12.大吉原越え
―――あの日。
「なあイチ」
「ん?どうしたんだい?」
「こんなのばっかやって、本当に上手くなるのかよ」
あこうらん自室の窓辺でキミエとイチはシャボン玉を飛ばしていた。
「何もしないよりかマシさね」
「だがよアレをぶっつけ本番でまん丸にしようなんて。厳しいだろ・・・」
「それしか無いよ―――。あの人喰いの東大門を相手にすんだったら、こっちも絶対に破られない完璧な真球を用意するしかない」
「完璧な真球ってお前・・・」
途方もない案に呆れるキミエは、碧宙に舞うシャボン玉を眠たげにギロッと睨む。そんなキミエに、イチはそっと肩を寄せた。
「いいかいキミエ。目標はいくら高くてもいいんだ。そこに届くとか届かないなんてのはどうでもいい。ただその時やってのけるって思いで、そこに今をつなぐ積み重ねが重要なんだ。それが今飛んでいるシャボンみたいに、宙に在るだけの見えない道筋ってのを創ってくれる。壁を超えるんだ」
「カァ~・・・イチの言ってることは、なんつうか難しぃっつーか。絵空事で、オレは不安だぜぇ・・・」
「ハハハ、そうかい。でも出来るよ。お前なら絶対だ。―――現に今こうしてシャボンが舞ってる様にね」
「そりゃただのシャボン玉だからな・・・」
「―――ただのシャボンの様に成る。そう、世界を物語るほどの強い意志さえあれば、それは星の様に丸く収まるもんさ・・・」
「ハァ~・・・わっかんねぇなぁ~・・・」
懐かしいようなそんな記憶がフッと蘇った。
そして今。東大門目掛けて走り出したキミエは、シャボンの玉どころか水の泡と成りかけていた。
―――失敗した。
畜生がとキミエはしかめっ面に焦りを露わにする。シャボンの玉の様に魔球と成るハズの稲妻が、出鱈目に歪んで纏まらない。
「クッソ!死喰った!」
喚くも儘ならぬ稲妻がキミエを嘲笑っている。迫る大門に、最早やり直しはきかない。
―――こっから修正するしかねぇ。
そんなキミエを大門三階から錠と藤が見ている。
「主任。吉原から指令が・・・」
「なんだ?」
「討手の御指名です・・・。今すぐ娘を撃てと」
南町の小娘に、南東関所を破られた挙句、この東大道を腕っぷしで貸し切りにされたなどこの大吉原の信頼に関わる。事は客の目がある大道で始末せねばならない。よって東大門随一の戦力、浪漫・Sing・錠が討手に選ばれた。
「面子か―――。承った」
乗る気などしない。だが役についているからにはやらねばならない。
錠はクッと長銃を握る左手の具合を変えた。そのまま半身に構えズイッと重い長銃を大道に向けて、ピタリと止まる。その姿は不可解極まりない。大門まで約1kmに迫る動体を連射式の長銃で狙っている。が、銃を両手で保持していない。錠は左腕を真っ直ぐに突き出し、不安定にも片手で構えているのだ。射撃態勢には違いないが、誰が見てもそれは狙撃態勢ではない。ただ、構えた鉄の塊をピタリと保持する姿態から、尋常の肉体ではない事が容易に窺える。身なり振る舞いどれも珍妙な錠であるが、それを目撃している者がいたとして、これから狙撃をするというのに最大の不安要素があるとすれば、それは『長銃を片手で構えている』などではなく、『その銃に一切の照準装置が付いていない』ということだろう。そうだ錠の得物には狙いを定めるために必要な照準器がないのだ。狙撃用のライフルスコープは勿論、普通なら付いているハズのフロントサイトもリアサイトもない。欠陥ではなくそもそも無い。そんな構えで、そんな得物で、いったい如何するというのか。錠の顔は変わらず人形の様に無機質で、微塵も不安を表情にしない。あまりの無表情に、パッと開かれただけの薄紅色の瞳は何処か睨んでいる様で恐ろしい。そんな討手を承った錠は、『照準器のない長銃を片手で構えて』間もなく発砲を開始した。
