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花冠


医者から出歩く了承をもらって数日後、綺麗な場所があると、エイネム様に連れられ地上へやってきた。

案内されたのは黄色い野花が一面咲き誇る場所で、こういうのを花畑と呼ぶのかと感心した。平らな場所にこんなにも花が咲き誇る光景なんて、初めて見て恐れすら抱いてしまう。


生まれ故郷からもジェド様たちがいる王宮からも程遠い此処では、人目を気にせずぼぉっと眺めることが出来る。こんな時間を持てるなんて、少し前の自分だったら思いもしなかった。私を見た目で迫害し、両親を苦しめた地。そんな意識が強いから、エイネム様がそんな場所を守るために自らを危険にさらしているというのが、我慢ならなかったのではないかと冷静になった今なら思う。


穏やかなそよ風が草花を揺らし、ぽかぽかとした日差しから逃れるために木陰にたたずむ。……どうしても、綺麗な花畑に足を進めることはできなかった。


「シェールは、花が好きか?」


突然横から話しかけられて、逡巡したのち結局ごまかすことにした。

あまりに注がれるまなざしはまっすぐで、どうして私より長く生きているはずの彼が、ここまできれいな心を持ち続けることが出来たのだろうと疑問にすら思う。


「……エイネムは、花が嫌い?」


問いに問いで返すなんて、普通怒られてもしょうがないことだ。

それでも怒らず許してくれる彼は、懐が広くて素敵な存在だと思うのだけれど、ジェド様に言わせると「それは、シェール姫に対してだけですからね!」ということらしい。私がよそごとに心を向けているのに気付いているのかいないのか、彼は気にすることなく取り留めのない会話にも審議に向き合ってくれる。


「ん?花を綺麗だと思う心はあるが、特別好き嫌いを考えたことはなかったな……」


私からすれば、この花はたくさん集めると植物油を採取することが出来るから、ついついお金儲けに心が向いてしまう。大量に集めてもさほど油は採取できないから、この作業を進んでする人は少なくて、変わった髪色だと差別されてきた私ができた数少ない仕事の一つだ。


確かにエイネム様同様、私もこの花畑を綺麗だと思う。

……それでも、死を間近に感じながら日々生きてきた感覚は早々無くなるものではなく、食べられる草花を見れば唾液がたまるし、売れそうなものがあると手が伸びる。彼のお気に入りの場所だというところで、そんなことしか考えられない自分が情けなかった。「花は好きか」と聞かれたときに思ったのは、どんな味の花のことを言っているのだろう?という事だった。


そんな私に返った彼の言葉は、思った以上に心を軽くした。


「あら。ご自分で聞いたのに、エイネムはそれほど花を好きでないのですね」


「いや、シェールは屋敷の花を見ていても楽しそうだから、喜ぶかと思ってな」


「ふふっ。確かに子どもの頃は、母と花冠を作ったことがあります」


「はな、冠……。冠に植物を付けるのか?」


「いいえ、作って見せましょうか」


不思議そうに首をかしげるエイネムが可愛くて、少しでも彼の好奇心を満たせるならばと、足を進めた。

ここに来た当初は「絶対に花を荒らしたくない」と考えていたけれど、母との時間を思い出して考えを改めた。


「少し花を摘ませてもらうくらいなら、いいですかね……?」


「花はシェールが思っている以上に強いから、たとえ摘んでもまた生えてくる。何より、この黄色い可憐な花を君の髪へ飾ったら、より素敵に見える気がする」


恐る恐る一輪の花へ手を伸ばす私へ、エイネム様は何てことない様に会話を続ける。

昔は、綺麗な花を根こそぎ摘んでしまって罪の意識を感じたこともあったけれど、こんな風にエイネム様に言われると気持ちが楽になる。


「ほかでもないエイネムが言うのだから、きっと大丈夫なのでしょうね」


「シェールは、花が無くならないかと心配だったのか?自然は人間よりはるかに力強いから、早々なことがない限り大丈夫だぞ」


「えぇ、貴方が言うのなら信じます」


「ああ、そうしてくれ。花冠というものがどういうものなのか、我も見てみたい」


涼しい風が吹き抜けて、花を揺らす。

エイネム様も風を浴びて気持ち様さそうに目を細め、風の音を聞いているかのように耳を動かした。

ふわふわ揺れる彼の毛が手触り最高なことも、嬉しそうに振られるしっぽがちょっと体をかすめただけでも幸せになれることを知っている。

……でも、こんな事を言ったらエイネム様に失礼だし、何より「飼い犬扱いするな」なんて触らせてくれなくなったら大変だ。彼は私がブラッシングすることは喜ぶのに、犬扱いされるのは嫌だと言って譲らないのだ。

