第六話 目覚めと騒動
ちょっと遅れました…。
せめて休みの間だけは2,3日おきに更新したいです…。
「……おぇ?」
光が瞼に差し込み、まぶしさにザンは目を開けた。背中に感じるのは柔らかい感触、いつもの安宿のベッドではない。そして、感じるはずがない温もりを隣に感じ、ぎょっと身を竦ませて横を見た。
息を呑む。
「…!」
なんだこれは。
この綺麗な者はなんだ。
ザンの目の前には白い頬。きめ細やかでなめらかな肌がずっと、胸元まで続いている。白い絹糸かと思ったそれは髪、小さな顔を包み込むように、緩やかに波打っていた。窓から差し込んだ朝日が髪に反射して、白銀の髪は虹色に輝く。
「すぅ――…」
薄桃色の唇が緩みながら呼吸を繰り返す。同じように、胸も穏やかに上下した。
北国出身の者特有の、日に焼けていない、しみ一つない肌。西国ラガット出身、浅黒い肌のザンにとっては驚くほど真っ白で。
雪花石膏のようなそれにゆっくりと指を伸ばす。
すこしだけ胸の鼓動が早くなった。唾を飲み込もうとして、口の中がからからになっているのに気付く。眠気などとうの昔に吹き飛んでいた。
触ったらどんな感じなんだろう。
ちょっと強く擦ってしまったら、きっと簡単に傷付いてしまうに違いない。
何故だろう。
なんでこんなにもどきどきするんだろう。
「ぅん……」
あと少し、もう少しで指先が触れるというところで、桜色の唇から声が漏れた。体がびしりと硬直し、ザンは慌てて手を引っ込める。
静脈が透けて見える薄い瞼が震え、白いまつげに縁取られた蒼玉の瞳が現れた。
二つの碧がぱちぱちと瞬き、
「おっはようザン!」
「……はよ」
多分寝ぼけていた。
リューアが満面の笑みで言い、俺どうしようとザンは思った。
「リューアー、目ぇ覚ませー」
酔っぱらいのそれとも似た、へらりとした笑みをたたえたままぼぉっとしているリューアの両肩をザンは掴んで、がっくがっくと共に横になったまま揺する。
「起きろって…」
揺り動かすたびにリューアの首ががくがくと前後に動き、折れそうな気がしてザンは少し力を緩めた。
「リューア、朝だよ起きな~」
「!」
女性の声。とん、とん、と廊下を歩く音が聞こえてきたと思ったら、それはだんだん近付いてくる。
「っやべ…!」
今の自分たちは一見、その、恋人みたいで。
なんで仲良く一緒のベッドで寝てんだ俺達、とザンは疑問に思いながら焦り、リューア早く起きろとよわめた揺する力を強くした。
「…もう、ちょっと……」
「マジで起きろって…!おいっ」
「…くー……」
なんだろう。
なんかすごく、泣きたい気分だ。
そうこうしているうちに無常にも足音は近付いていって、とうとうドアの前まで来てしまった。打つ手無し――とザンは目を閉じる。
「リューア、おは」
「……おはようございます」
ドアを開けて中を覗いた中年の女性が、びしりと身を石像のように硬直させた。おはよう、のは、で口を開けたまま。
観念したザンは、そんな女性に向かって上半身を起こし、丁寧な朝の挨拶をした。
正直、本当、いたたまれない。
絶対誤解されてるから、それは後からリューアと一緒に解くとしよう。
額に手をあて、うなだれた男、隣にはリューア。二人とも服はちゃんと着ていたのだが、一瞬で混乱に陥った中年女性の頭には、そんな事は入ってこない。
中年女性――ネイビーはちらほらと皺が刻まれた顔を今はぱんぱんに張らせ、呆然と呟いた。
「…リューアが大人の階段を上っ」
「違う!!」
「くか――……」
ザンが力いっぱい叫び、リューアは何も知らずに寝息を立てた。
それから一悶着あったのは言うまでもない。
「…なんだい、あたしの勘違いかい?」
「ネイビーさん、やっと落ち着いてくれたね…」
「ぉう……」
