君がため
それぞれが形は違えど『彼女』のためを思って行動していて、何が最善かと悩んでいます。未来なんてわからないんだから、最終的には彼女の気持ちを優先するしかないんですけどね。わかっていても、悩むのです。
「焦がれていると言った方が正しいのかしら?」
そういった瞬間、目の前にいる神と呼ばれる存在からの返答は得られなかったが、元より、望むような答えが返ってくるとは考えていなかったので問題ない。
結局のところ、エイネム様はシュティラを傍に置きたくてしょうがないのだろう。それが、好奇心から来るものにしろ、今までの境遇に同情したものにしろ。はじめから、彼が本当にシュティラを「害しようとしている」、「利用目的で傍に置いている」などとは考えていない。
「―――それでも、きっと貴方様の近くにいることで彼女が傷つくことになるのは、分かり切っている事ですよね?」
これまで散々外見の特異性だけで差別してきたようなやつらだ。
神に守られ愛された巫女姫など、喉から手がでるほど得たい存在だろう。ある時は権力やお金を得るために、またある時は神からの守護を得るために……。様々な欲にまみれた悪意ある人が、彼女にすり寄ってくる未来しか思い浮かべることが出来ない。
きっと、そういった人間から守るためにも、こんな要塞といっていい場所でシュティラを囲っているのだろうけれど。それは逆に言えば、永遠に逃げだす事のできない鳥籠に入れられているも等しい事だ。
ここにいれば、本来得られるはずだった人間関係は断絶される。
今回の私がどんなに寛容な判断でここに連れてこられているのかは、これでも理解しているつもりだ。
普通だったら、シュティラと個人的な話をできることにすら、感謝しなければいけない状態だ。神の住居に立ち入るどころか、ジェド様の温情がなければ神殿に入ることすらできはしなかった。
そんな環境下で、新たに恋人や友人を得られるとはおもえない。
ましてや、神は彼女を溺愛しているのだ。それが自身より弱い生物に対する保護欲から来るものか、異種間という異例の恋情から来るものかはわからない。一つ言えることは、神が彼女を放すつもりはなく、自身よりシュティラへ近しい存在を許容するつもりなどないであろうという事だ。
先ほど私が触れた様子から推測するに、恋情である可能性が色濃いため、それこそ囚われたに等しいと私は感じる。
巫女姫となった以上、いままで以上に街を気軽に出歩くことなど、出来なくなっただろう。その上さらに彼女から何を奪うつもりなのだと、憤りを覚える。
大切にしているのが分かるからこそ、この状態を許すわけにはいかない。
そう考えていた私へ、突然神は語りかけてきた。
「―――それで。シュティラを巫女姫という重責から解放した後、小娘は彼女をどうするつもりだ?」
「そんなことっ、村へ連れてかえるに決まっているでしょう?」
何を分かり切ったことを彼は言うのだ。
この時代、村から一歩も出ずに生涯を終える人も珍しくない。城下町や大きな村で生まれ育ったのならまだしも、私たちのような偏狭な土地に生まれた者は、一生を故郷で過ごす。親から受け継いだ家に住み、田畑を耕し生きていくのだ。
そんな事も知らないのかと呆れるが、神から返ってきた言葉は予想していない物だった。
「以前にシュティラは、あの村に自分の居場所はないと泣いていたが…。
お前はそれでも、彼女の意思を無視して連れ帰るというのか?」
「何を言っているの?あの村には、シュティラが両親と一緒に過ごした家だってあるし、村の人たちだってたくさん…」
「シュティラは、村の者たちに死ぬやもしれぬと理解した上で、生け贄として献上されてきたのだぞ?」
「そっれは…、あなたが生け贄を要求したからで…」
「―――ちがう。我はこれまで一度たりとも、人間共に生け贄どころか物品の類すら望んだことはない」
神から出てきたのは、これまでの常識が覆るような事実だった。
私たちが信じてきたことは一体なんだったのだろうか?神へ祈りをささげる神殿を豪華にするのはまだいい。だが、これまで華美な品々を献上するために多くのお金が徴収されているはずだ。
我々にとって唯一、絶対神であるエイネム様。
そんな…これまで疑いすらもってこなかったことが、音をたてて崩れ落ちていく気がした。
「じゃあ何?あなたの偉大すぎる力に怯えた人間が、貴方を勝手に神へと祀りあげたというの?」
そのうえ、これまで徴収されてきたお金は、彼にはほとんど関係ないところで消費されて…。
何てことだろう。これでは彼がシェールと出会うまで人間と関わろうとしなかったのも、無理がない気がした。勝手に怯えて……勝手に祀り上げる。それは置かれた状況は異なるものの、シェールとどこか通じる部分がある気がした。
「貴方も、考え方を変えればシェールの様に、人間の勝手な価値観に踊らされた側の存在なのね…。だからシェールに惹かれるのかしら?」
独り言のようにつぶやいた私の言葉は、「…さぁな」と軽く返された。
「あっ…いえ、でも待って。
エイネム様がシェールを大切にしているのは分かったけれど、それと此処にいるのがあの子のためになるかというのでは、話が別だわ」
こんなに閉鎖された空間では、偏見をなくすどころか『未知の存在』として余計に遠巻きにされる事だろう。それに、私だって何度も同じ失敗を繰り返す気はない。
「今回はたまたま、私が家を空けているときに生け贄だなんてものにしてしまったけれど、これからは私も注意するし―――」
「お前は嫁ぎもせず、生涯彼女に張り付いているつもりなのか?」
「っそ…れは」
「シェールにしても同じこと。
二人嫁ぐこともせず、周囲が新たな環境へ移りかわるのを傍でただ見るだけで。やがて来る死が、どちらを先に連れ去るのかと怯えて暮らすつもりなのか?」
エイネム様の言葉から想像できたのは、強がって彼女を守ろうと踏ん張っている私と、ひたすらすまなそうに謝っているシェールの姿だった。どんなに口で『一人にしない』などといえど結婚すればわからない。互いに気を使いすぎるあまり、婚期を逃すことだって考えられる。不吉な予感に唾を飲みくだし、カラカラになった口を誤魔化すかのように言葉を発した。
「だ、だいじょうぶよ…。私の家族も味方になってくれるだろうし、村の人のなかにはシェールを生け贄にだしたことを申し訳なく思っている人もいたの」
何とか口にした希望的憶測を、神はあざ笑うかのように否定する。
今となっては、「お前は何もわかっていない…」という様に、力なく振られる首へ反発する気持ちすら浮かんでこなかった。
「たとえ生け贄に出した事を悔いる者がいたとしても、再び同じような状況に立たされれば同様の選択をする。大体、お前の家族が彼女を疎ましく思っていない証拠など、どこにある」
いきなり突きつけられた現実と、愚弄するような言葉を受けて頭に血が上った。
カッとなり、これまでの心もとない気持ちを押しのけて声を荒げた。
「そんなことっ、やってみなければ分からないじゃないっ!
