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第三話

ごめんなさい、全然ホラーじゃないかも(T_T)

残酷なシーンあります

早苗は帰宅後すぐにお風呂を沸かしじっくり湯船を堪能した。


購入して数年の建売住宅だが、アパート暮らしで隣や階下の住民に子供の騒ぐ声や遊ぶ音に気を使っていた頃を思い出し、多少無理をしてでも買って良かったと思えた。


風呂場の鏡で体のあちこちを調べたが、見える範囲だけでも小さな痣が幾つも見つかった。

綺麗に消えてくれると良いのだけれど。

少しだけ気分が沈む。

〈でも、生きているわ〉

母の声がそう告げたような気がする。


そうね、大怪我もなく命があっただけでも有り難いに違いない。

早苗はそう思う事にして、回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出しベランダに干す。


キッチンで米を研ぎ、炊飯器のタイマーをセットしてから夫の運転する車でスーパーへ買い出しに出掛けた。


食材は案外重く、家族四人分ともなるとそれなりの量になってしまう。


事故で自転車が大破し、未だ打ち身の影響で、あちこちに痛みがあるため一人の買い出しはまだ無理だと判断したためだ。


早苗は真剣な表情で運転する夫を見て、普段からこうならいいのにと思う。


〈彼、優しいのね?〉

母の声がまた聞こえた気がして、それは多分違うのよと心の中で返事を返した。


事故にあってから時々聞こえる声。

もしかしたら事故の後遺症なのかも知れないが、これはどちらかと言うと贈り物に近いのではないかと早苗は思った。


知らない誰かの声ではなく、愛する母の声なのだから。

近くで見守ってくれている。

そんな安心感がありこそすれ、怖いとは全く思わなかった。


車は先程女子高生を見掛けた横断歩道を通り過ぎた。

ちらりと目をやったが縦看板や献花以外は何も無い事を確認し胸を撫で下ろす。


倉橋夫妻はどうせならと普段自転車では行けない街道沿いの大手スーパーへ向かっていた。


ラジオをつけ、流れてくる軽快な音楽に耳を傾けながらぼんやりと流れて行く景色を見る。


帰宅時に感じたあの違和感は何だったのだろう?

あまり通らぬ道にあった古い家が取り壊され、建売住宅が建築中であったり、いつも前を通り、何となく気になりつつも入らなかった店が知らぬ間に別の店になっていたり。


そんな当たり前の変化が気になったとも思えず、車が信号待ちの間だけと、違和感へ少しだけ意識を傾けてみた。


あっ?!


それは本当に些細な事だった。


道行く人々の中に、今時滅多に見ない服装やメイク、髪型の人を度々見掛けるのだ。


早苗はテレビが白黒だった頃の人々が抜け出して来たかのような錯覚に囚われるが、もしかしたら流行が巡っているのかも知れないと思うことにした。


実際一度流行り廃れ、そして新たなファッションとして蘇る例は幾つもあるのだから。

それとも何かの企画かも知れない。

そんな風に思って納得しようとしたが、しかし違和感はそれだけでは無かった。


道のど真ん中でジッと一軒の家を見詰めて佇む老人。


電信柱の周りをグルグルと回る髪の長い女。


建物の影や木立の隅、何人かの人に纏わりついている影のような靄のようなもの。


やっぱり私、どうかしちゃってるの?


と、何となく通り沿いのビルの屋上に動く影を見つけた。


それは手摺のないビルの屋上、その縁に座り足をブラブラさせて道行く人を見下している5〜6歳の子供だった。


あんな所に子供?危ない?!

そう思うのに何故か声が出せない。


その子供は突然立ち上がり、トンっとビルから飛び降り通行人の前に落ちる。


「?!」

あまりの衝撃に声も出せなかったが、道行く人々は誰もそれを気にせず倒れた少年の横を素通りして行く。


まるで何も無かったかのように。

誰も落ちて来なかったかのように。


コレは、ナニ?

悪寒と共に吐き気がこみ上げてくる。


〈見ては駄目よ〉

また耳元で母の声が聞こえた気がして辺りを見回せば、いつもと変わらぬ景色となった。


倒れた少年も老人も女も古めかしい格好の人も居ない。


幻覚?事故のせい?