しゃがみこんで、花冠にするにはどれがいいかと、真剣に吟味する。エイネム様の頭に乗せるくらいだから、少しでも状態がいいものを選びたかった。もくもくと花を探す私に、声がかかる。


「しぇーる」


「はい」


「シェール」


「…………」


『目を見てみれば、相手のことが分かる』なんて言う人がいたけれど、はたしてそれは共に過ごす時間が『そう』させるのか、はたまた相手を想う心が『それ』を可能にさせるのか。


どちらにしても、私にはとても魅力的なことに思える。

今、エイネム様の瞳に映っているのは、私を気遣ったり好意的な気持ちだったりする、プラスの感情だけだ。


ランツェとはまた異なるそのまなざしは、私を落ち着かない気持ちにさせる。

……けれど、こんなに大切にされて、何とも思わない訳がなかった。


「シェールは少し、頑張りすぎだ。もっと我や……ジェド、小娘に頼ったっていいんだぞ?」


「そんな、いつも頼りすぎていないかとドキドキしているわ」


珍しい言葉に驚くと同時に、その気遣いが嬉しかった。

これまでのエイネム様であれば、自分以外を頼れなんてこと口にしたりしなかったであろう。ジェド様のお母様がどんな魔術を使ったかわからないけれど、あの御方がいらしてから、エイネム様はこれまで以上に優しく頼もしくなった。


私だけではなく、わずかにジェド様やランツェに対してのあたりも柔らかくなったし、こちらが少し嫉妬してしまう位に彼は変わった。……私が何度言っても、変わらなかったのに。なんて恨み言を言ったら、申し訳ない程に神々しくなってしまったエイネム様はこれまで以上に眩しい存在になった。


「我は、今後も今回のような自然災害があれば、きっと駆けつけずにはいられないだろう」


「…………」


その宣言は、確固たる意志を持っていて絶対に揺るぐことはないのだと念を押されたようだった。

先ほどとは真逆を行くような、突き放す言葉に手が震える。固く握りしめた両手は、自分が臆病で、彼の近くにいるに値しない人間だと証明しているようで辛くなる。集めていた花も、気付けばすべて膝の上に散っていた。


「―――でも、それでもシェールの傍に居たいんだ」


ただぽつりと口にされた言葉が、何よりうれしくて心が震えた。

私は何時も、彼を始めとする、好きな人たちの傍にいる理由を探していた。本当は私なんて価値のない人間で、エイネム様がたまたま見初めてくれただけに過ぎない。いつか自分に価値のないことがバレて、捨てられたり拒絶されたりしてしまうのではないかと、恐ろしくてたまらなかった。


私の我がままなんかで、他の人を助けに行こうとする彼を引き留めていいわけがない。

そうわかっているのに、手を伸ばさずにはいられない自分がたまらなく嫌だった。


「シェールを悲しめてしまうかもしれないし、もしかしたらまた泣かせてしまう事すらあるかもしれない」


「いや、です。また、あんな苦しい気持ちを、味わうなんて」


「すまない」


「いつ帰ってくるのか……そもそも。帰ってくるのかすら分からなくて、ずっと不安で」


「申し訳ない」


「本当に、悪いと思って……いるのなら」


置いて、行かないでほしい。

そんな言葉が口からこぼれそうで、唇をかみしめた。きっと目の前で苦しんでいる人がいたら、何とか助けてくれとエイネム様に願うくせに。見えない誰かのために立ち去る彼のことは引き止めたいなんて、どれだけ自分勝手なのかと呆れてしまう。こんな偽善的な私でも許されているのは、ただ彼が優しいだけなのだと、ここ何日かで痛いほどわかった。


「それでも我は、シェールと居たい」


「っエイネム!」


私の考えなんて、お見通しというような答えに、思わずふわふわの体に抱きついた。


「シェール……シェールお願いだから、本心を言ってくれ」


「そんな、我がまま、な……ことなんて、」


「いいんだシェール、言ってくれ。我は君に必要とされているのだと、君の言葉で実感させてくれ」


慰めるかのように尻尾が体に触れて、うずうず気持ちがくすぐられるのを感じる。

温かい体や、ふわふわの毛並にずっと触れていると、子どものようにするすると言葉が出てきそうになる。


「え、いねむに、怪我してほしくない」


「嗚呼」


「危ない所にも、近づいてほしくないっ」


「そうか」


「ずっと、傍にいて欲しい!」


「そうだな」


全く否定しようとしないエイネム様に、どうすればいいのか分からなくなる。

もしかしたら、しっかり話を聞いていないのではないかと、不安になってエイネム様の顔を窺う。顔を上げてみると、そこにはどこか嬉しそうな……それでいて、困ったように眉を下げるという、器用な表情をした彼がいた


