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22話『遠雷と共に、彼は間に合う』

 絶体絶命――そんな言葉がよぎった。

 俺は即座にスマホを取り出し、背中に隠す。


 西校舎四階の空き教室。

 そこで俺と七瀬(ななせ)の密談が行われている中、突如として姿を見せたのは『別れさせ屋』被害者の一人――常盤大河(ときわたいが)


 彼は驚くほどに静かだった。

 まるで透明な殺意。見えない気配。

 それでいて憎悪を吐き出す対象として俺を、そして七瀬を見据えている。


「……そっちの女には見覚えがある。確か二年の七瀬。女王とかなんとか気取ってる勘違い女だったかなァ」


「気取っているのではなく、事実そうなのよ」


「よせ、挑発に乗るな。……喧嘩にでもなったらこっちに勝ち目はないぞ……!」


 常盤に聞かれないように小声で忠告する。


「はぁ? 頼りないわね。それでも男の子?」


「……通信教育で空手をマスターしてれば話は変わっただろうけどね」


 常盤大河――身長は百七十五センチ、髪は一見伸びっぱなしのようできちんと手入れされている。

 体つきはがっしりしているのが制服の上からでも分かり、爪まで整えているということはナルシストの傾向。


 とにかく誤解を解いて話し合いに持ち込むべきだ。

 そう思ったのも束の間――常盤が強く床を踏みしめ、俺に向かって飛び出してきた。


「ッ――――!」


 即座に距離を詰められ、強靭な拳から繰り出される左フックが俺の顔面を捉える。

 

「うッ……⁉」


 とっさに両腕をクロスして構えガード。だが喧嘩も格闘術の経験もない素人の技術でどうにかなるほど、彼の拳は甘くない。


 勢いのままに俺の体は軽く殴り飛ばされ、教室の隅に積まれた机と椅子の山に突っ込む。


「ッ……いって……」


「冬馬!」


 腕やら背中やらいろいろと強打した。

 全身を電流が駆け抜け、体が思ったように動かない。まるで自分の体じゃないみたいだ。


 人から本気で殴られるってのは、かなり痛い。


「呆れるくらい弱い。その程度で僕の持ち物を奪おうとするとは、身の程を弁えてほしいな」


 向けられた常盤の双眸は依然として、俺を射殺さんとするようにどす黒い。

 灯りのない教室。外は強く雨が降っていて。眼前に立つ男は――まさに猟奇的だ。


 おもむろに、常盤は俺から七瀬へと視線を移した。


「お前の女なんだろう? ならちょうどいいやァ。僕が受けた痛みと同じだけ、返すね」


 それから先、常盤が何をするのか。

 俺はすぐに直感で理解した。


「ッ、やめ――――」


 最後まで言い切る隙もなく、常盤は七瀬との距離を詰め――強引に押し倒した。


「きゃッ⁉ や、やめなさい……!」


「黙れよ」


 ――バチン!

 華奢な体に馬乗りになった常盤はそれから、何の躊躇もなく七瀬の頬を叩いた。

 痛みに怯んだ七瀬は放心し、その隙に常盤はさらに手を伸ばす。


 ダメだ――七瀬では抵抗できない。してもねじ伏せられる。

 圧倒的な力の差で四肢は押さえつけられ、身動きが取れなくなるだけだ。


「ぁ――――」


 七瀬のか細い声。

 ブレザーの下、白いシャツに常盤は手をかけ――力任せにボタンを引き千切って聖域を犯す。

 

 淡い桃色の下着が、贅肉のない完璧な体が、穢れのない乳白色の肌が――晒される。

 

 ――どくん。


 心臓が震えた。呼吸が止まった。瞳孔が開いて、知らず知らずのうちに俺は拳を握っていた。

 このままいけばどうなる?

