14.紫堂静衛とブライアンとベンジャミンと―――
この世界の果てには終わりがある。
それは広大な海を渡った先。太古の昔から神聖な場所とされるこの海域には、雲をも貫く強大な高壁がどこまでも続いている。それは神々の世界と人々の世界との境界である。そして、この境界の向こうの名は『神之園』。人々が『最果ての都』と呼ぶ神々の幻想郷である。
古い言い伝えの、人が帰り着く事を許さなかった神々の封鎖区域―――。
今、その封鎖の一部が崩壊していた。壁の天辺から根本までが大きく〝Vの字〟に破壊されている。永きに渡る人々の執念と努力により、神域への航空路が確保されていた。
巨大な裂け目と、どんよりと淀んだ景色に光が優しく溢れている。その中を時折、戦闘ヘリの集団が行き来するのであった。そんな冒涜の傷口を、高壁の外に停泊する白い超弩級海上要塞『アウグストゥス・カストルム・ワン』の一室から眺める男がいた。
―――物悲しいな。
男の名は紫堂静衛。日に焼けた初老の風貌に蒼色の鋭い目。ルーズサイドテールにリボンを編み込んだ長い灰色の髪。真っ黒い着物の袴姿に、綺麗な紺色の羽織をしている。細身で筋肉質と研ぎ澄まされた躰は、姿勢良くがっしりとして力強い。
静衛は、一面の広いガラス窓から薄暗い室内に視線を移した。
広めの客間に扉が一つ。部屋の中央には荷物が置かれたテーブルと二人掛けのソファーが一つ、一人掛けのソファーが二つ、部屋の両側には丁寧に模型を飾った硝子ケースがある。左側は『大きな白い街の模型』、右側には『綺麗な鉄道模型』が一両置いてあった。冷たい白い壁、濃い緑のタイルカーペット、実に整っている。
しばし見渡した静衛は、部屋の鉄道模型が気になった。後ろ手を組み、どんな物かとゆっくり歩み寄る。
―――嫌いじゃない。
深い緑色を基調とした美しい列車。それは何処か優しく、懐かしいデザインだった。とても大切にされているのだろう、四角いガラスケースはピカピカで、ホコリ一つのっていない。と、そこへ―――。
〝コンコンッ、コンコンッ〟
とノックがした。静衛は「どうぞ―――」と扉の向こうの相手に返事をすると、扉を開けて二人の男が現れた。
「お待たせして申し訳ない」
そう言って笑顔を見せたのは大企業連盟『世界復興推進機関デウス・エクス・マキナ』付属『医療技術研究開発機構総指揮バートレット・メディカル・エンタープライズ』代表ブライアン・A・バートレットである。ミドルネームの『A』はエイブラハム。年齢は六十代前後だろうか、白い肌に緑の瞳。かっちりとカッコよくセットされた白髪。キリッとした静衛とは違い、穏やかで優しい顔立ち。背筋のピンとした恰幅のいいがたいからは自信が満ち溢れていた。着ている物は、暗い色のシャツにグレーのネクタイ、きちっとした仕立ての良い白いスーツ。胸にはおしゃれな赤いポケットチーフを挿している。
「バートレット・メディカル・エンタープライズ代表のブライアン・バートレットです。そして彼が―――」
そう言って、ブライアンはもう一方の男に視線を送った。
その男は壮年で背が高く、褐色の肌に黒いくせっ毛。堀の深いハンサムな顔に、宝石の様な水色の瞳。瞳に似た水色のネクタイに黒いスーツ姿である。
「代表の側近をしております。ベンジャミン・ハワードです。紫堂様、この度はお会いできて光栄です」
「―――Mr.紫堂。お忙しい中、大吉原から御足労頂きありがとうございます。本日は宜しくお願いします」
「いえ。こちらこそ・・・」
などと客人の静衛は会釈した。
と言ったところで、この海上要塞に静衛を招待したこのブライアンという男は、静衛が鉄道模型を見ていた事に気付いた。そして、嬉しそうに話を切り出した。
「列車の・・・模型をご覧になられていたのですか?」
「ええ―――。何処か懐かしく思って」
「そうでしたか!Mr.紫堂。この列車如何です?」
「え?そうだな・・・。嫌いじゃない―――」
「そうですか!それは良かった!!私のお気に入りで―――綺麗でしょう?大事にしているんです。このデザインにこの深いグリーンがたまらないんですよ―――!」
この本日の対面の予定と全く関係のない私事を「私は子供の頃からこの『鉄道』という乗り物が大好きで!このスマートな車体!複雑に連動して動く車輪!!これぞ鉄のハーモニー!いつ見てもワクワクするのです!たまりませんね!!私はね、この『鉄道』と言う乗り物を!そう、人類の傑作的芸術だと!私はそう思うのです!!昔は世界中にこれが―――!」などと、それはもう楽しそうに語り尽きないいつものブライアンに、ベンジャミンは困ったように笑っている。
