21話『打算だらけの協力関係』
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二年の女王――七瀬七海からの呼び出しに応じ、俺は五限をサボって西校舎の非常階段を訪れた。
天気は晴天とは言えない。いまにも雨が降りそうな曇天だ。
四月末――もうすぐ初夏が来るというのに、風はやけに冷たい。
ガチャリと、非常扉を開ける音が聞こえる。
現れたのは七瀬。もはや彼女と会うときはこの場所だと、お約束のようになっている。
相変わらず女王に相応しいその容姿は、無意識のうちに目を奪われる。のだが、会うたびに彼女が仏頂面を向けてくるのも、やはりお約束のようなもので。
実は密かに胃が痛かったりする。
「やあ」
軽く手を上げて挨拶をすると、彼女は腕を組んで扉に背を預けた。
これもまたどこかで見たような光景だ。
「……話をする前に一つ確認しておきたいのだけど。あなたが『別れさせ屋』?」
「いいや」
「まあ、そうよね。今回はあなたが噂の渦中にあるのだし。もっとうまくやるはずだわ。……というか、何かしらデジャヴュを感じる会話ね、これ」
「同じこと思ってた。気が合うね」
「なにをちゃっかり距離を縮めようとしてきているの気持ち悪いわね、と思ったけれど、私はあなたに脅されている下僕の身だから、これは言葉にせず心に秘めておくわ」
「勢いで口走っちゃったから途中から誤魔化しにはいってたけど、それはさすがに無理があるな」
と、そんな他愛のない会話をしている場合ではない。
七瀬がわざわざ昼休みの終わり、つまりこれから五限が始まるというところで俺を呼び出したのには、理由があるはずだ。
通常ではない異常な、緊急性を要する理由が。
「それで、話は?」
七瀬は真剣な表情で頷くと、ポケットからスマホを取り出した。
「これを見て」
画面はメッセージアプリのトーク画面のようだ。
そこには一枚の写真が載っている。
「……、これは八木原と、誰?」
写真はアングルからしてゴシップ紙に載っているような盗撮されたものだ。
映っているのは夜の町を歩く音楽教師――八木原と、この桔梗高校の制服を着た女子。
二人は腕を組んで、楽しそうに笑っている。
「分からないわ。けれどこの写真を送信してきたのは『別れさせ屋』というアカウントよ」
「……。写真が届いたのは?」
「写真が届いたのはさっき。すぐに八木原先生にメッセージを送って確認したわ。それで――」
七瀬は悲しそうに目を伏せてから、今にも泣きだしそうな声で小さく呟いた。
「――別れよう、と一言だけ返信が来たわ」
俺は再び写真を覗きこむ。
相手の女子生徒の背丈は、百五十センチ半ばくらい。髪は長い。
ほかには何かないかと観察を続けるが、情報らしい情報は見当たらない。
「……」
妙だ。
八木原は七瀬と交際していた。それがどの程度の規模というか深度、密度だったのかは不明だが、それにしても八木原は浮気をするようなタイプじゃない。
七瀬の告白を受け入れたのも、おそらくは七瀬を傷つけないため。
数日前に蔓延した噂によって自身との関係が露呈しないように距離をおこうと提案したのも、七瀬を守るためだと俺は思う。
だとしたら――これは?
七瀬を大事に思っている八木原がこんなことするのは不自然だ。
「……こんなの、明らかに不自然よ。彼はこんなことする人じゃない」
「同じくそう思う。とりあえず事情は分かったよ。でもどうして俺を?」
「――『別れさせ屋』を捕まえるために力を貸しなさい。あなただっていつまでも噂の渦中にいたくないでしょう?」
七瀬は俺が問うよりも早く、協力するメリット――理由を提示した。
確かにこれ以上ないほどに完璧な理由だ。
七瀬は八木原の真意を知るために。
俺は自らの嫌疑を晴らすために。
「分かった。協力するよ。とりあえず、『別れさせ屋』の情報が欲しいな。手口や被害者とか」
「問題ないわ。すでに何人かに頼んで調べてもらっているから、手に入れた情報は送信しておくわね」
そう言って、七瀬はメッセージアプリを経由して俺のスマホに情報を送ってくれた。
やけに手際がいいな。
これが彼女の本気、ということか。
というかここまで進んでいるなら、果たして俺が力を貸す必要はあるのだろうか。
「ちなみにだけど、目星ってついてる?」
「まあね。こういうのは先入観を口にするのが大切だから、ちゃんと話しておくわ。私の考えでは『別れさせ屋』は一年生よ。私がこの学校に入って一年、その間に似たような話は一切聞かなかったし、だとするなら新しく入ってきた生徒の可能性が――――」
と、話し始めたところで、冷たい風が吹き抜ける。
ふと何かが鼻先を掠めた。
どうやら雨が降ってきたらしい。
「場所を変えよう。前に使った空き教室とか」
「……そうね」