―――発砲だと。
警備主任の予告なしの発砲に、大門前の警備部隊は唖然とした。
「浪漫嬢が撃ったぞ。我々も続くべきか」
「やめろ!あれは討手の御指名だ。町に向けて絶対に撃つな!いいか、全員撃つな!」
急な事態だが、富嶽院が的確な指示を出す。富嶽院は更に二番隊と三番隊から隊員二名を呼び出した。
「そこの二人、一番バリケードで閃光手榴弾を用意して待機。残りは俺と蒼江に続け」
という下の事など気にも留めず、錠は目標に向けて5連射していた。とんでもない轟音と同時に、発砲の衝撃で服がバタバタと暴れる。そんな異常に強力な銃を片手で連射しているにも関わらず、銃口が全くブレない。まるで万力にでも固定されているのかと見紛う光景であるが、錠が涼しい顔をして反動を膂力で殺しているだけである。ただゆっくり、ぬるっと銃口が目標を捉えて逃がさない。が、標的とされた娘も並みの者ではなかった。
―――避けた。
バイク少女が弾丸を右に避けて躱した。思わぬ出来事だった。錠と藤には、的確に撃ち込んだ弾丸に対して少女が反応したかの様に見えた。そんな訳はない、偶然だろうか。5発の弾丸は紛れもなく地面に命中している。
―――ハジきやがった!
弾丸をもらいかけ憤慨するキミエは、日緋色金之極彩慧眼が発動していた。
キミエに飛来した5発の弾丸の内、2発は稲妻で逸れた。それが瞳を起動させる切っ掛けとなり、防ぎきれなかった残りの弾丸を紙一重で避けたのだ。キミエは稲妻の修正や緊急回避に手一杯でハッキリとは視認出来なかったが、長距離から飛んできた弾丸はひとつ残らず正確に撃ち込まれた様に見えた。
(何かヤバいもんに狙われてる!速くこいつを形にしねぇと!)
しかし只々差し迫る状況はキミエにとって悪い方向にしか進まない。
(避けるか。ならこれは―――)
と無言で錠はもう7連射お見舞いした。先ほどとは趣向を変えた第二射。初めの2発は陽動、残りの5発が決め手である。
それにキミエはまんまと引っかかった。
(チッ!あぶねぇ・・・―――あ゛っ!?)
極彩慧眼で第二射を捉えたキミエは凜を左に逸らして回避運動をはじめた。キミエは確実に避けたと思ったが、そうではない。一列数珠繋ぎに撃ち込まれたかと思った弾丸が、目前になってから二手を狙ったものである事に気付いた。先頭の2発の弾丸に隠れて、ほんのほんの僅かに軌道を変えた残りの5発がキミエの回避先に向かっている。アッと思ったがもう遅い、いくら超低速で物を捉える瞳があっても、キミエの体が超高速で動く訳ではない。一度回避コースに入った車体の軌道を変える事もまた不可能であった。キミエは為す術もなく、顔面から弾丸の軌道上に飛び込んだ。
「クッソがあ!」
弾丸が稲妻の障壁に命中した。火花を散らして熔解する弾丸が障壁を歪める。そこへ飛来した2発目は1発目が的中した箇所に正確に着弾した。障壁の脆弱性が露わになる。キミエは全く同じ場所を撃たれたのは偶然で悪い冗談に違いないと思ったが、それが間違いであると気づくのに然程時間はかからなかった。残りの3発が放射状に綺麗にバラけてこちらに向かっている。こちらの回避先を予測したうえで正確に着弾点をずらしたのだろう。相手は着弾点を一つに重ねて障壁を貫くつもりなのだ。
(何じゃそりゃア!)
目を疑う離れ業にキミエは打つ手がない。障壁に喰らい付いた2発目に3発目が命中し、障壁に押し込まれた弾丸がドロリと熔解する。如何にか持ち堪えたが、4発目と5発目までは凌ぎ切れそうにない。
―――如何する!如何する!如何する!・・・キミエ!如何する!!
