第七話 花屋『ネイビー』にて
「さて、と」
静かになった部屋で、おもむろにリューアが服を脱ぎだし、ザンが仰天した。
「おっおまおまお前!なっなっ何やって…!」
「?着替えてるんだけど。あ、ザンも着替え」
「俺店手伝ってくる!」
ネイビーにも劣らぬ勢いで、ザンが部屋を飛び出した。次いで、ドアを蹴って閉めた。
「えーなんで閉じ込めんのさー。開けてよー」
ドアの内側からどんどんと叩くリューアに、ザンは力づくで対抗する。ドアノブが、がちゃがちゃと忙しなく回って音を立て、木で出来たドアが軋む。
「お前いきなり脱ぎだすんじゃねえよ!吃驚したわ!」
「ちゃんと下着は付けてるよー?」
「全裸じゃなかったらいいとかそおいう問題じゃねえから。これだったらまんだ娼婦の方が慎み深いぞ!?」
「うるさい失礼な!別にいいじゃんか!」
「何がだよ!」
ドアを挟んでの怒鳴りあい。第三者が見れば実にくだらない。
「だってザンは、多分手とか出さないと思う!」
リューアの一言には、流石のザンも固まった。ここにネイビーさんいなくてほんとによかったと思う。
「手って…。出すかぁそんなもん!」
「そんなもんとは失礼な!」
「あああああー!ちょっと黙れ頼むから!」
堪らなくなったザンが一際大きく叫んだ途端、リューアが黙り込む。その急な静けさにいぶかしみながらも、やっと落ち着いたのか、とほうっと息を吐いた。
「せぇい!」
「あっ馬鹿!」
ザンが力を抜いた瞬間を見計らったかのように、リューアがドアに体当たりをした。油断していたザンはたまらずよろめく。
「やべっ」
ドアが勢いよく開く。ザンはとっさに後ろを向こうとしたが、くんっと服のすそを掴まれて失敗した。
「ザン、もう大丈夫。もう着替えた」
「そうか、って早くね!?」
しっかしザンも紳士だよねー意外と、とリューアがけらけらと笑い、くっそ思いっきり覗いてやればよかったと、ザンは今更ながらに歯軋りをした。
さっきのやり取りのどこに着替えられる時間があったのか、というのは最後まで解せなかったが。しかし実際にリューアの服は白い基調は同じながらも、確実に変わっていた。
「どしたー?ザン」
「いやもうなんでも。お前がすげえ早着替え名人だなって思っただけ」
「ふぅん。ありがと?」
いや褒めたつもりじゃなかったんだけど、とザンが肩をすくめた。
リューアは構わず、ザンの手を取って玄関へと歩き出す。木製の廊下に、義足のかちかつという足音が響いた。
「んじゃまーお店いくよ」
「…分ぁかったよ」
色々諦めた顔のザンが、やれやれと片目を閉じる。リューア手離せと言うザンを無視して、つないだ手をぶん回しながら、鼻歌交じりに外に出た。
「店員さん増える~仕事はぁ、減る~」
えらくご機嫌なリューアに文字通り振り回されながら、
「俺は着替えてねえんだけど……」
半ばぼやくように呟いた。
「しっかし…。さっきはからかい過ぎたかな…?」
「何か言ったかリューア?」
「いあ、や。何にも」
「そうか?」
悪ノリしちゃったとこっそり反省するリューアがいたとか。
昨夜、ザンに抱き枕にされたためのささやかな仕返しのつもりだったのだ。
そしてリューアの家からネイビーの花屋までの僅かな道のりの間に、顔見知りの町民に、と言ってもこの町ではリューアはちょっとした有名人なのだが、若い男と手を繋いでいたと目撃され、ちょっとではない騒ぎになっていた。本人たちは知らないことである。
「ん、植木鉢って結構重いな」
「そーだね。でもその背中のやつよりは重くないと思うよ」
それ、とザンの背中の大剣をリューアは指差した。
ここは花屋の店内、二人して植木鉢を運んでいるところだ。
「リューアよく持てるな。そんな貧弱、いや細い腕で」
「言い切ってから言い直しても意味ないよザン。…まぁ、四年もここで働いてるんだもん。慣れるよ」
大きな植木鉢を抱えながら、ザンが感心した。確かにリューアの貧弱、いや細腕は、お世辞にも力仕事に向いていなさそうだ。
