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3.西の群狼

 暗い雰囲気に高く立ち並ぶ建造物。

 それらは、煉瓦(れんが)やコンクリートに鉄骨、筋金入りと冷たく、呼吸を感じない。建物に張り付く鉄の昇降階段は、無骨で頂上が見えなかった。薄く立ち込めた霧の仕業か、月明りで浮彫になる景色はやけに潤っている。そこには、先ほどまで南町にごった返していた木造建築、胡散臭さ色とりどりと言った雰囲気は、一切合切姿を消していた。一変した景色。ここは『吉原西町』である。所狭しとただ高く取り囲むこの場所は、自然と暗闇を作りだし、心なしか視線を感じる。静けさに聞耳が立ち、暗闇と不安が錯覚させ、存在しない気配に危機感が募る。視界が効かない鉄石の樹海は、紛れ込んだ獲物を待ち伏せるには絶好の場所と言えるだろう。そして、ここは西町の端。こんな場所は気に障る。西町に来たのなら中央へ行くことだ。大通り(メインストリート)をお勧めしよう。

 

 本日行われる西町の一大イベント。吉原一〝やることが派手〟とされる花魁・スワン・シンディの花魁道中。果てまで驀進するパーティーマシーン最大の見せ場となるのが、この大通『『Vanishing Line』である。その昔、西町のとある花魁が、自身の権威を示すために作り直したとされる場所だ。その景観は、昼と夜で大きく変化する事で知られている。

 

 昼間、大通りに入る前にまず目に付くのが、無数に(そび)える摩天楼。それは吉原を囲む壁よりも高く、南町の建造物など、とてもとても、比較にならない。石材と煉瓦が敷かれた大通りには、古びた大見世が、ずらっと構えている。掲げているのは、ペンキや浮彫細工で描かれた鉄製の看板。金属の骨格で作られた巨大な文字。年季を感じさせる錆びれと()せた電飾。時の流れだけが出せる味というモノに、通りが浸っていた。しかし、この(おもむき)がわからない者は「華やかさが無い」「廃墟同然だ」などと虚仮(こけ)にする。人それぞれの審美眼がある以上それも間違った見方ではないのかもしれない。まあ、それも大体は、日中の西町しか知らない者の話である。

 

 西の本領は日没からだ。古びた街並みに備えられた多種多様の電灯。それは町の営みが作りだしたイルミネーションだ。吉原の日没と共に輝き、西町は目覚める。色褪せた景色が息を吹き返す。それはまるで〝まだやれるのだ〟と、町が訴えているかの様だ。見世の看板に散りばめられた電飾の輝きは、光の輪郭を作りだし、昼間の錆びれや剥き出しだった鉄の骨格を黒く塗り潰す。大通りに際立つゴールドとブラックに、霞む遠景。如何に時が経とうとも、この光景だけは変わらない。古くから西町を訪れる客は、日光に今を、夜の光景にかつての自分を見るのだ。見せて、観せて、未だに魅せまくる。それが『West Yoshiwara』なのである。

 

 そして今宵、花魁道中を迎えた大通りの雰囲気はいつもと違って特別だ。普段は何も無い通りの両側には、琥珀色のテーブルクロスが掛けられた丸テーブルと、鏡の様な黒い椅子が通りの果てまで置かれている。そこに連なった豪華な飲食エリアでは、吉原に集まった各地の『美味』がその時を待っていた。設けられたライトアップは、グッと濃いブルーやグリーンが用いられ、ゴールドに輝く町の景観に締りを利かせていた。港には既に客船が到着。見事にスタンバイされた通りが賑わいで満ちるのも時間の問題だ。だが、如何に歓迎を整えても、今宵の主役は花魁である。御客が揃うまで〝万端整った〟とは言えないのだ。

 万端整ったかと言えば。やはり目には見えないバックステージが気になるものだ。如何に舞台が立派でも、披露する物が成っていなくては、それは興ざめと言えるだろう。

 

 今日、花魁道中の準備所として、西町はいくつかの建物を利用している。その一つがホテル『青い日没(ブルーサンセット)』である。七階建ての横長のホテルは、ベージュの壁と青い屋根が印象的で、正面に設けられた噴水は大きい。ホテルの地下には二百五十人ほど収容できる広い宴会場が六つある。その全室が女郎達の準備会場に姿を変えていた。


 会場の一室に並べられた百八十人分のバックステージミラーの列。扉を開ければ化粧の匂いが廊下に充満する。会場の照明は落とされ薄暗いが、鏡に囲むように付けられた無数のライトが場を熱く照らしていた。

