トイレはあっちと指差しただけ
夕食だけは一緒に食べるという最低限のルールを破りそうになっていたことに私が気付いたのは、時計の長針がちょうど十一を指し示した時でした。
私んちである伯爵家の夕食の時間は大体午後七時前後。
普段は大抵十分前くらいに誰かしらが呼びに来るのに、今日は誰もこなかったようです。
この屋敷で暇を持て余しているのは私だけで、他は全員忙しいので仕方がないことでしょう。
というか、本来だったら呼び出しなんて無駄な行動を他の方にさせないように私が気をつけるべきなのです。
そういうわけで「やらかした」と思いながら読んでいた本に栞を挟んで書庫を出ました。
そのままやや急足で廊下を進んでいたら、向こうのほうにメイドさんが。
会釈してすれ違おうと思ったのですが、メイドさんが上機嫌でスキップする死体でも目撃してしまったかのようなどえらい驚愕顔になったので思わず足を止めてしまいました。
何故そんな顔をされるのかわかりません、頭からなんらかの汚いものを被ったなどといった他者から見て引かれるような格好はしていなかったので。
なら私の背後に何かあるのでは、と振り返ってみようとしたその瞬間にメイドさんが大絶叫をあげました。
甲高く大きなその声がなんと言ったのか一瞬理解できませんでしたが、どうも「いた」と叫んだようです。
いったい何が『いた』というのか、それとも実は『痛い』の意味なのか。
どちらであれ、メイドさんに目の前で叫ばれた私は何をどうすればいいのか。
判断する前にメイドさんはさらに大声をあげました。
「いました!! ロザリンドお嬢様いました──!!」
「え」
どうやら『いた』というのは私のことだったようです。
『いた』だけで絶叫されるようなことをやらかした覚えはありません、兄と違って私はいたずらで屋敷の壁という壁に落書きとかしないので。
どういうことでしょうかとメイドさんの顔を見上げると、何やら必死そうな顔で凝視されました。
何もしていないのですけど、なんらかの冤罪でもおっ被らされたのでしょうか?
もしそうならこんな流れだったのでしょう。
屋敷内でなんらかの事件が発生→私の仕業だという冤罪が着せられる→そのあたりのゴタゴタで私を夕食に呼ぶのが遅れる→書庫に私を呼びにきたメイドさんと私が廊下ですれ違いそうになる。
多分こんな感じだったのでしょう。
果たしてどんな濡れ衣を着せられたのやら、本日に関しては私が何もしていないという証拠及びそのアリバイを証言できる人がないので、汚名を返上するには起こったであろう事件の真犯人を突き止めるしかありますまい。
果たして無能な私にそんな名探偵じみたことができるのか、いっそ濡れ衣を着たままの方が面倒が少ないかもしれません。
メイドさんが大声で私が『いた』と叫んだからでしょう、あちこちから使用人の皆さんがゾロゾロと。
伯爵様にすぐに連絡をとか、今までどこにいたんだとかいう声がちらほらと。
伯爵様ことお父様は今屋敷にいないのか、と思いつつ『どこにいたんだ』という声にやや疑問を覚えました。
私は基本的に書庫か自室にしかいないし、それはこの屋敷に関わる大体の人が理解していることなのです。
今日は大体ずっと書庫に引きこもっていたので、捜索と発見は容易だったでしょうに。
なんて考えているうちにお父様がすっ飛んできました。
すっ飛んできたというか、派手な魔法陣を伴う転移魔法で廊下に出現した、というのが正しいでしょうか。
出現したのはお父様だけでなく超有能使用人君もでした、というかあの転移魔法は超有能君の魔法なのでしょう。
どういうわけか二人とも全体的にボロボロです、二人の身に何があったというのでしょうか。
二人は私の姿を認めるなり、凄まじい勢いでこちらに駆け寄ってきました。
「ロザリンド!!」
私の名を叫ぶお父様を片手でとんっと押し退けて吹っ飛ばした超有能君が私に勢いよく両手を伸ばしてきました。
おっと、これはジ・エンド。
お父様と同じ力で吹っ飛ばされたら多分に死にますねと思っていたら、予想通りの衝撃は来ませんでした。
ただ、何故か抱きしめられました。