「エイネム様?」


どうしてこの状況で、そんな顔をしているのか理解できない。


「すまない、シェールが珍しく本音を言っているのが、嬉しくてっ」


ふりふりと振られる尻尾が、その言葉は彼の本音なのだと何より証明している気がする。

穏やかな陽気だというのに、急に現実に立ち戻った気がして半目になる。


「エイネム様、本気で私はいかないでほしいと思っているんですよ?」


「嗚呼、それが嬉しくてしょうがない」


「ほんっとうの、本当に、エイネム様のことが心配で、待っているといつも不安でしょうがないしっ」


「うん、心配してくれてありがとう」


「私はっ、貴方に死んでほしくないっ!」


叫ぶように、一番の願いを口にした。

ずっと守ってくれたお父さんもお母さんも、死んでしまった。

優しくしてくれたランツェにも、何時までも頼りきりではいけないのだと気付かされた時、嗚呼私が心から甘えていい人はいなくなってしまったのだと実感した。


勿論、ランツェは大切な友達だし、ジェド様にも優しくして頂いている。

……それでも、エイネム様ほどまっすぐに求め、気のすむまま甘えさせてくれる存在は他にいないのだ。


「エイネム様っ、お願いだから、貴方まで、私を置いていかないで!」


どんなに嘆いても、過去は変えられない事なんて痛いほどわかっている。

一度は全てを諦めかけた私だけれど、彼まで失いたくはない。どうして、こんなにも自分の事しか考えられないのだろうと、辛くなるけれどこれが彼のききたがった本音だ。エイネム様が動かなければ困る人が沢山いるというのに、どうしてみんな私の大切な人ばかり奪いたがるのだろうと、恨む気持ちもある。


行かないでほしいと、背中に縋り付きそうになったのは何も一度や二度ではない。

ランツェなんかは、エイネム様が私に張り付いてばかりだと笑うけれど、それに救われる私もいる。この珍しい髪色を、気にしないどころか綺麗だとさえ言ってくれる。こんな存在、他に居はしなかった。


「置いてなどいかないさ」


あまりにかけられた言葉が優しすぎて、いっそ不安になる。

こんなにわがままなことを口にしておいてなんだが、本当にエイネム様がまったく人々を助けてくれなくなったら、それはそれで困ってしまいそうだ。


「……で、でもみんなが困っている時に、私だけ幸せになるわけには、」


「他の人間なんて関係ない。こんなに苦しんで頑張っているシェールが、幸せになってはいけない理由なんてあるわけないだろう?我は我の寿命とやらを知らないが、シェールと一緒に幸せになるためなら、惜しみなくそれを使おうと決めているぞ」


「一緒に……」


「シェールはよく謙遜するが、君はとんでもなく素晴らしく価値ある女性だよ。他の誰かには代えられない。だから、自分の幸せを一番に考えてくれ。いくら我が知恵を絞っても、シェール自身を幸せにできるのは貴女の考え方ひとつなのだから」


「考え方?」


「何かを食べて美味しくて幸せ。ぐっすり眠ることが出来て幸せ。何でもいいんだ。シェールを幸せにできる要因は、すべて与えてあげたい。ましてや我が傍にいることで幸せが増えるというのなら、これ以上嬉しいことはない」


「…………」


「だから、美味しいものを食べたり快適な寝床を使ったりするたびに、罪悪感など覚えず素直に笑ってくれ。例え我が死んだとしても、シェールがそういったことを楽しめなければ辛くて心配でたまらなくなる」


エイネム様との会話はところどころちぐはぐだったけれど、彼が伝えようとしてくれた気持ちは確かに受け取ることが出来た。きっと彼は、私が良心に対して少なからず負い目に感じていることを知っていたのだろう。髪色や瞳の色で迫害されていた私。もしも私がもっと違う姿で生まれていたら、あんなに貧しく辛い思いをさせることはなかったんじゃないかと今も時々考える。



エイネム様は、私自身も気づいていなかった呪縛から、必死に開放しようとしてくれていた。

道徳や倫理に反することは別として、誰かが苦しんでいるからと言って自分が幸せになってはいけない訳がない。


「ほんとうに、私はエイネム様が……大好きです」


自分一人では、気付けなかった。

エイネム様と一緒にいると、沢山心配するし泣いてしまう事もあるけれど、一緒に居られる幸福感は手放したくない。私は、彼の傍で至上の喜びを手に入れた。



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