第十四話 エーヴェルト家の家訓その三、失敗は成功のもと
「グルルゥゥ……」
聖王都の南にある樹海には、様々な魔物が存在する。植物系の魔物や昆虫型の魔物は、自然と共に生きる虫や植物などが、魔の気にあてられ続けたことで転じて巨大化し、凶暴化してしまった姿だ。そしてその現象は、動物にも当てはまる。そういった魔を取り込んだ動物を『魔獣』と呼び、高い身体能力や特殊な力を持つ個体が現れたりするとされていた。
魔獣は魔物の一種とされ、魔に溢れた森故に、食す餌によっては新種や特殊な個体が生まれやすい。さらに繁殖能力もあるため、優秀なものが生き残っていき、弱いものは淘汰されていく。まさに弱肉強食の世界を体現した場所こそが、この樹海のもう一つの姿であった。
そんな樹海に住む一匹の魔獣が、空に向け己の鼻を微かに震わせる。樹海で暮らすものたちとは違う、不思議なにおいを感じ取ったからだ。樹海の奥に住むその魔獣は、己が嗅いだことのなかった初めてのにおいに思わず喉を鳴らしてしまった。
魔獣になろうと、肉食の動物としての本能が、目新しくおいしそうな獲物のにおいだと判断したのだ。ただその傍に、己とは違う魔の気配を感じる。さらに、その魔の周りをなにやら靄のようなものが包んでいるからか、その実力を判別できない。そのことが、魔獣に警戒心を持たせた。
それでも、彼はこの樹海の奥で強者として生きてきた自負がある。未知のおいしそうなにおいにつられ、気配を自然に紛れ込ませるように消しながら進んだ。彼が強者として生き残ってこられたのは、魔獣としての特性により得た魔力であった。魔を取り込んだことによって手に入れた魔力で、鋭敏な感覚や身体能力を手に入れたのだ。少しすると、数百メートル先の景色が魔獣の目に映る。そこには、二匹の獲物が彼の視界に入った。
一匹は小柄な人間の少女。彼女は傍に生えている草を抜いては、自分のポーチの中に突っ込んでいる。その少女の肩にカブトムシが乗っているが、魔獣はそれを普通に無視。当たり前のように、戦力外認定される。この魔獣の目が、果たして節穴の一言で片付けられてしまうのかという問題はさておき、相変わらず初見に強いカブトムシであった。
そして、少女から少し離れたところで同じように草集めをしている青年を見つける。彼だけは、どうしても靄がかかって実力を判断できない。それに、魔獣はどうするべきか考えた。
おいしそうな獲物は、まだこちらに気づいていない。あれを食べたい、だが本能的な危機感がそれに待ったをかける。ここは弱肉強食の世界。一瞬の油断が命取りになる。この魔獣は欲望を抑え、慎重に思考を巡らせた。このように冷静な判断力があったからこそ、彼はこの樹海で生き残ってこられたのであった。
しかし今回の相手は、色々な意味で彼の想像を超えていた。
「はっ、くまさんのにおいなのです!」
「……お主はいきなり何を言っておる」
「いや、待て。……あっちの方に何かいるか?」
青年が何百メートルも離れた場所に、ひっそりと潜む魔獣の方へ視線を向ける。気づかれた。気づかれた理由がさっぱりわからないが、何故か気づかれた。奇襲は失敗。残るは逃走か、戦うしかない。距離はまだある。魔獣はそれに一瞬思案をするが。
「熊鍋です! お昼ご飯はぜひくまでいきましょう!」
「くまか。この時期はうま味があって、滋養効果もあったな。肌にもよく、栄養価も高い。まさに健康食材というべき肉だな」
「お主はどこの主婦じゃ。しかし、このままでは昼食は虫料理になりそうじゃからのぉ。余自身も虫を食べるお主らの姿を見せられるのは、ちょっと精神衛生上複雑じゃ。……うん、くまじゃな。余の精神的な安定のためにも」
鋭敏な聴覚が拾った彼らの言葉の意味はわからないが、さっきよりも明確にこちらに意識が向けられている。なんか、目が怖い。魔獣はその本能に従い、逃げることを選択した。四足歩行となり、すぐに逃げだそうと背を向けて。
「待てや、健康食材」
「えっ」
茶髪の青年が、少女の肩に乗っていたカブトムシを全力投球した。
「逃がしません! エーヴェルト式、箒戦法その四っ! くまさんジャストミィィートッ!!」
