第三話 勇者が仕事をしてくれないんだけど、どうしよう
『今日こそは……』
白亜の壁で囲まれている静まり返った空間。神聖な雰囲気が漂う中、そこには一本の剣が台座に突き刺さっていた。白銀のすべらかな刀身に、美しい金の装飾が施されており、誰もがその完成された美に感嘆が出てしまうだろう。その剣は、五百年前に魔王と戦ったと言われる勇者が実際に使っていた破魔の剣――聖剣と呼ばれる勇者の象徴の一つであった。
聖剣にはきちんとした一つの自我があり、自ら考え行動することができる。誰もがその輝きに心を奪われ、誰もがその剣の価値に息を呑むだろうそんな美しき一本の剣は、……怒っていた。数週間ぐらい前に新しい持ち主になるはずだった青年に、普通にいらない子扱いされたのだ。それに聖剣は、普通に怒っていた。
引き抜かれたことで何百年という長き眠りから目覚め、ついに勇者の力を受け継ぐ者が現れたのかと、歓喜に溢れていた聖剣。引き抜かれたと同時に光り輝き、その者を祝福しようとした。端的に言うと、お伽噺の勇者のような感じに、そなたは選ばれたのだオーラを出そうと頑張ったのだ。聖剣さんは、様式美を大切にする性格であった。
そんなキラキラと光り出した聖剣を前に、引っこ抜いた青年は一言言った。
「あっ、抜けちゃった」
そのまま何事もなかったかのように、元の場所に突き刺し直された。えっ、ちょっと、と聖剣登場シーンは僅か二秒で終了した。
しかも、本当にそのまま何事もなかったかのように部屋から出て行こうとする青年に、聖剣は様式美かなぐり捨ててめちゃくちゃ光って自己主張したのであった。その必死さに足は止めてくれたが、その顔は明らかに「うわぁ、どうしよう」みたいな顔だった。こっちの方がどうしようだよ、と聖剣は少々強めに光って主張した。
「いや、あのさ。僕が抜いちゃったのは、たぶん台座が壊れていたんだよ。ほら、これってもう五百年も前のものだろ? 買い替え時だったんだよ」
『――――!』
「うおっ、眩しっ! その、こっちも本当に抜けるとは思っていなくて、ちょっと記念とノリで引っこ抜いてみたら、なんか抜けちゃっただけなんだ。きっと手違いだから、もう一回寝ていてくれるとありがたいんだけど…」
『――!? ――――!』
「おぉ、まさに大司教の一部頭皮のごとき輝き。えっと、僕はどこにでもいる普通の神官なんだけど……あっ、わかった。じゃあもっと勇者らしい人を代わりに連れてくるから、それでどうだろう?」
『――――!!』
「どうしよう、話が通じない」
それはこっちのセリフだと、聖なる光を人の頭皮に例える勇者(仮)に、聖剣荒ぶる。あと抜いちゃった理由が、普通にひどい。王族のパレードのごとき訴えの輝きを放つ聖剣と、それを見て光源の節約に使えそうだと感じる青年との間には、果てしなき溝が存在しているのであった。
「起こしてしまったことは、本当にすまない。だけど、勇者なんて僕にできる訳がない。伝説の存在とか僕はそんな人間じゃないし、適任者ならきっと他にもいるはずだよ」
『…………』
それからお互いに少し落ち着き、青年は語りかけるように聖剣に話をした。勇者なんて絶対に嫌だ、がぶっちゃけ彼の本音であったが。それを聞いた聖剣としては、彼は勇者となる自信がないのではなかろうか、と考えた。
青年の話から、どうやらあれから五百年も経っているらしい。確かに勇者になったといきなりわかったら、混乱だってするだろう。なんせ伝説の存在なのだから。対応はひどかったが、不安なだけだったと思えば可愛らしいものではないか。
相手はまだ十八年しか生きていない、ひよっこだ。ここは年長者としての余裕を見せて水に流し、これから勇者の自覚をしっかりつけさせてあげればいい。そこまで考えて、聖剣はようやく余裕を取り戻した。
「それに勇者は魔王と戦うんだろうけど、……魔王と戦うなんて絶対に無理。今は平和だし、魔族もお話に出てくるような怖いやつばかりじゃない。国からの対応だって面倒だし、勇者とか別にいらないと思うんだ。つまり結論として、勇者も聖剣も特に必要ないんじゃない?」