信号が青に変わり、夫は何事も無かったように車を走らせる。


今のは何だったのだろう?

やはり脳を再び調べてもらった方が良いのかも知れない。


早苗はスーパーへ到着してからも、憂鬱な気分のまま作業的に品物を選び夫の持つカゴへと入れて行く。


打ち身の影響で買い出しが難しいので、日持ちのする物も多少余分に選んだ。

荷物が重くなる度に夫の表情は曇って行ったが、いつもの事なので気にはしないようにした。


退院直後に掃除や洗濯をし買い出しまでした影響か、レジへと向かう途中で徐々に気怠さを感じ始め、僅かながら背筋に悪寒が走った様な気がした。


「顔色が良くないね。

会計を済ませてくるから、そこのベンチで休んだら?」

流石の夫も早苗の様子に気付いたのか気遣ってくれ、その言葉に甘えることにした。

「えぇ、ありがとう」


ベンチに座り、レジに並ぶ夫を見詰める。

結婚前、付き合っていた頃は確かにこんな気遣いもしてくれたが、気付けば珍しいと思ってしまう位その頻度も減っていた。


子供が生まれてから、特に下の子供、保が生まれてから減ったような気がする。


〈伝えないと〉

母の声がした。

余裕が無かったのかも知れない。

言わなくても分かり会える、そんな幻想を抱いていたのかも知れない。


親子でも夫婦でも、皆それぞれに違う感じ方を持ち、違う考えを持つのは当たり前の事なのに。


話す時間も二人の子供の面倒を見て家事をしている内に減ってしまった。

夫も徐々に仕事が忙しくなり、帰宅する時間が遅い日も増えている。


サービス残業も多いと愚痴っていたが、その時私は何と答えただろう?


忙しさにかまけて適当に相槌を打っていたかも知れない。


変わってしまったのは彼だけじゃない。

私もなのかも知れない。


レジで順番が来て会計をしている夫をぼんやりと見て、ゆっくりとベンチから立ち上がった。

早い動きはあちこちの痛みを誘発しやすいからだ。


ん?


