24話『行動は常に、先を読んで』
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楓にはとあることをお願いして教室に戻ってもらった。
七瀬にも教室へ戻ってもらうのと同時に、二年の女王としての人脈を使い、できるかぎり情報を集めてもらうことに。
ほしい情報は二つ。
常盤大河についてと、『別れさせ屋』の噂が流れ始めた時期。
特に一番最初の被害者だ。
六限が始まってすぐ、期待以上の早さで、七瀬からのメッセージが来た。
――『『別れさせ屋』の一番最初の被害者は一年のカップルよ。クラスは一組。時期は先週。それと常盤大河については、今日はもう帰った、くらいね。強いて言うなら仲のいい人がいないおかげで、情報が集まらない、というのが情報よ』。
七瀬から来たメッセージに『ありがとう。念のため、しばらくは絶対に一人で行動しないで』、と常盤を警戒するよう返事をする。
常盤の狙いはあくまでも『別れさせ屋』だが、そのためにどのような手段をとるかは分からない。
とにかくあらゆる事態を想定して動きながら――状況を打破するためにも。
「――――」
俺は一年四組の教室に入る。
「ん、君は? 何をやっているんだ?」
教師からの問いかけ。向けられる怪訝な視線は生徒から。
当然だ。授業中に知らないヤツが入ってきたら、誰だって注目する。
俺は堂々と教室内を歩き、そして中央の列、前から二番目の席に座る名前も知らない男子に声をかけた。
「君が『別れさせ屋』だろう? 三年の常盤先輩がカッター持ち歩いてブチギレてるよ。早く逃げたほうがいい」
「……は? 何言ってんの?」
もちろんこれは嘘。
彼は『別れさせ屋』とは関係ない。だが――ほかはどうだ?
「いいぞ。そのままとぼけてろ。先輩にバレたら間違いなくボコボコにされる。いや、彼なら殺すとこまでいくかもしれない。いいね? とにかく自分の身を守ることだけを考えるんだ」
「いや、俺はホントに知らねーって!」
「…………」
横目にクラス全体を見る。
教師も、生徒も、全員が彼に注目している。
「ごめん。今の全部冗談。それじゃあね!」
「あ、おい待ちなさい!」
そそくさと教室を後にすると、今度は一年二組へ。
さきほどと同じようなやり取りを繰り返す。
――君が『別れさせ屋』だろう?
そうやってハッタリをかまして、注目を集める。
三年の先輩、暴力、カッターなど危険なワードを含ませることで恐怖を与え、その反応を見る。
ここも問題なし。
次は一年一組。
神崎凪沙のいるクラス。
――君が『別れさせ屋』だってことは知ってる。
そこでハッタリの効果が出た。
教師が、生徒が、俺や、俺がハッタリをかけた人に注目する中で。
ただ一人だけ、神崎凪沙だけが――スマホを弄っていた。
馬鹿らしいことを言っていると嘲笑するように口の端が歪んでいたのだ。
――それこそが俺の策だった。
無関係な人間を『別れさせ屋』だと決めつけ、そのことを周囲に伝える。
そのとき、何も知らない人間はどういう反応をする?
信じる? 疑う?
いずれにしてもその人に注目するのは確かだ。
だが逆に――真実を知っている人間は。
あまりにも的外れなことを言っている俺を滑稽に思いながら、嗤い、そして無関心でいる。
つまり――無関係な人間を『別れさせ屋』だと言って、そいつのことを見向きもしなかった人間。
それが『別れさせ屋』に関わっているヤツだ。
――神崎凪沙は『別れさせ屋』の一人。
しかし正直なところを言えば、彼女が怪しいことは最初に握手をしたときに分かっていた。
表情は自然だったが、俺の質問に少しだけ脈が速くなった彼女。
半分嘘で半分本当――『別れさせ屋』は一人じゃないから、どこか余裕のあるその反応は当然だった。
だがそれが分かったところで、困ったことに彼女は口を割らないだろう。
三年の先輩に狙われていることを遠回しに伝えても、彼女は動揺を見せなかった。
だから代わりに、真実を話してくれる人が必要なんだ。
残ったのは一年三組。俺のクラス。目星は――ついている。
「む、冬馬君。どこに行ってたんですか。授業はもう始まっていますよ」
扉を開けると、数学教師の斎賀砂羽に声をかけられた。
「お、何サボってんだよ。ずりーぞ」
続いて気さくに声をかけてくれたのは、南雲遠夜。
以前に俺が失恋させ、同時に得恋させた男子であり、星川鏡花の彼氏だ。
今ではすっかりクラス公認のカップルとなっており、時折茶化されている姿を見かける。
と、そのことは今はさておき。
俺は教壇に上がる。
「ちょ、ちょっとぉ?」
抗議の声を上げる斎賀。
悪いけど今は優先するべきことがある。
