第四話 『黒』の名前と『白』の一人勝ち
ちょっと間空きました。
長い静寂を破った少年の問いに、リューアは考えるように目を閉じる。
「私はエルフと人間の混血って事で、まぁ色々あったんだけど、そのたびに色々なひと達に助けられて…」
リューアはエルフと人間、両方ともに傷つけられたが、その両方ともにも助けられていた。右腕はエルフによって、右足は人間によって失われ、そして造られ、生かされた。
「私はエルフにも人間にもなりきれない存在だけど…。でも自分らしい生き方をして、いつか誰かを手助けできる、救えたりする事が出来たらいいなーって、思ってるから」
かつて自分が救われたときのように。傷つけられたからこそ分かり、出来ることもある。
「だから死にたくないの」
穏やかに、しかし静かな決意を碧い瞳に秘め、リューアは言い切った。言葉が終わると同時に氷がさらりと水へと姿を変え、地面に吸い込まれて跡形もなく消える。がらんと音を立てて剣が落ちた。
少年は黙ってリューアの首から手を離し、剣を拾い上げて背中に下げていた鞘にしまった。
「でもさ」
唐突に少年が口を開いた。
「混血でも、別にいいんじゃねぇの」
どちらにもなりきれない、でもいいんじゃねぇの。
リューアは少年の言葉に目を見張って、やっぱりあなたは良い人ね、と笑った。少年は、やっぱりコイツ変な奴! とそっぽを向いた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
ふて腐れた子供のような少年の様子に、くすくすと笑ながらリューアは聞いた。もちろん自分の名前を名乗るのも忘れない。
「名前……は、捨てた」
「捨てたぁ!?」
「おう。綺麗さっぱり、大掃除で出てきた埃みたいにな」
「さっぱり捨てすぎ!?」
親から貰った大事な名を、とリューアはじとっと少年を見た。少年はそんな視線などどこ吹く風で、こっちも色々とあったんだよ色々と、としゃあしゃあと答える。
「名前は無ぇけど、『死神』って呼ばれてるぞ」
「すごくありがたくない通り名だね。それじゃ変だし可愛くないしー…」
リューアは少し困った顔をしてから、ぽんと手を叩いた。
「名前、新しく付け直そう!」
「はぁ?」
「私が決めたい。いい?」
いきなり突飛な事を言い出した少女に、何言ってんだお前と少年はぽかんと口を開けた。いいかと訊いておきながらまったく聞く気のない様子のリューアに、少年は眉間を押さえる。
なんだろう。すごく強引な気がする。俺に拒否権なさそうだし。
そんな何か言いたげな少年をガン無視し、リューアはあーでもないこーでもないと考える。日がすっかり暮れて周りは薄闇に包まれ、少年が暇だなちょっと殺人してこっかな誰かいないかなと思い始めるぐらいには時間が経ち。
「決めた! ぴったしだ!」
うろうろと俯いて歩いていたリューアが勢いよく顔を上げ、満面の笑みを浮かべて少年を振り返った。そのどこか得意げな顔を見ながら、ほんとによく笑う奴だなコイツと感心した。
「『ザン』。あなたの名前は『ザン』がいい」
「へー短くて覚えやすくて言いやすくていいな。…で、何で?」
なぜそれに決めたのかと問う少年、『ザン』に、リューアは答える代わりに適当な枝を拾って地面に文字を書き始めた。そして書き終わるが、ザンは何これ読めないと顔をしかめる。
「うーん? …? コレ何語だよ?このあたりの言葉じゃねえなぁ」
やたら画数が多いし、なんだかカクカクしてるとザンが首をひねる。
「こんなの、南でも南西でも西でも見た事ねえぞ?」
ザンが自分の知っている国々を挙げていく。方角は国名の代わり、もともと学の無い物が使っていたのが広まった。言いやすいし、何より分かりやすい。
「うん。あ、北の国の言葉でもないよ。正解はー、東北の国」
東北の国――ホウズキ国。
世界一大きい大陸に位置する六つの大国の中で、大陸きっての異文化の国。貿易こそ盛んなものの、言語、生活様式、文化、服装、産業に置いて他の五国と一線をかす。最も特筆すべきはその歴史。ホウズキ国の国主の歴史は約三千年前にまでさかのぼる。これは他の五国の歴史が数百年であるのに対し、驚異的な長さを誇る。ホウズキ国は万世一系という旗のもと、永きに渡って革命や政争などから血筋を守り続けてきたのである。そしてそれは言語にも影響を与え、長い年月と共に独特とも言える文字を形成して言った。