さらに、少女の持つ魔導具から風が吹き荒れ、背にかけていた一本の箒を両手に装備。柄をしっかりと握り締め、ポーチに入っていたボールのような物を手に持って、それをボールのように柄に勢いよく打ち付けた。剛速球で飛んでいったカブトムシがくまへ見事に突き刺さり、泣きっ面に蜂のごとくボールが後頭部に直撃した。
魔王を宙に飛ばす威力のおぼん連撃を耐え抜くカブトムシの硬さと、聖剣効果によって、くまの絶叫が樹海に響き渡った。そして、少女の放ったボールが衝撃で割れ、そこから薬草を煎じて作った特性催涙弾が追撃する。なお、箒をバットにして振り回すのは大変危険ですので、武器としての用途以外での使用はおやめください。普通に怒られます。
「エーヴェルト式、箒戦法その二! くまさんノックアウトォォッ!」
魔獣が背中に突き刺さったカブトムシと異常効果に痙攣している間に、キラキラと目を輝かせながら一人の少女が風を全身に纏って現れる。穂先を後ろに回し、穂丈をそのまま真っ直ぐにして、くまの背を勢いよく突いた。
くまの神経系を知り尽くしたエーヴェルト家のみが使える、か弱くても突けるくまのツボである。どんな屈強なくまでも、これを受ければしばらく動けなくなるのだ。なお、箒の先端で突くのは大変危険ですので、こちらも武器以外での使用はお控え下さい。普通に怪我をします。
しかし、彼女の熊殺しの技を受けても、魔獣はなんとか身体を動かしてみせる。彼は樹海に住む魔獣。普通のくまとは違うのだ。ただのくまではない。なんかすごいくまなのだ。痺れる身体に力を入れ、強靭な腕を少女に向かって振り下ろそうと巨体を回転させるが、それに少女は不敵な笑みを返した。
「なるほど、さすがは聖王都のくま。しかし、熊殺しの名を代々受け継ぐ後継者として、決して負けられません」
「お前の家、魔女じゃなかったっけ」
「魔女とくまは切っても切り離せない歴史があるのです」
「お前の家、魔女じゃなかったっけ」
魔王様の素の疑問は置いてけぼりで、ルクレツィアは片手で箒を回転させ、素早く箒の穂先を振り返ったくまの顔に突き刺した。尖った先端が容赦なくくまの顔面を襲う、エーヴェルト家の技の一つだ。箒の穂先を顔に向けて刺すと、普通に病院送りになるのでやめましょう。さすがの魔王様も、箒武器の容赦のなさに軽く引いた。
これ以上は色々な意味でくまが可哀想だったので、ぼろぼろ涙を流す相手に魔王様のおぼんストライクで脳天を揺らして気絶させる。カブトムシと箒とおぼんの連続攻撃で倒れる歴戦の魔獣。何が武器になるかわからない世の中、彼の敗因は巡り合わせが悪すぎたことだろう。
くまからカブトムシを引っこ抜き、『カブトムシの逆襲』で映画が作れそうなほどの激闘をした後、魔王様が軽く最上級魔法でくまを亜空間に収納し、こうして彼らはお昼ご飯を手に入れたのであった。
「流れるようなくまへの鬼畜作業じゃった」
「だって、くまさんですし…」
「あぁ、くまだからな」
「…………そうか、くまだからか」
長い沈黙の中で色々ツッコみたかったことを全て抑え、イザベルたちは先に進むために再び歩き出した。道行く途中で、それぞれ魔女や健康や樹液グッズを集めるチームメンバー。基本、我が道を行く自由人の集まりであった。
「ところで、ルクレツィア。くまはこの際置いといて、箒の使用が明らかに物理攻撃的な感じじゃったが、魔女ってこんなにもアクティブなのか?」
「魔女だって普段、森や山に行って自分で採取をしますし、大釜で茹でたりする力仕事もありますから。一応、身体能力を向上させる魔術や広範囲魔術はありますけど、私たちの場合は魔石の使用を極力減らさないと仕事ができなくなってしまいます。ですので、魔法で戦うことはほとんどしないのです。魔法は補助で、基本は箒で戦います」
「……何故、箒?」
「えっ、魔女と言えば箒じゃないですか? 魔女のイメージにもあって、軽くて丈夫で使い勝手も良く、しかも低価格で質の良い物が手に入りやすい最高の武器ですよ」
「この言っていることは間違っていないが、何かが間違っている気がするところは、あいつの血を感じるな」
カブトムシのもやもや感を、的確に表現した魔王様である。長年の慣れを感じる。もう彼らの中では、「勇者だから」である程度のツッコミどころを納得できるようになっていた。
