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8.頭上の怪物

 園上キミエは、特異な体質をしていた。

 それは、視界に映し出される映像が、超低速に見えるというものだ。極度の緊張状態や異常な集中力を発揮した際にそれは起こる。

 キミエが不思議なシャボンの膨らませ方をするのは、通常の肉眼では捉えきれないシャボンの動きが見えているからである。だが、超高速を捉える事ができても、その流れの中で自身の肉体は重く、自然と扱い難い。それを、ただ全てが遅く見えるだけで、深海に浸かっている様な心地なのだとキミエは言う。そして、何故そんな事が起きるのかキミエには解らなかった。

 

 これは、キミエが持つ赤い瞳。古い時代、陽光に時を捉えると言われた神属の瞳『日緋色金之極彩慧眼ひひいろがねのごくさいけいがん』の力である。

 

 この時も瞳の効果は現れていた。

 三人の武士に追いつめられたキミエは、目の前で起きた出来事を捉えていた。それは一瞬の出来事だった。

 尚馬が何者かの動きに気付き、怒声を上げる直前。最初に、その何者かに気付いたのはキミエである。それは、路地にいる武士の頭上。隣接する見世の屋根に現れた。


 (―――イチ!?)


 イチが路地を覗き込んでいる。 

 キミエは遥か頭上にいるイチと目が合った。


 (何する気だ・・・まさか!?)


 キミエは嫌な予感がした。

 次にイチに気付いたのは源一郎である。先ほどまでこちらから目を離さなかった少女の視線が逸れた。それを見逃さなかった。源一郎は、少女の視線を追って、頭上に振り返った。


 ―――やられた!


 源一郎が見たのは、屋根から真下の路地に向かって飛び込んで来るイチの姿である。普通の人間がそれを行えば自殺行為だ。しかし、イチのそれは強襲だった。落下中に壁を蹴り、軌道修正を行い加速している。イチは、囮である源一郎を差し置いて、尚馬と勝正に向かっていた。


 「直上!!」


 ここでイチに気付いた尚馬が声を上げるが。


 (チッ!(おせ)ぇよ!)


 そう思った源一郎には、イチが標的を定めたのが分かった。最後尾の尚馬だ。


 「尚馬!!」

 

 源一郎は大声を上げた。それは尚馬に回避を(うなが)すために行ったのではない。完全に出遅れていた援護役の勝正を機能させるためである。


 「ッ―――!」

 

 尚馬の危機を悟り、振り返る勝正だが、もう遅い。飛びかかったイチは、自慢の煙管を尚馬の脳天目掛けて打ち込もうとしている。狙われている尚馬本人は、酔いが回っているのか、体が思うように動かない。

 勝正は、頭で考えるよりも先に、体が動いていた。

 振り返りざまに行ったのか。勝正は既に抜刀を完了させ、そのままイチの落下先である尚馬の頭上目掛け刀を打ち込もうとしている。

 

 目が眩むような閃光が走り。金属の衝突音が響き渡る。


 援護は間に合わなかった。勝正より先に、イチの攻撃が尚馬に命中した。糸が切れた人形の様に尚馬が崩れる。煙管が命中した兜からは、煙の様なものが尾を引いていた。


 ―――尚馬がやられた。


 だが、これで失速するであろうイチを、勝正が切り伏せようとしている。

 十分な間合い。いまだ宙にいるイチに逃げ場は無い。

 かに思われた。どういうわけか宙にいたはずのイチの姿は無い。その代わりに勝正が宙を舞っていた。

 

 ―――何が起きた。


 などと、勝正には思う間も無かったに違いない。

 刀を打ち込む前にはもう、勝正に意識は無かったのだから。

 

 (スゲェ・・・) 


 と、思ったのはキミエである。その赤い瞳で、イチの動きをしっかりと捉えていた。

 

 ―――速い。

 

 イチは尚馬に浴びせた落下の勢いを巧みに利用し、抜刀した勝正の懐に一気に踏み込んだのだ。

 打ち刀を使用したのが(アダ)になった。狭い路地で長い刀を鞘から横に抜くのは難しい。勝正は、反射的に縦抜きを行った。抜刀と同時に脇が開き、それが懐に入り込む隙を作ってしまったのだ。

 イチは落下からの怒涛の勢いで、勝正に背中から体当たりした。まるで交通事故のような光景である。黒鋼の鎧武者が地から離れ、打っ飛んだ。


 手練れ二名がやられた。

 飛ばされた勝正が、源一郎に向かって飛来する。

 そんな瞬く間だったが、源一郎は状況を分析していた。


 襲ってきたのは、見世にいた爛之一という女に違いない。

 重傷を免れない高所から行われた強襲。

 鎧武者を一撃で戦闘不能にする打撃力。

 そして、勝正に加えられた攻撃は、尚馬が地に伏すよりも早く行われていた。

 人間の業ではない。

 怪物である。


 (―――残るは俺一人か)

 

 覚悟を決める源一郎を見て、キミエは不思議に思った。


 (このジイさん、どういうつもりだ―――?)