スキンシップが激しい彼に引っ付かれるのは割とよくあることなのですが、今どうしてそうされたのかその文脈が全く理解できません。
私が書庫でダラダラと本を読んでいる間に一体何があったというのでしょうか。
そう問う前にか細い声が聞こえてきました。
「どこに、いたの」
そんな短い疑問に、何故そんなわかりきったことを問われるのか理解できないまま、ただ聞かれたことを答えました。
「書庫にいましたが。ええ、普通に、いつも通りに」
超有能君に「嘘をつかないで」と睨まれ、超有能君によって吹っ飛ばされて壁に大激突していた状態から復活したお父様にも「嘘を吐くな」と怒鳴られ、意味がわかりません。
「い、いえ……嘘とかじゃなく、普通に書庫にいましたよ……?」
今日は本当に大体書庫に篭りきりだったので、素直にそう答えたのですがどうにも信じてもらえなさそうな雰囲気です。
「嘘。……部屋にも書庫にもいなかった」
ジト目の超有能君の証言に首を傾げました。
書庫に誰かが訪れた覚えはありません、うちの屋敷の書庫はまあまあ広いですが、書庫のどこにいても、たとえ扉から最も離れた場所にいたとしても誰かが扉を開ければ気付きます。
開閉時に何故かやたらと大きな音を立てる書庫の扉のことを鑑みて、私が私を探していたであろう彼もしくは彼らの存在に気付かなかった、というのは考えにくいです。
「今日は誰もこなかったはずですが……書庫に探しに来た時、普通に扉を開けましたか?」
超有能君にそう聞くと、小さく頷かれました。
彼は大変凄い魔法使いなので、私と同じ十二歳の子供なのにいろんな魔法が使えます。
先ほどのような転移魔法やらなんやら色々と。
転移魔法を使って彼が書庫内に転移、もしくは窓から書庫内に侵入し、周辺を見ても本棚の影にいた私が見つけられなかったからいなくなったと勘違いしたのでは、と思ったのですが、どうもその線はなさそうです。
「じゃあ、間が悪かったんですかね……何度かトイレに行ったのでその時に探しに来たとか」
「トイレも探した。というか屋敷中くまなく探した」
次に思いついた考えも否定されてしまいました。
これは困りました、私、本当に朝からさっきまで書庫に篭りきりだったのですが。
と、思ったところでふと気付きました。
「……ちなみにですが、私を探していた時間って何時頃です?」
「朝の、四時くらい」
なるほど。
常識的な時間ではなかったので無自覚に除外していたというか、自分でもたった今そういえばと思い出したところですが、確かに、そのくらいの時間に私はこの屋敷にいませんでした。
「あー……すみません、その時間帯ならちょうど出かけてましたね」
そう自供すると、超有能君及びお父様がその顔をさらに恐ろしげに歪めました。
「朝の散歩というやつですよ。ずっと書庫に篭りっきりだと身体おかしくなるのでたまにその辺歩き回ってるんです」
本当といえば本当、嘘といえば嘘な自供をかますと二人は信じがたいものを見るような目で私の顔を凝視しました。
引きこもりな私が自主的に運動していたことが信じられないようです。
信じられなくて当然の生活習慣をしている自覚はあったので、信じてもらえなくても仕方がないとしか言いようがありません。
「その辺適当に歩き回って、町の方にある喫茶店で朝ごはん食べて……帰ってきたのが大体七時くらいだったはずです。その後はずっと書庫にいましたよ」
そう証言した後、沈黙が続きました。
二人ともどう見てもこちらのことをまるきり信じていない顔をしていました。
このままだと互いに黙りっぱなしの気まずい時間が続くだけだと判断し、口を開きました。
「そもそも何故、私はそんな時間に探されてたんでしょうか。……ひょっとして、何か事件でもあったのですか?」
朝の四時は普通の人だったらまだ寝ている時間と言ってしまって良いでしょう。
私のように生活サイクルが狂いまくっている人間、朝早くから仕事をしなければならないような方はいると思いますが、それでも多分大体の人が寝ているはずです。
それなのに何故そのような時間帯に私が探されていたのか。
何か、とてつもなく大きな事件が起こったのでは?
