嵐の前の静けさ
前話で不審な点が見つかったので、訂正しました。
また、独自改行をなくしてみました。
食事の後片付けをすると言ったシェールを置いて、我は小娘を空いている部屋へと案内した。
どうやら使用人であるから、以前に使わせた客間をそのまま使い続ける訳にはいかないという事らしい。
正直、この城へ客人を招く予定どころか。そんな者を受け入れる気すら、さらさらないのだから我はどちらでもよかったのだが。小娘の表情を見て、考えを改めた。
『ただ、華美な装飾が気に入らなかっただけだろう』
「まあ、しがない庶民には畏れ多すぎて、ゆっくりできるスペースではありませんね」
ふてぶてしく答えてくる娘だったが、分からぬでもない感情だったため、責めはしない。
尾を少し動かしただけでも壊れるなど、何度面倒だと思ったかしれない。多少は、我の居住スペースだという事で過ごしやすく考えていたようだが。物を減らさせ、余分なものを倉庫に詰め込んだというのにまだ此処には余分なものが溢れている。
「多少の装飾は、あなた様ほどの立場では必要なものだと理解していただければ」
そんな風にたしなめてきたのは、初めて意思の疎通を図った聖職者の男だったか?それとも、城を建設したヒトの王だったか。
まぁ、どちらにしても『人間共は、自分の過ごす空間ですら自由にできないのか』と、酷く呆れたおぼえがある。思い返してみれば、我の言葉を受けて「本当にそうですね」などと同意していた覚えがあるから、神殿の関係者だったかもしれない。もうずいぶんと昔のことで、忘れてしまった。今となっては、当時の神官長など顔すら思い出せない。
「あら、こっちの方がまだ落ち着くわね」
部屋へ着くと、小娘はそんな声を上げながら部屋を見て回る。
高そうなものはあるけれど…などと、呟きながら触っている花瓶は、売れば庶民の一人くらい養えるだろう。我は大して興味がないのだが、教えてやると目に見えてうろたえ手を遠ざけた。
そんな様子を見て、やはりシェールと感性は似ているようだと一人納得する。
「まるで毎日、美術品を鑑賞させてもらっているようで、贅沢な気分です」
彼女もここに来て間もないころは、そんな事を言っていた。
もっともそれは…城の至るところにある装飾品に触れるのが怖いと言ったから、「それならすべて片付けるか」と問うた、こちらを止めるため発した言葉だということは分かっているが。
来るかもしれぬ客人などより、過ごすものの気持ちを優先するのは当たり前のことなのに不思議なものだ。きっと我が人間の感性を理解できたとしても、同じことを言ったであろう。
そんな事を考えていると、先ほど小娘に言われた言葉が気にかかる。
シェールが気兼ねなく、ここでのびのび過ごしているとは思っていない。その笑顔は本物であるし、元の村へ戻せばいいなどとは思ってもいないのに。……自信がないのは、我が彼女を失うことを恐れているからなのかもしれない。
「あまり、シェールを困らせるなよ小娘」
自身の苦々しいものを無理やり飲み込んで、彼女を一番惑わせ支えてくれそうな娘へ声をかける。きっと当初に宣言していた通り、ここが彼女にとって相応しくないと考え連れ出すとしたら、この小娘だろう。もしかすればシェールが自覚するより先に、この小娘が彼女の不安を感じ取るかもしれないことに嫉妬する。
荒々しい感情を抑えているのがわかったのか、小娘が突然こちらを注視し、問いを投げかけてきた。
「あら、いやだわ。もしかして、まださっきのこと気にしているの?」
こいつは何て事ないというように言っているが、我にしてみれば一大事だ。
シェールが無理をしているなら、いち早く解消してやりたい。彼女が困っているのならば、その原因を取り除いてやりたい。
我々のあいだには、無視するには大きすぎる違いと溝があるのだから、ひとつでも彼女と離れる要因になりえるものは、排除したいのだ。だが、そんなことを言おうものならば、またしてもこの小娘は五月蠅いだろうと、ごまかした。
「うるさい」
「ねぇ馬鹿犬…、あんたが知っている事がシェールの全てだと思っているの?」
不愉快な呼び名を訂正するのも忘れ、私は目の前の貧相な娘をみていた。
何時もならこの娘のいう事などまともに聞きはしないのだが、シェールの名が出れば話は別だ。何を言わんとしているのか必死に見定めようと目を凝らす。
真意をつかもうと、厳しく瞳を覗き込む私に怯えることなく、小娘はさらに言葉を続ける。
「あの娘が、どれだけ頑張って生きてきたかとか、どれだけ差別や冷たい仕打ちに堪えてきたかとか…あんたに話した事がある?」
「―――何が言いたい」
つい、威嚇する様なうねり声を上げた。神と呼ばれるだけあり、そんな我の反応を見たら大抵の生き物は恐れをなす。しかし予想していた通り、小娘は常にない冷静な様子で我をまっすぐに見つめてくる。
その瞳には恐れや怒りもみられない。生意気にも、殺意とも言えるような我の気迫に押された様子はない。
「きっと。
私があの子の立場だったらとても耐えられないことも、経験したはずなんです」
何を当たり前のことを言うのだと聞き流すには、我も…もちろん小娘も、想像できないほどの傷をシェールは抱えているのだろう。
こちらが考えもしない傷が隠れている事を、分かっているのかと瞳で問われている気分になる。
「シェールを悲しませたら、許さないわよ」
「分かりきったことを……」
呟きながらも、胸がざわめく感覚は消えないでいた。
―――嵐が近づいている。