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19話『瞬間、恋のキューピット』

 思い出したように俺はそろそろあの一件について語るべきだろう。


 例の悪辣な噂が流れ始める少し前。

 生徒会長である風見織姫からスカウトを受けたその日の三限――そこであった出来事を。



 その日の午前十一時過ぎ。三限の途中。

 今日も今日とて俺――冬馬白雪(とうましらゆき)は眠りこけており。


「――冬馬君。この問題、解いてもらえる?」


 浅い眠りの中で、そんな声が聞こえた。

 

「おい、起きろ、冬馬」


 前の席で友人である高砂楓に小突かれ、俺の意識は覚醒に向かう。

 確か今の授業は数学――。

 寝ぼけ眼で立ち上がり、黒板の前に向かう。

 

「さ、解いてもらえる? ほらほら」


 隣から調子よく急かしてくるのは数学教師の斎賀砂羽(さいがさわ)

 いつもゆったりとした服装で、気さくな性格は生徒からも人気があり、よくちゃん付けで呼ばれている。

 

「どした~? いつも寝てる冬馬君ならこれくらい余裕だよねー。解けないんだったら、真面目に授業受けてほしいんだけどなぁ?」


 なるほど。確かに俺は午前の授業をほとんど寝て過ごしている。

 成績はいいところをキープしているが、いい加減小言の一つでも言われるだろうと予想していた。

 それがこれか。


 黒板を見る。

 なるほどこの問題――さっぱり答えが分からない。


「…………」


 かろうじてこれが高校のレベルではない、ということが分かるくらいで、あとは冗談抜きでまるで全然さっぱり分からん。

 はてさて――どうしたものか。


 とりあえず考えるふりをして時間を稼ぐが、十秒もすると斎賀がすっと近づいて耳打ちしてきた。

 

「……降参するなら、早いほうがいいと思うけど?」


 生暖かい息が耳にかかる。ちらりと視線を向けると、斎賀の首にかかった紐が目に入った。

 アクセサリー――だが、肝心の本体は服の下に隠れている。


「…………」


 よし――この場は誤魔化そう。


 俺は黒板の前からさっと離れ、一番前の列、左から二番目の席に座る男子――南雲遠夜(なぐもとおや)に声をかけた。


「ごめん、ちょっと借りるよ」


 机の上からペンケースを拝借。それをそのまま、斎賀に放り投げる。


「え、おい!」


 南雲から抗議の声が上がるが問題ない。斎賀はまだ二十代で動体視力もある。

 これくらいの速度ならキャッチできるはず。


「とと!」


 南雲は予想通りキャッチした。とっさに――左手で。


「ちょっと、何してるの冬馬君!」


「いやあ。それより南雲」


 俺は笑って誤魔化しながら再び南雲のほうを向いて、こう言った。


「――君、斎賀先生のこと好きでしょ」


「え⁉ ちょ、は⁉ んーなわけ……ねぇだろぅ……」


「分かりやすくて助かるよ。さっき先生が俺に耳打ちしてきたときも、それ以上近づくなって感じの視線が出てたよ。確かに先生は若いし、ボディタッチとか気軽だし、まさに男子の憧れるタイプだ。でも残念。先生――今度、結婚しますよね?」


「へっ――⁉」


 どうして分かったの、という反応を見せる斎賀。

 彼女もわかりやすくて助かる。


「先生は何かアクセサリーを首から下げてる。でも肝心の本体は見えない。つまりそれは他人にはあまり見られたくないものであるのと同時に、肌身離さず持っておきたいもの。――すなわち婚約指輪だ」


 俺の指摘に教室がざわめく。


「生徒に見られたらどうせ冷やかされるからね。だから隠してた。違います?」


「ち、違います!」


「じゃあ、そうだね。先生は板書をするときは右手を使う。でも本当は左利きだ。さっきペンケースを投げたときにとっさに出たのも左手だったから」


「ま、まあ……それは……事実だけど」


「指輪をつけるのは左手の薬指が一般的だ。でも先生の場合、思わずチョークや黒板消しを左手で使ってしまうことがある。するとせっかくの指輪が汚れてしまうかもしれない。だから首から下げてる。どうですか?」