例えば、誰かが亡くなった、とか。
なんて悪い想像をしているのか察したのかそういうわけではないのか、難しい顔のお父様が「いや、事件というようなことは起こっていない」と首を横に振りました。
「そうですか、何も起こっていないのであればよかったです。……それで、何故なんの事件も起こっていないのに私は朝四時という早朝に探されていたんでしょうか? 探されるような理由は……何かをやらかしたとか、そういうことはしていないつもりですが」
事件はなかった、おそらく最初に想定したような私になんらかの冤罪が着せられるような何かも起こっていなかったようです。
朝、屋敷を出てから帰ってくるまでのことを思い出します。
雲ひとつない晴天の空と穏やかな風、まだ活気の少ない静かな町。
天災の類は一つもない、ただ穏やかなだけの日常しか思い出せません。
いくら考えてもそれらしき答えが思いつきません。
こちらの身の安全を心配されるような災害は発生しておらず、こちらが冤罪を着せられるような事件も起こっていない。
そんな状態で朝の四時に私が探される理由など一つもないはずなのです。
結局どういうことなんでしょうかとお父様の顔を見上げると、お父様は深々と溜息をつきました。
そして、その視線が超有能君に。
超有能君の顔を見ると、彼は小さな声でぼそっとこう言いました。
「……顔を見に行ったらいなかった」
「はい?」
いったい、彼は、何を言っているんでしょうかね?
顔を見に行った、早朝四時に、私なんかの顔を?
「何故、あなたはそんな奇行を……?」
「奇行……」
本当のことを言っただけなのに、何故か超有能君が悲しげになりました。
「いやだって、なんで朝の四時に私の顔を……?」
「嫌な夢を見たから」
「あー……」
超有能君はうちに来る前にたいそう酷い目に遭っていたそうなので、おそらくそういう夢を見てしまったのでしょう。
それで、不安にでもなって他人の顔を見る、というか普通に誰かに頼りたかったとか、気晴らしに何かを話したり泣きつきたかったのかもしれません。
しかし、何故その対象に私が選ばれたのでしょうか。
私が彼に対して行った親切なんて「トイレはあっちですよ」と指差しただけなのですけど。
頼り甲斐なんてありません、優しさというものがカケラもないのです、私には。
不可解に思っていると、お父様の眉間にものすごく皺がよっていることに気付きました。
お説教の気配を察知。
ついでにバチリと目があってしまいました。
口を開いたお父様の怒りの言葉に対して、できるだけ穏便に、極力怒りを増加させないようにと話をしてみましたが、全て無駄な抵抗というやつになってしまいましたとさ。
怒られました。
すごく怒られました。
私が無許可で外を歩き回っていたことにお父様は怒り心頭でした。
子供が、それも伯爵家のご令嬢といういつ誘拐されてもおかしくない立場の私が、軽率に一人で勝手に外をうろつくな、と。
外に行く時は貴族の子だとわからぬような格好をしている、今までバレたこともないと言っても無駄でした。
無魔力の私に貴族の子としての価値はなく、誘拐するような人もいないだろうと言っても無駄でした。
とことん怒られた後、二度とやるな、どこかに行きたいのならせめて行く前に誰かに話してから行け、と厳重注意を受けました。
なら次からは置き手紙でもと思いつつ、やっと話が終わってくれたとほっと息を吐いたのですが、話はそこで終わってくれませんでした。
超有能君がこんなことを聞いてきたのです。
「散歩して、朝ごはん食べて帰ってきたって話だけど、本当にそれだけ?」
「ええ、それだけです」
ギリギリ嘘にはならなかったのでそう答えると、超有能君は疑り深い顔で私の目を見ました。
「本当に?」
「本当ですよ」
嘘ではありません、具体的にどこを散歩していたのかを明言していないだけです。
なので平然と、あくまでただその辺歩き回ってただけです顔をしていると、超有能君は深刻な顔付きでこう尋ねてきました。
「じゃあ、その汚いの誰にやられたの?」
「きたない?」
