変化
「それでは、今日はこの辺で。また今度良い商品があったら是非来て下さい」
「はい。今日はどうも有難うございました。様々勉強になりました。なあ、金光」
桝谷に突然、話を振られた清江は、少しどきまぎしながら立ち上がって
「は、はい。ありがとうございました。勉強になりました。今後も良い商品を開発できるように頑張ります」と声を大きくして答えた。桝谷と榎本はくすっと笑った。
「元気のいい子が入ってきた良かったですね。桝谷さん」
榎本は、笑い声を混じらせながら、桝谷に話しかけた。桝谷は「ええ、どうも」と笑いながら椅子から立ち上がり鞄を持った。
榎本は、商談室のドアを開けて二人を受付まで誘導すると、
「それでは、この辺で。本日はどうもありがとうございました」と言って、頭を下げて挨拶をした。桝谷と清江も深々と挨拶をして、帰ろうとすると、榎本が後ろから
「もう暗いので、気を付けてお帰り下さい」
と声をかけてきた。清江はどきっとしたが、桝谷と一緒に、「どうもありがとうございます」と言ってもう一度振り返り礼をして、玄関の自動ドアを通っていった。
二人は車に戻ると、本題の商談内容を話しながら、会社に向かった。会社に戻って報告を簡単に行い、商談内容をまとめると、退社した。
駅を降りて、少しゆっくり歩きながら、今日の商談内容を考えていた。もう少しうまく話せたかしら…。それと榎本さんのことも、気になった。あんな偶然に会うなんて思ってもいなかったし、帰りのあの一言もちょっと気になるし…。
そう思っていると、後ろから誰かが肩を叩いた。
清江はとっさに、鞄の中の防犯ブザーを探しそうとしたが、その反動で鞄が飛んでしまった。
「もう、何してんのよ。おねえちゃん。そんなに驚かなくてもいいでしょ」
清江が振り返ると、少しばつの悪そうな顔をした和江が、立っていた。
「こんな夜に脅かさないでよ。ホント、びっくりした」
清江が少し怒った感じで、鞄を拾い上げた。
「ごめんね。おねえちゃん。でも私、けっこうおねえちゃんのこと、呼んでたんだけど、全然気づかなかったから、少し肩を叩いただけだったのに…」
「あ、そうだったの。全然気づかなかったわ」
「もうおねえちゃんは、ホント何かに集中すると周りが見えなくところがあるんだから、まったく。」
「ははは…。よくいうわね」
清江は、和江に図星をつかれて、返す言葉がなかった。
「ま、久しぶりに一緒に家に帰るのもいいもんね。お父さんも待ってるだろうから、帰ろうか」
「それもそうね。」
清江は、和江と話をしながら家に帰宅した。
そして自分の部屋に戻ると、天井をボーと見上げた。商談の事、なぜか夜道に和江に急に声をかけられたこと、心の中に榎本のことが浮かんできて、少し目をつぶり始めた。ゆっくりゆっくり、情景を浮かべ余韻に浸り、幸せな気分に満たされていった。
「金光」
桝谷がかけていた電話をおくと、直に声をかけた。
「さっき、榎本さんから連絡があって、もう一度商談したいということで、君にも来てほしいということだ」
清江はびっくりしながら、答えた
「私ですか?」
「そうだ。何か都合の悪いことでもあるかな」
桝谷は口元に笑いを含んでいった。
「いえ、それでいつですか?」
それを打ち消すように、冷静に振舞って答えた。
「明後日の10時からだそうだ」
「わかりました。何か準備する必要はありますか?」
「いや、特に何も言ってないから、大丈夫。時間だけあけておいてくれれば、良いから」
清江は、桝谷が終始笑顔なのが、気になったが頷いた。パソコンに向かい、先日の営業内容が纏めているファイルを見直した。自分が呼ばれた訳を、行間から探そうとしたが、若い清江を榎本が呼んだ理由がさっぱりわからずに、ファイルを閉じて、元の仕事に打ち込んで行った。
「お待たせしました。榎本は後程来ますので、先に商談室に案内します。」
桝谷と清江がD会社の受付で待っていると、女性の担当者が少し小走りで近寄ってきた。
「こちらこそ、呼んでいただきありがとうございます」
続いて清江も挨拶をした。
桝谷と清江が商談室に入り、暫くすると榎本がドアを開けて入ってきた。
「お待たせしました。どうもありがとうございます。あ、どうぞお掛けになってください」
そういわれて、桝谷と清江は挨拶をして、席についた。席に着くと榎本が話を続けた。
「実は、先日桝谷さんたちが来たときに持ってきてもらった開発商品を、社内選定会で出したところすごく好評でして、それで一度じっくり今後の企画についてお話をしたいと考えています」
清江は、かなり嬉しくてガッツポーズをしそうになるのを懸命に堪えて言った。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます。」と桝谷が続けて榎本に言うと、隣に座っている清江に向かってねぎらうように小声で言った
「頑張った甲斐があったな。毎日遅くまで頑張ってたからな。」
「いや、実は他社からも同様の提案があったのですが、桝谷さんのところが社内で一番で、私も本当にうれしいです」
榎本は、目の前にある木製の人参の切れ目にある磁石を触りながら感心した様子で話を続けた。
「素晴らしいね。普通の会社ではここの切れ目は、マジックテープで接着するところが多いんだけど、桝谷さんのところは、磁石で接着させてる……。やっぱり私の感覚に間違いはなかったよ。」
清江は顔を紅潮させた。何か恥ずかしくて、榎本が触っている玩具を見つめていた。
玩具業界のおままごとセットというと、一般的には野菜や食べ物の切れ目はマジックテープが主流だった。しかし清江は、マジックテープだと切れ味が悪いと感じて、色んな材料を試していった。実際の切れ心地を考えると、最終的に磁石のほうが良いということで、切れ目を磁石にした木製野菜セットを用意していた。
しかし、磁石だと万が一、玩具から取れた時に小さい子供の口に入ると大変なことになると社内で大変な議論になった。そこで、社内の品質管理部や企画部が一か月位話し合ったが、話は平行線を辿っていった。
そこで、社長がその企画会議に参加し、一言。「面白いから、磁石でやってみれば」という一言で、この企画が始まった。
清江は、榎本が触っている木製の人参をぼーと見つめながら、商品開発の苦労を思い出していた。