あらし
少々出そうか迷いましたが、言霊を信じて投稿させて頂きます。
厳しい環境にさらされている方々が、少しでも楽になりますように。
近頃、森がざわめいているとエイネムは言う。
ちょっとやそっとの嵐では、いつも飄々とした様子を崩さない彼が、珍しく寄せる眉に不安を覚えるのは、何も私だけではないようだ。ランツェも「なんだか……最近エイネム様が大人しくて不気味ね」なんて、不安を殺しきれない表情で心配していた。確かに夜にでもなれば雨風が強くて、庭に小鳥の死がいがあったときは思わず泣き出してしまった。
私たちがいるエイネムのお城ではさほど影響されることはないけれど、街ではそうも言っていられない。もっと悲惨な状況がそこにあるのではないかと想像して、「姫が心配なさるほど被害は出ていないので安心してください」なんてジェド様の言葉に安心した。
……でも、ジェド様はエイネムに負けず劣らず過保護なところがあるから、もしかしたら私たちへ心配をかけさせないように事実を伏せているだけなのかもしれないなんて、疲れの見える横顔に不安を募らせる。どこかで誰かが傷ついているのかと思えば心配になるし、私にも何かできるのではないかと考えては、「私なんかに何が出来るのよ」なんて、自己嫌悪に飲まれるのだ。
所詮、エイネムたちの好意に甘えている元生け贄に何が出来るというのだろう。
時々ランツェには「卑屈すぎる」と怒られるけど、彼の心ひとつで揺らぐ関係は思いのほか私の心を弱くした。
「シェール、何か悩み事?もしかして、エイネム様に何か言われたの??」
わずかに顔を険しくするランツェに、慌てて何もないと否定する。
どうも私を構いたがる彼女は、放っておくとすぐにエイネムを悪者にしようとする節がある。こんなにも気遣ってもらえることが、くすぐったくも嬉しくて。今考えていたことを口にすると、予想通り「私だって何にもできないのだから、そんなに卑屈になることないわ」と言って手を握ってくれた。
「―――それに、誰かを気遣える余裕が出てきたことは、何も悪いことじゃないと思うの」
「言われてみれば、今までは食べることや今日を生きるのに必死で、こんな贅沢な悩み持ったことなかったわ」
「……シェールは、とても頑張ってきたから」
少し細められた瞳に、いろいろな感情を見つけて目をそらす。
私が村にいたころ、みんなに差別的な扱いを受けていたわけではない。時にはランツェのように気遣ってくれた人もいた。私の村は特別豊かなわけではなかったから、自分たちだって食べるのが精いっぱいなはずなのに気まぐれに食事を分けてくれたりして。
嬉しかったことから、辛かった同情の眼差しまで思い出してしまって、まるで外の天気のように心が荒れた。じわじわとやってくる自然の驚異に、少しでも被害が広がらないようにと一人そっと祈る。
あの日から、どれほど時間が経っただろう?
ここしばらく森や街の見回りに忙しくしているエイネムと同じように、ジェド様も城へ訪れなくなっていた。普段はどんなに忙しいと言ってもこまめに様子を見に来てくれていたのに、「しばらく忙しくなりそうですから」なんて大量の食糧や消耗品を持ってきてくれてからだいぶ経過している。
何をすることも出来ずに不安だけを募らせる私へ、エイネムがやけに真剣な顔で私とランツェを呼び出した。
「……どうしたの、エイネム?」
ずっと嫌な予感はしていた。
私からすると不思議でたまらない術を操る彼が、最近怪我をして帰ってくるようになった。「かすり傷程度だからなんてことない」なんて言う彼はどこか気もそぞろで、大好きなブラッシングをしてあげてもご機嫌に尾を揺らすことが少なくなった。
もしかしたら他人事のようだと怒られてしまうかもしれないけれど、やはり直接被害を受けることはなくても、以前に経験した嵐の経験がぞわぞわと胸を騒がせる。こんな嵐、早く過ぎ去ってしまえばいい。……そんな、私の甘ったれた考えを読んだのだろうか?今ではとても大切な存在となりつつエイネムが、本腰を入れて街へ降りて人々の手助けをしたいと『宣言』した。
「しばらく帰ることが出来なくなるだろうから、シェールをよろしく頼むぞ小娘」
「……わかったわ、気を付けて」
いやに聞き分けのいいランツェに、事の重大さを自覚して手が震える。
しっかりしている彼女が詳しい話を聞くこともせず、素直に納得するなんて信じられない。
「そ、んな……まだ、風だってやんでいないのに、あぶないんじゃ」
「分かっておくれ、シェール」
「で、も……」
普段は私を甘やかすために響く声も、今は確固たる意志を持ち、とても覆してくれそうはなかった。
―――分かっている。本当は痛い位に分かっているのだ。
けれど。常識も道徳も知っていてそれでも尚、私はエイネムを引き留めたくて子どもの様に涙をこぼした。ボロボロとこぼれるそれを拭って慰めてはくれるけれど、エイネムは最後まで私の望む言葉を言ってはくれなかった。
エイネムは、自身を神ではないという。
ただほんの少し、他の生物よりも力があって。それを扱うのに長けているだけなのだと言う。神でも王でもない彼は、自らに刃を向けられれば容易に人を殺め、人が苦しんでいても手を貸すことすらしないであろう。
それでも、彼は言う。
己より力の弱いものを守るのは、力を持った者の責務なのだと。だから彼は、全知全能ではないし、不老不死でもないけれど守るのだと言う。それが、己と言う生き物の存在証明であり、価値であるのだと。
……それを聞いた時は何も言えなかったけれど、余りにそれでは悲しすぎる。
私はきっと、彼が私の事を助けてくれなくても彼を好きなままだし、助けてくれるから愛しく感じる訳でもない。どうして分かってくれないのだろう。こんなにも、彼という存在を求めているのに。
「エイネム……」
「すまない」
「えいね、む……」
エイネムは私の事を好きだと言ってくれるのに、私が彼を好きだと言っている言葉を今一つ理解してくれない。私に対して優しくしてくれることや、強い力で守ってくれることは、今となっては『エイネム』という存在に付加されたものにすぎないのだ。何時か彼が私に興味を失くして冷たくあしらわれても。ある日突然、目の前から消えてしまって一人取り残されたとしても。それでもきっと私は、エイネムを好きなままなのに…。
力を使う事でしか、自分を証明できないなどと言わないで欲しい。
彼が優しくしてくれなければ、不必要などと言う気もないから―――。
何時か力が使えなくなったとしても、周りに優しくする余裕がなくなったとしても。私を彼の傍に置いて欲しい。傷付けることを恐れるあまり、触れることすらできなくなってしまったら、私にとってはそちらの方が悲しい。
それでも彼は、行くのだろう。
これまでにない凄まじい嵐が近づき、全てを飲み込もうとしていた。