国母
お時間を頂いてしまい、すみません。
一刻=二時間
ジェドの母親がシェールの部屋に入ってから、一刻ほど経過した。
医師と変わるように部屋へ入った時は、中からシェールの黄色い歓声が聞こえて思わず乗り込もうかと迷ったものだ。しかし、彼女が慣れない相手と二人っきりになるのを防ぐためのお目付け役とした小娘は、「あの様子だったら、二人にしても大丈夫でしょう」といって、早々に出てきてしまった。
「さぁ。始めは興奮していたシェールも落ち着いたようですし、私は皇太后様にお出しする、お茶を用意しなければ」
「茶などいいから、シェールを見守ってやれ!」
「あんなに嬉しそうなシェールの邪魔をする方が、野暮ってものですよ。エイネム様もそっとしておいてあげてください」
「うちの母なら、姫を傷つけることもないでしょうし大丈夫ですよ」
「……マザーコンプレックス」
「エイネム様、それを短くするとマザコンっていうんですよ?」
「マザコンか」
「ちょっと、ちょっと。二人して人の事をマザコン、マザコン失礼だなぁ!大体ランツェ、エイネム様に野暮だなんだといっても、理解できないのだから無意味だよ」
「まぁ、冗談はさておき。エイネム様、皇太后様にあこがれる国民は多く、シェールもそのうちの一人なんですよ?邪魔した方が恨まれるってものです」
「冗談で、人をマザコン扱い……」
「ジェドは、いい加減やかましいぞっ」
「なんたる理不尽!」
小娘とジェドがそろって止めるので我慢していたが、同じ空間にいられないことに苛立ちを隠せない。
いくら彼女にとって憧れの、人徳ある存在だからと言って、過去の差別されていた記憶が消えるわけではない。そんなこちらの心配をよそに、長くジェドの母親は部屋から出てくることがなかった。
がちゃりと扉を開く音がして、ジェドの母親が出てきたときには思わず飛びついた。
「盗み聞きなどしたら、シェールに一生口をきいてもらえませんよ!」なんて小娘が脅すから、彼女の部屋からはなれた廊下の隅で大人しく待っていた。
通りすがったジェドには、言葉なく呆れたまなざしを送られたが、その甲斐があった。
数秒と置かずジェドの母親に「彼女の様子はどうだっ。苦しんでいたりしないか?」などと問い詰めたところ、相手は目をまるまると丸めて答えようとしない。
『彼女は大丈夫なのかと、聞いている!』
声量には気を使っていたが、無意識ながら威圧してしまっていたのだろう。
偶々とおりすがった小娘に連れられ、我はジェドの母親と応接間まで引っ張られてきてしまった。早くシェールの様子をつかみたいというのに、小娘は彼女の元へ行ってしまうし、肝心のジェドの母親は「とりあえず、部屋の前でうろうろしていてはシェール様も落ち着かないでしょうし、場所を移しましょう?」なんて口を開こうとしない。
「すぐに、部屋を用意します!」
「……貴女はランツェと、言ったかしら?もし可能なら、応接間ではなくこの近くの部屋をお借りできないかしら?」
「分かりました!」
「おい、待てっ。我はここから動く気は、」
「シェール様のためですよ。エイネム様は、彼女をしっかり休ませて差し上げたいのでしょう?」
言葉を遮られたことよりも、シェールの事を我以上に考えているような口ぶりにイライラする。
何せ、それがあながち的外れでもないのだ。視界に納められないのなら、せめて彼女の近くにいたいという気持ちを抑えて廊下から移動する。
焦れてしょうがない我は落ち着くことなどできず、うろうろと部屋の中を歩きながらどうすれば聞きたいことを聞けるのかと、そればかり考えていた。ジェドたちが心配する様子もないことがなおのこと苛立たしく、自分だけが彼女を想っているような錯覚に駆られてしまう。こんなことでは、彼女を大切だと思っているのは我だけのようではないか。彼女を思ってこんな地まで乗り込んできたランツェまで落ち着き払っているのが、どうにも気に食わなくて歯を食いしばる。
「そのように心配なさらなくても、シェール様の様態は安定しているので大丈夫ですよ」
「っしかし!」
「脈は安定し、意識もはっきりしています。意思の疎通もきちんとはかれましたし、会話しにくい様子もありませんでした。―――彼女は大丈夫。まだ念のため横になっていますが、本人は動き回りたくてしょうがないようですよ?」
これまで言われてきた根拠のない「大丈夫」という言葉よりも、はるかに信頼できる言葉にようやく息を吐くことが出来た。
一番の専門家であるはずの医師は、我相手に委縮して要領を得ない。
小娘は彼女の世話をしようと必死になっていて、まともな説明など望めなかった。唯一残ったジェドの奴は、嵐後の被害を確認したり、今後必要な手配などをすることに忙しいらしく、まともに会話することすらできない。彼女に直接逢うことすらできない我にとって、初めてといって良い朗報だった。
―――本当は、分かっているのだ。
嵐がようやく去り、なんとか再建しようとしている時に医師を派遣してくれただけでも人間にしてみれば有難いことで、普通だったらありえないことだと。ジェドは方々から不満が出るのを承知で、「エイネム様の大切な、姫巫女様のためですから」などと言って、渋ることなく手配してくれた。我がここから離れようとしないことで、人間どもの中から生まれた不満を一つもこぼすことなく、あいつは処理に追われている。
「……いろいろと、すまない」
こうして、国母と崇められる自分の母親をここへ寄越すのだって、様々な反対を押し切った筈だ。自国の王のみならず、民から絶大な人気を誇る存在を人々が干渉できない地へ向かわせるなど、下手をすれば国が混乱しかねない。ジェドは最大限の誠意を示してくれているのに、ここのところ我は、傲さゆえにこの国を追い込んだ馬鹿な権力者と変わらない事をしているではないか。
「あやつらは何をしているのか」と呆れ眺めていたことも記憶に新しいというのに、この体たらくは何だと恥じ入るばかりで、シェールにあわす顔もない。落ち込み、地面へ顔を伏せる。
「それじゃあ、俺は一足さきに失礼させていただきます」
「―――分かった。世話になった」
「きっと、姫には時間が必要なだけです。焦らず待ってあげれば、大丈夫ですよ」
こちらへそっと語りかけるジェドに答えず、ひたすら沈黙を守る。
別室にいるというのに、一音すらシェールの動きを逃したくなくて、床に伏した状態ですら気配を探らずにはいられない。なんと女々しいことかと、我ながら呆れてしまう。ジェドが立ち去ってからも、奴の母親がマジマジとこちらを窺っているのがわかり、情けなさのあまり見てくれるなと腕で顔を隠した。
「……珍しくあの子が泣きついてきたかと思えば、こういう事でしたのね」
今まで黙っていたジェドの母親が、嫌に冷静な声でぽつりとつぶやく。
その言葉の真意は測りかねるが、もしもここにジェドの奴がいれば、間違いなく否定するだろうことを女は口にする。
さすが、あの魑魅魍魎のはびこる王宮で生き抜いてきただけのことはある。いくら人間に興味がないとはいえ、この女はなかなか下種な奴に巻き込まれて哀れだとは思っていたが、我が自ら手を下すまでもなくこやつは自分自身の力で道を切り開いていた。
もしかしたら、ジェドに手を貸そうと思ったのもこの女が母親だったからかもしれない。
―――我は、この女をシェールに出逢うはるか前から知っていた。