すぐに勇者からのあなたいらない子発言に、思考がまたもや止まる。次に極光のごとく猛抗議した聖剣であったが、交渉決裂とわかると妙に手慣れた手つきで勇者はいそいそと隠蔽しだした。
この手慣れた感じは、今までにもなんかやらかして揉み消してきた常習犯か! と慌てて抵抗したが、そこは選ばれし勇者。伝説の能力をフルに行使されて、見事に隠蔽されたのであった。むごい。
『くっ、あの時もうちょっと神力を吸収できていれば、勇者とは何かを思念で直接叩き込んだものを…』
聖剣には声帯はないが、そこは由緒正しき特別な剣。聖剣には辺りの神力を集め、それを蓄積することができる。豊富な魔力を持つ魔族を相手にするために作られた剣だけあって、その機能は大変優れていた。
その集めた力を使用者に使わせることや、聖剣自身が使用することもできる。あの時精一杯使った発光だけでなく、思念を送ることもできるのだ。勇者に隠蔽されて光っても誰も気づいてくれないが、聖剣は燃えに燃えていた。
神力スキルの一つである『神託』は、簡単に言うとテレパシーである。力がある者が使えば、国中に響き渡らせることや、大陸を越えた先の相手にも届けられる便利な力であった。ここ聖王都でも、神力を使える者は一般的に使用している。商店街でタイムセールが始まった時の呼びかけや、危ない魔物や変態などが現れた時に知らせる警告などに大変便利であった。
テレパシーの使用はそこまで難しくないが、それは不特定多数に対して発する場合だ。特定の相手へ向けて流すのは、非常に難しいのである。自分の半径数メートル内の相手全員に声を届かせることは見習いでもできるが、その中から特定の人物にだけ聞かせるのは高度なのだ。距離が開けば開くほど、その難度は跳ね上がる。そのため、情報漏えいなどが心配されるため、重要な案件が神託で交わされることはなかった。
また、どこかの神官のように、砂漠を越えた先に住んでいる一人の魔族にピンポイントで食事に誘うなどのような使い方を普通はできないのだが、何故かそれができてしまう理不尽な存在こそが勇者であった。
『おのれ、あの半目勇者め。余の凄さをきちんとわからせてやらねば』
役目云々よりも、扱いのひどさへの激怒に微妙に傾いている聖剣さんである。あのマイペースを勇者と正直認めたくないが、能力は認めざるを得ない。神力を集めては、神託による特攻をしているのだがほとんどが弾きとばされていた。
周りの人間に神託で知らせようか、とも思ったが、勇者の高度な隠蔽術は伊達ではなかった。本当に手慣れている。勇者である青年とは見えない繋がりを感じる為、なんとか神託を繋げることができる。しかしそれしかできないため、聖剣にとって唯一の悪あがきでもあった。
決して諦めず、ちゃんと仕事をしろやっ! と訴え続けて数週間。このまま何もしなければ、絶対に自分の存在を忘れられると聖剣は確信している。いらない子宣言は、地味に聖剣のメンタルを直撃していた。
『……しかし、いつものように言っても、あまり効果がないかもしれん。ここは少し言い方を変えてみるべきか』
意識が目覚めていきなり放置されてしまったこともあり、寂しさ相まってぶっちゃけ聖剣は暇だった。伝説の聖剣としてちやほやされていた昔を思い出しながら、反応を全然返してくれない相手にちょっといじけそうであった。
なので聖剣も、怒るだけじゃなくてこちらも少しは心を砕くべきかな、と思ったのだ。相手方からは完全にスパムメールのような扱いをされているとは、さすがの聖剣さんも思っていなかった。
『さて、ようやくいつもの繋がる時間帯じゃな…。しかしあの勇者、夜の十時に必ず就寝しているが規則正しすぎぬか』
