2.花魁・スワン・シンディ
古い時代。長い大戦が起きた。
まだ国家という概念が存在していた頃の話だ。
各々が頂点を争い。延々と行われた大規模破壊に勝敗は無く。ただ世界に復旧困難な荒廃を広げ、国家や秩序と呼ばれた何かは消息不明の最期を遂げた。こうして、終わりを見失った世界に訪れたのは、未だに続く戦国時代である。
この群雄割拠の世界で吉原という都は、中立的な組織だ。遊郭として在る吉原だが、各地の勢力と交易を行う一面がある。故に吉原で手に入らない物は無かった。
そういう事もあってか、この吉原を訪れる客の多くは、地方を治める要人やその関係者である。都の造りが閉鎖的なのは、こう言った人や物の出入りを厳重に監視するためでもある。客同士のいざこざが勢力間の抗争に発展する恐れがあるため、治安維持が必要不可欠なのだ。最もこの都で大事件を起こそうものなら、それは『吉原』そのものを敵に回すことになる。この世で中立を維持するその戦力とは一体何なのであろうか。
何を敵に回すかわからない。野暮は止すのが一番だ。今宵は西町の花魁道中、楽しもうではないか。
花魁道中。この吉原では、それは主に『花魁』と呼ばれる女郎達の最高位が、町を華やかな行列で練り回る行事を指す。
今宵は西町でその行事が行われる。そのため、今日の吉原は、外からの客の受け入れを、日中は行っていない。毎度の事ながら、花魁道中が行われる日は、平時を大幅に上回る人が都に集まる。吉原は警備や受け入れ態勢を整えるため、日没からの開場なのだ。
そして、今宵も多くの客が集まった様だ。
数キロに渡って広がる葭の原。その先には吉原への宿場町がある。
そこから入場許可を得た客と護衛部隊が、開門に合わせて出発する。
吉原へ続く道と湖が、無数の車両と客船で爛々と騒めく。
港と大門の外に設けられた広い停留所は瞬く間に人で溢れた。
客の出立は凄まじい。スーツ、着物など皆服装は様々だが、気品に満ち隙が無い。放つ雰囲気からは、着飾ったもの以上に財が滲みでている。遠目にみれば輝く集団だが、それは客同士見縊られないための鎧の様であった。物々しい圧迫感で全く面白みを感じさせないが、それさえも楽しむのが大吉原の客であった。
そんな集団が次々と都に入場してくる。その賑わいが、四階で話すキミエとイチにも伝わってきた。
「本日も大入りだ」
とキミエが何でも無さそうに笑う。吉原に来たばかりの頃、キミエはこの賑わいを見て「やべぇ!」などと驚いていたが、今はすっかり慣れてしまった。イチなどは見飽きてキセルで遊んでいる。『あこうらん』は、自慢の提灯を光らせ、いつもの胡散臭い雰囲気を出していた。下の階からは序幕の慌ただしさが伝わって来る。
「今宵は西町の花魁道中。予定通りの盛り上がりだねぇ」
「だなぁ。シンディの所は特別派手で人気だからなぁ。しっかし東町のマジな花魁道中と比べたらアレは『驀進するパーティーマシーン』だぜ。誰か何か言ってやればいいのによぉ。シンディだけだぜ?高位三遊郭で〝バカっぽいよね〟なんて言われる花魁はよぉ・・・」
吉原には花魁と呼ばれる女郎達の頂点が三人いる。
序列第一位 東町 『篠塚太夫』、第二位 北町 『クイーン・デメトリア』。
そして、今話に出ているのが、第三位 西町 『スワン・シンディ』である。
南町には花魁はいない。それは当初の吉原には南町が無かったという事に関係している。
吉原の東西北の三町は『高位三遊郭』と呼ばれ、主要な大見世の集まりである。南町というのは、そこには置いてもらえない者が、集まって出来た裏の町なのだ。故に『裏吉原』などと呼ばれている。
今でこそ吉原四町に数えられるが、南町のその在り方は、未だに変わっていない。これが花魁がいない理由であり、これは必要な事なのだ。
高位三遊郭に置いてもらえない理由は多い。器量が乏しかったり、過酷な環境に心身が持たなかった者。年季が明けても借金が残っていたり、行く当てが無く吉原での生き方しか知らない者。手に負えない者。と様々だ。
この爛之一もそんな中の一人である。
「わかってないな。あれはアレで馬鹿を演じてるのさ」
「あ?」
キミエは不思議そうな顔をした。
「シンディは町総出の花魁道中とか言ってだな。盛大な無礼講パレードをして女郎達のガス抜きをしてるのさ」
「は?花魁道中は花魁のモンだろ?なんで周りのためにやるんだよ」
吉原で行われる三頂点の花魁道中は、己の地位を示すことを宗とする。特に西と北は、この行事が一大イベント化するため、その意味合いが強い。
その花魁道中に必要な費用の大半を、花魁自身と花魁がいる大見世が負担する。その額は莫大である。
そんな大事を、シンディは自分のためではなく町の女郎達のために行うと、イチは言う。それがキミエには理解できない。
イチはキセルを眺めざまに、キミエに問う。
「キミエ。お前は西町の女郎が何に例えられるか知っているか?」
「え?あ~確かアレだ『狼』だ」
狼。吉原の女郎は総じて『胡蝶』に例えられる。だが、高位三遊郭の女郎は、その特徴から三つの生き物にも例えられる。西町は『狼』、北町は『虎』、東町は『金魚』。
「そうだ。じゃあどうして狼と呼ばれるかお前は知っているか?」