 斎賀の視線は右側によっている。おそらく適当な言い訳を考えているのだろう。

 右脳が働いている証拠だ。


「どうなんですか、先生ぇ!」


「ひぇ……⁉」


 南雲の思わぬ支援に、斎賀先生もたじろいでいる。

 元々彼女は隠しごとが得意というよりは、はっきりと物事を言うタイプだ。

 俺が授業中に寝ているのをどうにかしようと思うほど、問題に立ち向かう芯の強さがある。


 だから――この場で嘘は言わない。言えば、それは相手にも失礼になるから。


「は、はい。確かにこれは結婚指輪です。私は結婚します……」


「ぁ……あ……嘘だ……………、俺の先生が……!」


「いやあなたのではありませんけど! というか冬馬君、どうして人の秘密を暴くようなことをするの! 普通に人としてどうかと思うな、わたしゃあ!」


「だからって秘密にしておくのは残酷だよ。無理なら無理ってちゃんと伝えたほうがお互いにとっていいでしょう?」


 ヒートアップする斎賀を両手で抑えつつ、俺はこの世の終わりみたいな顔をしている南雲にもう一度声をかける。

 少年よ、諦めるのは早い。青春はまだ始まってもいないぞ。


「大丈夫、いい話もある」


 それだけ告げて、顔を上げた俺は南雲の左斜め後ろの席に座る女子――星川鏡花(ほしかわきょうか)に視線を向けた。


「次は君だ、星川。実のところ――南雲のこと好きだろ? 見てれば分かる」


「え、……その……それは……。まあ……」


「いいぞ。恥ずかしさと葛藤して否定しないのは、その分だけ気持ちが強いからだ」


 まずは星川の気持ちを肯定し、周囲――ひいては南雲に知らしめる。

 それからちょいちょいとジェスチャーをして、俺はとあることを星川に耳打ちするのだ。


「今告白すれば、彼は絶対に受け入れる。ちょっとずるいやり方かもしれないけど、でもこう考えるんだ。彼の気持ちはこれから掴んでいけばいい。大切なのは気持ちをちゃんと伝えて距離を縮めることだ。さあ――どうかな?」


 誰だって、傷心を利用した告白なんて罪悪感を抱くだろう。

 自分のことをずるいと思い、弱ったところにつけこむようで一歩引いてしまうだろう。


 だが――大切なことを伝えられないまま、友達ですら、クラスメイトですらなくなってしまうことだってある。

 だったら伝えたほうがいいじゃないか。


 どんなに自分勝手なモノだとしても、それが自分にとって胸を張れることなら――遠慮なんかする必要ない。


「……あ、あの! 南雲くん!」


 決意を固めた星川が立ち上がる。

 そして俺は邪魔にならないようそそくさと教壇のほうへ退散。


「私、中学のときからずっとあなたのことが好きでした! 付きあってください!」

 

 星川は頭を下げた。

 そうか。同じ中学出身という関係性もあったのか。

 入学して三週間で、ではなく、中学からずっと――うん、なら心配することはなにもない。


 星川からの告白を受けた南雲は、少し照れくさそうにして、一瞬だけ周囲を見て――そして、にかっと笑った。


「あ、ああ、こんな俺でよければ、よろしく!」


 四月下旬。桔梗高校の一年三組に、南雲遠夜&星川鏡花という一組のカップルが誕生した。

 そしてすっかり雰囲気に流されているが、数学教師の斎賀砂羽の婚約も明らかになった。


 さて――あとは仕上げた。


「よーしお前ら! 今日という特別な日は授業よりもお祝いだ!」



 ――うぉぉぉぉおおおおおおおおおお――‼‼



 柄にもなく大声を出してクラス全体を扇動すると、すぐさま男女問わず歓声が巻き起こり、教室は退屈な数学授業の場からハッピーな幸せお祝い空間へと変貌を遂げた。


「あ、ちなみにだけど先生。結婚のことは養護教諭に伝えないほうがいいですよ。嫉妬で死ぬかもしれないんで」


 あの人この前なんか結婚詐欺師に引っかかりそうになってたし。

 本当に止めるのが大変なので、今のうちに根回ししておく。

 養護教諭の名取愛衣(なとりあい)――彼女に結婚の二文字が訪れることはあるのか。ぶっちゃけ不安だ。


「あ、はい……それは、アドバイスどうも……」


 戸惑い気味の斎賀を置いて、俺はバカ騒ぎ状態になっている教室を縦断して席に戻ることにした。

 さて、これでまたひと眠りすることができる。

 

「お前さ。授業潰すなよ……」


「まあこういう日があってもいいでしょ?」


 静かに抗議の声を上げる楓に適当な返事をして、俺は再び眠りについた。



 ――俺は、俺自身の行動が後々になって厄介ごとの種になることをまだ知らない。



 教師からの無茶ぶりを回避するために、結果として一組のカップルを成立させたその手段。

 完全なる自業自得から始まり、それを回避したことで巻き込まれることになる厄介ごと。


 やはりそれも、俺の――自業自得なのだ。


 結局のところ冬馬白雪の本質とは、身から出た錆を拭い捨て、けれど再び出る錆をまた拭う。

 そんな救いのない堂々巡りを繰り返すだけの、愚か者なのかもしれない。

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