「そうですか―――。とても、お好きなのですね」
「ええ、とっても。―――私の夢です」
「夢?」
「はい・・・」
そう言って黙ってしまったブライアンは、街の模型に体を向けた。
半円状の広いガラスケースに真っ白い街の模型がある。それは精密に作られた列車の模型とは対照的だった。街の建造物は、どれも球体や立方体、円錐に板と言った、基本的な立体物が並べられただけの簡素な造りで、その中を鉄道らしきものが張り巡らされている曖昧な世界であった。ブライアンは―――。
「いつか・・・」
「―――?」
静衛は、一変して何処か悲しそうになったブライアンを不安げに見つめる。そして、ベンジャミンの表情は暗い。会話に詰まったブライアンは、仕切りなおそうと思ってか窓辺に向かって歩み始めた。外に広がる寂然とした風景と壁の裂け目。それらをソッと見つめると、ブライアンは思いつめた表情で会話を再開した。
「Mr.紫堂。あなたはこの光景を如何思います?」
「―――好きじゃない」
静衛のスパッとした回答に、ブライアンは少しばかり驚いた。
「そうですか・・・。実は、私も好きではありません。この様な身勝手な破壊行為は神々に対する侮辱であり、冒涜だと、私は思っています。しかしながら、我々は今、必要としてこれをせねばなりません」
「ほう・・・」
「嘗て―――。そう、まだ国家と言う概念があった頃。三百年前、延々と行われた大規模破壊。遂に勝敗は付かなかったあの忌まわしき大戦。先人達が今を生きる我々に残したこの乱世―――」
「―――耳が痛いな」
「これは、失礼をしました―――。Mr.紫堂。我々、大企業連盟『世界復興推進機関デウス・エクス・マキナ』は、三百年前から今なお続くこの戦国の世を終息に導きたいのです。秩序ある新時代を、新たなる世界を築くために」
「それが神之園への侵攻探査か―――」
「そうです。ここまで蔓延してしまった世界の退廃。この状況を覆すには、神の力無くして最早不可能です。Mr.紫堂。我々バートレット・メディカル・エンタープライズは『特務』です。その任務は大戦・古代テクノロジーは勿論、神々が操った神代のロストテクノロジーまで、ありとあらゆる知識・技術を現代に復活させ、この壊れ行く世界を救う術を発見する事なのです」
「神頼みならぬ、神暴きとは・・・。とんでもないな―――」
肩で溜息する静衛。それを見て、ベンジャミンが話に割って入る。
「紫堂様。これは我々の、積年の望みを叶える唯一の希望なのです!」
「希望?荒唐無稽に余る―――。大袈裟な目標を掲げて、やっている事はまるで、子供の宝探しだ。しかもそれをやっているのが大企業連盟など・・・。好奇心に任せて遊びにふける子供よりなお恐ろしい」
真剣な面持ちの静衛に、ブライアンは気を引き締めて答える。
「ええ、そうでしょうとも。宝を探し出すだけではない。見つけたのなら、その宝を解析し、研究開発を行い、最終的には技術運用するのです。その使い道がハッキリしているにせよ、正直なところそれで物事がどう転ぶのか想像も付きません」
「それが世界復興の正攻法だと?正気で言っているとは思えないな―――」
「―――失礼な・・・。Mr.紫堂。私ブライアン・バートレットは確固たる信念と目標を持って、この大プロジェクトを引き継いでおります」
「信念に目標か・・・。それを口にするのは簡単だ―――。ならそれは何だ?代表。さっきから聞いていれば、このプロジェクトも、大企業連盟も、やろうとしている事はまるで―――。強引に世界を救って『神様』にでも成ろうとしているのではないのかと、私にはそう聞こえる。そんな傲慢が『世界のため』だと言うのか?どうだ代表?」
それを聞いたブライアンはきょとんとしてしまった。静衛の言っている事が、
〝我々は神様に成って。世界を征服する〟
にしか聞こえなかったのだ。ブライアンは自身の思いとはかけ離れた静衛の発想に困惑してしまった。
―――言われてみれば、そうかも知れない。
と、このブライアンと言う男は、何処か純粋で仕方がない所がある。その純粋さ故に、彼は素直に熱い気持ちを述べるのであった。
「Mr.紫堂。確かに、言われてみればその様に危惧されて然るべきだと思います。しかし、私の言う信念と目標とは、決して『神様に成ろう』などというモノではありません」