誰かの強い視線を感じた気がして振り返ると、肩まである髪を茶色く染め、赤い服を着た女の後ろ姿があった。


それはあやふやな事故の記憶を刺激した。

顔は見えないが、あの時車を運転していた女に似ていると、そう思った。


ヒールを履いた足を素早く動かし、商品棚の間を歩くその女性の動きは、イライラしながら先を急ぐパート先のお局様に似ていた。


明らかに全くの別人ではあるのだが、いつもイライラして心の糸がピンと張り詰めているような、ちょっとした事で簡単に切れてしまいそうな、そんな雰囲気を感じていた。


「お待たせ。行こうか」

夫の声で我に帰り夫の持つ荷物の一部を受け取ると、早苗は再び振り返る。

そこにはすでに女の姿はなく、何故か早苗はホッとした。


母は何も言わなかった。


帰宅後夫は荷物を下ろすと、仕事の用事があるからと再び車で出掛けていった。


正直に言えばあちこち痛い中、家事を手伝ってくれる訳でもなく家の中をウロチョロされるより、出掛けてくれた方が有り難かった。


軽く掃除機をかけ、階段などを拭き掃除した後、夕飯の下準備を済ませてから洗濯物を取り込む。

また視線を感じた気がして辺りを見回すが、特にそれらしい人影は見当たらず、建物や電信柱の影などに黒い靄がちらほら見えるだけだった。

脳ではなく視神経でも傷めたのかも知れない。

知人が網膜剥離をした時、視界の隅にチラチラと光や影が見えたと言う。

気になって病院へ行くと網膜剥離と診断されたそうだ。

強い衝撃でも老化現象でもなると聞き、失明の危険もそんな小さな事から始まるのかと驚いたものだった。


明日、貴船婦人の見舞いがてら検査の予約をするのも良いかも知れない。

短い間だったが、世話になった看護婦にも菓子折りを持って挨拶に行こう、そう決めた早苗だった。


いつも通りの朝が来た。

夫は少し早めに出勤し、子供たちも学校へと向う。

早苗はパート先に電話をして事情を説明し、近々復帰する予定である事を話した。


家の近所の洋菓子店で母が好きだった菓子類や看護婦向けの焼き菓子などを購入し、タクシーを拾って病院へと向う。


新しい自転車も買わないとな。

荷物が少なければ徒歩も良いが、子供を連れていたり、ちょっとした買い物をするのに無いと不便だ。


五階に上がりナースルームで礼を述べつつ菓子を渡す。


入院中は出会わなかったが、母の担当をしていた看護婦が今も働いており、少しだけ世間話をしてから貴船婦人の元へと向った。


507号室の戸は開放されており、中を覗いてみると人の気配はなかった。

荷物類も一切置かれておらず、ベッドのシーツもシワひとつない。


入り口に名前の札も入っておらず、全てが今は空き室であることを示していた。


部屋を変わったのか、自分同様退院したのだろうか?

たまたま通り掛かった母の担当だった看護師に声をかけると、「その部屋がどうかしたの?507号室はここ数日空き部屋でしたよ?」と返事があった。


「そうですか、もしかしたら私の聞き間違いだったのかも知れませんね。 

一昨日ラウンジで知り合った貴船さんが507号室だとおっしゃっていて。

退院を伝えていなかったのでお見舞いに来てみたのですけれど」

名字を言えば病室を教えてくれるだろうとそう思って早苗が尋ねると、看護婦は戸惑ったような表情をしていた。


「貴船さん?貴船さんって品の良さそうな60代の女の方よね?

そんなまさか。

確かに彼女は507号室に入院していらしたけど、貴女のお母様が亡くなられて数カ月後に亡くなられましたよ。

どなたか別の方と間違われたんじゃないですか?」


看護婦が怪訝そうな表情で答えた。

嘘を言っているようには見えないし、そもそも嘘を言う必要もない。


「え?」

どういう事だろう?

貴船婦人は確かに母を知っていると言っていた。

その後とても懐かしそうに話していた内容も、確かに知人である事を示すものだった。


ふっと事故以来の出来事が脳裏を過る。

深夜の子供たちの声と足音。 

引き戸のガラスを過った影。

町中で見掛けるあれこれ。

そして茶色い髪の女。


目眩がした。

咄嗟に近くにあった手すりに掴まり、倒れそうな体を支える。

「倉橋さん?大丈夫?!

顔色が悪いわよ?」

看護婦が咄嗟に支えてくれて、どうにか倒れずに済んだ。


「ごめんなさい、少し目眩がして。

今日は帰ります」


少し休んだ方がと引き止める看護婦に大丈夫ですと答え、早苗は病院を後にした。


私に何が起きているの?

あ母さん、どういうこと?! 

心の中で母に問い掛けても答えはなく、早苗はフラフラと町中を歩いた。


今すれ違った人は実在するのだろうか?

目の前を歩く人は生きているのだろうか?

それとも全て私が見ている幻なのだろうか?


実は事故も、娘も息子も、母も叔母も夫も全て勝手に見ている幻なのではないだろうか?


誰も居ない空間に向かって、まるで会話を楽しんでいるように話し掛ける人を見たことがある。

 

あれは私の姿なのかも知れない。


足元から全てが崩れ去って行くかのような恐怖を覚えた。


そもそも私は実在するの?


もしかしたらあの事故で私は死んだんじゃ?


不安や恐怖が際限なく湧き出て、早苗はいつしか両手で顔を覆い泣いていた。


「大丈夫よ」

頭上からまだ幼い声がした。


早苗はゆっくりと顔を上げ、辺りを見回した。

そこは家から然程遠くない広めの公園だった。

知らぬ間に早苗はそのベンチで顔を覆って泣いていたらしい。


そして早苗の前に一人、息子と同じ年頃の少年が立っていた。

いや見覚えがある。

年度明けに転校して来た子で、息子のクラスメイトだったはずだ。

確か山野君だったろうか?

