる。

 残り少ない冷静さで導き出したのは、常盤の目的。


 こいつは俺を挑発して、自分を殴らせようとしている。


 そうすれば教師の目の前で先に手を出したのは、俺ということになってしまう。

 八木原は教師である以上、常盤の今後を決める立場である以上、公平で公正でなければならないから俺の失態も認めざるを得ない。


 そうなると、常盤の不利がひっくり返らなくても、教師陣の俺に対する心証も悪くなるだろう。

 ――勝ち負けを放棄した引き分け。それが狙いなんだ。


「ネットは怖いね。殺された家族の中にはお前と同い年の女の子がいた。名前まで載ってたよ。――十七夜月(かのう)さくら。僕には分かる。お前はこの子のことが好きだったんだ。可哀想だね」


「……やめろ」


 ねっとりとした声が、俺の内側に入ってくる。

 神経を逆撫でするような言葉があまりにも穏やかに過去の記憶を想起させ、視界を覆う。


「想像しろよ。十七夜月さくらがその細い体を組み伏せられて蹂躙され、成す術なく、鋭い刃によって白い肌を引き裂かれる紅い光景を。思い出せ――」


 心拍が上昇する。呼吸が整わない。

 目蓋を閉じるたびに景色が『バタフライウインド』の店内から、懐かしき思い出を内包したあの家に移り変わり――。


「それ以上何か言ってみろ、俺はお前を……!」



「お前はすべてが終わったあとに地獄を静観し、ただただ悲しみと無力に打ちひしがれていたんだ」



 刹那――心と体が乖離したような感覚に陥った。


 俺は今、自分の行動をまるで俯瞰するように見ている。

 三人称視点のゲームを操作するかのように――常盤大河に殴りかかる自分を冷めた目で眺めている。


「……ッ‼」


 拳を握り、常盤の顔面を殴りつける。

 痛い。殴ったのは俺のほうなのに、拳が痛い。


 常盤は抵抗しない。当然だ。これこそが狙いだったのだから。


「冬馬君、よせ!」


 八木原が俺を羽交い絞めにして、無理やり常盤から引きはがす。

 怒りに身を任せて抵抗するが勝てない。

 認めるのは癪だが俺は弱いから。体力もないし筋肉もない。

 力比べをすれば、負けるのが必然なんだ。


「ああいいさ、教えてやる……!」


 だがそれでも、絞り出すような声をあげて俺は常盤を睨んだ。


「俺は復讐するために生きているんだ! お前みたいなクソ野郎に償わせるために……‼」


「ははは」


 激昂する俺を常盤はただ、静かに嘲笑う。


「嫌だなァ、そっちと一緒にされるのは。雪が降ったクリスマスに行われた殺人。一部では犯人をホワイトキラーって崇めてるやつもいるみたいだけど、そいつには美学がない。特別は、ある日突然、平穏を塗り替えるから特別なんだ」


「常盤君、もうやめろ!」


 八木原の言葉。常盤は両手を挙げてやれやれとでも言うように、首を傾げた。


「……ふふ、そうですね。それじゃあ僕は帰るよ、冬馬。そして僕を裏切った君、報いは必ず受けることになるからね」


 止めるものは誰もいない。敗北を喫したのは常盤大河だというのに、彼は悠々と店を出た。

 今日は祝日。

 本格的に常盤の処遇を決めるとしたら、明日だろう。


 ――終わった。どこか虚しさが残る勝利。

 いや、これは果たして本当に勝利と言えるのだろうか。


 七瀬のときとは違う。常盤は強敵だった。

 それでも勝たなければならなかった。


 あの程度の男に勝てなければ俺は――俺の家族を殺したやつを見つけ出し、復讐することなんて到底できないはずだ。


「……」


 俺は緩慢な動作で近くの椅子に座り込んだ。

 遠くから店員が怪訝な眼差しを向けてくるが、今は、何もする気になれない。


「冬馬君」


 八木原の優しい声がする。彼は項垂れる俺を下から覗き込むように膝をついてこう続けた。


「常盤君のことは任せてくれ。彼女のほうはこれから念のため病院に連れていく。君はゆっくり休みなさい」


「……」


 返事はしなかった。いや、できなかった。自分が何をするべきなのかを見失いかけて。


 それからすぐに、八木原は店員への謝罪やらなにやらをしてから、常盤の元カノを連れて病院へ向かった。


 そういえばと机に並んだカップに目を向ける。まだ俺が頼んだ分は飲み干していなかった。

 もう本当に一口分も残っていないけれど、それでもカップに手を伸ばし、最後の一滴を味わう。


 口に含んだそれは――どこまでも冷たくて苦い雫だった。

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