18話『美原夏野、蚊帳の外で泣く』
✿
翌日の放課後。
俺は夏野と共に喫茶店『バタフライウインド』で、まったりとした時間を過ごしていた。
「……あんさ。ウチ、今回、マジで蚊帳の外じゃね? や、前のときもいつの間にか勝手に解決してたけどさー。ウチの視点から見てみなよ。田中くんが行方不明ってだけでメンタルボロボロだってのに、学校で変な噂立てられて、したら七瀬が急に味方になってくれて、で、昨日の今日で何事もなくなってんじゃん。もう混乱しかないわけ」
――そう。
結論からいえば一昨日から広まり始めた『田中直紀の失踪には七瀬七海と美原夏野が関わっている』という噂は、あらかた駆逐された。
仮初めではあるが、再び平和な学生生活は取り戻されたことになる。
で、平和になると人は余裕を持つもので。
「ほれほれ、正直に話しなって」
いわゆるだる絡みをされることになる。
「そういえば今日はタピオカ注文しないんだね。ダイエット?」
「おい、いや、おい。なに失礼なこと言って露骨に話逸らそうとしてんの? バレバレだっつの。下手か? それともわざと煽ってんの? ちなみにダイエットはしてませんー、今日は紅茶の気分なだけですー」
そう言って夏野は紅茶をあおる。それに合わせて俺も一口。
「……そもそも今回は何もしてない、って言ったら?」
「ふふん、や、ほら。ウチだって相手が嘘言ってるかどうかわかるし? 絶対なんかしたっつー確信があるわけ」
得意げに笑う夏野。
おそらくだが七瀬が何か言ったんだな。
だから俺の嘘が分かる、ではなく、俺の言葉が嘘であることを知っている、というのが正しいはずだ。
「知れば隠す苦労を背負うことになるよ?」
七瀬との取引もそうだ。
秘密を抱えるということは周囲に嘘を吐くということで、それは気付かないうちに心の負担となる。
「んじゃ、その苦労は二人で分ければよくね?」
ちょっとドヤ顔で言ってみせる夏野。
二人で――か。恥ずかしながらちょっと嬉しい。
「……それは名案だ。分かったよ、話す。でも一応言っておくけど、他言しないでね」
「おけおけ、ま、安心しなよ。どうせ話す友達もいないし。……や、自分で言ってて悲しすぎだけどさ」
「……」
「あー、ほら、なんか同情的な顔向けられちゃってんじゃん……いいからはよ、しろ」
ジロリと睨まれてしまったので、笑顔を浮かべて誤魔化しながら、俺は鞄から三枚の紙を取り出した。
それは昨日の朝、桔梗高校の昇降口、掲示板、およそ人目につくような場所にばら撒かれた紙。
紙にはそれぞれ別のことが別のフォントで書かれている。
一枚目には『この学校には、不倫をしている教師がいる』。
二枚目には『この学校には、教師と取引して不正に成績を上げている生徒がいる』。
三枚目には『この学校には、黒魔術を使って人を呪い殺した者がいる』。
「無造作にばら撒かれたこれらに加えて、さらなる四枚目が、一際目につく昇降口前の掲示板に一枚だけ張られていた。内容は血文字で『田中直紀が父親と共に失踪した理由を知っているのは、犯人だけだ』。これらは全部――俺がやった」
「まあ、さすがに予想してた、かな」
「目的は一つ。七瀬と夏野を追いやっていた最初の噂を潰すためだ。あの噂は、七瀬を疎む女子連中による下剋上で、夏野はそれに巻き込まれた形だったね」
「交通事故みたいなね」
俺は頷く。
「でも周囲の人間は好奇心を煽られたはずだ。なにせ田中の失踪という異常な出来事を絡められたんだからね。おかげで七瀬の立場は危うかった。そして彼女が負ければ、君もまた面倒なことになっていた。だからそれを避けるために――噂をもっと大きく、表面化することにしたんだ」
「あー……、そっか。大ごとになれば先生たちが調査する。そうなったら噂を流した張本人はめちゃ困るっつー話ね」
「そう。それに加えて、夏野と七瀬を深く調べられないように噂はあくまでもデマであることを強調した。一枚目と二枚目の紙には正直少しは可能性がありそうだろ? でも三枚目の黒魔術。これが完全に、他の二枚をいたずらに仕立て上げてくれたんだ」
