7.狼娘
―――ヘイジーレイク・セシー。
そう言ったシンディの表情は自信に満ちていた。
「セシー。あなたは一人前の花魁って何だと思う?」
「え・・・?」
そんなものはわからん。突然の質問に、セシーは困った。だいたい花魁っていうのは女郎No.1の称号で、それが半人前などのわけがない。
―――『一人前』ってなんだ?
女郎達は訳がわからんと眉をひそめた。
「フフ、セシー。花魁っていうのわね。このドーン・マグファニー・ボスを一人で掲げることが出来て初めて一人前なのよ」
シンディの話は謎すぎて、セシーは更に困惑した。
「・・・どうしてボスマグを掲げることが一人前になれる事になるんですか?」
「それはね。この西町にある古い言い伝えよ」
―――古い言い伝え。
とは、その昔西町に、吉原史上稀にみるスゲェ人気の花魁がいた。スゲェ人気の花魁は、スゲェでかい酒であるボスマグがスゲェ好きで、それがスゲェ人気の花魁の代名詞になって。ある日スゲェ栄華の頂点に達したスゲェ人気の花魁はこう言った。
〝ボスマグを掲げたこのスゲェ余と同じスゲェ重さの札束を用意した者に。余の全てををくれてやる〟
自身の身請け条件をデカデカと掲げたスゲェ人気の花魁に、男たちはスゲェ額の金を積みまくり、スゲェ奪い合いが行われたという。それが現在に伝わり、一人前の花魁の条件になったという。
などとシンディがざっくりな説明をした。
―――聞いたことがねぇ。
吉原から出るのに、自分の体重と同だけの金を積んでもらって身請けしてもらう。というのはよく聞く話だが、ボスマグ云々に関しては誰も聞いたことが無かった。
「だからね。私は今回の花魁道中で、本物の花魁であるところをみんなに見てもらいの。だからどうしてもドーン・マグファニー・ボスが必要だったの」
そしてここに巨砲が来たのか。
シンディは、おもむろにしゃがみ。目の前にあるボスマグを掴むと、哮りを上げ、気合一発「フン゛ッ!」と、ボスマグを持ち上げにかかった。
「ヒィアァッ!?」
突然のことに女郎達から悲鳴が上がる。
―――ああっ!?いけない!
先ほどまで気合でどうにかなるなどと言っていた女郎達だが、実際それを目の当たりにしてみると、細いシンディにはボスマグはあまりにも大き過ぎた。
「無謀すぎる」
「持てるわけがない」
事故になってはいけないと周りが止めにかかるが、これをシンディは拒んだ。
「ダメ!ここで手を借りたら一人前どころか、今日の主役なんてできるわけがない!私は本物の花魁に成るんだ!」
そう言って、女郎達の予想を超えて行くのが『花魁・スワン・シンディ』である。気付けば、シンディは見事にボスマグを掲げていた。その姿は、ややガニ股で震えていたが、笑顔だけは絶対に崩れないでいる。
―――強い。
群狼の称賛とも畏怖とも取れる様な反応に、シンディは、
「どうかしら?」
と、花魁にしかできないキメ顔を向けた。
『シンディっぽい』
そんな歓声上がったところで、シンディは「よいしょっと・・・」と、ボトルを化粧台の上に置いた。
「間に合って良かった~。昨日には届くハズだったんだけど、何か手違いがあったみたいで心配してたのよね~・・・」
そんなシンディの言葉に、「手違い?珍しいわね―――」と、誰かが口を挟んだ。その女郎は、群れからは遠い化粧台の椅子に座っていた。
誰よりも暗い漆黒のドレスと短い頭髪。それらから露出した腕や背は恐ろしく白い。その独特の雰囲気はシンディとは対照的である。黒い女狼の名はブラック・ナディア。『スワン・イン・ザ・ブラック』の女郎である。
ナディアは椅子から立ち上がり、シンディに近寄ってきた。
〝ぅあ―――〟
場にそんな声が漏れ、セシーなどの若手や他の女郎が道を開ける。どうやらナディアのことが苦手の様だ。
それもそのはず。ここまで同じ会場にいながらナディアという女は、群れから離れ、ただ事の成り行きを傍観していたのだ。そんな事が群れで黙認されているナディアに、大抵が関わり合いたくはないのだろう。
「その手違いっていうのは、一体何があったの?」
「う~ん。荷物が隣町に行っちゃったとかナンとか聞いたけど」
「隣町へ?」
ナディアは怪訝な顔をした。
(花魁宛の荷物が隣町へ―――)
何故。この吉原で、それはちょっとした事件である。ナディアはおかしな話だと考える。だが、中断を余儀なくされた。
「そんな事より。私から皆に渡したい物があるの!」
シンディだった。
〝花魁から渡したい物とは一体何なのか〟
と会場がザワザワし始めた。
「今晩は、特別な花魁道中にしたいの!私だけボスマグで騒いでもつまらないわ!!」
やけに燥ぐシンディは、山積みになっているもう一方の小さい荷物を開け始めた。
そして―――。
「ジャーン!『ドラセロ・ロジェンダ』」
中身を取り出したシンディは、それを高々と掲げて見せた。
ドーン・マグファニーにも負けない高級酒である。
女郎達の反応は静かなものだった。ドラセロ・ロジェンダは良いワインである。それには何の文句もない。だが〝皆に渡したい〟とシンディは言っていた。しかし、花魁道中に参加する女郎は四千人近くいる。
女郎達は思った。一人一本なのか?いや人数のことを考えたらそんなハズはない。なら大見世の代表が貰うのか?皆とはどういう意味なのだ?この会場にいる者のことなのか?