 そこに狼と呼ばれる彼女たちはいた。 

 この場に集まっているのは、今日まで吉原を生き残ってきた高級遊郭のプロフェッショナル。その肉体はシルエットを見るだけでも、鮮烈な印象を与える。女郎達は深い色のドレスに身を包み。ライトが照らし出すその姿は、夜景を映し出す湖の様に輝いていた。その中に一人だけ真っ白なスパンコールのドレスを着た女性がいる。血色の良い白い肌。輝く金髪。それが『Yoshiwara No.3』。スワン・シンディである。


 暗い部屋で彼女たちはじっと息を殺していた。シンディを中心に集まった集団は身動き一つしない。本番前だと言うのに、一体どうしたのだろうか。その原因は、ついさっきシンディ宛てに届いた荷物にあった。


 荷物は二種類。一方は両手で抱えれるほどの木箱がたっくさん。部屋の出入口付近にまとめて置かれている。そしてもう一方の荷物は、シンディの足元に無造作に置かれていた。

 それは、一メートル以上ある大きな木箱だった。先ほど、これを運んできたホテルマンの感じからすると、木箱はかなり重い。木箱のフタは赤いリボンで留められ、そこには手紙が挟まっている。

 本番前になって、大量に届いた花魁宛の謎の荷物。その中身に狼達は興味津々なのだ。先ほどから充満している緊迫した空気に「早く中身が知りたい!」「もう我慢できないわ!」「もったいぶらないで、さっさと見せなさいよ!」そんなワクワク・ドキドキがにじみ出し、女郎達は興奮して顔が真っ赤である。

 もう無理。我慢できない。耐え切れなかったのか、ついに最前列にいた女郎が沈黙を破った。


 「花魁―――。これ何!?」


 女郎の名はヘイジーレイク・セシー。

 大通りに構える大見世『ラウンジ・ヘイジーレイク』の若手である。大胆に剃り上げた眉毛と真紅のツインテール。渋めの赤い口紅に、虚ろな青い瞳が対照的で、張りのあるしっとりとした素肌にダークグリーンのストラップレスドレスを一枚。肉体の起伏が露わになっている。

 セシーの一言で、張り詰めた空気に緩みが生じた。

 

 ―――よくやったセシー。

 

 場に走った騒めきがそう物語っている。

 群狼の熱い視線。静かに瞳を閉じるシンディは、その熱気を肌で感じている。だが、それに対して直ぐに応えたのでは、花魁として恰好が付かない。シンディはセシーを無視しない程度に間を置いた。そして花魁は目を開いた。


 「間に合ったようね―――」


 花魁の声に群れが、鼻息を荒くブルッと身を震わせる。シンディはリボンに挟まっている手紙を手に取り、内容を確認しつつ話の続きを始めた。


 「うちのお得意様で困った子がいてね。その子ったら私に。〝次の花魁道中では僕が送った服を着てくれ!〟なんて言うのよ」


 その話に、(たが)の外れた女郎が口を挟む。


 「あ!わかった~。その子マイキー坊やでしょ!」

 「マイキーって、あの赤毛に青いスーツの?」

 「ああ!あの子知ってる!カワイイわよね~。あのちょっと背伸びしちゃってる感じ、私好きよ」


 釣られて他の女郎達も話に乗りだした。

 マイキー坊やとは、貿易会社の御曹司で、明るいオレンジ色の癖毛に、マリンブルーのスーツをよく着ていることで知られている。そして、世間知らずの好青年は、狼達のハートを(くすぐ)るようだ。そして、女郎の一人がある事に気付く。


 「あら?でもシンディ。花魁道中で贈り物を着ちゃダメじゃない?」


 その問いに、女郎達は「そう言えば」と静まる。

 花魁道中などの大きなイベントにおいて、花魁の服装にはいくつかの制約がある。その典型が今出ている話だ。客から贈られた資金で、花魁が購入して着飾るのは問題ない。だが、特定の人物から贈られた物で着飾ることは良しとされない。それで起きる問題というのは、客同士の花魁の取り合い。いわゆる嫉妬である。尚も無いような事だが、時代と場所なだけにそれは無視できないのだ。ならばシンディは何を貰ったのだろうか。シンディは笑みを浮かべて答える。


