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思い出話


じわじわと自らをむしばむ寒気に、思わず体を震わせる。


……シェールは、大丈夫だろうか?


今、無性に寝込んでしまった彼女の顔を見たくてしょうがない。もう、何日もまともに彼女に逢っていないような、焦燥感に駆られる。元々彼女のそばを離れる気はなかったというのに、「皇太后様はわざわざお見舞いに来て下さったのに、この屋敷の主がお相手しないでどうするんですか!」なんて煩い小娘に部屋を追い出されて今に至るのだ。我は心底嫌だったというのに「皇太后様をないがしろにしたとあっては、シェールに幻滅されますよ」などと言われてしまえば、これ以上粘るのは得策ではないと彼女の部屋からすら離れた屋上にいる。



決して「あんたがついていたところで症状がよくなる訳じゃない!」なんて罵られ、犬の子のように首根っこを摑まえたまま、ずるずる引っ張られたからなんかではない。


「―――少しは、御役に立てましたでしょうか?」


返事を確信したような表情にも、反論する気は起きず黙ってうなずく。他のものでは素直に聞けなかったであろう言葉も、不思議と素直に心へ落ちた。


「嗚呼、感謝する」


「まぁ、もったいないお言葉ですわ。エイネム様には、愚息ともどもお世話になっておりますから、気になっておりましたの」


思わぬ話を振られ、目を見開く。

何だかこの女には、驚かされてばかりで疲れてきた。長く生きていて、こうも嫌な動悸に悩まされることなどめったにないから、対処のしようがない。そんなこちらの戸惑いを知ってか知らずか、ジェドの母親はにこやかなまま話し続ける。


「どうも、いつまでも『借り』を作ったままというのは性分に合いませんで、少しでもお返しできてよかったですわ」


「―――『借り』などとおまえは言うが、ジェドはなかなかいい手駒として動いているぞ」


あまりにその表現が気にかかり、つい言葉をつづけたのは無意識のことだった。

我の言葉を受けて、静かで淑女然としていた様子が、瞬く間に華やかな笑い顔になる。


「あら。ではわたくし個人の恩を返せば、返済完了ですかね」


くすくすと笑う女に、謎をかけられている気がする。

自らのほうがはるかに長く存在しているというのに、まるで自分が若造にでもなった気分で面白くない。先の言葉が何のことをさしているのか、甚だ疑問だ。本当に、今日はよく味わったことのない感覚を覚える日だ。ぶつぶつと文句を口にするこちらを気遣うふりも見せず、女は言葉を重ねる。


「―――だって、エイネム様はジェドを宿した私を、助けてくれましたでしょう?」


「………」


思わず黙り込んだのを是と受け取ったのか、女は無言で笑みを深める。

ふかい慈愛に満ちたその瞳からは、好意的なものしか見当たらずそわそわと落ち着かない気持ちになる。意味もなく、狭くはない部屋の四方へ目を動かす。まさか、あの時のことを覚えているとは思わなかった。

無意識なのか、女の腹部へ重ねられた手をまじまじ見つめる。


「私が盗賊へ執拗に腹部を狙って襲われていたとき、助けて頂きましたでしょう?そのおかげで、ここまでやってこられたのだと思います」


「覚えていたのか」


確かあれは、この女が受胎を知らされたばかりのことだった。

ただでさえ最悪な人間が相手なのだ。不安や恐怖は想像を絶するものだったのだろう。フラフラの状態で、人間に興味のなかった我でさえ、心配になる足取りで庭を歩いていた。王宮では、大して望まれてもいない庶民の娘が子をはらんだところで歓迎されるわけもなく。周囲からもぞんざいな扱いを受ける中で、疲れていたのだろう。思わず注視した我の目には、女を狙った小汚い男が迫っていた。



どんなに庶民だなんだと言っても、一応は国王の子を宿しているとあって王妃は面白くなかったのか。盗賊を雇って城へ侵入させ、女を亡き者にしようと企んだのだ。王妃の振る舞いにも呆れたが、さらに言えば、そんなことを許すほど護衛が手薄なことには怒りすら覚えた。