「あいつって、兄さんですか?」
「それしかいないだろう」
「……今までなかなか信じられなかったですけど、本当に兄さんに友達ができたのですね」
「わかる気もするが、さらっとひどいの」
妹の発言にイザベルはなんとも言えない気持ちになる。兄をよくわかっていると言うべきか、妹にこれだけ言われてしまう兄の破天荒さに嘆くべきか。彼女の様子から兄を慕っている雰囲気はあるが、それはそれなのだろう。というより、聖王都に来る前からあの性格だったのだな、と彼女の言葉から感じ取った。
そして、ふと首を傾げる。思えば、フェイルは他者に自分の過去をあまり語らない。己の輝かしい未来に向かって全力疾走するタイプだから、過去にあまりこだわっていないのもあるだろう。魔族という背景を無視して、普通に友達関係を築く勇者である。聞けばあっさり答えてくれるだろうが、逆に聞かなければ答えないのが彼であった。
魔女の家系に生まれたが、神力を持って生まれてしまったため苦労をした。それは理解しているし、魔女として仕事ができない彼が、聖王都へ出稼ぎに来たという理由も納得できる。しかし、イザベルにはどうも彼らが家で話をしていた内容が気になった。フェイルが「お婆様」と言った時、一瞬だけルクレツィアの視線が下を向いた。それが少し、気になったのだ。
「のぉ、妹よ。昔のフェイルは、どんな感じであったのじゃ? 答えづらかったらよいが、このメンバーでは道中が暇であろう」
「兄さんからは、聞いていないのですか?」
「あぁー、詳しくはないな。妹がいることを知ったのは半年前だったし、魔女の家系なのを知ったのも昨日だしな」
魔王様は腕を組んで記憶を探るが、そういった話をしたことがなかったと思い出す。自分が魔王であることを隠しているため、下手に過去話をすると自分のことを語れない。そのため、意図的にそういった話題を避けていた部分もある。また昔の話になると、大体神官が魔王様の黒歴史時代を、マイペースに抉って来るという理由もあった。過去より、今と未来を生きようぜ! 思考の二人だからこそ、友人関係が普通に続いていた。
しかし、気にならないかと言われれば、気になってくるものである。フェイルは堂々と割り切っていそうだが、それでもあの彼が苦労したと言う過去を、本人に聞き出すのはさすがに抵抗があった。例え本人は聞かれたら、さらっと答えそうでも。そのあたりの謎の信頼は揺るぎない。それでも、まだギリ常識寄りラインで頑張っている彼らは、さすがに空気を読むぐらいはできたのであった。
神官はその辺りの繊細なところを、一切気にしない。だが、直接聞くのは戸惑われる。そこで、彼の過去を知っている人物に間接的に教えてもらえないかと思ったのだ。もちろん、後でフェイルに妹から話を聞いたことは伝えるつもりである。だから、イザベルは少ししこりになっていた疑問を口にしたのであった。
「そうですね…。私と兄さんは六歳も年が離れているので、又聞きな部分も多いですよ。私が物心ついて数年後に、兄さんは聖王都に行ってしまいましたから」
「あいつが聖王都に来たのは、三年前に俺と出会った一年前だから、確か四年前だったな。十四歳ぐらいか」
「はい、なので私が兄さんと過ごした日々で覚えているのは二、三年ぐらいなんです。あとは、長期休暇で帰ってくるぐらいですから」
ルクレツィアもぼんやりとならいくつか覚えているが、はっきり記憶に残っている年数はそれぐらいだ。ただ、彼女が覚えている範囲でも、兄は兄だったと感じる。少なくとも、妹の物心がつく頃には、現在の破天荒ぶりを見せていた。あの厳格で気難しい祖母が、胃に優しく頭痛に効く魔女薬を自作するぐらいには。
「私から言えることは、兄さんはあの性格だから気にしていないでしょうけど、故郷のみんなは複雑な気持ちを持っているってことでしょうか。感謝と罪悪感って言いますか…。お婆様が兄さんの仕送りを魔女関係で使わないのは、償いの意味もあると思いますから」
「償い?」
「私たち兄妹の名前は、お婆様がつけてくれたんです。私たちの名前にも使われている言葉は、大昔神から受け取ったものだと言われていますよね。その意味も」
「そうじゃな。そう言われておる」