今リューアが地面にかき、ザンに示しているのも、その一つである。
ホウズキ国の特徴はこれらだけではなく、祖国愛や形無きものに重しを置く国民性などもあるのだが――それはまたおいおい。
「東北、『ホウズキ』か…」
「正しくは『ホオズキ』なんだけどね。間違って広まっちゃったみたいで」
んで、あっちの言葉で『鬼灯』。
ザンにとっては相変わらず意味不明な絵としか思えない。ザンにとって文字というのはせいぜい三、四画。こんな複雑なものは見た事がない。
「それでね、東北の文字にはも一つ大きな特徴があって」
「えーまだ?」
「そんな嫌そうな顔しないで待って字消さないで」
もうすでに飽きかけているザンを、もう一回凍らせるよと今度はザンごととリューアは脅し、ザンは黙った。
リューアは最初に書いたホウズキの文字の両隣に、ザンにも分かる字で読み仮名を書いた。
「あれ、おまえ南の字ぃ書けんの?」
「私西と南西以外の言葉だったら、かじる程度には知ってるから」
「おぉかっけー」
ザンの賞賛に若干まんざらでもない顔になったが、リューアはあわてて顔を引き締め、説明を続ける。
「東北の文字はさ、一字で複数の読みがあるんだよね」
「複数って……」
「ホウズキ国では三種類の文字が存在するんだけど、それらを組み合わせることによって文として成り立つんだって」
平仮名と片仮名、そして今書いてあるのは漢字と呼ばれている。それら三つの文字を同時に使うことこそが、ホウズキ国が最も異文化だと呼ばれる理由の一つである。それゆえに、他国からホウズキ国に移り住む者は多くないとされる。ホウズキ国が移民を受け入れないわけではなく、そこで生活していけるほどの字を習得することが難しいためだ。一つ一つの文字が他国の者にとっては複雑なうえに、三種類の文字を学ばなければならないのだ。効率が悪い。
「ほー、東北の人間はたくさん勉強しなくちゃなんねぇんだな。頑張れだな」
俺ぜってえ東北には生まれたくねぇとザンは顔をしかめる。どうやら勉学はあまり好きではないようだ。
「いやいや東北って結構良い所だよ」
言葉が難しいとこ以外は良い国だと、リューアが首を振る。話を戻す。
「この字は『斬る』って呼んで、『斬』とも読むの。この字自体は刃物で何かを切るって言う意味」
あなたの名前、とリューアはザンに笑いかける。ザンはそうかと呟いて、自分の名前になった文字をなぞった。
「…俺にぴったりだな。うん、気に入った」
「それはよかった」
コレに免じて殺さないでくれるよね、と視線で確認したリューアに、ザンはうーんと結構悩んで。
「…………分かった。お前は殺さない。なんか変な奴だし」
「ありがと、嬉しい」
でも最後の一言は余計、とリューアは軽く頬を膨らませた。あーあとザンはその場に寝っ転がって、寝っ転がったところのごつごつした石が背中に当たって、小さく叫んで飛び起きた。
「あーいてて。あーもう何か殺してぇ。なあなあ、なんかかんか通んねぇかな?」
「うー…ん。もう時間も遅いから人通りは激少ないと思う」
真昼間からこの人ホント何してたんだろうとは思ったが、リューアは素直に答えた。どうせ訊いたってろくな答えなど返ってきやしないだろう。
「ねぇザン。ザンはこれからどうすんの?」
私帰るけど、とリューアはザンの顔を覗きこむ。なぜそんな事を訊いたのか、放っておけばいいのに、リューアはなぜかこの少年と別れるのが名残惜しいと、思ってしまった。
「ぁあ? 野宿するしかねぇし。宿屋はもう開いてないだろうし、てか薄暗くって道分かんないし」
「そかー…、そうだよねー」
それからいくつか訊いたところによると、ザンは南の国コーストで兵士として働いているらしい。なんでもこのごろ小競り合いばかりで呼ばれず、暇で暇でしょうがないために国境付近の山に入って鬱憤を晴らしていたらしい。
何で晴らしていたのか、とは訊かなかった。