「ならそれは何だ。聞かせてくれ」
「それは―――。私には・・・。私には夢があります!」
夢、と語り始めたブライアンを、ベンジャミンが制止する。
「代表―――。それは・・・」
「ベンジャミン、言わせてくれ。Mr.紫堂にちゃんと伝えたい・・・」
「ッ・・・わかりました」
「代表。なんだその『夢』とは―――」
「いつか―――」
ブライアンは少し、少しだけ踏み出すのに戸惑ったが、勇気を出してその思いを少し恥ずかしながらも、しかしハッキリと語りだした。
「いつか―――。いつか、この世界の崩壊を、復興できたのであれば。私は―――あの模型の様に、いやもっと・・・!世界中に線路と言う物を張り巡らして、世界中へあんなにカッコいい列車をたくさん走らせて・・・そして―――、世界中の人たちと一緒に、世界中を回って、新た成りし世界を見てみたいのです!!」
最後に「この目で!」と言って、ブライアンは静衛に笑顔を見せた。その顔は少し照れていた。
あまりにも〝男の子〟な『夢』を聞かされて、静衛は目をまん丸にした。だが吹き出したりはしなかった。ブライアンがそれを本気で述べたからだ。
「全く・・・お前。面白いな―――」
「私は真剣です。Mr.紫堂。この度貴殿をお呼び立てしたのは、他でもありません。我々『デウス・エクス・マキナ』の本懐成就のため、弊社バートレット・メディカル・エンタープライズに御協力願いたいのです!」
毅然と意志を述べたブライアンに、静衛はゆっくりと頷いた。
「では話を、交渉を始めよう―――」
静衛の答えに、ブライアンの気持ちは明るくなった。
「ありがとうございます。立って話すのも―――さあ紫堂殿、どうぞお掛けください」
ベンジャミンも一緒に「どうぞ紫堂様」と客間のソファーへ座るよう促した。が、どういう訳か静衛は座ろうとしない。静衛は高級そうなソファーをジッと見つめている。ブライアンとベンジャミンは一体如何したのだろうかと顔を見合わせた。すると、
「心遣いは感謝する。だが、私の体は300kg近くある。遠慮させてもらおう―――」
と静衛は、二人に会釈するのであった。
「ああ、これは申し訳ない。至らないことを―――」
「気になさらず・・・。上辺には普通の人間に見えてしまうこの体がいけないのです」
という二人のやり取りを見るベンジャミンは、静衛に好奇の視線を向ける。
三百年前―――。あの大戦末期から存在し続けているとされる伝説の『鋼人』。それは超人的な戦闘能力を得るため、生身の肉体を超高度な機械化技術で改造した『改造人間』である。
(サイボーグ・・・)
体重300kgの鋼鉄製だなんて、とても思えない初老の侍。ベンジャミンは思わず、ジッと観察してしまった。それに気づいている侍の瞳が蒼金に輝いている。ベンジャミンは静衛と目が合ってしまい―――。
「あ・・・!こ、これは、ご無礼を―――」
「慣れている―――。不思議だろう?」
そう言って、視線を逸らした静衛の瞳が、やはり彼が人間ではないと言うことを物語っていた。
『蒼キ月夜金ノ極彩慧眼』
人が古代技術を模倣して作り出した義眼である。その神髄とは―――。
「さて、代表―――。そろそろ本題に入りましょう。私の事は気になさらず、お二人共お掛けください・・・」
優しく促す静衛。その好意に二人は素直に従う事にした。静衛は二人が着席したのを確認すると、テーブルを挟んで、二人の向かい側に移動した。
目の前のテーブルには、風呂敷に包まれた木箱が置いてある。それは静衛が持参した私物であった。
「話をする前に、まずはこちらを―――。これが、あなた方が見たいと、望まれていたモノだ」
静衛は、ゆっくりと風呂敷をほどき始めた。そして、現れたのは漆工に繊細な螺鈿や金の加飾を施した宝箱であった。そのあまりの美しさにブライアンとベンジャミンは息を呑む。
「・・・これが。美しい―――!」
「御覧に入れよう」
宝箱の蓋を開き、静衛は中にある宝物を両手で一気に持ち上げて見せた。
二人の前に取り出されたのは、黄金の装飾脚が付いたガラス玉である。それを見て、ブライアンは「おお!素晴らしい」と目を輝かせたが、ベンジャミンはそうではなかった。現れたモノのあまりの不快さに言葉が出ず、凍り付いてしまっている。
―――何だこれは・・・。
片手で持てるほどのガラス玉の中に、『小さな黄金の生首』が浮かんでいた。
「これが―――『金毛白面九尾』と恐れられた。魔人の首だ」