「ん? 俺らが使っている言語は邪神が作ったものだって習ったが……いや、いい。それで?」
「……『ルクレツィア』の意味は『成功』。そして、『フェイル』の意味は『失敗』です」
さすがにその極端すぎる、そしてこれ以上ないほど理解ができてしまう対比はなかった。彼女たちの祖母にとって、神力を持って生まれた長男は、魔の資質を受け継げない『失敗』であり、魔女としての資質に溢れた長女は『成功』だったのだろう。ここまであからさまだと、逆に清々しくすらあった。
失敗、と名付けられた長男は、周りからあっさり見放されたのだ。魔女としての資質こそが、閉鎖的なエーヴェルト家では絶対であったから。神力を知っていても、それを制御できる方法を彼らは知らなかった。ただ回復や魔物相手に便利だと判断されたため、衣食住はあったが、それだけしか与えられない存在。
魔女として窮地に立たされている緊迫した時代に生まれた資質のない子どもは、彼らにとっては邪魔でしかなかったのだ。なんとかしなければ、と視野が狭まっていた当時。伝統にしがみ付くしかない誇り。そのいらつきをその子どもにあたる者もいた。その子どもから食べ物を奪う者もいた。必要のない者として無関心を続ける者もいた。理由はただ、魔を扱う資質を持っていないから。それだけだった。
「……苦労、と一言で片付けられんじゃろう、それは」
「むしろ、よく恨まなかったな。今も」
「兄さんのあの性格に助けられているのは、きっと誰よりも私たちなのだと思っています。私を妹だと、家族だと、当たり前のように言ってくれる人ですから」
ルクレツィアとしても、フェイルのどこかおかしい部分を理解しているが、むしろそれがあるからこそ自分たちは兄妹として成り立っているのだ、と兄の境遇を聞いて感じた。もし自分が逆の立場だったら、成功と名付けられた家族を受け入れられるだろうか。それはわからないが、それでもすごく難しいことならわかる。彼女が兄を慕う理由は、それだけで十分だった。
「味方は誰もおらんかったのか?」
「一人だけ。……むしろ、その一人の味方のおかげで、今の兄さんが出来上がったと言っても過言じゃありません。お父さんも後から入ったらしいですけど、最初からずっと兄さんを見ていたのは、お母さんだけでしたから」
『失敗? 人間はなんでも失敗から学んで、成長していくものじゃない。完全な人間なんていないわ。不完全でも常に己の高みを目指していくのが、一番大事なんじゃない。失敗は可能性の塊。フェイルは、最高の名前よ。だって、人として大切なものが名前なんだから』
彼らの母は、外から来た人間だった。エーヴェルト家出身の父親が迎えた妻。彼女は神力を持つ子を宿したとして、『無能』というレッテルを張られながらも、堂々とそう言ってのけたのだ。子を守る母は強かった。
一族から離れた場所に居を構え、母はまず腰の低い父親を文字通り締めて味方にし、食料や育児費をしっかりもらう。周りとしては、勝手にすればいい、と思い放置したのだ。……その結果、成長した子どもの姿がアレであった。
無能扱いされた親は、普通にキレた。ふざけんな、上等だと真正面からある意味正々堂々と、後ろ向きな一族に受けて立ったのだ。
『いい、フェイル。世界は広いわ。魔女だけが生き方じゃない。狭い世界なんて窮屈で、つまらないものよ。私の育った国では、神力は神様からの贈り物だって教えてもらったわ。住む世界によって、価値観は変わるの。ここでは正義でも、向こうでは悪なんてたくさんだわ。だから、大切なのは自分自身の価値観なのよ』
『生まれが何よ。大切なのは生き方よ。自分自身をちゃんと見てくれる相手を探しなさい。そして、あなた自身も、相手の生き方を見てあげなさい。あなたが自信を持って進める道こそが、あなたの道。バカにしてくるやつは、他にやることがないんだなって思いなさい。むしろ、笑顔で生暖かい視線でも向けてやりなさい。世間に迷惑はかけちゃ駄目だけど、ただ周りに合わせるだけじゃ、幸せになれないわ。幸せは自分の手で掴むものよ!』
