生け贄の咆哮
聞き馴染んだ声が、耳を震わせる。
「大丈夫なのシェール!?
何処か怪我したり、不愉快な思いさせられたりしていない?」
もう…二度と会えないかもしれないとまで考えていた彼女に会えた驚きと、まくし立てるあまりの迫力に、口を開くことが出来なかった。とりあえず、「何処も怪我なんてしていないわ」「不愉快な思いどころか、とてもよくして頂いているのよ」と言うことを、興奮している彼女に何とか分かってもらおうと言葉を重ねた。
「御二方とも、とても優しいのよ?」
「いきなり生け贄として連れ去った奴らの、何処が優しいっていうのよっ!」
しかし、思い込んだら周りが見えなくなる性格の彼女は、なかなか私の言葉を聞こうとしてくれない。それどころか、エイネム様もジェド様もいるというのに「巫女姫だなんて言って、体よく利用されているだけかもしれないじゃない!」と、彼女はヒステリックに叫び声を上げた。
ここまで言われたら何か言ってもいい筈なのに、エイネム様は私の傍に寄り添っているだけで何も言おうとはしない。ジェド様も、少し困ったような表情をしているだけで、弁解をしようとは考えていないようだ。
「どうしてっ…エイネム様も、ジェド様も何も言い返さないのですか!」
「私の言ったことが図星だから、何も言い返せないんじゃないの?」
ふんっとランツェは二人を小馬鹿にするように笑った。彼らが私を利用目的で傍に置いているわけではない事なんて、これまでの接し方で痛いほどわかっている。
何も言い返さない彼らに、私は苛立ちを抑えられなかった。
確かに私は巫女姫としてこの前、公の場で紹介されることになった。
けれどそれは、大衆の目に守られる事で私が『神(エイネム)』に一番近い存在と言う事で、悪意ある人間から利用されないようにするためだ。
本当は、ジェド様の立場を考えれば少しでも利用したいと考えるのは、当たり前のはずだ。なにせ王位を継承したばかりのこの方は、他国から甘く見られやすい。
それにもかかわらず、エイネム様のみならず私にまで気遣ってくれている。
その証拠に、エイネム様が私を公の場で紹介したいと言い出したとき、ジェド様は難色を示されたのだ。私が自分の容姿…ようするにこれまで迫害されてきた『銀色の髪』を、大衆の目にさらすのは苦痛だろうと気にしてくれた。
もちろん、何らかの考えあってのことかもしれないが、私はその言葉だけで充分だと感じるほどに嬉しかった。
「それも、私を思ってしてくれたことなの」
エイネム様はエイネム様で、私の髪色を不吉なものとするのではなく、神と同色をもつ選ばれた存在とする事で、これまでの印象を一変させたいという考えあってのことだと言っていた。
実際に、果たして彼らが私の為だけを思ってそういうことを言ってくれていたのかどうかは分からない。…ただ、彼らが私のことを大切にしてくれているのは紛れもない真実なのだ。式の間中離れることなく寄り添ってくれたエイネム様も。
自分だって緊張しているだろうに、ずっと下らないことを言っては笑わせてくれたジェド様も。私にとっては、それだけで充分だと感じるほどに愛おしく感じると共に、嬉しかった。
「―――シェール、貴女は騙されているのよ」
「憶測だけでひどいことを言わないで!」
「優しくしてくれるのだって、何か狙いがあってのことかもしれないじゃない。
冷静に考えて……、一緒に帰りましょう?」
「ランツェっ!」
私は悲鳴のような金切り声をあげて、彼女をとがめた。
彼らを頭ごなしに否定するランツェが許せなかった。
彼女自身、いきなり生け贄に選ばれた私の事を心配してくれたであろう事は、泣きそうな表情をしている事からも痛い程に分かる。今考えてみれば、彼女が街で暮らしている親戚の店に手伝いに行っている間に、生け贄としてここに来てしまったのだから、彼女が心配してくれていたであろうことは簡単に分かる。―――けれど此処での生活は、私にとってあまりに穏やかで幸せすぎた。
「心配かけてごめんなさい…でも、ランツェと一緒には帰れない」
「シェール……」
悲しそうな表情の彼女を見ていられなくて、ふっと視線を逸らした。
ヘタをすると、両親が生きていた時でさえここまでほっとする瞬間はなかったかもしれない。人に怯え、人の目を避け…出来る限り息を殺して生きてきた。
そんな時間を与えてくれたエイネム様に対しても、生活を支えてくれているジェド様に対しても感謝してもしきれない。
「お願い分かって…私は此処にいたいの」
「駄目よっ!こんな人が容易く出入りできない場所に閉じ込められて、どんな風に利用されるかわかったものじゃないわっ」
「ランツェ…私は此処にいることが出来て幸せなの。
あそこに戻るつもりはないわ」
周囲を気にせず生きられる自由…人の近くを通るたびに、ビクビクと怯えないでもいいという安心感に、私はすっかり慣れ切ってしまったのだ。
だから私の身を案じてくれている彼女には悪いけれど、『元の生活に戻れ』と言われても私には出来そうにない。
「私の幸せはここにあるけれど、それに貴女を巻き込む気はないわ。
ランツェはジェド様と一緒に村へ戻って…どうか幸せに」
「シェールと一緒じゃなければ戻らないわっ。
こんなやつらに、大切な友達を任せておけない!」
「いい加減にしてっ」
どうにか気持ちを分かってもらおうと説明を重ねるが、彼女は私の言い分を聞く事もなく言葉を続ける。どれだけ言葉を尽くしても伝わらない苛立ちと、私に幸せな日々をくれた方たちを否定された悔しさから涙がこみ上げる。
―――泣くなっ、今はここで泣くべきではない!
自分に言い聞かせるが視界が霞むのを止められなくて、ぎゅっと手を握りしめた。
「……おい小娘。
我らの事は何とでも言えばいいが、シェールを泣かすのなら容赦せぬぞ」
ランツェが現れて以来、初めてエイネム様が言葉を発した。
こんなときまで、私を優先してくれるのだから彼には敵わない。エイネム様はこれまで以上に体を寄せて、私を包み込むように、体へ尾を巻きつけてきた。
彼らが痛いくらいに心配してくれている気持ちは伝わってくるのに、答える言葉をもたない自分が歯がゆい。
ジェド様も言葉こそ発していないが、気遣わしげにこちらを窺っている。エイネム様は感情が高ぶったせいで、私の瞳が潤いを増したのにいち早く気づいたようだ。
若干過保護にも感じる言葉だが、今の私には彼の言葉が嬉しかった。
これで、ランツェという『迎えが来たのだから、地上に帰れ』などと言われてしまったら、しばらく落ち込んでしまいそうだ。
まぁ、私には彼のそばを離れるつもりはないから何としても此処に残ろうとは考えているが―――。それでも、エイネム様に必要とされているのと単なる同情では随分異なる。
私は不安を押し隠すように、そっと彼の首元に顔を埋め、柔らかな毛の感触を味わった。