十八歳の私生活健康優良児に、別の意味で聖剣は心配した。何度か思念を送り、その度に失敗したが、おかげで青年の生活を少しだけだが垣間見えたのだ。そして結論として、行動と思考が繋がっているようで、結果として起こるギャップが激しすぎることだけはわかったのであった。なんだこの珍獣勇者。
そんな失礼なことを考えながらも、あの青年は今の聖剣にとって唯一の人物なのである。勇者と魔王は対の存在。勇者が現れたということは、必然的に魔王も存在しているはず。今は平和でも、いつ魔王が世界征服に乗り出すかわからない。世界には勇者が必要だ。聖剣は、己の使命に再び燃え上がった。
まさかその魔王様が、気づいたら勇者に絆されて世界平和を頑張っちゃう展開になっているとは、聖剣さん思わない。そんな聖剣さんの思考はむしろ正常なのだが、あいにく今回の魔王と特に勇者の思考はどこかおかしかった。
『――よし、繋がったか。……こほんっ、今までは余も言い過ぎた。お主に課せられた役割が重いのはわかる。自信が持てぬということも理解できた。しかし、このままでは世界の危機が訪れるかもしれぬのだ。余はそれをなんとかしたい。どうかこちらの話を聞いてはくれぬか?』
昨日までの仕事をしろコールから、しおらしい感じで言葉をかけてみた。今までちやほやな扱いしかされてこなかったので、高飛車なお嬢様風の性格だった聖剣であったが、彼女(?)は学習した。聖剣さんはやればできる子である。
いつもならここでものすごく眠そうな声で、不機嫌に「僕は仕事をちゃんとしている」とおかしなことを言われるのだが、今日の聖剣さんは一味違う。この数週間の関わりで相手の性格に気づいてきたことと、一人ぼっちでそろそろ本格的に寂しくなってきたので、今なら大海のごとく心穏やかに接することができる。
そんな風に身構えていた聖剣さんであったが。
『なるほど、友人の言うとおりこれは『神託』のスキルによる勧誘だったのか。通りで呪詛返しをしても僕に届くはずだ。それにしても世界の危機って、宗教関係の仕事に就いている僕に、同じような宗教関係の仕事の誘いが来ることになるとは……』
『わひゃッ!?』
いつもと違い明確な意思が感じられる声が届いたことに、聖剣さん予想が大外れして変な声が出る。やればできる子だが、ちょっとしたアクシデントに弱いところが残念な子であった。
『すまないが、僕はもう聖王都の神殿で働いているんだ。神官は給料もいいし、保証もよくて気に入っている。だけど神官としての権利がある分、他の副業は認められていないんだ。悪いけど、仕事の勧誘は他を当たってくれ』
『いや、待て待て待て。何故そうなる。あとお主の中の神官像、ちょっとおかしくないか。というより、これは神官よりも大事な仕事なんじゃが。世界を救い、作り上げる大切な仕事なのじゃぞッ!』
『世界はこの世界に住む一人ひとりの手で作り上げられ、育まれていくものだよ?』
なんか深イイこと言われた。
『ええい、とにかくそなたは勇者じゃッ! 副業を心配するなら、神官を辞めて勇者をすればよいであろうがっ!?』
『……馬鹿な。何故僕が勇者だと知っている、お前は何者だっ!?』
『今更そこォッ!? しかもこやつ、余の存在を完璧に忘れておるッ!』
『何より、勇者と神官なら、どっちがちゃんと人権を保障してくれているのかは一目瞭然だろう。勇者は確かに名誉やお金などトップクラスに入れるかもしれない職ではあるが、僕はギャンブルのような生き方は好きじゃない。謙虚に安全堅実なやりがいのある高給職の魅力に勝るものはないであろう!』
『余はもはやどこからツッコめばよいのじゃァッ!?』
先ほどの聖剣さん並みに熱く仕事論を語る勇者に、聖剣さん泣きそうになった。
『……あぁ、なんだ。ずっと誰かと思っていたら、聖剣だったのか』
『むしろ、今まで余のことをなんと…』
『怪しい勧誘ばかりする呪術者』
勇者なのだから、正直者なのは美徳のはず。そう思わないと、やってられない聖剣さんであった。
