第三話 『白』と『黒』の邂逅
「おひゃあっ!」
『誰か』が、息を呑む。
そしてリューアも、重い金属剣の衝撃に、奇妙な叫び声を上げながら吹っ飛んだ。
「うぶっ」
地面に落ちた。
「……へぇ、義手か」
まともな受身も取れず背中から落ち、咳き込むリューアに構わず、黒い人影は自身の剣の刀身を眺めている。沈みかけの太陽が、紅くその影を照らした。
少年。リューアと同程度、もしくは少し年上だろう。身の丈ほど、いやそれ以上の巨大とも言える両手剣を、危なげもなく片手で持っていた。義手と接触した際には結構な衝撃を受けたにもかかわらず、鈍色に光る銀色の表面には傷ひとつどころか刃こぼれひとつありはしなかった。そして、リューアの義手の表面にも傷ひとつ存在しておらず、相変わらず滑らかな光沢を放っていた。
「かはっごほっ…。わ、口の中切ってる…血の味がー…」
「おい」
「ぅぉおえっ、気っ持ち悪っ」
「おい、お前だよ聞いてるか?」
「うわリュック下にひいてた…薬草つぶれたかも…」
「……殺そっかな」
少年をいっそ清々しいほど無視し一人騒ぐリューアにイラついたのか、少年は不穏な空気を纏う。それにはさすがに気づいたリューアは、ぅん、と首をかしげた。
「えと。何ですか?」
「――お前の右腕、…右足もか。それは何だ?」
俺の一撃に耐えた義手はどんな代物なんだと、少年は偉そうに顎をしゃくって問うた。
「……さぁ。多分ただの義手と義足ですよ」
それに対してリューアは、妙な感覚の残る義手を左手で撫でながら、大変あっさりと返した。
まぁ、なんとなく普通の硬度じゃないよなぁと、今更ながらに思うだけだ。
「ふーん、そっか」
一気に興味を失った態の少年に、今度はリューアが問いかける。
「じゃあ今度はこっちの質問で。……なんで私を殺そうとしたの?」
そう。
この少年は、リューアを殺そうとした。
問答無用で、冗談抜きで、右腕で防がなければ死んでいただろう。あんな一振りをまともに食らっていれば、リューアの体は文字通り一刀両断されていた。
会話が成り立った事がおかしいくらい、緊迫していてもいいはずなのに。
「んー…。強いて言えば、動いてたから?」
『あれ』みたいに、と少年は死体を指差した。
――――ああ。
この人が殺したんだ。
だから山が血生臭かったのだと、リューアは納得してしまう。
異常である。
少年は動いてたから、と答えた。これまたあっさりと。それは、見も蓋もなく言ってしまえば、『理由は特にない』という事と同義であるという事。普通は耳を疑うべき言葉だ。
そう、普通なら。
しかし生憎、リューアは『普通』とはあまり縁がないようだ。
ぱたぱたと少年の身に着けているマフラーが風に煽られ、忙しなくはためく。緋色のそれは少年の顔下半分を覆っていて、少年の表情はよく分からない。リューアとは正反対、黒を基調とした服に黒髪といういでたちの中で、そのマフラーは、はっと息を呑むほど鮮やかで、リューアはそんな場合ではないというのに、見惚れた。
「まぁ、おしゃべりはここまでだ」
少年が一時の静寂を破り、地面に突き刺していた剣を抜いてリューアにむかって軽く構えた。
「殺す」
――――殺される。
少年の目に射抜かれる、そんな感じ。こちらを見据えてくる瞳は底知れぬ闇色で、何が潜んでいるか分からない夜の色だとリューアは思った。
リューアと少年の間の距離は、せいぜい5m程度。
少年の緋色が翻った。
5mの間がほぼ一瞬で詰められる。そしてリューアも、既に手を打っていた。
「『我望む氷の壁。永き月日を重ねた極地の雪よ』」
迫る『黒』に臆することなく少年の瞳と目を合わせながら、リューアは唱えた。
「!」
唱え終わると同時にばきん、と目前に迫っていた大剣が凍りついた。地面から水晶のように氷が生ええ、横薙ぎに振るわれた銀色が阻まれる。
『魔法』――――魔力という自然ではない力を持つものが使う術。ありとあらゆるところに存在している精霊という自然の化身に、自らの魔力を代償として現象を起こさせる。魔力のない大多数の者から見れば、種のない奇術ともいえるもの。総じて高魔力というエルフの血をひくリューアは、難なくそれをやって見せた。
少年は突如剣を凍りつかされたことに驚くも、即座に剣から手を放して後ろに飛びさすり、リューアから距離をとった。全ては時間にして五秒のうちに起きた事。
「あ~マズった。エルフは大体魔法使えるんだったよなー」
忘れてたと言いながら、リューアの一挙一動に少年は目を光らせる。剣は氷漬けにされて使えず、そのうえ対魔法となれば、一気にリューアの優勢となる。遠距離の攻撃はリューアにとって容易なもの。ならば、と少年は懐を探った。