私の家族だって生まれたときからあの子を見守ってきたし、心配していたのっ」
「守ってきたとお前はいうが、彼女が迫害されるのを止めることなど出来なかったのだろう?」
「それはっ」
「責めるつもりはない。
お前たちはただの無力な人間だ、根底にあるものをそうやすやすと変えられないことも理解できない訳ではない」
「だったら…」
「―――だがな、我はこれ以上にシェールに傷ついてほしくないのだ」
そうこちらを見つめてきたエイネム様の瞳はあまりにまっすぐで、私の方から先に目を逸らした。彼が言うことはもっともだ。どれだけ彼女を庇おうとも、村人たちが真実理解を示してくれることはなかった。
できて彼女に暴力をふるわせないようにすることと、差別的発言を控えさせることだけだ。……それだって、私がいない所では少なからず彼女を傷つける者がいた。
「でっ、でも…私の家族だけはっ!」
味方だったはずだ。
これまでだって、これからだって彼女は決して一人ではないのだと伝えたくて、私の家も裕福ではなかったが、彼女やその家族をことあるごとに夕飯に招いたりしていた。
唯一、それがシェールを引き留める術なのだと言わんばかりに、エイネム様へ言葉を発した。しかしそれさえも、彼による思いがけない言葉で崩されることになる。
「お前の家族だって、シェールを守り続けることはできなかったのだ」
「―――えっ?」
「一度幼いころに、小娘の弟たちに言われた事があるらしい。
『僕たちのお姉ちゃんを取らないで』とな…」
「まさか…」
「成長した今でこそそんな事はないが、シェールはそれが辛かったらしい。食事を共にとるのも、何もお返しができず依存しているようだと嘆いていた。小娘の家族も、もちろん弟たちも優しくしてくれて大好きなのに、そんな人たちを自分のせいで悲しませているのかと考えるとたまらなかったと」
彼女が小娘に依存していた自身に気付いたのは、その頃だったらしい―――。
そう、エイネム様の言葉は続いたけれど、私は理解できなかった。
いわれのない差別に苦しんでいたシェールを守るのは、私の義務ではなくましてや責任でもない。『望み』だったのだから…。
それこそ、私が彼女を大切な友人だと感じていたから、守りたいと思ったのだ。
なのに、依存だなんだと言ってまるで『悪いことのように』言われるのは受け入れられない。
―――だってまるで、私たちの関係が悪いものだったように言うのだもの。
「…そんなことない。私だって彼女に支えられていたわ」
こんな言い方では、半分も伝えることは出来ないだろうけれど。今は喉がつっかえてそれ位しか言えなかった。そんな姿を横目に、エイネム様の言葉は続く。
「…シェールは以前、私に必要とされる理由が欲しいと言ったんだ。
与えられることにも求められることにも慣れていない彼女にとっては『ただそこに存在するだけでいい』と言われても、戸惑うだけでどうすればいいのか分からないらしい」
「どうして?だって一緒にいても、そんな事は一度も…」
「小娘には言えなかったそうだ。
『笑顔が好き』だと言ってもらえても、『優しくしてくれるのが嬉しい』といわれても…彼女にとってみれば、小娘は唯一の友人だ。失いたくないが故に、何時でも笑顔でいなければいけない。意地の悪いことを言ったら嫌われるのではないかと、不安だったらしい」
笑顔が好きだと言ったのは、差別に苦しめられている時でもシェールが華のように笑っている姿を称賛していたからだ。彼女の優しさが嬉しいといったのは、細かい気遣いが出来るシェールを尊敬する感情からきたものだ。
これまで言ってきたことが裏目に出て、彼女を苦しめていたのだとしたら…。
そんな恐ろしい考えに、私は何を言う事も出来なくなった。ただ、無意識に震える腕だけが、事の重大さを語っている気がした。
「何も、小娘だけを責める気はない。ただ…このままの状態で傍にいるのは、互いのためにならないだろう。よって我は、許容する事が出来ない」
それだけは、頑として譲れない。
そう言ったエイネム様の瞳からは、迷いや思惑などを感じることは出来ず、純粋にシェールを想う心しか窺えなかった。
いろいろ切るか削るか悩んでいて時間がかかってしまいました。すみません…。