母の正論なようでぶっ飛んだありがたい言葉を聞いた子どもは、素直に影響された。なるほど、そういうものなのかと。母親の教育もあるが、もともとマイペースな素質が彼にはあった。母親の言っていることは間違っていないが、それを全て真面目に受け止めた子どもの成長が現在である。血縁を感じた。
『つまらない過去より、目指すは輝かしい未来。それにいい、フェイル。この世界で上手く生きる方法を教えてあげるわ』
『なに、お母さん?』
『お金を稼げる人間になるのよ。それも安定して、食べるものにも困らないぐらいのね。追い詰められた人間は弱いものよ。虫料理のレシピばっかり増えていく職より、保証も給料も外聞きもいい職。おいしいものも食べられるし、何より幸せになりながら、あなたをバカにした人たちを見返すことだってできるわ』
後ろで聞いていた父親の顔色が悪くなるようなセリフを、母親はポンポン言ってみせた。この当時の彼女のテンションは、最高潮である。本来なら理想論となるはずだった教育は、しっかりすぎるほどの影響を我が子に与えたのであった。それでいて、勝手に自分なりに母の言葉を解釈して、己の幸せ街道を考え出した。それが実現できるだけの実力とマイペースさを、彼が持っていたのは幸運であったのだろう。
そして、ルクレツィアが生まれた頃には、周りも「あれ?」と感じるようになった。まず、彼をいじめようとする者が消えていった。いじめは間違っている、と向かってきた相手に正々堂々と反論、逆襲を彼はまず始めたのだ。かなり容赦なく。
いらつきから来た者には、勝負だな! と真正面から天然神力で迎え撃ち、食べ物を取った者には、後日領収書を母親に作ってもらい、なんとなくで覚えた神託爆撃で料金請求。制御があいまいなままでビームを撃って山を消し飛ばす子どもに、さすがに無関心を貫いていた周りも真っ青になった。
性格をなんとかしようにも、もう手が付けられなかった。エーヴェルト家の当主である祖母がそれを聞き、母親のところに行って事の顛末を語られ、さすがに頭を抱える。父親の方は、もう色々諦めが入っていた。もはや、あの息子を止められるのは彼女だけだ。素質のある妹を生んだということで、彼女を認めることをエーヴェルト家は決めたが、当然彼女は首を縦に振らなかった。息子も認めないかぎり、絶対に嫌だと。
それに最後まで反対を示したのは、祖母だった。周りはフェイルのやらかしに、振り回され被害を受け、もう認めてください! 本当にごめんなさい! 状態でしばらく過ごした。神力の回復の応用で植物を促進させ、魔女の森に巨大大木作りをノリでし出した辺りで、さすがに生態系が崩れてくまがいなくなる、と彼女は折れたのであった。
それから、彼らは一緒に暮らすようになった。そこでフェイルは保証の良い高給職について、魔女の依頼に来た人たちに聞き込みを続け、そこから聖王都の話を耳にしたらしい。
「最初は色々ギスギスしていたみたいですけど、兄さんは誰も恨んでいませんでした。聖王都に行けば、念願の高給職につける、って未来の話ばかり気にしていたそうです。『お金をいっぱい稼いで、仕送りをすればみんなおいしいご飯が食べられる』って。それに、周りの方が居た堪れなかったって聞いています」
「自分の存在を否定した故郷への仕送りか…」
「家族だから当然、だそうです。お婆様がその言葉に、本当の意味で折れて謝ったって聞いています。兄さんは、不思議そうにしていたみたいですけど」
フェイルが稼いだお金を、祖母は大切に保管しているとルクレツィアは聞いている。老い先短い古い魔女に使うより、未来の新しい魔女のために残すべきだと言って。彼女を中心に、魔女の古き思想に固まっていた一族は過去の栄光ではなく、未来を進む道を歩くことを選んだのだ。
たった一人の青年の給料で養われるなど、あまりにも情けなさ過ぎる。大規模の魔物掃除をするフェイルの給料はきちんとそれ相応の金額がちゃんと払われているため、故郷全員をなんとか養える。しかし、それを甘受し続けるなどありえない。それも、普通なら恨まれていてもおかしくない相手の『好意』と言う名の見返しに。
「兄さんの存在が、私たちを救ってくれたんです。一族はたくさんの失敗をしました。だから今度は、失敗から学んで成功を手に入れるのです。兄さんが故郷に帰ってきた時、家族みんなで笑えるように。私たちの手で、エーヴェルト家を絶対に再興させてみせるんだって決めたんです」
