25話『『別れさせ屋』の正体(推理)』
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ホームルームを終えた直後の放課後。
次の日が祝日なだけあって、教室内はかなり活気立っている。
明日どこに行こうか。四連休はどうするか。課題が面倒くさい。恋人がどうのこうの。
外の雨はいつの間にか止んでいた。
曇り空。しけった木の匂いがして、教室の照明が普段より明るく感じられて。
なんとなく落ち着かない放課後。
そんな空気感から逃げるように、そそくさと外へ出ていく人影があった。
琴平花灯。身長は百四十九センチと小柄で、少し舌足らずなかわいい話し方、左目の下にある泣きぼくろ、笑った際に見える八重歯が特徴の女子だ。
髪型は少しウェーブの掛かったボブで、色は黒。
そんな個性豊かな彼女ではあるが、しかしクラス内での立ち位置としては一人でいることが多い。
というのも、その小動物的可愛さゆえにほかの女子から話しかけられることも多いのだが、どうも壁があるというか誰とも親密になろうとしない部分があるのだ。
人と深く関わることに臆病と言うべきか、他人の優しさに恐れがあるというべきか。
我ながら暗い趣味である人間観察の末に、俺は琴平花灯という女子にそんな印象を抱いている。
「琴平、ちょっと待ってくれ!」
廊下に出てすぐに、楓が声をかけた。
突然の呼びかけに肩を震わせた彼女はゆっくりとこちらに振り向き、やや眠そうに見えるジト目で、俺と楓の姿を認識する。
「……何か用ですか?」
舌足らずで大人しそうな声。敬語。
視線からして楓はともかく、俺は警戒されているようだ。
だとすれば人当たりのいい楓から話すのが得策だろう。
目線で俺の代わりに話してくれるよう頼み、楓が一歩前に出る。
「……その、噂のことで話があるんだけど。できれば誰にも聞かれない場所で。そっちのほうが琴平にとってもいいと思うんだけど、どう?」
「あーそういうの結構です」
あっさり断られた。どうやら意外と強情なようだ。
けれど、ここで見逃すわけにはいかないからな。
「常盤にチクるよ」
「……」
その一言で、琴平は足を止めた。
「わたし関係ありません」
「どうかな。嘘でも本当でも、ヤツは少しでも疑いがあれば動くよ。もしくは噂になるかもしれない。俺の今の立場がそっくりそのまま君に入れ替わる」
と――性格悪く脅してみると。
「…………っ」
一瞬。ほんのわずかに、琴平の表情に恐怖の色が見えた。
無論、俺の脅しが原因なのは確かだが琴平の視線は左上――つまりは過去に経験したことを思い出そうとする仕草をした。
琴平花灯――彼女には何かがある。トラウマのような深い闇が。
「……」
少しばかりの沈黙。徐々にホームルームを終えたほかのクラスの生徒も出てきて廊下も賑わいを見せ、その間、琴平はたっぷり三十秒悩んでから、伏せた顔を上げた。
「分かりました。話だけは聞いてあげます。でもその前に……少しお手洗いにいかせてください」
「……うん、どうぞ」
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それから少しして、俺たちは場所を移すことに。
誰にも話を聞かれる心配のない場所――琴平の指定により、視聴覚室を使うことになった。
彼女がなぜ放課後のこの時間、この場所が誰にも使われないことを知っていたのかはさておき。
並ぶ長机と椅子。大学のキャンパスを思わせる一室で、隣には放送室が併設されているここで、話し合いは行われる。
「それで話ってなんですか。早く済ませてもらえると助かります」
教室に入ってすぐ、琴平が口を開く。
「さっきと違ってずいぶん強気だね」
「それが何か?」
「いや、ただの感想だよ。ところで君は『別れさせ屋』でしょ?」
それを聞いた琴平は、一瞬不意をつかれた様子を見せ、その後軽くため息を吐いてから、言葉を返す。
「……。何を根拠にそんなこと言うんですか」
「俺が南雲を『別れさせ屋』扱いしたとき、クラスの全員が俺のほうに注意を向けた。当然だ。みんな噂の真相が気になるからね」
もっとも『別れさせ屋』の噂がどの程度まで浸透していたのかは俺には分からない。
しかしそれでも、授業中に妙なことやりはじめたヤツがいたらそっちに目が行くのは当然だ。
「でも――真実を知っている人はそうじゃない。全然まったく見当違いの、馬鹿なことを言っている俺のことなんて気にも留めないはずだ。だからそういう人はこっちを見ない。それかどこか余裕そうに笑う、とかね」