何も出来ず考えている間に4発目が命中した。もう後がない。障壁を押し込んで真っ赤に焼けた弾丸が顔前50cmに迫っている。
―――打つ手無し。間違いなく次で破られる。
しかし、負けを突き付けられてなお諦めの悪いキミエは勝負を投げなかった。キミエはカッと目を開きこれでもかと迫りくる弾丸とその向こうに立ち塞がる大門を睨みつける。後700mくらいだろうか、今宵二人で破ると夢見たハズの突破口がそこにある。もう目の前だってのに、こんな鉛のマメッ粒なんかに打ちのめされて参った御免なんて認めねぇと、そう思うと頭にきて顔が熱い。だから、キミエは絶対に絶対に、絶望的に諦めなかった。
「認メ"ネ"ェ"エ"エ"エ"エ"エ"!!」
発狂したのかキミエが恐ろしい叫び声を上げた。間近かの様にそれを観測していた藤は、突然豹変した娘に嫌な予感がして、背筋が凍り付いた。その時―――。
〝―――重大ナ危険ヲ感知シマシタ。機体ノ安全ヲ最優先トスルタメ、一部機能ノ完全解放ヲ開始シマス。―――解放完了。機能ノ使用権限ヲ譲渡。―――限定、解除シマス〟
そんな音声が、キミエには聞こえた気がした。同時にキミエの視界は真っ暗となり、意識が飛んだ。
―――どうなっちまったんだ。
瞬く間にキミエの意識は再起動した。体が全く動かない、ビクともしない、自分はやられてしまったのだろうか。そう思って目の前の景色に集中すると、思いがけない事が起きていた。
(コイツァ・・・おっ魂消た)
顔前にまで迫っていた弾丸が空中で停止している。それだけではない。目に映るモノ全てが完全に停止していた。キミエは時が止まった様な世界で、不思議にも目だけを動かす事が出来た。
―――解るぞ。
如何してなのか本人にも分からなかったが、その時のキミエには何もかもを理解することが出来た。そして思いついたキミエは迫る弾丸には目もくれず、言う事を聞かない不細工な稲妻に意識を集中した。稲妻を構成する光の粒子、その一つ一つが手に取るように解る。暴れる稲妻なら始末に負えなかったが、止まって仕舞えばそれを片付けるのはシャボンの玉を飛ばすより容易であった。
(シャボン玉に―――。成れや)
東町で耳鳴りの様に音が消えた。大道の光は歪み、反動で元へ戻ろうと疾走る閃光が人々に景色を復元する。収まる閃光の中で、バイク少女が稲妻を真球と成し『碧色魔宮』を纏っていた。
「ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
藤が突然悲鳴を上げた。パリンと鏡が割れるが如く、両手で目を覆いその場にぐしゃりと倒れる。驚いて錠が駆け寄るが、藤は目と耳から血を流して全く動かない。
「藤!―――救護班!東大門三階で負傷者一名!急行しろ!!」
無線に叫びながら錠は、再び目標を見た。一体何で推進力を得ているのか謎でしかないが、宙に浮いたバイク少女はまん丸い防壁の底で石畳を焼き砕きながらこちらに加速して来る。
〝スッ・・・―――ハッ!!〟
急激に加速した時の流れに意識を打ちのめされ、キミエは堪らず大きな呼吸をした。堰き止められたものが決壊した様に、ピシピシと冷たく体の感覚が戻っていく。
「やったぜ・・・」
息を吞みながら魔宮の中で恍惚と声を漏らしたキミエは、ゴーグルを額に上げて周囲を見回す。疾走しながら大道を破壊しているが、まるで実感がない。風も衝撃も音も遮断した宙に在る今、目に見える光景はまるで全面モニターに映しだされた映像の様で面白い。魔宮に焼き切られたゴーグルの長いリボンが心地いい香りを放っている。儘成らぬを掌握し、儚きを鉄壁としたキミエは勝利を確信した。
そんな少女の赤い瞳で、瞳孔が太陽の如く輝いていた。
―――日輪様のつもりか。
あれは何だと困惑するも錠は残りの弾丸を全てを撃ち込んだ。少女の眉間目掛け、9発の弾丸が防壁に殺到する。
〝コッ、コココッコォーン!〟
玉突きを起こして貫きにかかる弾丸と少女の魔宮が高速で交わった。超高密度の金属同士がぶつかりあった様な、楽器にも似た美しい音色が響き、魔宮に触れた弾丸が次々と蒸発した。まるで歯が立たない。
「効かねぇよ!大砲でも持ってこいや!!」
「馬鹿な―――」
憤慨する錠だが、事実である。
大道に爪痕を残すキミエの視界が真っ白になった。大門警備部隊が投擲した閃光手榴弾である。
「退避!」
(効かねぇよ!)
