幕間『美原夏野と七瀬七海の関係性』
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「美原さん――この度は本当に、申し訳ございませんでした」
ただひたすらに頭を垂れる。
恥も外聞もない、誠意やらなにやらを込めた土下座。
「……え、えーっと…………?」
これまでウチはいじめられてきた。
そして今、その首謀者というかグループのリーダーが目の前で土下座をしている。
それは案外――思ったよりも、心地のいいものではない。
四月下旬。
生徒会長である風見織姫による放送があり、校内に蔓延していた悪辣なる噂が押さえつけられたその日の夜。
二年の女王――七瀬七海が、反逆を企てた別派閥の女子を叩き潰したその日の夜。
どうしてかウチ、美原夏野は七瀬と会うことになった。
喫茶店『バタフライウインド』――どうせ会うなら、なるべく人気のない落ち着ける場所で会いたかったので、ウチがここを指定した。
店員の視線も少ない一番奥の席。
夜になると暖色の照明がついて、なかなか洒落た感じを出してくれる。
お互いに服装は学生服。
向こうの雰囲気は相も変わらず高飛車な女王サマ――と見せかけて、今日はほんの少しだけ、表情に憂いがあるように思えて。
実際に口にできたものではないので、これはウチの心の中だけの独り言なのだが。
――今の七瀬の姿はまるで、失恋したばかりの乙女のようだ。
で、自分はどうして彼女に呼ばれたのだろう、と考えながら無言でいると。
おもむろに七瀬は席を立ち、それからフローリングの床に膝をついて、手をついて――。
――見事な土下座を、ウチにしてくれたのだ。
「…………」
ウチとこの子の関係性を端的に表すとしたら、きっと同級生よりも、クラスメイトよりも、加害者と被害者というのがもっともらしい。
いじめの加害者と被害者――。
そうなってしまった経緯を端的に説明すると。
これまで友達なんて呼べる人がほとんどいなかったウチは、一年の夏休みにギャルデビューを果たして、いわゆるぼっち脱却を図った。
しかし出る杭は打たれると言わんばかりに、ある日――同じクラスであり、二年の女王、カーストトップに座する七瀬に『調子に乗っている』と思われ、クラスの女子全体からいじめを受けるようになった。
と、こんな感じ。
まあ今となっては、という話だ。
いじめは、先日出会った一年生の冬馬白雪という変なやつのおかげで終焉を迎えたし。
気にしていないと言えば嘘になるが、終わったことをいつまでも根に持つのは"ウチ"の性分じゃない。
なので七瀬との関係は、これ以上良くも悪くもならない程度で、高校を卒業したら二度と会うこともないだろうと思うくらいの距離感だと思っていた。
「あー、と、とりあえず店員さんに見られたら恥ずかしいからさ。席、座りな? ほら、あれじゃん。自慢の髪とか思いっきり床についちゃってるし。床はあれよ? 意外と汚いっつーか、トイレ行ったその足でーとか考えたら、アレじゃん」
「……では、お言葉に甘えて」
軽く制服を叩いて、七瀬は向かいの席に座り直した。
うーむ……はてさてどうしたものですかね。
ぶっちゃけ死ぬほど気まずい。
いやだって、普通いじめた相手に土下座する?
だいたいそういうのってなあなあで誤魔化されんじゃん。やっても頭を下げるくらいで、土下座まではいかないじゃん。
とりあえず警戒を解かないまま七瀬をじろりと見つめてみる。
すると。
「美原さん。これを」
七瀬は鞄の中から茶封筒を取り出して、それをウチの前に差し出した。
なんだろうこれ、やたらと中身が詰まっている。
手を伸ばす。中を見る。そしてウチは――絶句する。
茶封筒の中身、それは現代社会においてあらゆる問題を解決することができる魔法の紙。
人によっては何よりも誠意の証となるそれは――現金。
しかも帯封付き! そしてこの厚さ! ドラマとかでよく見るやつ!