「私結構力あるんだけどな…。それ、ほっ!」
「おおスゲー」
「あんたら口の方がよっぽど動いてないかい?」
それなりの大きさの植木鉢を二つ、それぞれ片腕で持ち上げているリューアに、拍手するザン。あきれながらも苦笑いしているネイビー。
「それより、さ。このエプロン脱いでい」
「「だめ」」
「…ちぇっ」
ザンが現在身に付けているのはエプロン。花屋の制服だ。戦闘服とも言う。
ネイビーの花屋の手伝いをするにあたって、ザンは空色のエプロンを着させられていた。正直、ザンの黒尽くめに近い服装にはまったく合っていない。ちなみにリューアは黄色のエプロンを着用しているが、白っぽい服と優しげな風貌とあいまって、大変似合っていた。
エプロンを着るとなった時、ザンは嫌だかっこ悪いとかなり抵抗したのだが、口喧嘩で四十後半のおば、いやネイビーに勝てるはずもなく、一宿一飯の恩もあるリューアに殺しちゃだめだからね、と言われてしまっては手を出せるはずもなく、大剣装備は可する、ということで渋々承諾した。武器を身から放すのは相当嫌ならしい。
「むー…」
不貞腐れているザンに、リューアはまあまあと声をかける。
「大丈夫、似合ってるよ……うさぎも」
「それが嫌なんだけど?」
ザンの胸元、エプロンの空色の生地に、うさぎのアップリケが堂々と縫い付けてあった。白うさぎで、片目を閉じているやつ。エプロンを持ってきたのがネイビーということから、これは地味な嫌がらせなのだろう。そして地味ながら、確実にザンに痛手を与えていた。
間抜けだ、とザンは眉間に皺を寄せる。
おかげで店に来る客に可愛いと言われ、微笑まれる始末。
そんなこと言われても、男の自分にとっては全く、心の底から嬉しくない。
「なぁ…。さっきの客追っかけて殺」
「しちゃだめ。…仕事終わったらちょっと出かけよ?うさぎとってって今日のご飯だ!」
「ホント?肉?じゃあさ――」
和気あいあいと食事の話に花を咲かせ始めた二人を、ネイビーは横目で見ながら、痒い痒いと首をぽりぽりと掻いた。
「さっさと結婚でもしちまいなこのバカップル」
二人とも自覚はないだろうが、話の内容は夫婦のそれに酷似しているし、意気も合っている。
なにより空気がゆるい。ゆるくて、何か甘酸っぱい。
ただの同居人らしいが、お互い無自覚に意識し合っているとネイビーは見た。そしてそれは正解だった。
ネイビーの夫は若くして病で亡くなった。気付いたときにはもう遅く、手遅れな状態だったらしい。花屋を立ち上げ、やっとこさ軌道に乗りかけた、という時だったのに。葬式の時、自ら花を手配したのには、一体どんな皮肉かと鼻を啜った。
懐かし哀しい記憶の日々を思いだし、ネイビーは目を細めた。
子供はいなかった。つくる余裕などなかったから。だから、孫の面倒を見たり遊んだりと言った生活も諦めていた。
しかし、もしかしたら、いやきっと、そんな日は来るとネイビーは思う。
「孫の顔を拝む日もそう遠くないね、こりゃ」
ふふふ、とネイビーは楽しそうに体を揺らす。視線の先にはどこから見ても仲が良いとしか思えないザンとリューア。
ザンは今まで多くの者を屠ってきたのだろう。それを、リューアは受け入れている。
その事にネイビーは何か思うことがないわけではない。
それでも、ネイビーは二人の関係について口を挟むつもりなど毛ほどもなかった。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて何とやらであるし、リューアが幸せそうに笑えるのであれば、ネイビーは満足だ。『娘』の幸福を一番に願わない親などいない。いたとしても、ネイビーはそんな奴親と認めない。
それに、色々と抱えているものが一々大きいリューアを、並の男が支える事など出来はしないだろう。
まぁ少々精神がまともでない奴でもしょうがないさ、とネイビーは苦笑いをこぼした。
「早くなんか狩ってこうぜー」
「はいはい、じゃーさっさと仕事を終わらせよう!」
「了解っ」
性格はまともであるようだし。