『ふむ、友人から『神託』を使って仕事の勧誘をしているだけだから、逆にそのパスに介入すれば、相手とやり取りができると教えてもらった通りだな。繋げたら問答無用でお断りして、パスを奪い取って騎士団にしたように録音神託ノイローゼ攻撃? でもしておけと言われていたが…』
『今、とてつもなく恐ろしいことをさらっと言われた気が……』
『うん? でも、確認しておいてよかった。やっぱり目的も誰かもわからずに消し飛ばすより、仕事の話なら一度話をして、きちんと断ってからその録音神託をするべきだと思ったんだ』
彼の変なところで生真面目な性格が幸いしたと、聖剣は本気で思った。
ちなみに魔王様としては、相手が誰かがわかっていた。故に魔王様らしく、聖剣を潰す様に彼を誘導したのだが、まだまだ勇者についての認識が甘かったとしか言えない。彼には彼なりのルールがあって、それに則って行動するからだ。
彼は友人を頼りにしているし、相談だってするが、言われたとおりに何でもやる性格だったら、ここまでの自由人になってはいない。相談した内容は当然参考にするし、実行しようとしっかり動くが、自分で考えることを決して忘れない。
相談は、あくまで相談。その通りに動くべきかの最終判断は、ちゃんと自分がするべきである。彼は別に、魔族の友人を信用していない訳じゃない。むしろ友達だからこそ、行動の最終判断は自分が持つべきだと考えていた。
友人に言われた通りに行動するのが、一番楽かもしれないだろう。その通りに動くのが、正しい選択なのかもしれない。だけど、それで特に疑問に思わず行動し、後で失敗したとわかったらどうなるか。友人がこう言ったから、と責めるのか? ……それは違うだろう。
どんなに理由を付けたって、行動したのは自分だ。その行動の結果の責任も、自分が持つべきである。相談して相手にこう言われたから、と相手の好意を言い訳にして、責任を緩和しようとするのはより相手に失礼だ。
だからこそ神官は、友人からの解決方法を聞いて、問答無用から少し話をしように変更することを自分で決めた。もちろん友人に言われた方法そのままがいいと判断したら、自分の意志でその方法を選ぶ。それが他人と相談する上で、大切だと彼は考えていた。
『うーん、それにしてもなぁー。僕は本当に勇者なんてしたくないんだけど、代わりとかは駄目なの?』
『そんな簡単に勇者の代わりができる訳なかろう』
『引っこ抜くのだけ僕がやって、剣だけ別の人が使うとかは?』
『あのな、余は聖剣ぞ。すごーく高性能な選ばれし者だけが持てる特別な剣なのじゃぞ。勇者以外が使えば、ただの剣と同じ。むしろ自分にだけ特別な剣とか、もっとこう……胸がうずうずしたり喜ばぬものか?』
『個人登録形式なら、安全面は高いなと思ったけど』
何でこの勇者、こんなにぶっ飛んでいるのに世知辛いの? もっと夢と輝きを持てよ、十八歳。聖剣さん、もうなんか彼の性格に慣れと言うか諦めてきた。
『仕方がない、それではお主が勇者にならざるを得ない事情を話そう。勇者とは、神の憑代として作られた魂を持つ者のことを言うのじゃ。先ほどお主は、この世界が平和だと言ったな。しかしお主の魂は、魔王と対をなしておる。つまり勇者であるお主がここにいるということは、――この世界にはすでに魔王がおるという訳じゃッ!』
『うん、知っている』
『なんで知っているのォ!?』
『あっ、勇者の魂云々は知らなかったよ』
『そっちではないわっ!? むしろ魔王の存在を知っていて、何で余をいらない子扱いしておるのじゃァァアアッーー!!』
聖剣さんの心の傷は、地味に深かった。
『もうこの勇者やだぁ……』
『えっと、友人云々言ってもアレか。……なぁ、聖剣。本当に勇者は必要なのか? 確かに魔王はいるかもしれないけど、世界征服なんて考えていないかもしれないじゃないか』
『そんなの分かる訳なかろう』
『それはそうだけど、でも僕のように勇者をやりたくない人間だっている。現に、この世界は魔族と争っていない。聖剣の勇者の存在は、下手をしたら余計な火種になりかねない』