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そうして空き教室に場所を移した俺と七瀬。
使われていない椅子と机を引っ張り出して、会議の場を整える。
「そういえばあなた、以前私に嘘吐いたわよね」
「藪から棒になにさ」
「あの脅しというか取引のときよ。あのとき、この教室にはほかにも録音機材を仕掛けてあると言ったじゃない」
そういえばそんなハッタリをかましたことがあった。
あのときの七瀬は今にも殴りかかってきそうだったから、それを止めるために思わず出てしまったのだ。
「まあハッタリであることは分かっていたのだけれど、それでも一応確認のために小一時間ほど捜索したのよね……。おかげで無為に時間を消費してしまったわ。ああ、なんだかムカついてきちゃった」
「ふっ……」
夕暮れの空き教室で、ありもしないものを小一時間探し続ける七瀬を想像して、つい吹き出しそうになった。
いけない、ここで余計なことを言えば、また話がこじれる。
というかすでに七瀬が死ぬほど冷たい視線を向けてきている。
俺は誤魔化すように咳ばらいをして、それから本題について切り出した。
「……それで、さっきの話だと『別れさせ屋』は一年生だって?」
「ええ。何事も、新しい風を運んでくるのは新しい存在よ」
七瀬は冷たい空気に触れて冷えた肌を温めるように足を組み、取り出したスマホに視線を落とした。
俺もスマホを取り出し、さきほど送られてきたデータを開封する。
表示されたのは『別れさせ屋』の被害者カップルの名前と写真。
写真は隠し撮りだがよく撮れてるし、名前まで載っている。何よりも、被害者の特定までできているのは恐るべき情報網だ。
「とはいえ、これはあくまでも私の先入観。ただの直感よ。証拠はない。見たところ、『別れさせ屋』の被害者に共通点はないようだし」
「一年に一組、二年に二組、三年に一組。それと学年違いが一組。あー、あと七瀬と八木原で破局したカップルは……計六組か。数で言えば二年生に若干の偏りはあるけど、一年はカップルを作るにはまだ早いし、三年は受験があるから当然なのかな」
「ちょっと待ちなさい。私と八木原先生はまだ破局していないわ。ぶん殴るわよ」
「まあちょっとした冗談だって……」
ロボットみたいな平坦な口調で言われたものだから、少し怖かった。
とりあえずおふざけはここまで。
俺は被害者リストの写真から入手できる情報を探す。
「そういえば結局『別れさせ屋』の手口はどういうものなの?」
「報告では、私のときと同じように、カップルのどちらかに浮気写真を送る……といった具合らしいわ。まったく、別の女と腕を組むくらい何よ。浮気というからには仲睦まじくベッドインしてる写真くらい送ってきなさいよね。それくらいで破局が成立するわけないじゃない」
「……とりあえず一度落ち着こう。君、なんか前とキャラ違うし」
「そうかしら。私は元来こんなものよ。……元々、女王なんてのもガラじゃないのかもね」
後半になるにつれてその声はずいぶんと小さくなっていったが、それでも俺には聞こえた。
というか静かな空き教室で二人きりなのだ。
多少の小声ならばっちり聞き取れる。
それにしてもカップルのどちらかに浮気現場の写真か。
となると『別れさせ屋』は少なくとも男女二人以上――特定は難しそうだ。
そもそも何の目的があってこんなことをするのだろうか。
「――ん」
ふと、被害者リストに載っているうちの一人に視線が吸い寄せられた。
「どうかした?」
「……いや、この三年の常盤大河だけど、彼、かなりやばいよ」
写真はおそらく教室の入り口から、昼休み中の彼を撮ったもの。
「やばいって、何がどうやばいの。もっと具体的に説明してもらえるかしら」
「実際に会ってみないと断言できないけど――彼、多分サイコパスだ。そういう顔してる」
「……その、私は一応、あなたがそれなりの観察眼を持っていることを知っているから理解してあげられるけれど、ほかの人が聞いたら普通に悪口よね……」
「まあそのことはおいといて。何がやばいかって、まず彼が彼女を作れたこともだけど、それ以上に、本当に『別れさせ屋』の被害に遭ったらならまず間違いなく報復に出るってことだ。見た感じ結構体つきがしっかりしているから場合によっては暴力的な手段に出る可能性が――――」
俺の言葉はそこで一度遮られた。
なぜなら、空き教室であり本来であるならば教師も、生徒も、誰一人として訪れるはずのないこの部屋の扉が――力強く開けられたから。
「――――ある」
噂をすれば影。
「――人の女を奪っておいて、自分は別の女と密会か。冬馬白雪――お前が『別れさせ屋』なんだろう? ダメだよ、人を傷つけることをしてさァ」
常盤大河――彼が、教室に入り口に構えていた。