俺は彼女にそっと耳打ちした。
「あなたが流した噂のせいでさっき先輩に殴られたり蹴られた」
「……へ⁉ それホント⁉ って、私は別に噂なんか流して……」
「あなたが話したことが原因で噂になったんだ。同じだよ。そのことを少しでも申し訳ないと思うなら、ちょっと黙ってて」
本当はこういう言い方は好きじゃないんだが、状況が状況だ。
俺は斎賀を説き伏せて、教師の代わりに教壇の中心に立つ。
「この教室に、本当の『別れさせ屋』がいる」
俺はクラス全体を見渡しながら言った。
ことは深刻だ――そう言外で伝えるために、表情も声音も普段より少し重くする。
「三年に常盤って先輩がいる。彼は被害者で、そして『別れさせ屋』を本気で恨んでいる。とても危険だ。暴力を振るうだろうし何をするか分からない。だから忠告をするために言わせてもらうよ。――南雲、『別れさせ屋』なんてことはすぐにでもやめろ」
「……は?」
前列の左から二番目の男子――南雲遠夜が気の抜けた声を出した。
当然だ。これも嘘。ハッタリ。
だがもう少しだけ付きあってもらうぞ。
「あまりこういう言い方はよくないけど、常盤先輩は間違いなく異常者だ。さっきもカッターで襲われた。とぼけるならそれでいい。とにかく自分の身を守ることだけを考えてほしい」
「いやだから、俺、ほんと知らないって。大体どうして幸せ絶頂期の俺がそんな他人をひがむようなことしなくちゃいけないんだよ……!」
「嘘をついても俺には通用しないぞ?」
南雲にハッタリをかけながら、さりげなく教室を見渡す。
だがいない。
――誰一人例外なく、クラスの誰もが俺と南雲を見ている。
無関心でいる人はおらず、好奇、怯え、それぞれの感情が滲み出ていて――しかしその直後、先にクラスに戻った楓が小さく手で丸を作った。
「――――」
この瞬間、この場で怪しいやつはいない。
それでも目的は達成された。
「だから聞けって! 俺はほんとに何も知らない!」
「……うーむ。なるほど、そうか。どうやら勘違いだったみたい。ごめん!」
それまでの雰囲気から一転、緊張感のない気の抜けた声で、俺は南雲に頭を下げた。
「ったくよー……」
「まあそんな怒らないでって。ほら、これ見て?」
俺はポケットから取り出した五百円玉を南雲に、そしてクラス全体に見せつける。
それから硬貨を左手に握り、次いで右手も。
「さて、どっちにあるでしょうか」
また変なこと始めたな、と斎賀の視線がちりちり刺さるが、場を誤魔化すにはショーが最適だ。
「そりゃ左手で握ったんだから左手。とか思わせといて、大体そういうマジックだと袖とかに隠したりするんだぜ。ってことで左手の袖」
中々いい読みだ。
まずは両手の拳を開いて、どちらにも硬貨がないところまで開示する。
「ほらな?」
南雲が得意げな表情を浮かべる、が甘いぞ。
「でも残念。あるのは袖じゃない。正解は、"すでに君が持っている"――だ」
「は?」
逡巡、それからして南雲は制服のポケットをまさぐり始めた。
そしてズボンの左ポケットに手を入れたその瞬間、懐疑的だった表情は、ハトが豆鉄砲をくらったような顔に変わる。
してやったり。俺はにやりと不敵な笑みを浮かべて告げてやった。
「それは君にあげるよ。疑ってごめんね。じゃあ先生、授業の続きをお願いします」
「お気遣いどうも」
「……お小遣いどーも」
微妙な反応を示した斎賀は、俺の手品のタネが気になってしかない生徒を前に、仕方なく授業を再開した。
それを横目に、昼休みぶりに自分の席に戻る。
琴平花灯の席を通り過ぎ、高砂楓の席を通り過ぎ、クラスの一番後ろの席へと。
……とりあえず現時点でやれることはやった。授業が終わるまでのあと三十分、休憩だ。
ふと楓が振り返ってきた。
「成果ありだぜ」
「了解。それじゃあ放課後に」
「オーケー。……んで、お前さっきの五百円玉どこに隠したんだよ」
「袖の中」
それだけ言って、俺は教科書とノートを取り出して真面目に授業を受けている風を装うことにした。
結局例の手品――というか手品もどきだが、タネは簡単。五百円玉は二枚あったのだ。
俺が持っていたものが一枚。
そして俺が楓に頼み、あらかじめ南雲のポケットに忍ばせたものが一枚。計二枚。
最初に見せた一枚は南雲の見立て通り、袖に滑り込ませることで隠した。
だがそれを看破されたとしても、南雲のポケットに入っている硬貨について指摘すれば、手品に見せかけることができる――という仕組みだ。
硬貨は一枚、という先入観を利用したトリック。
思えば『別れさせ屋』――その存在もある意味、先入観を利用していたのかもしれない。
だからこそ彼女は。
いいや、彼女たちは――――。