運動音痴で大人しい。

そんな印象の薄い少年だった。


山野少年は早苗とその背後を何度も見ては、「大丈夫よって、おばあさんが言ってるよ。貴女はいつも考え過ぎるのよって言ってる」そう、まるで伝言を伝えるように彼女へ語りかけていた。


「おばさんをおばあさんが守っているんだって。

でもね、頑張り過ぎて疲れちゃったって。

それで声が小さくなっておばさんに聞こえないから、伝えてって言われたんだよ?」

小さく小首を傾げて話す少年に、思わず早苗は微笑んだ。


何故だろう?この少年は嘘を言っていないと、そう感じる事が出来たのだ。

母の伝言を伝えてくれるメッセンジャーのような存在に感謝の念すら覚えた。


「そう、伝えてくれてありがとう」

そっと少年の両手を握り、心から感謝の言葉を告げると、彼は照れた様で顔を真っ赤にしてうつむいた。


「さっきからね、ジッとおばさんを見ている怖いおばちゃんが居るんだ」

少年はうつむいたまま、内緒話をするかのように小さな声で早苗に伝える。


何故だろう。

先程までの温かい気持ちが一気に覚めて、背筋を悪寒が走り抜ける。


「そのおばちゃんから守るのが大変で、おばあさんは疲れちゃったんだって言ってる」

少年は早苗の手を振りほどき、すっと彼女の背後を指し示した。


「ほら、あそこに居るよ」

見てはいけない。

心の中で警鐘がなる。

鼓動が早まり脳が脈打つように感じる。

早苗はそれでも、少しならと、その指の先へ視線をゆっくりと巡らせる。


公園を囲む樹木の中でも特に太い木の横に、その女は佇んでいた。


茶色い髪を肩まで伸ばし、年に似合わぬ化粧を施したキツイ顔の女だった。

20代の女性が着るようなデザインの真っ赤なスーツを身に纏い、底光りする目でただただ早苗の事を睨んでいる。

真っ赤なルージュをひいた唇は醜く歪み、ブツブツと何かを繰り返し呟いていた。

「ひっ?!」

思わず早苗は立ち上がり、少年を盾にするようにその背後へ隠れた。


見覚えのある顔だった。

髪の色は違ったし、メイクも服もここまででは無かったが、それでも若作りに失敗した派手な女性と、そんな印象が強くこびりついている。

そう、あれは夫の務める会社の社内イベントに家族で参加した時だ。

夫の上司とその家族を紹介され、その妻の姿を見たときに思ったのだ。


あり得ない、部下やその家族と会うのにそのメイクと服装、みっともないと思わないの?香水臭くてケバいオバサンだわと。


そうだ、この女だ。

この女が自分を轢き殺そうとした。

早苗は何故だか直感的に理解する。

あの時、誰も居ないはずの道で「危ない!」と警告してくれた声、それは母のものだった。

意識不明で眠っている女性じゃない。


この女だ!


早苗も少年の背に隠れながらも、女に対抗するように睨みつける。


早苗と目が合うと女の顔はより醜く歪み、

ガサッ

と音を立てて女が足を踏み出した。


ガサッガサッガサッ

伸びた雑草や植えられたツツジなど、その全てが視界にないのかただ早苗だけを睨み、何かを繰り返し呟きながら進んでくる。


これは危険だ。

多分町中で見たモノと同じようなものだ。

コレは見てはいけなかったのだと、早苗の中の何かが告げる。


女の周りはまだ夕暮れ前であるにも関わらず、何故か薄暗い。


いけない、顔見知りなだけの少年を巻き込んでしまった。


せめて彼だけでも逃さなきゃいけない、守らなきゃいけない。


アレは私を狙っているのだから。


すでにアレは植え込みを抜け、どんどんとお互いの距離を縮めていた。


早苗は咄嗟に少年と立ち位置を入れ替え、守るように両手を広げた。


「あっ、アンタなんか怖くないわ!何処かへ消えなさいよっ!」


精一杯の虚勢を張って怒鳴りつけたあと、少年を振り返る。

「さぁ、逃げて!」

しかし少年は何で?と言わんばかりの表情で早苗を見つめ、あぁと一人納得した様子で頷いた。


「あのオバチャン、悪いやつなんでしょ?僕がやっつけてあげるよ!」

息子と比べても実年齢より幼い口調で少年はニッコリ笑い、早苗目掛けて近付いてくる女の目の前に立つ。


「いけない!」

早苗はその身で少年を庇おうとするが、

「止まれ」

少年の言葉が公園内に響くと、ソレは歩みを止めた。

否、進みたいのに進めない。

そんな悔しそうな表情を浮かべながら、ブツブツと何かを呟いている。

その状況に戸惑いつつも、アレは何と言っているのだろう?