キミエは答えに詰まった。難しそうに顔をしかめて考える。
「え~っとアレだよ。狼は虎に勝てねぇから~とかの話だろ?」
キミエが言っているのは『結束した群狼は一頭の虎をも殺す。だが百の虎には敵わない。百の虎は決して群れない。その気高さ故に狼の真似事はしないのだ。そして金魚はか弱い。硝子の鉢の中でしか生きられないその身では、狼にも虎にも敵わない。だが狼と虎は知っている。鉢に棲むのは人喰い金魚。如何に結束し気高く在ろうとも、身動きが取れない水の中では、ヒトノミにされてしまう。故に暗い鉢の淵は恐ろしく、狼も虎も近付きはしないのだ』という吉原の勢力図を表した例え話である。
「それは例え話だ。何故そう呼ばれるかではないな」
「あ~ん違うか・・・」とキミエは渋い顔をする。
イチはキセルに刻みを詰めつつ話はじめた。
「奴らは高級遊女だ。日々を競い生き残ってきた。そのプライド故、一匹狼。群れはしない。だが狼と呼ばれる奴らは、必要とあれば群れを成す」
「あ~それで?」
刻みを詰め終え、火を点じたイチは一飲み間を置く。そして、濁した景色に語り出した。
「互いに生き残りをかける狼だが、一度結束した奴らは、決して破綻しない。そんな無茶を可能にしているのが、シンディという絶対的な象徴だ。西町では、如何に個人が優れていても、他を貶める様な手合いは群れに殺される。故に、西で昇り詰める女郎というのは、好敵手の群れから支持を勝ち得た者ばかりだ」
「『あの』シンディもか?」
『あの』バカっぽいと称されるシンディにそれほどの器量があるのだろうか。納得いかないキミエにイチは続ける。
「花魁だの、頂点だのと客にもてはやされても、所詮は一人の人間だ。限界など知れている。シンディはそういう身の程ってのをよくわきまえてるんだよ。それがシンディの花魁としての在り方を形作ってるのさ。奴が花魁道中で、バカっぽく皆をもてなすのは、そういう所から成ってるんだろう」
「・・・媚ってるん?」
「違うよ。この吉原で、それは食い潰されるだけだ。ヤツの在り方っていうのは、今も昔も変わらず皆を大切にするってことだ。愚かに見せるのは、一時を皆と楽しむためだろう。花魁と道化を上手く通せるのが、シンディの器量ってやつだ」
『馬鹿』と『バカっぽい』は異なる物である。混同してはならない。その知性を隠し、あえて道化を演じる事で人々を自在に操る魔性の才がある。
スワン・シンディ。西の湖には、飛ばない白鳥がいる。夜の水面に棲む一羽の輝きは、星をも眩ます羨望の的。その光を己が物にしようと、誰もが湖に足を踏み入れる。だが、その一羽は、無数の白刃を纏った狼なのだ。
「なるほどねぇ。シンディの周りがいつも賑やかなわけだ」
キミエは何か納得した様子で答えた。そして。
「それじゃあ今晩は、シンディに悪い事をするなぁ」
キミエの言葉に、イチは「そうだな」と笑いながら答える。だが、〝悪い事をする〟などと言いつつ、二人に悪怯れた様子はない。そんな悪い顔で。
「何てったって今晩はシンディじゃなくて。 オレ達二人の花魁道中なんだからな!」
と言い切った。
―――南町には、赤い目の禿を連れた、爛れた遊女がいる。
イチとキミエはその容姿から、吉原ではそれなりに名が知れていた。だが二人は遊女でも禿でもない。まして裏吉原で花魁などもっての外だ。にもかかわらず豪語したのは花魁道中。キミエの悪い笑顔からは、幼さが消え、恐ろしい。その右頬には血管が滾っている。
「そうさ。今日は私達の花魁道中だ――――」
賛同するイチの雰囲気もキミエに負けてはいない。その独眼の恐ろしいこと。表情が消滅し、一体何処を、見ているのかわからない。
日は沈めども燃え上がる二人の気は、頭上の星空を炙らんばかりに逸っていた。
「シンディ怒るだろうな~」
などと侮った口調で言うキミエに。
「それは問題ないが、吉原が許さんよ」
とイチは鼻で笑い、本人がいもしないのによく言ったものだと二人は盛大に高笑いを始めた。下の通行人が足を止めるほどのそれは、自信の表れなのか、それとも己を奮い立たせているのか。
「さて―――。客が集まり出したし、私はそろそろ下に行くよ。まだ最後のショーが残ってる」
「おう、そうか」と返事をしたキミエに、イチは声を低くして、
「例のモノは見世の裏だ。時間になったら先に向かってくれ」
と、立ち上がり様に伝えた。キミエはそれに対し「おう。わかった」と返す。
イチは舞台がある下の酒場に向かいだした。そして、階段を下る直前で、イチはキミエの方へ振り返った。キミエは再びシャボンで練習を始めている。その姿にイチは眉を顰める。
(キミエ・・・しくじれないよ。花魁道中なんて気取ってはいるが、これは吉原では御法度の『足抜け』だ――――)
『足抜け』。脱走である。
一抹の不安が過る。イチは階段を見下ろした。
いつもの階段がやけに暗い。棲み慣れた見世。見慣れた風景。だが、今日に限って階段は彼女に問いかける。無論それは何でも無く、気のせいに決まっていた。イチは一歩先の深みに、笑みで応える。
(何。キミエはしくじらない。この爛之一もね)
沈んで行くイチに、予感は纏わりつく。だが見縊るな。こんな事で狼狽える様では、『怪物』とは呼ばれないのだ。