友人からの伝手で、魔王が世界征服を望んでいないことは聞いていた。しかし、それを聖剣である彼女に言って聞き入れてくれるかはわからない。だからこそ、別の懸念を話したのだ。
魔王が存在している、それだけで人間は恐怖に慄くだろう。だけどそれは、魔族側も同じではないだろうか。聖剣の勇者が現れた、と知れば今まで五百年間静かだった魔族側を刺激してしまうかもしれない。
もしそれに魔族側が動かなくても、人間側は動く可能性が高い。魔王を倒せ、と神輿のように担がれるかもしれない。もしかしたら、人間の戦力として多種族や他の人間と戦争をしろと言われるかもしれないだろう。平和な世の中に突如現れた強大な象徴は、秩序を狂わせる毒になる可能性もあるのだ。
『……お主の懸念を否定するつもりはない。話を聞く限り今の世界では、魔族の動きは大人しいようだ。お主の存在が、確かに世界を刺激するきっかけになってしまうかもしれん。だが、そうやってお主が迷っている間に、もし魔王が攻めてきたらどうする? 多くの人間が死に、大地は滅びるぞ。あの五百年前の血で血を洗う争いが、再び起きたその時は――』
『その時は、僕が勇者になって止めるよ』
あれほど拒否していたことを、青年は当たり前のように即答した。
『そんな戦乱の世の中じゃ、安全も堅実もないからね。嫌だけど、本当はすっごく嫌だけど、……他に方法がないのなら僕は勇者になる。この世界のために魔王と戦うよ』
『お主……』
『だけど、今はまだ他にもとれる方法があるだろう? 僕自身のわがままだと思うけど、それでも僕は自分のやりたいことをしたい。いつか大司教を蹴り落とすぐらい偉くなって尊敬されて、老後も安心なぐらいお金を稼いで、いっぱい好きなことをして、家族や友人となんでもないことで笑い合いたい』
『本当にすごいわがままじゃな』
しかし…、と聖剣は考えを改める。今まで話してきたからこそなんとなく分かるが、この青年の言葉には表裏がない。「勇者になる」という言葉には、重みを感じた。少なくとも自分を納得させるために、その場限りの誤魔化しを言った訳ではないのは伝わってきたからだ。
彼が勇者になりたくないのは本音だろう。その思いを貫くために、勇者を回避する方法を全力で行ってもいる。だけど、勇者になる覚悟がない訳ではない。矛盾しているようで、していない。それが妙におかしかった。
この青年は、はっきり言って勇者らしくない。ノリで聖剣を引っこ抜くような人物である。自分に正直すぎるし、マイペースすぎるし、世知辛い考え方をしているが、ある意味で誰よりも人間らしかった。自分の中の勇者と言う枠を、ここまで見事に壊されれば笑いたくもなる。
勇者としては認めたくないが、この青年のあり方を聖剣は認めてしまった。非常に癪だが、このアホは高潔な勇者よりも、今の自由気ままに神官をしている方が似合うと考えてしまったのだ。
結論として何が言いたいのかと言うと、――聖剣さんは構っちゃう同盟被害者の扉を開いてしまったのであった。
『……という訳で、僕は勇者にならないので、聖剣さんはすみやかにまたお眠りください』
『いや、待て待て待て。そんな簡単に寝られるか』
『そうか、交渉決裂か…。じゃあ、友人の言っていた作戦通りに――』
『待て、本気で待て待て待てッ! もう無理やりお主を勇者に勧誘はせぬから、ちょっと余の話を聞いてはくれんかなァァーー!?』
彼の有言実行の恐ろしさが刀身全身に沁みついていたので、聖剣さんは超必死に叫んだ。そんなに叫ばなくても聞こえるのに、といつも絶叫する友人を思い出して、勇者はのほほんとした。
『そのな、余も寝られたらいいのだが、この通り完璧に目が覚めてしまって。しかも起きていてもやることがなく、一日中真っ白い部屋にずっとおるのじゃ。……誰かさんが完璧に隠蔽してくれたおかげで、本当に何もできぬしな』