腕はともかくこの性格じゃ扱いずらいだろうなぁとリューアは思う。思いながらじゃあさ、とザンに向かって言う。
「――じゃあさ、私の家に泊まらない?」
後から思えば、このときの自分は血迷っていたに違いない。こんな大胆なこと、普段なら軽々しく言わなかった。ザンの異様な雰囲気にもあてられていたのかもしれない。
「……はぁ?」
ザンは自分の耳がおかしくなったのかと聞き返す。
「だ、だからっ。私の家に泊まってかない?」
何言ってるんだコイツ。さっきも思ったけど。
自分を殺そうとした奴を自分の家に泊めようとする奴がここにいた。しかも男。面食らい、らしくもなく呆けた。暗がりでザンには分からなかったが、やや頬を紅く染めたリューアが続ける。
「だって宿泊まれないんでしょ? 野宿するって言ってたけどそんな準備して来たようには見えないよ? ここ獣も虫もそれなりに多いよ? だったら家に来ればいい」
妙に論理的かつ強引なリューアの言い分に、ザンは考える事がめんどくさくなり、本人が言ってるんだからまぁいいかと納得させられ、半ば流されるように頷いた。
「よし。じゃ、行こう。じゃなかった、帰ろう?」
「…おう、世話になる」
ここまでくるともうやけくそで、ザンは開き直った勢いで立ち上がる。横に並ぶとリューアよりも身長は頭一つ分ぐらい高くて、リューアはザンを見上げた。
「足元暗いよね。ザン見える?」
「……辛うじて?」
疑問に疑問系で答えたザンに、リューアは少し考え、
「っおい?」
ザンの左手を、自分の右手で掴んだ。
「手、つないでたら安全だから。私このあたりの地形とか覚えてるし」
「……あっそ」
手をつないだ二つの影が、山を一緒に下りていく。
「ザンは殺すことが好きなの?」
「いや、叩っ斬るのが好きなんだよ」
そう言えばあの人置きっ放しにしてきちゃったとリューアは思い出して言い、別に腐るかなんかに食われるかして何とかなるだろとザンが返した。人を人とも思わないような、心底外道な台詞だったが、リューアは平気そうに流し、ふーんと相槌を打った。
いかにも平然としているリューアの手を、ザンはつながれている左手でそっと握る。
「…………」
硬い。
当たり前だ。義手が柔らかいはずがない。
どういう仕組みかは分からないが、多分魔法でも施してあるのだろう。指の関節一つ一つ、爪の一枚まで細部まで造りこまれたそれは、まるで本物の人体のようになめらかな動き。それでもやっぱり生身ではなく、あくまで義手は無機物で、温かみなど欠片もない。右足の義足も同様、足を模してはいるものの、それが立てる足音はカチ、カツと硬質だ。
ちらりとザンはリューアの横顔を盗み見る。
相変わらずのほほんとした、と言っても出会って数刻だが、口角が僅かに上がっている顔。ところどころから能天気さがにじみ出ているように思えた。
右手足を失っているとは感じさせない明るさ。
なぜ失ったのか、と訊くのは躊躇われて。
『あなたは人間なのに』
多分、いやきっと、人間のせいで失ったのだろうと推測するのはあまりにも簡単だったから。
「ん? 何」
「あ、いや…腹減ったなぁって」
視線に気付いたリューアが、無邪気に見上げてきて、ザンは咄嗟に誤魔化す。タイミングよく腹がぐるると鳴った。どうやら本当にお腹は空いていたらしい。ザンはかっこわりぃと少しだけ顔を紅くした。
「そうだなぁ…。今夜は豪勢に鳥肉の香草焼きとシチュー、パン。デザートに木苺のプリンといきますか」
「マジで? やったー肉、肉」
「あ、シチューにはお肉入らないよ」
香草焼きに使うから、とリューアに釘を刺され、ザンは残念だとでも言うように口を尖らせた。
「ちぇー」
「ちぇー言わない」
夕飯の話に花を咲かせ始めた二人は、一見ただの仲睦まじい恋人のようで。
しかし、ただの幸せな画になりきってしまうには、ザンの背負った大剣とリューアの義手義足が不似合いで。
そして背後に放って置かれた死体と辺りに漂う鉄錆の臭いがあまりにもおかしくて。
そんなどこかちぐはぐな男女の二人組みの姿は誰にも目撃されることなく、山のふもとの花屋のある町へと、手をつないだまま向かっていった。
山には死体と死臭のみが残される。