どう反応して良いか分からない群れを見て、ナディアがシンディに尋ねる。
「シンディ。まさかとは思うけど、それを一人に一本用意した訳じゃないわよね?」
女郎達は、もちろん一人一本を期待していたが、シンディの答えは。
「まさか。違うわよ」
期待に満ちた場が一瞬しらけた。しかし、鋭い笑みを向けるシンディの話は終わっていなかった。
「一人二本よ。全員分用意したわ」
―――なんと!
女郎達は、青い日没が日の出に変わらんばかりにワッと声を上げた。
これにはクールなナディアも「うわっ・・・手に負えない―――」と、たじろぎ、上の階ではホテルマン達が「うるさいなぁ」とぼやいている。
「皆自分のワインを用意してくれたと思うけど。今晩はコレも使って存分に暴れて頂戴」
シンディはそう言うと、女郎達に次々とドラセロ・ロジェンダを渡し始めた。瞬く間に出来上がる女郎達の列に「他の会場にも荷物が行ってるハズだから、そっちはそっちで分けて頂戴」と指示を出す。
「やっぱ花魁は、やることはが違うわ!」
「ドラセロのツインバーストよ!ビーム!」
「これで今晩のパレードは完璧ね!!」
そんなワクワクな集団を、ナディアが白けた目で見ている。
ナディアは思う。
(今宵の花魁道中も最後まで行けそうにないな)
西の花魁道中はいつの頃からか、まともに終わったことが無い。一応予定している最終地点まで、パレードが続かないのだ。
それだけではない。パレードに参加した者は、客も含めて全員その晩の結末を覚えて無いのだ。この異常事態が発生するのが、メインストリート『Vanishing line(消失区域)』である。
行事が崩壊する原因は『シャワーファイト』だとされている。パレードが終盤に差し掛かり、大量の祝砲が放たれる。それを皮切りに、アルコールを浴びた者どもの気が振り切れるのだ。日が昇るころ、意識を取り戻す。目に飛び込んでくるのは狂乱の挙句破壊しつくされたパーティー会場の地獄絵図である。
今まで死者が出なかったのが奇跡である。
こんな大事を西町は毎回繰り返すのだが、ナディアは「一度でいいから無事に終わるところを見てみたい」と望むのだ。
だが巨砲ボスマグに加え、ドラセロのツインバーストである。
(お前のせいだぞシンディ。だいたい暴れろって・・・。この白鳥の皮を被った狼め)
花魁道中開始前に望みを絶たれ、頭を痛めるナディアであった。
だがしかし、全てを見てきた大通り『Vanishing line』だけは知っている。
〝ナディアよ。シャワー・ファイト祝砲発砲回数個人最多記録を更新し続けているのはお前なのだぞ〟
兎にも角にも。
群狼の準備は、シンディのサプライズで万端整ったのである。それで良いではないか。
今宵、決行される狂乱の祝砲に、期待を募らせる女狼達。
まだ本番前にもかかわらず、テンション爆上がりで瞳孔が開き気味になっている。
〝 Yeehaw! Welcome to The West Yoshiwara 〟
呆れるナディアであったが、そんな群れの騒ぎから外れた者がいる事に気付いた。その者は、一人ボスマグを抱え、ただ虚空を見つめている。
「準備は整ったわ―――」
いつもとは違うシンディの遠い笑み。
(―――狼娘・・・)
ナディアは嫌な予感がした。