『あっ、じゃあ隠蔽をちょっと改良しようか。そうしたら、あの時みたいに好きに光れるよ?』
『あの時も、別に余は好きで光っておらぬわ』
皮肉通じねぇー、と聖剣さんはちょっと逞しくなる。隠蔽を完全に解除する気がないところが、彼のちゃっかりさをより感じた。
『そうじゃなくて、余はこれでも伝説の聖剣であって。その…、みんなから敬ってもらっていたというか、構ってもらっていたのが当たり前であった訳でなぁ……。それが、いきなりなくなってしまったが故に、余だってちょっと思うところがある訳であって……』
『あぁ、つまりちやほやされなくて寂しいと』
『お主は、もうちょっと乙女心を考えて発言せんかいッ!』
『そんな僕の妹みたいなこと言わなくても』
『ええい、そうじゃッ! 寂しいんじゃっ! わかるか、ずっと一人きりじゃぞッ!? 剣ゆえに動けぬし、話す相手もおらぬし、周りの音も一切たたぬし、周囲が真っ白でこのままでは発狂しそうなんじゃァッ!!』
伝説の聖剣の安置場所なので、それなりに厳重態勢である。神殿の奥にあり、神聖さを出すために真っ白で塗られた壁、さらに魔法で防音や防護壁すらも完璧なお部屋。ただ勇者しか触れないから盗まれる心配もないため、警備員は必要ない。鍵と立ち入り禁止の札が、入り口の前にかけられている程度であった。
『と言っても、僕もいつもおしゃべりができる訳じゃないからな…。朝は早いから忙しいし、仕事中に別のことをする訳にもいかない。休憩中と、仕事終わりから寝るまでの間なら、相手をすることもできるが』
『えぐっ……』
『弱った…』
さすがに泣き出してしまったのには、青年も焦った。自分より長く生きているようだが、精神はそこまで高くなさそうだ。まるで背伸びをしようと頑張っているような感じが、どことなく故郷にいる妹を思い出した。
何より、一人ぼっちが寂しいという感情を、青年はよく知っている。そして、誰かと一緒にいられる温かさも知っていた。故に、このままにすることも、我慢しなさいと言うことも、抵抗感が芽生えたのだ。
だけど、困った。非常に困った。自由にしてあげたいが、彼女は紛れもなく聖剣である。所構わずテレパシーで自分以外とおしゃべりをさせる危険性ぐらいは、自分でもわかっていた。
こんな時はどうすればいいのだろう。自業自得だとわかっているが、時間は止まってくれない。待ってくれない。限られた時間の中で生きているからこそ、難題にぶつかった時の解決にはスピーディさが求められるのである。
だからこそ、彼は決めた。きっと相手には呆れられるだろう。自分の言うとおりにしなかったからだ、と怒られるかもしれない。それはしっかり謝ろう。それでも、他に方法が思いつかない。
『よし、友人に相談しよう』
『……へ?』
こういう時こそ、相談が一番である。
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「という訳で、すまない友人。僕も色々考えたんだけど、どうか君の知恵もかしてほしいんだ。聖剣が寂しいと泣き出してしまったんだけど、どうしよう?」
「もう俺の方が、相談内容から泣きそうなんだけどォッ! というより、お前妹なんていたのかよ!?」
「ん? あぁ、いるぞ。僕に似て、大変しっかりした妹だ」
「不安要素しかない答えをありがとよっ! そして来るならさっさときやがれ、こんちくしょうッ!!」
それじゃあ遠慮なく、と言う感じで友人の後頭部にエンペラーのおぼんが迫った。昨日のリベンジに燃えている友人は、昨日以上の瞬息の手刀を放つ。カンッ! と鳴った音と確かな手応えに彼は笑った。
地面へ落下していくおぼんを彼が確認したと同時に、――真上からおぼんが友人の頭に直撃した。初撃はフェイク。本命は敵を仕留めたと油断した友人の死角から狙った、二撃目だったのだ。恐れ入る。
とりあえず、僕は痛みに呻く友人のために、今日のおすすめデザートを二つ頼もうとオーダーを出したのであった。