何気なく耳をそばだててしまった。


お前さえ居なければっ!死ねばいいのに!殺してやる!お前さえ居なければっ!死ねばいいのに!殺してやる!お前さえ居なければっ!死ねばいいのに!殺してやる!お前さえ居なければっ!死ねばいいのに!殺してやる!


女はずっとそう呟きつつ、踏み出せぬ足を前へ出そうと身を攀じる。


痛っ!と言う声が聞こえて少年を見れば、あまり高くもない鼻からツーっと鼻血が流れ出ていた。 


「やったなっ?!」

少年が怒りの声を上げる。


それは今まで何処かのほほんとしていた少年とは何かが異なる声音であり、雰囲気だった。

まるで別の人格が怒りによって表に出てきたような、そんな感覚を早苗は覚えた。


カタカタと固定されているはずのベンチが揺れる。


ザワザワと辺りに撒かれた無数の砂利が震えて鳴り、風もないのにブランコが音を立てて動き出す。


「えっ?何?!」

早苗の髪が静電気で浮き上がる。


少年を中心に砂利や砂場の砂、放置された玩具のスコップやバケツ、それらが浮かび上がりグルグルと動き出す。


しかし女はニヤリと笑い、足に力を入れてジリジリと半歩前へ進んだ。


「お前は馬鹿か?

お前に物でどうこうする訳ねーじゃねーか。

まあ自分の老化も受け入れられねーようなババァじゃ頭の中もたかが知れてるし仕方ねーか?

にしてもくせーなぁ。

風呂にも入らず毎日香水でも振りかけてんのか?

あーくせーくせー。

年を誤魔化すならもっとうまくやれや、ババァ!」

少年は女を小馬鹿にしたように両手を突き出し、そして命じる。


「曲がれ!」


グキッと嫌な音がした。


「ひぃっ?!」

早苗はそれを見て思わず悲鳴を上げていた。


女の上半身が腰の辺りから後ろにクッキリと折れ曲がり、あり得ない角度になってふらつく。


「お前はいらない。消えろ」

冷淡なまでの声が風を呼び、見えざる巨大な拳で殴られたかのように女の身体が吹き飛ばされた。


その姿は時々見掛けた黒い靄となったが、少年の起こした風により散り散りになってゆく。


「はい、これでやっつけたよ!

僕はそろそろ行くね?」


少年は早苗にニッコリと微笑むと、トコトコと走って何処かへ行ってしまった。

一体何が起きたのか、早苗には全く理解出来なかった。


あれは一体なんだったのだろう?

早苗がぼんやりしつつも家に帰ると電話が鳴っていた。


慌てて鍵を開け、廊下に置いた電話の受話器を取ると夫が珍しく慌てた様子で上司の妻が事故で亡くなったと告げた。


詳細は未定だが明日か明後日にはお通夜があり告別式もその翌日に行われる、手伝う必要があるのであれこれ用意するようにと言う内容だった。


電話を切ったあと、早苗は気付くと笑っていた。


自分を呪っていた女が死んだ。

自分を殺そうとした女が死んだ。

何を思って恨んでいたのかは分からない。

それでも人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、他人を事故に合わせておいて自分も事故で死ぬとは、何とも馬鹿馬鹿しくて笑えて来たのだ。


そうだわ、私の退院祝いだし今日はご馳走を作らなきゃ!

それまで重かった気分が嘘のように軽々とした足取りで早苗はキッチンへと向かった。


そんな姿を窓の外から見つめる目があった。

夕暮れ時の陽に照らされてなお暗い、黒い何かの塊はじっと早苗を睨み続けていた。

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