役目を終えて迅速に退避する二人の鎧武者。そんなもの気にも留めず、ただ前進し視界が明けたキミエは、
―――ガラ空きだ!
と二重バリケードを豪快に弾き飛ばして、大門に突っ込んだ。
立っているのが難しい程の衝撃が辺りに走る。そこへ、あえて大門に突っ込ませた富嶽院率いる警備部隊がキミエの背後を包囲する。
―――幅一間だぞ。(約2メートル)
重厚な鋼鉄製の大扉に、魔宮がもろにめり込んでいた。
「撃て」
富嶽院の合図で警備部隊が機関銃を斉射する。狙いはバイクの後輪である。
―――化け物か。
十人とその後に戦列へ加わった二名含めて計十二名が放った夥しい弾丸と大扉が熔解し、魔宮に張り付いて熱々と幕を張っている。そして、全員が弾倉の弾薬を撃ち尽くすかどうかというところで富嶽院が指示を出した。
「撃ち方止め。止めろ。―――弾が勿体ない」
誰も異論を唱えなかった。ただ傍観するしかない、お手上げである。大門と相撲比べをする魔宮は鋼扉をみるみる内に溶かして、遂に貫通した。
「っしゃ!やったぜ!大吉原越え!!」
「ハッハーッ!」と花魁道中をやってのけた園上キミエは、そのまま葦の原へ焼け跡を残して、彗星の如く消えて行った。
―――やられた。
東大門警備部隊と浪漫・Sing・錠が残った焼の原と月夜空の彼方を、バイク少女の行く末を、何処までも眺めている。
「お見事」
そう呟いた富嶽院が『吉原越えの園上キミエ』にパチパチと拍手を贈るのであった。
程無くして、非常線を抜けた客が大門と大道にわらわらと集まり始めた。ぽっかりと空いた大扉と焼き裂かれた石畳がまだ赤く熱を発して煙を上げている。そんな焦げ臭さが立ち昇る吉原の星空に、焼き切られたキミエの黄色いリボンが舞っていた。
そんな東町の出来事を吉原中央にある高層建造物から見物している者がいた。
「Wow. It's amazing!あれが―――魔法!」
花魁・スワン・シンディである。双眼鏡を片手にシンディは興奮して目をぱちくりさせている。その横には爛之一がいた。
「そうさ。あれが、世界の終わりの、その向こう側、最果ての都の『神秘之魔法』さね」
イチはそう言って煙管を一呑み「満足かい」とシンディを見た。シンディは双眼鏡を覗くのを中断してニヤリとイチに視線を向ける。
「ええ。素晴らしいわ。満足よ、そしてこれで貸し借りは無し。終わりよ」
「ハハ、良かった。ありがとうシンディ。色々と迷惑をかけた」
「いいえ、魔法が見れた。魔法よ?本物の。―――それで十分」
「・・・花魁道中、中止だろう?」
「―――問題ないわ。南町の娘に金魚鉢が割られた。それだけで、みんな大喜び。盛大な酒盛りになるわ。それより、これからどうするの?あなたもここを去るんでしょ?」
その問いに、イチは暫く何も答えないで、シンディにゆっくりと背を向けた。沈黙したイチは遠い眼差しを東町の彼方に向ける。
―――零うまくやれよ。
「イチ?」
「オレにはまだやる事がある。やり残した事がな」
イチが僅かに視線を落とした。真剣な面持ちで東大門に視線を送るイチに怪訝な顔をするシンディは、それが大門ではなく、そこにいる誰かを見ている様に思えた。
何者かの視線を感じた浪漫・Sing・錠は吉原へと振り返った。
―――今のは。
予感がして、錠は無線を起動させた。
「―――富嶽院。応答を・・・」
〝はい。こちら富嶽院―――〟
「まだ終わってない」