拳を握りしめ、ルクレツィアは力強く宣言する。失敗と成功は二つで一つ。欠けることのできない大切なもの。失敗を恐れずに、自分たちにできることを諦めずに探していくことこそが償いであり、頑張りどころだと考えた。謝罪ではなく、結果として見せる。それが、彼に一番わかってもらえると思ったのだ。
「……あっ、すみません。なんだか、最初の趣旨からズレちゃいましたね」
「いや、こちらも聞けてよかったわい。余でよかったら、いつでも相談にのろう」
照れくさそうに帽子のつばで顔を隠す少女に、イザベルは本心からそう告げた。他の一族の者は、母親を中心に顧客の新ルートを開拓したり、既存の術から応用法を考えたりと、短期的に効果が出る方法から試しているらしい。そして彼女は長期的に聖王都で学んで、効果が得られる方法を探しに来たのだ。
フェイルは自分が幸せになる道を突き進んだ結果、よくわからない副次的な影響で周りを救う。さすがは、聖剣に認められた珍獣勇者。救い方が色々おかしい。本人が知らず知らずの内に、なんか救っているのだ。迷惑も同じだけ、ピンポイントにかけまくっているが。
「故郷か…。俺が物心ついた時には、城で教育されていたからな……」
「友人さんは、お城で働いているのですか?」
「あっ……、あぁ、まぁな」
「すごいです。転移魔法が使えるのですから、さぞ名のある魔法使いさんなんでしょう。いったいどこの国で――、そういえば、私。友人さんの名前って、結局聞いていなかったような気が」
「あれ、そうだっけ」
今更ながら、自己紹介をしていなかったことに気づく魔王様。そんなんだから、名前を忘れられるのだろう。基本、相手の方が魔王様を知っていることが当たり前の環境にいるので、自分から名乗ったことがほとんどなかったのだ。
「俺は、ディアードだ。改まって名前を言うと、なんか変な気分だな…」
「ナイス、妹。そうじゃ、小姑の名前はそれじゃ。よしよし」
「ディアードさんですね。わかりました」
「えっ?」
「えっ?」
小声で器用にメモをとるカブトムシ。カブトムシアクションは、もはやお手のものである。そして、妹が魔王様を名前で呼ぶと、何故かぽかんと口を開けて呆けてしまった。それに素の疑問が、名前を呼んだ方にも伝染する。名前を間違えたのだろうか、と不安になるが、魔王様がいきなり目頭を押さえだした。
「ディアード。そうか、他人から名前を呼ばれたら、こんな感じの響きだったな……」
魔王様は、めっちゃ感動していた。
「……名前、呼ばれんのか?」
「……かれこれ、五、六年ぶりか? あの方ぐらいしか、俺を名前で呼ばないし」
『――ッ!?』
五、六年間、他者から名前を呼ばれないなんてあり得るのか。戦慄と同時に、思わず涙が出てきてしまいそうだった。そして、フェイルの友人呼びの謎のこだわりの深さを知った。呼んでやれよ。
軽く首をひねりながら、年数を指で数えだす青年。職場でいじめられているのだろうか、と聖剣が魔族の職場環境を心配しだす。間違いなくこの自分は軽いけど重いぼっち具合は兄さんの友人だ、妹は心から納得した。
「呼びます。これから私が、何度だって名前を呼んであげますっ! だから色々諦めずに頑張りましょう、ディアードさん!」
「こじゅ――、いや、ディアードよ。今まですまなかったな。お主の苦労、余はわかっておらんかったようじゃ。余でよかったら、真剣に相談にのろう」
「えっ、なにお前ら」
いきなり優しくされる魔王様、素で戸惑う。部下たちに敬われるか、友人に振り回されるか、おぼんにぞんざいに扱われるか、のだいたい三択だったからすごく反応に困った。勘違いのような、あながち間違っていないような不思議な空間が、数分間は続いたのであった。
――――――
「グルァァァーー!!」
「むっ、あれはこの樹海に生息すると言われる『リッパーベアー』か。竜人間化で力を抑えているから、我の実力を測れなかったようだな。運の悪い魔獣だ。せめて痛みを感じる間もなく、この魔竜族の炎で消し去ってやろ――」
「熊鍋ビーム」
『ギャァァァアアァァーーーー!!』
「……神官さん、だからあれほど後ろから前にビームは撃たないでって」