 答えなんか見れば分かる。

 常盤大河――サイコ気質でナルシストの変態野郎に、二年の女王、七瀬七海はその身を蹂躙される。


 デジャヴュ――。

 ああ、それだけは絶対に避けなければならない。

 それはある意味、今の俺に宿る劫火(ごうか)の燃料なのだ。


 だから常盤、お前の勘違いを利用させてもらうよ。

 俺はありったけの憎しみを込めて、言葉を紡ぐ。

 あとのことなんて考えず、ただ今は、彼女を救うために。二度と失わないために。


「常盤! お前の女はそんなにいいものじゃなかったよ!」


「……あァ?」


 七瀬の柔らかい肌に爪を立てようとした常盤が、こちらをジロリと睨む。

 よし、いいぞ。もっと俺に注意を向けろ。


「ムキになるほどじゃないって言ってるんだ。それとも君は気付かなかった? 自分の初めての彼女がとんでもないビッチだったなんてさ!」


「…………」


 まだ常盤は七瀬から離れない。

 ならもう一押しだ。


「君は昔両親からネグレクトを受けていた。だから人の痛みも自分の心も分からないサイコパスとして育った。でも時の流れは優秀だ。ドラマ、映画、小説、それとも道徳の授業かな? いずれにしても何かが君に"愛"というものを教えてくれた。君は欲したはずだ。他人からの愛情を。でも誰も与えてくれなかった!」


「……黙れ」


「だから自分で自分を愛するようになったんだろ! ほら、ナルシストの誕生だ! それで、どうして彼女ができた? いやそこは問題じゃない。君は彼女を、自分の所有物にしようとしたはずだ。自分に無条件で愛を与えてくれる道具として扱ったはずだ。でもそれを取られて君は怒ってる。まるで好きな玩具を取り上げられた子供――」


「黙れって言ってるだろう――! お前に僕の何が理解できるってェ⁉」


「――お前程度、俺には手に取るように分かるよ」


「ッ……‼」


 常盤はゆらめくように立ち上がり、心のない瞳で俺を覗いた。

 これで彼の注意は七瀬から俺に向いた。

 

 あとは――――。


「がァ……ッ⁉」


 そこから先の思考が途切れる。

 視界が白塗りになり、全身を熱と衝撃が駆け抜けて――すぐに次がやってくる。


「黙れって! 言ってるだろ! なあ! おい!」


 一時停止していた脳の機能が元に戻り、視界に映った景色がようやく理解できた。

 俺は今、常盤に蹴られている。

 最初に頭を、次に胴体を。

 何度も、何度も蹴られ、そして胸倉を掴まれて、無理やり立たされる。


「…………」


 構えられた拳。

 どうやら歯の一本か二本くらいは覚悟しなければならないようだ。

 重い鉄槌のようなそれが容赦なく、俺の顔面に放たれて――――。



「――てめぇ、なにやってんだよ」



「――――」


 拳は片手で受け止められた。


 彼は――今時珍しいほどのお人好しであり、スマホで助けてくれとメッセージを送ったら、授業を抜け出してでも駆けつけてくれる俺の大切な友人。



 ――高砂楓。



 見殺しより人殺しでありたいと、そう己の在り方を定めた少年が、俺と常盤の間に割って入った。


 持つべきものは友情だ。……ああ、ホント、これ以上ないほどに頼もしい増援だよ。



「俺のダチに、何してんのかって聞いてんだよ‼」



「君、僕の邪魔……しないでくれるかなァ!」


 楓は即座に右足を常盤の足に絡めるように前へ。

 足元を崩された常盤の体はよろめき、俺の胸倉を掴んでいた手も解ける。


 だが、それで終わりではない。

 楓は流れるように左手を常盤の顔面に放ち――殴らずに頭を掴んで、後方に押し込んだ。


「ッ……」


 常盤は仕方なく後退する。

 仕切り直し。これでバトンタッチをするようにして、楓が前に出る。


「――――」


 一瞬、楓はボコボコにされた俺と、下着姿で怯えた表情の七瀬を見て――それから拳を強く握り直した。


「こちとら喧嘩に巻き込まれることも多いんだ。わりぃけど、ただじゃ済まないからな」


「……ああ、そう、じゃあ使うつもりなかったけど、これ使うね」


 常盤は苦虫を噛み潰したような顔で、楓を睨み、そしてポケットからカッターを取り出した。

 用意周到なことだ。だが驚きはない。

 ヤツならそれくらい持っていて当然。こうして直接会ってみて、俺はそんなイメージを常盤から感じ取っている。


「気を付けろ。あいつは躊躇しないぞ」

 

「……ああ。なんでこんなことになっちまったのかは分からねぇ。けど一発ぶん殴って、あの野郎の目を覚まさせてやるさ」


 楓は構える。それは武術の類ではない。

 おそらくはさきほど言っていた喧嘩に巻き込まれる機会で身につけた、自分を守るための我流の技術。


 ――遠雷。

 それこそが、高砂楓が駆け出す合図となった。

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