 

 源一郎からは〝何か早く対処しなくては!〟というような焦りが一切見られないのだ。どういう訳かいたって自然体である。イチに向かって正対してはいるものの、飛来してくる仲間を避けようという様子も無い。下がった両手などは、未だにガラ空きである。

 イチの動きに圧倒されてしまったのだろうか?源一郎からは、まるでヤル気というものが感じられなかった。


 (ブルッちまったのか?まあ、あんなモン見せられちゃ―――・・・ぁ)


 キミエは目を疑った。

 源一郎が抜刀している。脇差を持っている。ガラ空きだったハズの左手に。

  

 (いつの間に!目は離さなかったぞ!!)

 

 いまだ宙にいる勝正は、源一郎に到達さえしていない。キミエの極彩慧眼だからこそ捉える事が出来るゆっくりとした時の流れで、源一郎の抜刀を見逃すなどということはあり得なかった。キミエは、次元が違う源一郎の速さに戦慄した。


 ―――さて。 


 そんな風な源一郎はというと、特に変わった事をしたつもりは無かった。ただ抜刀したに過ぎない。

 源一郎は確かに速い。しかし、恐るべきはその速さではなく、見る者の『意識を絶ち切る』呼吸と身体操作にある。

 場の流れを自然と感じ『呼吸の合間』『隙とも呼べない隙』そんな中を源一郎は動くのだ。それを相手は〝まるで見えなかった〟と認識してしまうのである。

 故に、キミエは見えていなかった訳ではない。源一郎の初動で、キミエは意識を絶ち切られていたのだ。ただ速いのとは訳が違う。


 (―――コイツが一番強い)


 囮であった源一郎を、イチが最初に狙わなかった訳である。

 勝正を飛ばして、先手を取ったイチが源一郎を狙う。


 ―――残るはお前一人だ。

 

 そんな意志を感じ取ったのか、遂に源一郎が動いた。

 呼吸の合間を、水面を滑る様に、体を横にしつつ左斜め前へ一気に入る。同時に、飛来する勝正を胸の上で受け流した。その動きを、キミエは鮮明に捉えきれない。


 (今しかねぇ―――!)

 

 そう思って、源一郎は無理矢理攻め込んだ。そうせざる負えなかった。源一郎には、イチという怪物の呼吸が、はっきりとは読み取れなかったのだ。そして、逃げ場がない狭い空間で一人で怪物を討ち取るには、勝正への体当たりで完全に動きが止まっているこの時しか駆け引きも出来ないと踏んだのである。

 

 勝正を受けた衝撃で源一郎の態勢が崩れる。だが、源一郎はイチの首目掛けて脇差を繰り出した。

 

 (チッ、やりやがる)


 脇差が(くう)を切った。無防備だったイチは、既にそこにはいない。イチは、この攻めを読んでいたのだろうか。イチは体を(ひるがえ)し、源一郎との間合いを詰めていた。

 

 ―――速い。


 源一郎は、イチの動きに舌を巻いた。

 イチは受け流される勝正を挟んで源一郎の真横にまで潜り込んでいた。

 互いに姿が見えた時が勝負だった。 


 (さあ・・・そろそろ決着だ―――)

  

 と、イチが仕上げにかかろうとする。

 それに対して、無理な態勢から攻めた源一郎は、二の太刀を繰り出せない。イチの方が圧倒的に有利である。かに思えた。


 (マズいぞイチ!)

 

 離れて見ていたキミエにはイチの方が危機的状況にあることが分かった。

 キミエの位置からは、源一郎の右手が見えていた。

 六連発の回転式拳銃が握られている。既に抜砲(ばっぽう)された拳銃は撃鉄が起きていた。それは即発砲可を意味している。

 キミエは、速い動きに気を取られ、源一郎の不可解な動きを見落としていた。


 (左で抜刀したのは、このためだったのか!)

 

 腰の左側に差している脇差を、源一郎はわざわざ左手で抜いた。それは、そのまま半身に切り込むことで、銃を扱う右手をイチから完全に隠すためである。更に、イチに飛ばされた勝正を受け流すと同時に、源一郎は銃の撃鉄を起こしていた。甲冑同士の衝突音で、銃の操作音を掻き消すためである。

 初撃の脇差は〝決め手〟ではない。源一郎は、初めからイチを射殺する気だったのだ。

 そして、イチに至近距離まで詰められた今も、勝正の体で右手の動きが隠れている。源一郎の思惑にイチは気付いていない。

 キミエの脳裏にイチの最期がよぎる。

 

 「イィィチッ!!」


 高速戦闘の中で、キミエはなんとか叫び声を絞りだした。

 だが間に合わない。

 銃声が賑やかな夜の吉原に鳴り響いた。

 

 挿絵(By みてみん)

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