「あっ、ごめん。くまを見たら、つい」
「魔獣だよ」
寄り道やおしゃべりは控え、真っ直ぐに目的に向かって歩いてきたからか、そろそろ薬草の群生地に着きそうである。途中で出てきた魔物は、ヴァーラさんとハベルさんが対処し、僕はヴァーラさんより後ろ全面を担当した。従業員さんは決して後ろを振り返らず、前だけを見て戦うのだ。これは、背中は任せたという信頼の証だろうか。行動で示してくれるなんて、やはり仲良くなれるのは嬉しいものだな。
お昼の食材に虫を取ろうとして、ハベルさんに何故か全力で引き摺られてしまい取れなかったので、せめてくまは駄目だろうか。妹が来たからか、故郷の懐かしい熊鍋の味が恋しくなってしまっている。ちなみに、ハベルさんからくまなら許可がおりた。さすがは僕らのおふくろの味、くま。なら次は、持ち運びしやすいようにしないとな。
「それじゃあ、さっそくビームで」
「待って、神官さん。これ以上のビーム使用は、ヴァーラさんが幻覚症状で使い物にならなくなるレベルだから控えてほしい。俺がやっておくから、先に薬草を取ってきてくれないかな。もう目と鼻の先らしいし」
ハベルさんの言葉に、なるほど、と僕は頷いた。確かにもうすぐ、僕たちが目指していたゴール地点だ。ここで三人が固まるより、先にいくらか薬草を集めておいた方が効率的だ。この距離なら迷子になることはないし、戦闘になってもすぐにわかる。くまは僕のわがままだし、それで友人たちとの集合に遅刻をしては大変だ。ここは、彼の好意に甘えようと思った。
「わかった。先に行って集めておくよ」
「魔物が出て来ても大丈夫だと思いますけど、何かあったら神託でいいので知らせてください。絶対に空に極太ビームを撃ったりしないで下さいね」
冒険者さんは、心配性だな。こんなにも僕の身を案じてくれるなんて。でも、これが仲間って感じなのかな。ちょっとくすぐったいかもしれない。
「うん、この赤い草で間違いないな」
ヴァーラさんの荷物から借りてきた図鑑と薬草を見比べ、背中に背負っていたリュックの中に入れていく。樹海の随分奥だからか、ほとんど手つかずにたくさん生えていた。自然のものを取りすぎたらいけないので、ほどほどにするけど。妹が喜びそうな数ぐらいは、もらっておこう。
それにしても、一面赤ばっかりだ。膝下ぐらいまである赤草が、まるで絨毯のように広がっている。こんなに真っ赤だと、夕焼けの中にいるみたいだ。でも、どっちかというと血の色にも似ているかもしれない。血の池より、夕焼けの方が気分がいいので夕焼けでいい気がするけど、なんだかもっと似ている色があるような気がした。
「あっ、そうか。友人の目の色と似ているんだ」
ポン、と手を打ってスッキリする。普段の茶髪の人間モードの友人の目の色は、赤色ではない。赤い目は自身の持つ核の影響で起こってしまう色彩らしい。つまり、尖った耳と同じように魔族の証なのだそうだ。友人から核について話を聞いた後日に、このあたりのことも教えてもらった。
そんなことを思い出しながら、薬草採取を再開しようとして、――ふと手が止まる。次に反射的に神力で身体を覆い、いつでもビームが撃てる状態で後ろを勢いよく振り返った。本来なら、そこには誰もいないはず。ハベルさんたちの気配は、別方向にある。魔物でも魔獣でもない、でも何か……もっと別の何かを感じたのだ。
「いい反応だね。さすがは、ディアードくんの友人くんかな?」
僕が振り返った先には、くすくすと微笑む青年が立っていた。かなり気配が希薄だ。いや、むしろこれは存在感が感じられない。
「……幻影魔法?」
「正解。意識だけを幻影にして飛ばしてみたんだ。せっかく城の近くまで来たのに、留守みたいでさ。まぁ、約束は明日だったから早く来すぎた俺も悪いんだけど。それで、彼は約束があるから出かけたと聞いてね。面白そうだから、つい見に来ちゃったという訳さ」
そういえば、友人が今日遅刻した理由に、急に入った打ち合わせがあったからって言っていた。なんでも、近い内に待っていた人が来るって連絡があったらしい。忙しい時に約束をしてしまったと謝ったけど、こればっかりは仕方がないって笑っていたっけ。この人が、その友人の待ち人さんなのか?