まさに疲労困憊。なぜ寝起きにこんなにも疲れなくちゃいけないんだろうとリューアとザンは嘆く。特にリューアはネイビーとざんの喚き合いのために、強制的に起こされたため、気分は三人の中で一番悪そうだった。
色々と勘違いして騒ぐネイビーを、二人で必死に事情を説明して、やっと静かになったところだ。
「全くまぎらわしい。あたしに一言くれてもよかったんじゃない、リューア」
「まぁ。うん。それはごめんなさい。だって時間も遅かったら、いいかなって…」
申し訳そうに謝ったリューアに、あたしゃ度肝を抜かれたよとネイビーがため息を吐く。ザンはそっぽを向いている。少々バツの悪い顔をしているのは気のせいか。
「で、あんたはこれからどうすんだい?」
「え、俺?」
あんた以外に誰がいるんだとばかりに、ネイビーがザンをじとりと睨む。ザンはぽりぽりと頬を掻いて天井を見た。
「どーするっつってもなぁ…?」
素直に言えば、ここは居心地がよくって、ザンは迷う。
礼を言って、必要だったら金を払って立ち去ればそれで終わる。簡単に言えるはずなのに、なぜかザンは躊躇ってしまった。
ここにいてもいいかと、口に出せばいいのに、そんな事は口が裂けても言えそうになくて。
いつでもどこでも自分の好きなように振舞って、過ごして、殺して。敵味方関係なく斬りつけて軍の中でも異端視されて、それでも別によかったのに。
『ここに置いてくんない?』
そう訊けばいいのに、否定されたら柄にもなく傷ついてしまいそうで怖い。
自分がそんな事に傷つくなんて、弱さを見つけてしまいそうで怖い。
リューアに否定されてしまうのが怖い。
自分の殺意に怯えることなく、真っ直ぐに目を見返したリューア。自分の異常さを、何てことない顔して受け入れて。受け入れられて、こそばゆいような不思議な感情が生まれて。
ああもう、本当に訳が分からない。
がしがしと頭を掻いて、ザンは困惑する。そんなザンの様子に、リューアは首をかしげた。
「もしかして、いくとこない?」
「……」
そういうわけではないのだが、ザンの沈黙を肯定と受け取ったリューアが、だったら、と笑顔になる。
「じゃあ、ここにいれば?」
リューアの家。
「……は?」
「……ええ!?」
ザンとネイビーは揃って声を上げた。特にネイビーは今まで会話には入りそびれてしまっていたので、ザンよりも若干声が大きかった。当の爆弾発言を投下した本人は、二人の大声にびっくりしてきょとんとしている。
「何?どしたの?」
リューアの言葉に、どしたのじゃなくってとネイビーが歯噛みする。
「嫁入り前の女の子が会ったばっかの男と一緒に暮らす、だなんて…。…市かも、同じベッドで寝たなんて…」
「嫁入りしてたらよかったの?」
「もっと駄目だね……」
そういう問題じゃないんだよと頭を抱え始めたネイビーに次いで、ザンが口を開く。やや顔が赤い。
「…お前、男と二人っきりで住むって、どういう意味かちゃんと分かってんのか?」
「ん?そのまんまじゃないの」
あっけからんと言い放ったリューアに、眩暈がしそうだとザンがため息を吐いた。絶対分かってない。
「俺に襲われるとか思ってねぇの?」
「え?」
意地悪気にザンが言って、リューアが目をぱちくりとさせた。
「もう襲われたじゃん」
「ぅえええええええ!?」
「なっ、おま、あ。あれは違っ」
第二の爆弾発言に、ネイビーは一応女性としてどうかとは思う声で絶叫し、質の悪い冗談のつもりだったザンは、予想外の返しにうろたえた。二瞬ほど遅れて、リューアが言っているのは山で殺されそうになった事を言っているんだと分かって、慌てて訂正しようとする。
「あんたまさかもうリューアに手ぇ出したのかい!?」
「ばっ、違う違う違う!断じて違う!出してない!誤解だっ」
「男はいっつもそう言うんだよ!」
弁解の機会はネイビーが鬼のような顔で問い詰めてきたことにより、会えなく消滅したが。
「二人とも落ち着いて。ザンはどうなの?ここにいるの?」