「……。わたしはどっちにも当てはまりません。それに今、クラスの全員が自分を見たって言いましたよね」
「ああ。そうだ。君にも常盤に対する怯えが見えた。でも、あらかじめそういう忠告を受けたんでしょ? 仲間である神崎凪沙から。だから自然に振舞えた」
神崎凪沙。その名前を出した瞬間、僅かに琴平の表情が固くなった。
「……。どうしてそんな鎌をかけるのか、理由を聞いてもいいですか」
「俺が一年の教室を回ってハッタリをかけたとき、彼女だけが嘲笑うように笑みを浮かべていた。それにスマホを弄っていたから、そのときにでも君にメッセージを送ったんだろう」
「……。そんなの――」
「――来てないって? いいや、それは嘘だ」
俺は真っ向からその言葉を否定した。
なぜなら琴平の後ろの席である楓に頼んでいたのだ。
教室内でスマホを取り出すヤツがいないか、見張っててくれ――と。
「そうだな。琴平は授業中、ちょうど冬馬がウチの教室に戻ってくる直前にスマホを取り出してた。砂羽ちゃんの授業は面白いし、意外とそういうの注意するほうだから、ほかのヤツはスマホなんか滅多に使わない」
俺は、一年四組、二組、神崎のいる一組、そして自分が所属する三組という順番でクラスを回った。
だとするならばタイミング的に、神崎の警告を俺が来る前に受け取ることができたのは、三組の生徒だけ。
そして神崎が忠告をするということは、彼女に忠告できる仲間は二組と四組にいないということだ。
「だから神崎の指示を受けた君が、彼女の協力者だ」
「……。そんなの偶然です。無理やりこじつけてるだけです」
やれやれ。どうしたって認めようとしないな。
これではどこまでいっても――平行線でしかない。
確かに俺の推理はあくまでも推測だ。状況証拠と観察によって組み立てた妄想、思い込み。
そしてそれには時と場合によって嘘も混ぜる。
だからこそ――向こう側からアクションを起こさせる必要があるのだ。
方針を変えよう。
間接的に情報を得るつもりだったが、直接交渉に入る。まずはそのための準備だ。
「実は――俺はもう『別れさせ屋』の正体に辿り着いている。話を聞きたいなら、そのまま黙って聞いてくれ」
それから俺は人差し指を口元に構えて静かにしているように、と示してから、指を放送室のほうへ向けた。
「まず前提として『別れさせ屋』の行動理念は嫌がらせでカップルを別れさせることじゃない。むしろ逆に、特定のカップルを故意に別れさせているんだ」
「え、そうなの?」
と、楓が反応した。
悪いけど今は少し黙っててくれ、と片手で抑えつつ、俺は続きを語る。
「常盤を見て確信したよ。あんなのと付き合うくらいなら浮気したことにしてさっさと別れたいと相手は思うはずだ。だから『別れさせ屋』は、そういった問題のあるカップルのどちらかから依頼を受けて動いているんだろ?」
返答はない。琴平も何も言わない。無言を貫いている。
それでいい。俺が今推理を語っているのは琴平花灯に対してではないのだから。
「だからこそ、メッセージアプリで浮気の写真を送ることができた。アカウントの友達登録は、カップルの片方がグルだから容易だ。でもここで一つ疑問がある。『別れさせ屋』はどうやって依頼者と渡りをつけていたのか。――だけど」
それに対する解をすでに俺は持っている。
彼女に初めて会ったときからね。
「それは――『別れさせ屋』のメンバーが生徒全体や校内を取り締まる生徒会、もしくは風紀委員に入っていれば問題ない。生徒の評判なんか嫌でも目に付くはずだ。たとえばあの先輩は女癖が悪いとか、あの後輩は男自慢がすごいとか、そういう評判は案外出回るものだし、何なら本人が自慢げに語ったりするからね」
だからこそ、おそらくは本人たちが想像した以上に『別れさせ屋』という存在は大きくなった。
加害者が語らずとも、被害者が語ることにより噂は広まった。
そしてあろうことか俺がその被害に遭ったんだ。
いけないな。常盤に思いっきり蹴られたことを思いだしたら、すごく腹が立ってきたぞ。
怪我は重症とまでは言わないが、アザとかしばらく残りそうだ。最悪。
ともかく気を取り直して、最後の仕上げにいこう。
「そして『別れさせ屋』の噂が流れ始めた時期に生徒会に入った生徒がいる。さあ、答え合わせのために出てきたらどうかな。そろそろ俺の目的が知りたいだろう――神崎凪沙」
声を張ることもなく、静かにそう呼び掛けると。
ほどなくしてこの視聴覚室に併設された、放送室の扉が開いた。




