10.東町。大門にて
〝緊急事態発生。南町にて発砲事件発生。現場付近にて暴走車両を確認。車両は南東関所を突破。東町に侵入した模様。警備部隊は東大門を閉鎖、警戒態勢に移行せよ〟
五間三戸、四層式、吉原最大の東大門が閉鎖された。今宵の西町花魁道中を祝して、打ち上げられる花火が東町を明るく照らし出している。何もなければ楽しいお祭り風景だが、今は閉鎖された鋼鉄門と、機関銃を携えた紫堂騎馬軍団の髑髏武者で東大門は物々しい雰囲気に包まれていた。その大門三階の外廻縁から、二人の人影が東の瓦屋根広がる青紫キラキラの町並みを見下ろしている。そのうちの一人、すらっとした黒いスーツ姿に黒縁眼鏡、お団子に整えた黒髪の女、紫堂騎馬軍団所属大吉原東大門警備部隊主任補佐見透役 橘藤は現状を報告していた。
「大門閉鎖。警備部隊配置完了。門外の客人は北町方面に誘導開始。現在、非常線を吉原組が対応中です」
「そうか」
と答える武装した長身の女は、正式的な服装の藤とは全く対照的である。地毛とは思えないような白髪裾広のオカッパ頭、人形の様に生気を感じられない白い顔。手には古めかしい長銃を持ち、腰には拳銃と三尺刀を身に着けている。武士と同じ様な装いで、戦闘用の茶色の着物に黒鋼の籠手や脛当を装備しているが、胴鎧と兜は身に付けていない。だからと言って必要な武具を撤廃した軽装と言う様な姿でもない。胴鎧の代わりにグレーのコルセットを身に着け、腰には青いフリルのスカート、その上に更に緑のスカート、極めつけに力士の化粧まわしを彷彿とさせる『日輪に大波百花繚乱図 浪漫二文』が描かれた派手な前掛けを身に着け、白くて長い帯を大きなリボンに結んでいる。そんな和風にゴシック調を合わせたド派手な姿に、髑髏のガスマスク、薄紅色の眼光。紫堂騎馬軍団所属大吉原東大門警備部隊主任馬廻役零番隊切込頭 浪漫・Sing・ 錠 見参。
「手間取るのも無理はない。が、さっさと道を開けた方がいいな。藤、アレの状況を教えてくれ」
「はい?部隊の配置は完了し、非常線は―――」
「違う。アレ―――だ。眼鏡を外せ」
と錠は顎でソレを指示した。
ソレは大門から5.7キロ先の吉原中央に向かって真っ直ぐに伸びる大道のドコか。非常線が張られつつある大道は慌ただしく、肉眼ではドコの事を言っているのかわからない。が、錠にはハッキリと、それはまるで望遠鏡を覗くが如く捉えることが出来た。錠が持つ『薄紅色の瞳』の視力は常人離れをしていた。それは時に物の創りを見透かしてしまう程の不思議を備えている。藤は錠に言われるがまま、眼鏡を外した。紫色の瞳を大きく開き、曖昧になった大道へ神経を集中させる。
「半里先(約2キロ)。対象は緑の小型バイクに作務衣姿の少女」
「―――。了解」
藤の瞳が雲り懸かった様に鏡と成り、僅かに光を帯びた。代々その能力を持つ橘家のみが務める見透役の『東雲紫之浄天眼』である。それは通常の肉眼や聴覚では知覚できない遥かを捉え、僅か先の未来さえも見透す、いわゆる千里眼である。最大発動時間7分、最大透視距離10Km、最大聴取距離5Km、300m圏内であれば1分先まで予測できた。浄天眼を発動させた藤の感覚が大気に溶け込んでいく。自身の感覚神経が大気を通して周辺生物や建造物にリンクし、藤は2.5Km先までを一枚鏡に繋ぎ止めた。それは五感で見ているのではない、彼女の中で鏡となって捉えているのだ。映って仕舞えば容易に逃れることは出来ない。
「透視完了。対象周辺を捉えました」
大道のど真ん中で、野次馬に取り囲まれたバイクの少女が何やら喚いている。
「奴らは何を話している?」
「了解。盗聴開始します」
藤は映った場景と大気に伝わる騒音の中から、対象周辺の会話だけを抽出し錠に伝える。としようとしたが―――。どういう訳か〝今日はノイズが酷かった〟。
―――ザ・・・ザザ・・・―――。
「主任。対象を鮮明に映せません。雑音が酷く断片的にしか聴き取ることが・・・」
「藤もか。私もアレを・・・見極めることが出来ない。表面的にしか捉えることが出来ん。断片的でかまわない、内容を教えてくれ」
「了解―――」
―――ザザ・・テメ・・・よっく聞・・け―――。
「テメェら・・・よく聞け・・。オレの名前・・・ジョウキミエ。このエンジョウ・・が今日、お前らに見せて・・・ジンミトウってやつを―――」
その時だった。バイク少女の間近から、劈くような音を立てて稲妻が走った。と同時に少女を取り押さえにかかった吉原組の警備員数名がその場に倒れた、ように錠と藤には見えた。あれが報告にあった暴走車両に違いない。