思わず気絶した女を助けてしまったのは、決して慈悲の心からだけではない。


「……別に、大したことはしていないがな」


女から向けられる瞳は落ち着かない気持ちになるため、ふいっと視線をそらす。


勝手にこの女の生活をめちゃくちゃにしたくせに、当時の王は都合のいい時だけ現れて好き勝手にふるまい碌に対処しようとしなかった。命を狙われてもおかしくないことは、庶民の子にでも想像できるだろうに……なんという非人道的な振る舞いだろうかと、昔に会った神官長を思い出して苛立った。神官長であったあの男は慈悲の心の何たるかを語っていたくせに、たった数百年経過しただけでこの体たらくだ。


―――もっとも、そんな気遣いのできる人間ならば、相手のいる女にあんな無体働かないだろうが。それなら、国とは距離のある現在の神官長は何か行動を起こさないのかと様子を見てみれば、金勘定に忙しいらしく、ろくに信者へすら気を回していない状況だ。本当は神官長にでも忠告してやればいいかと思ったが、これは公にしなければ動きそうもないと、新たに生まれくる王族の子を大切に育てるようにと、進言していたのだ。




まさかそれが、大人になってあんなに口も頭もよく回る男になってしょっちゅう訪れるようになるとは思わなかったが、なかなかどうして気分は良い。面倒事をこらえただけの甲斐はあった。


「数十年後に、こんなに役に立ってくれるようになるとは思わなかった」


思わずつぶやいた言葉に、嘘はない。

シェールを自らの元へ招いてジェドを初めて見たときは、まだ当時の子どもだなんて認識していなかった。我にとってあれはこの世にすら生まれ落ちていない生命で、どこか狡猾ともいえるまなざしでこちらを見てくる男になっているとは想像もしていない。


我を軽んじているわけでも、敬服しているわけでもない振る舞いは、過去に接した神官長を思い起こされた。あの男もなかなか良い性格をしていたから、時代が時代なら国の一つや二つ掌握していたことだろう。ジェド同様、本人が望むにしろ望まないにしろ、なんだかんだで人の好いあの男は、自分を頼りにする人間を無下にはできない性質だった。


「あの時の選択は、間違いではなかったのだな」


自分の見る目があることに、内心笑みをこぼす。

あの神官長が気づけば儚くなっていた時のように、きっとジェドが突然命を落としたら我は惜しむことだろう。シェールが泣くし、色々やりにくくもなる。女と言葉を交わしたことで、自らの判断が正しかったことを改めて確認できた。


「人間を助けて全く後悔しないというのは、我にとっても珍しくも喜ばしいことだ」


シェールのことは心配だが、少しだけ気分がよくなって尾を軽く揺らす。

何時も人間に手出しをするとろくなことがない。やれ奇跡だなんだと騒ぎ立てられ、いざ欲深く次はあれだこれだと望む者の希望を叶えないと、途端に裏切りだなんだとがなり立てる。我には時を止めることなどできないし、『無から何かを作り出す』ということも出来ない。できて、どこかから物を運んでくるぐらいなのに、人間はいきなりそこに現れただけで不可能なことを成し遂げたのだと勘違いする。




よくよく思い出してみると、シェールもジェドも……あの小娘でさえも、我にその手の『奇跡』を願ったことはない。信仰心などあってないようなものだったシェールたちならまだしも、どっぷりとその手の教育を受けているはずのジェドの振る舞いに首をかしげたことも一度や二度ではない。……だが、この母親を見てようやく納得が出来た。


「―――良い、息子に育てたな」


半分はあの男の血だなんて思えないほどだと茶化せば、女も意図を察したらしい。

にやりと淑女らしからぬ笑いを浮かべた後、「良い王になったと褒められるより、光栄ですわ」なんてくすくす笑った。





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