だが最初の一撃を防ぐために使用した魔法以降、リューアは動こうとしない。魔法の詠唱をしている様子もない。少年はいぶかしみ、リューアの表情をうかがった。
「…お前、なんてカオしてんだ」
「え?」
首を傾げたリューアの顔。それは何かに驚き、目をぱち、と瞬かせると言った幼さを宿す動作を行う、あどけない顔。
仮にも戦闘時には似つかわしくない無垢な表情に、少年は拍子抜けする。
「…………知ってたの?」
「あん?何が」
濁りの影などない澄んだ蒼色を持つ『白』が、少年を凝視しながら言葉を発する。
「私がエルフだって、知ってたの?」
それはリューアにとって、とてもとても大切な事。
「は?見れば分かるだろ、そんなことは」
その問いに返されたのはあまりにもあっけからんとしたものだったが。
「……そう、なんだ」
見たところ少年の耳は丸く、魔力は感じられない。純粋な人間だとリューアは判断した。
そしてリューアはエルフである。正しくは人間とエルフの混血であるのだが、普通は耳の尖りでエルフだと判断される。
「? なんだよ、すっきりしない」
一人納得したような、していないような態のリューアに、少年はやや不満げに鼻を鳴らす。リューアはそんな少年にさらに言葉を重ねる。
「私はエルフに見えるのに、あなたは嫌悪しないの?」
「何で?」
「…何で、って……」
てっきりリューアがエルフであるから襲い掛かってきたと思っていたが、どうやら違うらしい。確かに先ほどの死体は人間だったと、リューアは思い出す。
大多数の者は異種族に対し、総じて排他的なものだ。蔑視とまではいかないものの、多かれ少なかれ気にするし、溝は存在する。
だからリューアは右手足を失ったのであるし。
「あなたは人間だと思うんだけど、私に対してなんとも思わないの?」
「いんや全っ然?」
殺せればそれでいいし、と少年は身も蓋もなく言う。
「私が混血でも……?」
混血は両方の血筋から良く思われない。互いに自らの血を穢されたと感じるらしい。本当に迷惑なことだが、どちらにせよ混血は偏見と差別にさらされる。
「あー俺そういうのどうでもいーから」
もう一回言うけど殺せればそれでいいの、と少年は繰り返す。
エルフだろうと人間だろうと、その中間だろうと、自分には関係ないのだと。
リューアが始めて知る、少年の個性的過ぎる独特な価値観に、リューアは知らずの内に微笑んでいた。
「……そう。だったら、あなたは、いい人ね」
一言一言噛み締めるようにつむがれたリューアの言葉に、少年は目を見開いた。
「な…に言ってんの? お前……」
理解出来なかった。
だって、こいつは。
俺に殺されそうになってるのをきちんと理解して、そんな事を言っているのか。
今までそれなりの数を容赦なく殺してきた少年だった。悪魔、死神、化け物と罵られたことも数知れず。狂っているのかと言われても否定してこなかったし、自分でもなんとなくそうだと思っていた。少年にとって他人の命など、種族関係なくどうでも良かった。
もしかして自分は今、何気に狂って射るとんでもないやつと退治しているんじゃないだろうか。自分の事は棚に上げてそう思った。
信じらんねぇと少年は呟き、少女の微笑を目にした。
吹っ飛ばされ、かろうじて体を起こした体勢で座り込んだまま、笑みを浮かべている少女に、少年はさっきとはまた違う胸騒ぎを感じる。
喚起と悲哀、諦念と期待、相反する感情が複雑に絡み合った微笑。なぜそんな顔で笑えるのだろうと、少年は絶句する。
「ねぇ、殺さないでくれる?」
「…え。嫌だ」
少女の命乞いに少年は我に返りながら即答し、つーか凍り溶かして剣返せとリューアに近づいていく。
魔法で攻撃されるかもしれないというのに丸腰のまま、リューアに向かって歩いていった。そして目の前にたち、氷漬けの剣を指差した。
「これ溶かせ。んで斬らせろ」
「やだって」
「俺の愛剣なんだよ」
「だから殺さないでほしいって」
「無理」
「じゃあ絶っっっ対に、溶かさないから!むしろ壊してやるんだから」
「やってみろ殺すぞ」
「んべー剣無いじゃん、怖くないよー」
「うっわーこいつ超むかつく」
ああもうさっさと殺したい。いっそ斬り殺すのは諦めて、絞め殺してしまおうか。
リューアの細く白い首を、少年のごつい革手袋をはめた大きな手が掴んだ。魔法で反撃してしまえばすぐにカタはつくのに、リューアは大人しくじっとしたまま動かない。そして少年も、その手に思いっきり力を込めてしまえば全てが終わるというのに、半ばそえるようにして力を抜いたままだ。
「…死にたくないんなら、その理由を言ってみろ」
長い沈黙を破った少年の言葉。
空気が、変わろうとしていた。
ちょっと中二っぽいですかね……?