蚊帳の外にほっぽかれてる今回の騒動の原因、リューアは少しむっとした様子でザンに詰め寄る。
「あ゛-!うるっせ!分かったここにいる世話になる是非世話になりたいよろしくお願いしますっ」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人に挟まれ、耐えられなくなったザンは、半ば叫ぶようにしてリューアに答えを返した。よし、とリューアは満足げに、どこかほっとしたように頷いた。
「いやいやいやおかしいよっ、なんで妥協してるんだい!」
いつの間にかリューアの方に流れが向いていっているのにネイビーは焦って、なんかほのぼのしてきた二人にツッコんだ。水を差すようで悪いが、ここは流しちゃいけないと思うネイビーは顔をリューアに向ける。しかし振り返ったリューアの邪気のない笑顔を真正面から受け、ううっと言葉を詰まらせた。
「……あ、あんたは本当に言いのかい?」
「うん。だってザン良い人だよ?」
「う゛……」
最後の足掻きとばかりに訊いたネイビーに、リューアは屈託なく答えた。いっそ無邪気なリューアの言葉に、自覚のあるザンは居心地悪げに視線をさまよわせた。そんなザンをじとりと見ながら、はぁぁああとネイビーが大きなため息を吐いた。肩の力も抜く。
どうでもいいけど幸せ逃げるよネイビーさん、とリューアは思った。
「…もういいさ。あたしゃ疲れたよ。あんたたちは好きにやりな。リューア」
「ありがと。ネイビーさん」
つまるところ、ネイビーは諦めた。リューアは厳しすぎる世の中と言うものを知りすぎているのに、変なところで世間知らずというか、どこか抜けているのだ。微笑ましいのだが、危なっかしい。ひやひやさせられるのはいっつもネイビーで、そのたびに固唾を呑んで、ちょいちょい手を出しながら見守ってきた。
そんなリューアが、まさか男を連れ込んでくるなど、流石に予想もしていなかったが。
「リューア、仕度整えて早く店においで。あんたも店の手伝いくらいしなよ、ザン」
「えー」
「えー、じゃないっ」
ゆさりと豊かな体を揺らして、ネイビーはぴしゃりと言った。ザンは不満そう、とゆうかめんどくさそうに顔をしかめて、口を尖らせていた。
「どうせ暇なんだろう?ここ最近、大きな戦もないからね」
ありがたいことだけど、と続けたネイビーに、ザンは警戒するように目を細めた。背中の大剣に、そっと指を這わす。
「…分かるんだ」
「そりゃあ、ね。伊達に年重ねてるわけじゃないんだよ。立ち居振る舞いで分かるさ」
あんたが戦士ってくらいはね、とネイビーは続ける。
騎士でも兵士でもなく、『戦士』だと。
「騎士のような忠誠を誓うような奴には見えないし、あんたは戦場の『駒』って程度の器にも見えないね」
ただの駒にしては、纏っている空気が異様だよ、とネイビーが低く笑う。
「ふぅん……」
がしがしとざんが頭を掻いた。
「ねぇ」
リューアの呼びかけに、二人はそちらを見やる。今までする事もなくてぼぉっとしていたリューアが、窓の外を見ながら少し焦った声音で言った。
「ネイビーさん今何時?店の前にお客さんいない?」
「え?」
ネイビーがぎぎぎっと錆びついた機械のような動きで首を回した。
「え?」
壁に掛けられた時計を見る。いつもの開店時間の時刻を、時計の長針は大幅に過ぎていた。
「ぇえええええええ!?お、お、お客さ~んっ!」
事態を飲み込んだネイビーが奇声を発した。ある程度予測していたリューアはすでに両耳を塞いでいて、出遅れたザンは耳がきーんとなって悶えた。
飛び上がったネイビーは、どたどたと凄い音を立てながら部屋を飛び出していった。廊下を全力疾走したために軋む木の音、どがっがんっという玄関の扉が乱暴に開けられ、跳ね返ってくる音が続いた。一連の物音を聞いていたリューアは、ドア壊れてないよねと心配した。