番外編 昔馴染みの神官長
もうそろそろ、完結というところで失礼します。
あれは、我がまだ人間共の本質を理解できておらず、戸惑うがまま崇められ始めたころの事だった。
本当に、今思い返してみても苦々しい気持ちでいっぱいになる。
どうして我は、あの時にそんな堅苦しい人間のしきたりだか信仰だかに、翻弄される道を選んでしまったのか。
「―――すべては、一人の口の上手い神官のせいだ」
我の言葉を聞いて、シェールは神秘的な銀色の髪からのぞく大きな瞳を、まんまるにして驚いていた。
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あやつに初めて会ったのは、まだまだ神官として見習いと言ってもいい頃だった。
我の方は、翻弄されるまま人間共と交流することになってしまい、辟易していた。
『不可解。我、関係なし……』
「もう、いい加減諦めてくださいませんか?エイネム様」
『我、不快也』
「いや、神が関係ないって言っているとか、どうやって信者たちに報告しろって言うんですか。第一、そんな言葉を伝えたら、私に何か不手際があったように思われるじゃないですか」
『我、関係なし』
「あー。どうして私は、こんな損な役回りばかり、任せられちゃうんでしょうね」
『我、帰還を望む』
「何故だろう……最初よりずいぶん意思の疎通は楽なはずなのに、どうしようもなく腹立たしい」
『我、責任皆無成』
丁寧な口調であるにも関わらず、なかなかに言いたい放題なあの男は、今思い返せば面白いやつだった。欲に溺れる者や、畏怖からひれ伏す者が多い中、「貴方様の行いや、思想に尊さを感じたので、望まれずとも誠心誠意仕えさせていただきますよ」なんて、ある日ふらりと目の前に現れた。
正式に言葉を教わったのはジェドからだったが、一番始めに取っ掛かりを作ったのはあの神官だった。当時は、念話がもたらす負担などを考慮していなかったし、少人数としか意思の疎通を図れないのは、ある意味好都合だった。
さまざまな人間に入れ代わり立ち代わり挨拶されるのは煩わしかったし、他者を出し抜こうとする企みもこりごりだった。比較的、信仰深かった当時ですらそうだったのだから、ジェドが来るまでの神官共が自身の利益を優先していても何ら驚きを覚えなかった。
ある日、その知らせは唐突に訪れた。
『―――奴、死するか』
動植物の一生は短く、好き勝手にふるまっている人間共でさえ左程の変わりはない、
だが、ちょくちょく関わってきた者の死を目の当たりにしたのは初めてで、多少の虚無感に苛まれた。
『会話量、増やせば……』
もっと、奴の言葉を聞いてやればよかったかなと、切なさが襲う。
思わず口をついて出た言葉に、目頭を押さえる新しい神官長が印象的だった。その神官長の男は、もとは戦争孤児だったとかで、「あの御方ほど、尊く清廉潔白な神官は知りません」なんて言っていて驚いたのを覚えている。
我の前にいるあいつは、いつも飄々としていて、盲目的なまなざしなんて一度も向けられたことはなかった。そのくせ、こちらが気まぐれに災害などを防ぐとすぐに現場にやってきて、一緒に復旧作業をしているような、変わった人間だった。……後でわかったことだが、アレが出来たのは我が居ようといなかろうが、災害が起こりそうだと分かった途端に、少しでも被害者を助けようと行動していたからだという。そうでなければ、用が済めば即刻立ち去る我と、会えるわけがないのだ。
それだけのことが出来るだなんて、数百年と続く歴史の中でもあいつだけなのだと聞けば、もう少し認めてやればよかったかという気にもなってくる。
こんな時は、決まってあいつとの会話を思い出すのだ。
「貴方様は特別、人間のために何かしようなどと考えなくてもよろしいですよ。ただ、我々が勝手に敬い、憧れ、心の支えにしているだけです」
『結局、危機的状況には、みな求める』
「そこはほら、愚かな人間の悲しいさがとでも言いましょうか。よりどころを見つけると、助けを乞わずにはいられないのですよ」
『なら、お前が瀕死時も、我は動かずとも?』
さて、我の問いにどんなふうに返すのかと、男の顔を注視する。
きっと、目に見えて焦ったり、前言を撤回してくるだろうと考えていた。それなのに、あの男の瞳は穏やかに微笑むだけだった。
「いざとなれば、私とて人間。何をするやらわかりません。たとえ自分の事でなくとも、人々の助けを求める声が大きくなれば、きっと私は貴方様にその声を届けに参上してしまうでしょう」
『所詮、偽善なり』
「でも、少しでも貴方様を煩わせないように日夜考えますし、こちらでどうにか出来ることまで頼ったりしないようにしますので、どうか勘弁してください」
あいつはその言葉のとおり、時々政治や周囲の者に対する愚痴を言うことはあれども、特別なにかを望んだことは数えるほどしかなかった。それも、己にはあまりに手におえない自然災害に関することのみだったため、人間とかかわる煩わしさしか知らなかった我には、面白く思えた。
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わずかに伏せていた目を、ゆっくりとシェールに合わせていく。
彼女にこのような話をして、神官長に関するあこがれのようなものを崩してしまうのではと危惧していたのだが、その表情に異変はなかったので安心した。
「それで、あのペテン師まがいの神官長にこき使われて、結局今はこのような状況に落ち着いている」
「……そんな事が、あったんですね」
「嗚呼、こんな面倒な立場に立たされて良かったことと言えば、雨風をしのげる場所をいちいち探さないでよくなったことと、人間共へむやみやたらに追い掛け回されなくなったこと。そして何より、シェールに逢えたことだな」
「エイネム……」
「ちょっと、どさくさに紛れて、なぁに姫を口説こうとしてるんですか」
「ジェド煩い」
久しぶりに、水を浴びたそうだったジェドに冷えた水を頭からお見舞いしてやる。
最近はうるさい小娘を黙らせたりと、その働きを評価していたというのに。どうも、やかましい連中が多くていただけない。
「……いつかは、ジェドすら足を踏み入れさせないような場所に、住処をつくるのもいいかもしれないな」
「ちょっ、こんだけ尽くしている俺を、邪魔者呼ばわりですか!」
「ジェド様、私たちはエイネム様にしてみれば、新婚家庭に踏み込んできた厄介者ぐらいの感覚でしかないと思いますから、諦めましょう」
「ランツェは、そんな所で物分かり良くならないでくれっ」
「ジェドうるさい」
「理不尽っ!」
何だかんだと煩いこいつらだが、シェールが楽しそうに笑っているからまぁ良いかと、一つ笑いをもらしたのだった。