26話『恋を終わらせる側と、終わりにされる側』
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放送室から出てきたのは長身で黒髪短髪の女子――神崎凪沙。
彼女は感心するような笑みを微かに浮かべつつ、軽く両手を合わせて音を鳴らした。
「やーすごいね。なんで私がいるって分かったのー?」
「君が今出てきたから」
「ふふ。相変わらずギャグセンスないねー」
「それはどうも」
ギャグでも何でもない。俺はいつだって確証を持っているように見せているだけなのだから。
俺の吐く言葉のほとんどは、ただのハッタリで、しょうもない嘘で、虚飾だ。
しかしそれでも、根拠となるピースを語るとするならば。
「視聴覚室がこの時間に使われないことを知っているのは、放送部かそれらを管理する生徒会だ。琴平はどちらでもないから、ここを指定したのは君。そして彼女は俺との会話で妙な間を持たせていた。どうせスマホを通話中にしておいてこちらの会話を盗聴しつつ、髪で隠したワイヤレスイヤホンを使って指示を出していたんだろ」
神崎は再びパン、と両手を重ねて音を鳴らした。
「正解。うんうん。何となく、会長が君を欲しがる理由が分かったよー」
飄々とした態度。強がっているわけではない。自分に確固たる正当性があると思っているんだ。
これは少し、手強そうだ。
「君がさっき話した推理もびっくりするくらい当たってるよ。名探偵って感じだね。……それで、君の目的ってなに?」
「その前に俺の質問に答えてくれ。『別れさせ屋』のメンバーは君と琴平の二人だけであってるね?」
「まあね。でもどうして『別れさせ屋』が男女の二人組じゃないってそんなに自信を持って言えるのかな? 君が言うところの『依頼』は女子からも来るんだよ?」
「君が男装すればいい話だ。写真から特定されないために、ウィッグを被ったり厚底の靴を履けば、外見はいくらでも変えられる。琴平も同じようにね」
七瀬に送られてきた八木原の浮気写真。
あれに映っていた女子は身長百五十センチ半ばといったところだったが、『別れさせ屋』が神崎と琴平の二人だけというなら、その正体は変装した琴平花灯だろう。
「なるほどなるほど。うん、君、結構怖いんだね。……ほかに聞きたいことは?」
「いや、もういい」
「それじゃあ今度はこっちの番。聞かせてくれるかな。君の、君たちの目的を、さ」
不意に、楓が肩に手を置いてきた。
まっすぐで迷いのないその瞳は告げている。
――ここまで関わったからには、俺もお前の目的に協力するぜ。と。
君"たち"……か。いい響きだ。
俺は小さく頷いて、引っ張りに引っ張った目的を語る。
七瀬七海の頼みから始まった『別れさせ屋』の特定。その正体はハッキリしたが、それと同時に新たなる問題が発生した。
常盤大河。何度も言うが、何度でも訴えるが、彼は危険だ。止めなければならない。
俺と、その周囲の平穏を守るためにも。
ついでに小物っぽく付け足すなら、俺がこの身に受けた痛みの仕返しをするためにも。
「ああ、俺たちの目的は――三年の常盤大河を止めることだ。そのために『別れさせ屋』を利用したい。協力してほしい」
「具体的にはどうするの?」
「手始めに常盤と付き合っていた女子との橋渡し。あとは追って連絡する。いい?」
「その常盤って先輩は危ない人なんでしょ? 危険なのは勘弁してほしいなー。百歩譲っても、花灯ちゃんの安全は約束してよ」
と、神崎が交渉に出た瞬間。
見逃してしまいそうなほど一瞬、琴平の表情が固くなった。まるで、何かに怯えるように。
「元々の原因が君たちなんだ。そんなこと言える立場じゃないだろ――――と、言いたいところだけど、いいよ。彼女の安全は保障する」
「……分かった。それじゃあ私の連絡先渡すから、今日のところはもう行ってもいいかな。ちょっと生徒会に戻らないといけなくてさ」
「……ああ、いいよ」
神崎はどうも自分の都合が優位に来る人間のようだ。
織姫先輩は優秀だと評していたが、あきらかに扱いずらいこの女を、あの人はどう扱っているのだろうか。
そんな一片の疑問を残しながら、連絡先の交換を終えて、神崎は一足先にこの場をあとにした。
それを追うように歩みを進める琴平。俺は声をかける。
「待って。君の連絡先も教えてくれる? そっちのほうが便利だ」
「嫌です。話なら神崎さんを通してください。悪用されたらごめんです」
どうやら俺はずいぶんと警戒されているようだ。
悪用なんかしないっての。というか悪用って具体的になんだ。
仕方ないので、俺は楓に話を聞かれないよう小声で、琴平に耳打ちした。
