「何を求めて風のなか行く」 山頭火
山頭火の漂泊人生で
足の向くまま気の向くまま
彼は歩いてまた歩いた。
そんな路上での
旅の友達?だったのが
青い山々と
滾々と湧き出る清水と
いつも吹いている風だった。
『分け入っても分け入っても青い山』
『少し熱がある。風の中を急ぐ』
『おばあさんの自慢する水が湧いてる』
そして好きなものが酒だった。
少し托鉢でお金が入ると
すぐそれで飲んでしまうのだ。
『酔うてコオロギと寝ていたよ』
『一杯やりたい、夕焼け空』
そして後悔して
『どうしようもないわたしが歩いている』
という自省の句になるのだった。
その自虐の句境も
母の死というトラウマの逃れがたい呪縛があったからなのだろうか?
頭陀袋にはいつも母の位牌がおさめられていたという。
『うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする』
でも山頭火には
歩くことしかできない。
結局.堂守は似合わないのだ。
一か所にいると邪念が?湧いてくる。
そして放浪の虫がうずいてくるのだ。
『ほととぎす、明日はあの山越えて行こう』
『後姿のしぐれて行くか』
そんなかれにも、やがてどうしようもない老化が訪れる。
歩けないのだ。
疲れて、歩くことすらできないのだ。
俳句仲間の好意で
山頭火はふるさとに近い山里に
ついの棲家を用意してもらう。
それは里やまの近い雑草に埋もれた小さな家、廃墟だった。
そこを屋根を修繕して
庵として
住み着いたのだった。
ここで骨になる
山頭火はそういう思いだったのだろう。
こんな句を作っている。
『花いばら、ここの土になろうよ』
その言葉通りに
山頭火はある日
脳卒中で倒れて
その家で亡くなっている、、、。