「あれは・・・!?」
「藤、盗聴を続けろ。富嶽院、蒼江、応答しろ」
富嶽院隆辰と蒼江頼正は錠直属の部下である。錠は大門前に待機している二人に無線で指示を出した。
「こちら富嶽院」
「こちら蒼江。嬢様どうされました?」
〝富嶽院。蒼江。暴走車両を確認した。目標は大道の半里先にいる少女が乗った緑色の小型バイクだ。今そいつに吉原組が数名やられたのを確認した。二番隊と三番隊を召集して即応態勢をとれ〟
「・・・了解」
「了解しました。―――富嶽院殿、いま子供が相手だと聞こえたのですが・・・」
「その様だな。二番隊!三番隊!暴走車両が大道に出現!大門前で即応態勢をとれ!」
富嶽院と蒼江のもとに馬廻役の二番隊と三番隊の計10名が集結し態勢を整える。その間、藤は盗聴を続けていた。意気揚々と喚き散らす少女の言葉の断片を拾い上げ、錠に伝える。
「―――今宵は・・キミエの花魁・・・お、花魁道中?」
「何?」
「葦の原を越えてどこまでも・・・見せてやるぜ・・前人未踏の・・・吉原越え!?―――主任!」
「足抜けだ。来るぞ。総員、暴走車両は吉原を脱出するつもりだ」
「主任。少女が発進しました。真っ直ぐこちらに向かって来ます!」
「富嶽院。蒼江。目標がこちらに向かって来る。相手は吉原組に対して稲妻の様な爆発を起こした。武装している可能性がある。不用意に近づくな」
大門前では二重に張られた伸縮式車輛阻止バリケードの後ろで、二番隊と三番隊の面々が話をしていた。
「あえてここを抜けようとは、よほどの者が来るのであろうな」
「暴走車と言うが、ここを抜けるというのなら・・・大型の運送車両か何かだろうか?」
「ならば装甲車を出すべきでは・・・。富嶽院殿、こちらに向かって来る物とは一体何なのだ?」
「―――少女が乗った小型バイク。単騎突破だ」
それを聞いて場が騒然とした。
「富嶽院。それは確かか?」
「浪漫嬢と藤姫が確認した。こちらはただ備えておればよい」
「無礼を承知で聞くが、見間違いか・・・勘違いではないのか?」
「既に吉原組が数人やられたのを確認したそうだ。未確認だが、それが南東関所を突破した疑いもある。時機に備えよ、憂いのないようにな」
「う゛ーむ・・・」と、歴戦の兵達は、どこか腑に落ちない。三階では錠と藤に連絡が届く。
〝こちら雪。お嬢聞こえますか?〟
中性的な男の声だった。錠に連絡してきたのは、零番隊所属隠密役の深キ雪。
「こちらロマンシング。雪どうした?」
〝南町事件調査の途中報告です〟
「後にしろ。現在、暴走車両に対応中だ」
〝四人羽織がやられました〟
それを聞いて錠は愕然とした。
「―――何?やられた?四人羽織が!?」
横で聞いていた藤が「はァっ!?」と絶叫した。
〝発砲事件を起こしたのは熊木源一郎です。四人羽織は全員意識不明。熊木は重体、現在医療班が処置にあたっています。加えて、現地の目撃情報ですが南東関所を突破したのは、小型バイクに乗った『園上キミエ』という名の少女だそうです。連絡終了〟
―――これはまずい!
四人羽織に絶対の信頼を置いていた錠は、園上キミエに視線を戻す。爆走するキミエは大門前の警備部隊の視界に入っていた。警備部隊の前に現れたそれは間違いなく『バイクの少女』であった。遠くからやって来る豆粒の様なそれを見て現場は拍子抜けである。が、キミエを捉えた富嶽院だけはそうではなかった。
「あれは手に負えんな―――」
それを聞いて、蒼江を含めた警備部隊全員が疑義な態度を示した。少女相手に武辺者が「手に負えない」などと、訳が分からない。だが、誰一人として富嶽院を笑いはしなかった。
―――相変わらず、よくわからないお人だ。
蒼江はそう思った。この富嶽院という男のいつものやつだ。抑揚の乏しいこの男は、こんな時に限って突拍子もないことを口にする。そうやって周りのペースを乱すのだ。しかし、今ここにいる面々がそれを笑い話にしないのは。この男のいう事が大抵的外れではなかったりするからである。が、まさか流石に今度ばかりは富嶽院の考えすぎではないかと、そんな空気が流れた。その時、そのまさかが目の前で起こった。底から肝を打ちあげる様な雷鳴が鳴り響き、大道に閃光が走った。ビクリとした大門警備部隊は大道を見て自身の目を疑った。暴走バイクが碧色の稲妻となってこちらに驀進して来る。何かの間違いではない、そんな光景だ。
「―――おっと」
温厚な蒼江の気配が冷たく豹変した。と同時に二番隊、三番隊が殺気立つ。意気や良しと見た富嶽院が低い声で指示を出した。
「袋叩きにする。迎撃用意」