つまりはこれ――百万円だ。
「……あぇ?」
変な声が出てしまった。
しかしそこに追い打ちをかけるように、七瀬が小さな紙を横に並べる。
「もちろん、現金だけの誠意なんて信用できないと思うわ。これには私の連絡先が書いてあるから、好きなときに呼び出して、パシリでも何でも奴隷のように使ってくれて構わないから」
「……はい?」
「ええ、分かっているわ。まだ足りないのでしょう? そうね、さっきの土下座だけれど、もっと衆目のある場所でするべきだったわよね。今度全校集会のときにでも――」
「いやいやいや、ちょい待て、てか待て、もう待って! 普通に重い! 重すぎだから! なんそれ、アフターケアどんだけしてくるん? 逆に怖いんだけど……。もしかしてアレ? 手切れ金的な? ここまでしてあげるから私のことは忘れなさい的な?」
いやそれはウチが超面倒な女みたいになってるじゃん。
正しくは今回の一件のように、自分に不利な情報を流さないための口止め料、みたいなことが言いたかった。
「いいえ、あなたに対して本当に申し訳ないと思っているのよ。恥ずべきことをしたと、一生背負わなければならない罪だと。じゃなきゃプライドの高い私が土下座なんてしないわ」
「あ、プライド高いとか自分で言っちゃうんですね……」
「ああっ、申し訳ございませんでした美原様! 私ごときが再び美原様に不快な思いをさせてしまって! なにとぞお許しください!」
「いやアンタ一応二年の女王ポジだよね。なんでそんな小物キャラみたいになってんの……」
そしてなんでちょっと仲いい同士の会話みたいになってんの。
それにしても正直、七瀬がここまで下手に出てくるとは予想外だった。
土下座、現金、奴隷――。
「つか百万とかどうやって用意したし」
「私が五歳のころからコツコツと貯めてきたお金よ。もちろん、気にせず受け取ってくれて構わないわ」
「いや、にしても貯めすぎでしょ……。しかも、んなこと聞いたら余計に重いから! ってかアレじゃん、こんだけ大金貰っちゃったら贈与税とかかかんじゃね? 知らんけどさ」
「贈与税は百十万以下なら非課税よ」
なら他の税金はどうなん。
と聞きたかったけど、もしこのお金を貰うことに何のデメリットもなかった場合、本当に受け取ってしまいそうだからそれ以上は聞かないことにした。
まあ、本音を言えば、どれも悪い提案ではない。
いじめを受けて、その首謀者に仕返しができるチャンスが訪れて。
でも――なんだか、それを受け取ってしまったら、自分まで堕ちてしまう予感がある。
それに相手は七瀬七海だ。
ウチには、相手が嘘を言っているかどうかなんて見抜く力はない。
けれど、いやだからこそ、何か裏があるのではないかと、疑ってしまう。
「……あー、あんさ。聞いてもいい? 昨日、噂のこと聞かれて困ってるウチのこと、助けてくれたじゃん。アレ、なんで? 土下座も現金もそうだけど、もしかして白雪くんになんか言われちゃったカンジ?」
「それは……そうね、直接とはいわずとも遠因くらいには言えるかもしれないわね。けれど先に言っておくとね、私は敗北を次へ繋げる女なのよ。味わった屈辱は忘れずに、それを乗り越えるためならそれまでの自分を一変させることだって厭わない」
「……つまり?」
「詳しく説明するには私自身のことを話さないとならないわ。でもそれを抜きにして、端的に言うなら――私は今までの自分が間違っていて、どれほど愚かなことをしていたのか。それにやっと気付けたのよ」
「…………」
決着はすでについている。
すべての話は終わっていて、もう七瀬から何をされることもない。
けれど、それでもやはり。
"自分"が受けた痛みを返してしまいたいと思う"自分"がいる。
けれどそれは傲慢だ。
やられたからやり返す。それじゃあ相手と同じ。
そんなのは――ギャル的に言えば、つまんない。
ウチは多分、過去の痛みよりも未来のために相手を理解したいと思える人でありたいから。
だから。
「ね、アンタのいうその私自身のこと、話してよ。長くなってもいいからさ」
「……ええ、分かったわ」
それから七瀬は、自分のことを語ってくれた。
おそらくは彼女のことを女王だと思っている人間は知らないような、そんな七瀬七海の知られざる一面を。
「私はずっと、女王の座が欲しかった。成績を維持し、自分の手入れを怠らず、そういう努力をして、人の上に立てる存在になりたかったの」
語り。
「私には一つ上の姉がいてね。別の学校に通っていて、今はいわゆる不登校――というやつなのだけれど、昔の姉は私よりもずっと優秀で、周囲の人間に好かれ、まさしく"憧れ"だった。だから私は姉に近づけるように、そして元の姉に戻ってほしい気持ちで、カーストの頂点を目指した」
語り。
「けれど元々器じゃなかったのね。私は些細なことにもストレスが溜まるようになって、女王という立場を利用した憂さ晴らしをしたくなった。でもそれは間違った方法で――そしてもっと簡単な方法があったことに気付かされたわ。正しさを覚えて間違いを知った、と言ったところかしら。そこで私はようやく、自分のしてきたことの愚かさを自覚したの」
語り――。
ほんの少しばかり。七瀬七海の人となりが理解できたような気がした。
「……ふーん。そっか」
それからまた少しばかり会話を重ねて、ウチは差し出されたお金をつき返し、代わりにと連絡先を交換。
友人、とまではいかずとも七瀬とは知人程度の距離感でいることを選んだ。
結局のところ、ウチが七瀬を許したのかといえば、きっと許していない。
受けた痛みは遠い未来、何かのきっかけで思い出すかもしれないし。
だから七瀬が一生罪を背負うというのなら、ウチも一生、痛みを背負うのだろう。
けれど――なんだか、もうどうでもいいんだ。
人間みな誰しも、強い部分があれば弱い部分もあり。
"ウチ"はそういう弱い部分を肯定するっつーか。そうするのが役割っつーか。
とにかくそんな感じ。
だけど最後にどうしても、ウチは七瀬に言いたいことがあった。
それだけ言って、この話し合いを終わりにするとしよう。
「あんさ。最後にこれだけ言わせてほしんだけどさ。アンタが謝るべきなのって、ウチだけじゃないから。だからもしそんときが来たら、ちゃんと謝れよな」
「……そうね。もちろん、約束するわ」
そうして今日という日は終わっていく。
これから七瀬との関係がどうなるのか、今のウチはどうしたって知る由もない。