 「そう。花魁道中では男からのドレスは着れない。みんな嫉妬しちゃうもの」


 そう言いつつ、シンディは木箱のリボンをほどき始めた。

 シンディの笑みは特徴的だ。片眉と口の端を吊り上げ、目を細める。その悪戯(いたずら)っぽい表情はいつも楽しげで、嫌味を感じさせない。


 「でもどうしてもって言うから。ドレスの代わりに―――」と、シンディが木箱のフタに手を掛けると、その中身が気になる女郎達は身を乗り出した。箱の中が明らかになる。


 「コレを贈ってもらったの」


 シンディが言い切ると同時に、箱の中を見た女郎達は響動(どよ)めいた。

 箱の中に入っていたのは、一本のドス黒い酒瓶である。見たところスパークリング・ワインの様だ。ゴールドのラベルには、『Dawn Mugfunny BOSS』と記されている。そして何より、瓶がデカい。その丈、ド迫力の一メートル五十センチ。


 「ドーン・マグファニ~・ボス・・・・・。今晩のシャワーファイトはコレでキメるわ」


 シンディは静かに、だが力強くそう言うと、その不敵な笑みを女郎達に向けた。

 『シャワーファイト』それは西町の花魁道中、最大の見せ場である。パレードカーに設置されたステージで、女郎達がスパークリング・ワインを豪快に浴びせ合うのだ。シンディはそこで、この巨大なスパークリング・ワインを使おうと言うのだ。

 ドッと沸き上がった女郎達の歓声で青い日没が揺れた。


 「凄い!スゴイわシンディ!あなたはやっぱり花魁なのね!!」

 「ドマグ(ドーン・マグファニーの略称)だなんて!マイキー坊もやるじゃない!」

 

 あまりの大事に「え?何々?どうしたの?」と、他の会場にいた女郎達まで集まり始めた。騒ぎが更に大きくなる。ドマグに(はしゃ)ぎまくる女郎の大群。目を開けているのが辛くなる様な激しい光景に、シンディは何かしら手応えを得たのか、得意げに腕組みをしている。その時だった。

 

 ―――あら?

 

 疑問符を浮かべたのは、シンディの目の前にいたセシーである。セシーはジッとドマグを見つめて何かを考えている。そして。


 「でも花魁。こんな大きなボトル一人で持てるの?」


 未だ治まらない歓声の中。セシーのそれは良く響いた。その場にいる全員に聞こえる程良く響いた。そんな事起こるわけないのに。

 

 〝シイィィィー・・・・・ン〟


 そんな音がした。様な気がした。はじめ、セシーは思った。

 

 (耳鳴りかしら?)

 

 と、だがそれが耳鳴りではなく、静寂によるのものだと気付くのに、差ほど時間はかからなかった。セシーは恐る恐る辺りを見回す。

 

 ―――やべ。

 

 お前そこ突っ込むなよ!と言った先輩方の視線がセシーに突き刺さる。気まずい空気に汗ばむセシー。すると。


 「気合よ」


 そう言ったのは大見世『ピンク・ライラ』のライラ・ペネロペである。

 

 「ガッツ。意志の強さ。それが困難を可能にする」


 大先輩の精神論に「え?」っとなるセシーだったが、周りの女郎達は「そうだこんなのは気持ちの問題だ」「花魁根性」「シンディならできる」などと騒めいている。

 

 「もしそれで駄目だとしても。私たちで力を合わせればいいじゃない!」


 ―――おう!


 などと群狼は気持ちを一つにした。

 ところで、西町の女郎は自分の名前の上に必ず見世の名前を付ける。セシーやペネロペの『ヘイジーレイク』『ライラ』などが良い例で、西の女郎は『○○見世の××さん』という意味で名のるのだ。シンディの『スワン』も大見世『スワン・イン・ザ・ブラック』の名前である。これには『吉原で生まれた子』の多くが、己の出生を知らない事が関係している。

 外から来る者は別として、内で生まれた者は、いつの間にか禿で、そのまま遊女に成る。〝家族?〟〝親子?〟と、そんなモノはさっぱりで、家と聞かれれば、それは自分が客をとり、飯が食える見世である。このため、名字を持たない。だが、何故そうなったのかは誰も知らないが、西の女郎達は名字の代わりに見世の名を貰う。それが影響したのだろう。見世の名前を冠する狼は、同じ名前を持つ者同士どこか家族の様な仲間意識がある。これが他町の女郎には見られない強い結束力生む要因の一つになっていた。故に、群れで競い合う事を良しとしても、貶める事は許されないのである。

 そして、気を取り直した群れから力強い声がした。


 「ヘイジーレイク・セシー」


 花魁・スワン・シンディだった。

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