「なら四枚目は? ウチも見たけど、正直ガチっぽくて引いたんだけどさ」
「あれは……失踪したのが田中本人だけでなく父親もだっていう正しい情報を広めるためなのと、噂の黒幕を脅すため。最初の噂は田中の失踪に君たちが関わってるんじゃないかってものだった。じゃあなんでそれを知ってるかって言ったら、犯人だから」
「……や、それはさすがに話飛躍してね? 単に心当たりがあるだけかもしれんじゃん」
「まあね。実際無関係だと思う。でも強引なこじつけだとしても釣られる人はいるし、そうやって決めつけられて向こう側が焦ってたら何かボロを出してくれるかもしれない。重要なのはハッタリをかけられた相手がどんな反応をするかってことさ」
なるほど、と小さく何度も頷く夏野。
そして何かを思い出したように、両手を軽く叩いて口を開いた。
「反応といえば、生徒会長のあの放送は? あれって本人に頼んだん? なんかずいぶん気に入られてて仲がいいって話聞きますけども」
「……なんかトゲのある言い方」
「いやいや気のせいですとも。ええ。……んーで、結局そこらへんどうなん?」
「結論から言えば、俺は織姫先輩には何も言っていない。あの放送はおそらく学校側から頼まれたものだ。先輩は生徒から人気もあるし信頼も獲得してる。だから下手な教師が演説するよりずっと効果があるから――本人もそれを理解して引き受けたのさ」
「……ん、つーことはさ、最初から会長から放送なり集会なりがあることを読んでたってこと? 結局んとこ、噂をばちっとシメたのって会長の言葉でしょ?」
「まあね。先輩は賢いから、これらの紙が意図的に噂を生み出そうとしていることに気付く。いや、もしかしたら、何者かが噂を消すために噂を生み出そうとしたことにだって気付いてたかもしれない。そのうえであの人なら必要な言葉を生徒に与えてくれると思った」
生徒会長の風見織姫。
彼女の言葉には説得力があり、そのまっすぐで強く優しい性格ならば、人の悪い部分を煽るようなことは許さないだろう。
だから目立たないことを強いられている俺よりよっぽどいい顔役になってくれた。
彼女を利用するのは少しばかり心が痛むが、しかし、これで平和は訪れる。
不倫や不正もハッタリだから調査も適当なところで切り上げるだろうし、もし本当にそれらが発覚したら、いい掃除になるだろう。
我ながらいい手を考えたものだ。
「……なんか、考え過ぎて頭痛くなってきた」
「糖分を取ったら? ほら、タピオカとか」
「や、だから今日は気分じゃないんだよって、なにタピ推しなの。なんなら流行りもちょい過ぎてますけど。それともウチを太らせたいんですかね? え、そういう趣味なの、引くわー。ま、とりあえずケーキは頼むんだけどさ」
さーせん、と声をかけてショートケーキを注文する夏野。
それを横目に俺は――鞄の中に入れた"五枚目"の紙に視線を落とす。
そこには四枚目と同じフォントでこう書かれていた。
――『この学校には、田中直紀とその父親の失踪に関わった者がいる』。
これは、最後の最後まで悩んで、結局誰の目にも触れさせなかったものだ。
「……や、でもさ。でも、噂は収まったけど……田中くんはまだ見つかってないんだよね」
机に突っ伏して、不安そうに囁く夏野。
「……そうだね」
五枚目の紙に書かれた文章。
もちろんこれはハッタリだ。何の証拠も確証もない。
重要なのは、これを見たことで何かのアクションを起こす人物がいるかどうか。
――そうだ。そこが問題だ。
もし、もしこれがきっかけで、俺と、その友人の近くで何かが起きたら――。
そう考えたら、この紙を人の目に晒す気はなくなっていた。
とにもかくにも――仮初めの平和は取り戻した。
今はただ警察を信じて、穏やかな青春を送ることが俺のすべきことだ。
悪辣なる噂編、了。