新たな刺客
シェールとまともな会話が出来ないまま、彼女が体調を崩したと知ったのは忌々しいことに、小娘が口にした言葉がきっかけだった。何時も彼女はどんなに疲れていても、太陽が真上にのぼる前には洗濯や掃除などを始めているのに、その日はいつまでたっても部屋から出る様子がなかった。さすがに、ジェドが顔を見せても出てこない事に不安を覚えて、とうとう疑問を口にした。
「シェールは……」
彼女を怒らせたことで、小娘に馬鹿にされ情報をもらえない恐れも考えた。
だが、どうあっても彼女の様子を知りたい。シェールはもう、悲しんでいないだろうか?それとも、我の顔を見たくないほど許せなく思っているのか。答えが出ない問いの答えを知っているだろう相手に、縋り付く気持ちで愛しい名を口にする。それなのに、考えてもいなかった言葉を聞いてぎょっとした。
「どうやら、ずっと気を張り詰めていたせいで体調を崩してしまったようです」
「何っ、だ、大丈夫なのか!すぐに医者を呼び、必要な物を取り寄せなければっ」
「すでにジェド様へお願いして手配してもらっています」
『どうしてそう言うことを、我へ一番に伝えないっ!』
どうして、彼女の不調に気づかなかったのかと、情けなく思う気持ちもそのままに声を荒げた。
いや、動揺しすぎて念話になっていたかもしれない。ジェドがやってきても顔を見せないなど、彼女の不調に気づく瞬間はいくらでもあっただろうに。シェールが腹を立てたからと言って、他者に八つ当たりするような性格でないことも、礼を欠くような娘でもないことも失念していた。
「わ、我にできることは……」
「この後すぐにジェド様が必要な物を用意してくれますので、その移動と医師をここへ宿泊させる許可を下さい」
「も、もちろんだ。他には!」
「何も。とりあえず、ゆっくり休ませることが大事ですから、静かにお願いします」
「そ……そんなことしか、我にはできないのか」
「不安なのはわかりますが、シェールはゆっくり眠りたいからと私ですら追い出してしまいました。様子はこまめに見るつもりでいますが、今は一人になりたいのでしょう。しばらく時間をあげましょう」
「しかし―――」
視線だけで黙らされ、不甲斐なさに二の句が継げなくなる。
言葉で批判されたわけではないのに、彼女が心を閉ざしたのはおまえのせいだと責められている気分になる。何か彼女のためにしてやりたいのに、すでに小娘とジェドがいろいろ動いているようだ。
こんな時、何をしてやればいいのか一つも思い浮かばない。
「嗚呼、間違っても秘境にしか生えていない薬草を取りに行ったりなさらないでくださいね?」
「うっ……」
「そんなことしたら、シェールは心労でもっと悪化してしまいますよ。今は薬を飲ませて、そっとしておくのが一番です」
小娘の言うとおり、やってきた医師も「治るまで、安静にさせてください」と言って譲らなかった。何かできることがあるはずだと噛みつかんばかりの我相手に、「今度は医師が倒れてしまうわよ!」と、小娘が声を荒げて八方ふさがりというものを初めて経験させられた。
怯えた様子の医師は「必要な薬草を持ってきます」といって、転がるように帰って行った。
『お前がいない間に、シェールの様態が悪化したらどうするっ』
そういって、シェールを連れ医師を追いかけようと思ったのだが、小娘とジェドに阻まれ苛立った。
足止めをくらう我に対し、ジェドは医師を背に庇い「彼は国一番の名医なので、攻撃したら困るのはエイネム様ですよ?」なんて脅しをかけてくる。
役に立つと分かっているから止めているのに、何をこの二人は言っているのか無意識に唸り声をあげる。
「邪魔をするな、小娘っ。彼女に何かあったら、お前も容赦しないぞ!」
「ちょっと、エイネム様!お医者様は必要な物を取りに帰るって言っているでしょうが。第一、安静にしていれば問題ないって言っているんだから、無茶いわないのっ」
「しかし、彼女の身に何かあればどうするんだっ。シェールにもしもの事があれば、我は……我は、」
あまりに酷い想像に、呼吸すらしにくくなる。
彼女は気丈な娘で、この屋敷に連れてきてから体調を崩したことなどなかった。出逢った当初の痩せ細った時ですら起きなかった事態に、動揺で目のまえが真っ暗になる。
「とにかく、落ち着いてくださいよエイネム様。今は無理に姫を移動させるより、医師の判断に任せて、慣れた場所で眠ってもらうのが一番です」
「だが、お前の城の方が色々そろっているし、医師だってたくさんいるだろう……?」
「貴方がその気になれば、どこにいようとすぐに屋敷へ連れて来れるでしょう?それにこの屋敷にいることは、シェール姫自身が望んだことですよ」
「シェールが……」
「私もシェールの看病をさせてもらいますし、とりあえずジェード様と医師には一端戻ってもらいましょう」
自分はやることがあるのだから、話はこれで終わりだというように小娘は去っていく。
これまで散々偉大だなんだと持て囃されてきたのに、いざとなればこんなに頼りないのかと、頭を下げることしかできずにいた。
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彼女がいる屋敷を一秒たりとも離れたくはなかったのだが、そうもいかず神殿までジェドと医師を送る。本当はすぐにも自分だけ戻ろうと思ったのだが、思わぬ邪魔が入り後ろを振り返る。
「エイネム様」
シェールの容体が心配で、そわそわと落ち着かない我へジェドは冷静に話しかけてきた。
どうやら、医師とは別にこの屋敷へ招きたい人間がいるのだという。時々予想外の行動をとったりもするが、こいつのことは存外信頼している。こんな時ではあるが、「姫も喜ぶかもしれませんよ」なんて言われてしまい、了承した。
「うちの母は元メイドですし、身の回りのお世話をさせていただくのは慣れています。前々から御二方に挨拶したがっていましたし、許可いただけて良かった」
「……どんな理由であろうが構わないが、シェールに害をなすようなら即刻たたき出すぞ」
「そんな事には間違ってもさせないので、安心してください」
こうして我は、ジェドの母親を招くことになった。
少したって神殿まで医師らを迎えに行くと、そこには壮齢の女がいた。
苦労をしたのだろう。それなりに年齢を重ねた様子はうかがえたものの、シェールが憧れると言っていただけのことはある。我を見ても凛としたたたずまいは変わらず、ジェドの母親ときき驚かされる程度には若く見えた。
「―――よく来た。この屋敷の主であるエイネムだ。どうやら我のシェールは、お前にあこがれているらしい。少々体調を崩しているため、元気づけてやってほしい」
「エイネム様って、まともな挨拶できたんだ……」
『おい』
「あら、ジェード少し失礼が過ぎますよ。申し訳ありません、エイネム様」
苛立ちのあまり、ちょっとジェドを爪を立てた状態で撫でてやろうかとも思ったが、先に謝られて思いとどまる。どうも、ジェドの母親を相手にするとやりにくい。
「まさかこんな形で貴方様にお会いすることになるとは、努々思いもしませんでしたが、お会いできて光栄です」
ニコリと笑った女の顔には、悪意は見られなかったが計り知れないものを感じる。
ジェドの母親を招いたことで、我とシェールの関係が変わるとは、この時思いもしなかった。