「――君、神崎に脅されてるだろ」
「っ……! なんで、それ! 知って……!」
「ん? どうかしたか?」
「いや、なんでも。ってことで話を聞きたいから、教えてよ」
「………………」
琴平はまるでナンパしてきた不審者でも見るように、軽蔑するような目を向けてくる。が、そこはそれだ。
詳しい事情は分からないが、もし本当に神崎に脅されているなら、琴平も被害者ということになる。
なら俺は――助けたい。
理由は……自分でも分からないけれど。まあ少なくとも恋とかそういうものではないけれど。
「……わかりました。しぶしぶ、内心軽蔑しながら教えてあげます」
「どうも」
なにはともあれ、二人の連絡先を手に入れた。
あとは常盤をハメる策を考えるだけだ。
「それじゃあ、今日は解散ってことで」
決行は祝日である明日。明後日は学校で、さっきの俺の行動が原因で常盤の評判が校内に広まっていたら、今度こそ殺されかねない。
さて、どうしたものかな。
そんなことを考えながら一足先に出た琴平、楓に続いて俺も視聴覚室を出ようとすると。
「――――待ちなさい」
もう俺以外誰もいないはずの空間で――背後から声をかけられた。
「っ…………!」
心臓がどくんと跳ねて、反射的に俺は振り返る。
そこにいたのは――二年の女王、七瀬七海。
常盤に襲われたときの弱々しい姿は面影もなく、髪も制服も元通りに整え、海外モデルのような美しい外見を取り戻している。
しかしその表情を見る限り、心は――。
「なによ。意外といいリアクションをしてくれるわね。いきなり声をかけられたのと、私がこの場にいたこと、どっちに驚いてくれたのかしら?」
「……両方かな。どこにいたんだ」
「ここの机の下よ」
「女王らしくないね。周りに誰もいないみたいだし。また常盤に襲われたらどうするつもりだったんだ」
「聞かせられるわけないでしょう。『別れさせ屋』の正体なんて……」
「……そうだね」
七瀬はこの場で行われた話し合いを聞いていた。
きっと俺のあとをつけて、適当なタイミングで室内に忍び込んだのだろう。
問題は、その行動に至った理由。
「……あなたと同じよ。常盤大河の存在が私に『別れさせ屋』の正体を教えてくれた。『別れさせ屋』はカップルの片方から依頼を受けて、浮気をでっちあげてその仲を引き裂く」
「…………」
「私の場合は――八木原先生の依頼だった」
そして彼女の声は震え、瞳には涙が滲み、平静を保っていたはずの感情が、崩れていく。
「つまりそれは……っ……、彼が……私を……」
「八木原は、自ら危険を冒してでも君と別れようとした。君を"教師と付き合っている生徒"にさせないように」
「言われなくてもわかっているわよ……彼は優しいから……どこまでも、危うささえ感じるほどに……」
そうだ。だからこそ彼は七瀬を泣かせる。
七瀬を傷つけないために告白を受け入れ、関係がバレそうになったら彼女を守るために一方的に終わりにする。
俺は八木原じゃない。それほど接点があるわけでもない。
だから彼の考えは分からないけれど――そんな中途半端な優しさなら、最初から与えるべきではないと、思ってしまう。
期待させて、それを奪うなんて、何よりも残酷だ。
「これも自業自得だって……分かってる。身勝手なのも分かってる。でも、でも……私は、今でも好きなのよぉ…………」
始まりは七瀬の告白で、悪化させたのは七瀬の行動からくる噂で、確かにそれは否定できないほど、巡り巡って自分のせいなのだろう。
でもだからといって、俺は――七瀬の八木原を想う気持ちまでは否定したくない。
届かない恋。結ばれない想い。
その消したくても消せない切なさを、俺は知っているのだから。
――脳裏にフラッシュバックする、桜の木。
それを振り払うようにかぶりを振って、俺は視聴覚室を出ようと踵を返した。
「君はもうこれ以上関わらなくていい。常盤のことはこっちで何とかする」
それだけ言って扉に手をかけた――そのとき。
軽やかな足音と共に、袖を引っ張られた。
「――そばに居なさい。私を、一人にしないで」
振り向くと、上目遣いで弱々しい少女がそこにいた。
やめてくれよ。そんなこと言われたら放っておけなくなるじゃないか。
「――――」
袖を掴まれてしまった以上、以前と同じように彼女を残して去ることは不可能だ。
だったら、と。
「…………ああ、うん」
俺は無理やり自分を納得させて、七瀬と共にいることを選んだ。
それからしばらく泣きじゃくる彼女の愚痴やらなにやらに付きあった。
やがて訪れる完全下校時刻。
俺と七瀬は、どこか喪失感を抱えたまま帰路につく。