黒髪に赤い目、そして尖った耳は、魔族の特徴そのものであった。友人のような美丈夫って感じじゃなくて、穏やかな感じがする綺麗な人って感じだ。友人の友人さんだろうか。他の魔族を遠目から見たことや、ビームでブッパしたことはあったけど、こんな風に直接話をするのは初めてだ。わからないし、聞いてみよう。
「あなたは、友人の友人さんですか?」
「ぷっ、何それ。残念ながら俺は、……うーん、難しいな。親のような、兄弟のような、先生のような。とりあえず、ディアードくんを昔から知っているお兄さんって感じかな」
近所に住んでいる幼馴染のお兄さんってことだろうか。それなら、確かに表現が難しい。
「それにしても、本当に彼と友人同士なんだね。魔族の存在を認知している人間とね…。五、六年ぶりに会うけど、本当に昔とは別人のようだ」
「……それで、友人のお兄さんはどうしてここに?」
「あぁ、ごめんごめん。そうだったね。ただちょっと様子を見に来ただけだよ。久しぶりに会うからさ、どんな風に成長したのかこっそり気になったんだ。……兄としてね」
彼は優しく微笑みを浮かべ、小さく肩を竦めた。物腰は柔らかいし、柔和な表情からは敵意を感じられない。だけど、なんだか薄ら寒いような気持ちになる。これが、幻影の魔法だからなのかもしれない。存在感が感じられないからかもしれない。少なくとも、彼は僕に友好的な態度で話をしてくれているのだ。根拠もないのに、いきなり疑っちゃ悪いよね。
「おっと、誰か来そうだね。それじゃあ、俺は帰るよ。ディアードくんの元気そうな顔も見られたしね」
「えっと、そうですか」
「あっ、そうだ。よかったら俺のことは黙っていてくれないかな。せっかくの再会なんだ。俺が隠れて先に見に行っちゃったなんて知られたら、怒られてしまうかもしれない。ダメかな?」
「……そういうことなら」
困った様に頬を掻き、いたずら好きな笑みを浮かべながら彼は告げる。内容はわからないでもない。さっき五、六年ぶりの再会だって言っていた。それを台無しにするのは、さすがに気が引ける。でも、それならなんで僕に姿を見せたのだろう。友人の姿を見られたのなら、それで問題ないはずなのに。
そんな僕の疑問が口から出る前に、黒髪の魔族の幻影は煙のように消えてしまった。友人以外で初めての魔族との邂逅。それにしても、不思議な人だったな。とりあえず、簡単だけど約束しちゃったし、彼のことを今日は黙っておこう。今度友人が彼と会った後に、また聞いてみればいいだろう。
「お待たせしました、神官さん。すみません、遅くなってしまって」
「ううん、お疲れ様。それじゃあ、薬草集めをしよっか」
「う、うむ。採取なら、ビームは飛んでこないからな」
採取でビームを使ったら、薬草が燃え尽きてしまうから当たり前だと思うけど。それに首を傾げるが、時間がだいぶ過ぎているので、急ごうと三人で薬草をつんでいった。今は妹のお手伝いと、友人への企画が優先である。とりあえず、今を楽しんでいこう、と考えながら、僕は頬に流れた汗を袖で拭ったのであった。