外出中に身体や服を汚したおぼえはありませんし、そもそも帰宅後に着替えています。
頭に何かを被った覚えはありませんが、見逃した可能性はあるので咄嗟に頭頂に手をやります。
「……特に汚れるようなことはしていないのですが。頭にな何かついてるわけでもないようですし。何がきたないのでしょうか?」
お父様の様子も伺ってみると、お父様は訝しげな顔をしていました。私同様、超有能君が言うところのきたないの意味がわかっていないようです。
超有能君はじいっとこちらの顔を見詰めた後、ぼそっと小さな声でこう言いました。
「わかんない。けどなんかすごくいや。……嫌な……呪いか、魔力?」
おっと。
そういえば超有能君は魔術の才能がずば抜けているそうです、そして魔力の気配を探るのも得意だとかなんとか。
しかし、まさか勘付かれるとは。
超有能君の言葉を聞いたお父様の目がカッと開きました、多分何かを察したのでしょう。
お説教追加の気配を察知。
鋭い眼光でこちらを見据えるお父様の顔をおそるおそる見上げます。
「どこで、何をしていた?」
静かですが今までで一番怖い声でした、これはとても良くない。
誤魔化せるのなら誤魔化し切りたかったのですが、おそらくそれは難しいでしょう。
そして、誤魔化そうとすればするほど、余計に怒らせてしまうというのも目に見えていました。
なので、正直に白状することにしました。
「…………小遣い稼ぎに、瘴魔の森で採集をしてました」
超有能君が余計なことを言わなければバレることはなかったであろう、そして私の散歩で一番怒られそうな事実を告げると、お父様の顔が物語に出てくる怪物みたいな顔になりました。
しこたま怒られました。
人生で一番怒られました。
瘴魔の森は私にとってこのあたりで一番の安全地帯であると一応訴えてみましたが、聞く耳を持たれませんでした。
瘴魔の森には危険な野生生物は生息していませんし、魔物の類なんて一匹もいません。
致死性のある毒を持つ植物もなければ、転落死するような危険な段差もありません。
ついでにいうと、このあたりであの森に入れる人間は私以外に三人ほどしかおらず、その全員が女子供に興味がない私にとって無害でしかない変態なので、街中なんかよりも安全な場所なのです。
自分自身に全く興味関心を持たない変態ほど自分にとって安全な奴はいない、というのは変態達の中でも比較的変態度が薄いお姉さんの言葉です。
この言葉が名言なのか迷言なのかは私には判断がつきませんが、概ね事実であるということだけは理解していました。
魔力を少しでも持っている方にとってはあの森はただ足を踏み入れただけで死にかねない危険地帯ですが、私にとってはなんの問題もない、非常に安全な小遣い稼ぎの場所でした。
しかし、どれだけ安全性を訴えてもお父様は聞いてくれませんでした。
超有能君は瘴魔の森のことを知らなかったのか、私が危険地帯に行ったことだけは理解している様子でひとまず静かに話を聞いているだけでした。
けれど私がうっかりあの森を変態の森と称した直後に修羅の顔になりました。
あの森、私が行くようになるまでは変態三人しかいなかったので、その三人がずっとふざけて『変態の森』と呼んでいたのです。
その呼び名がうっかり私にも定着してしまったのは、あそこに通うようになってから三ヶ月程度経った頃。
変態の森だなんて言えばさらにお父様の怒りに燃料を足すことになることは明白だったので気をつけていたのに、うっかり口にしてしまいました。
超有能君は激怒しました、変態なんかがいるような場所にすすんで足を踏み入れたのか、と。
彼は彼自身に害のある変態に人生を滅茶苦茶にされてしまった過去を持つらしいのですが、だからでしょうか、ものすごく怒りました。
完全に感情的になった二人をそれでもどうにか宥め、うまいこと言いくるめようとしましたが失敗してしまいました。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか、あの森に通うようになってもう三年以上経つのに。
三年気付かれずに済んでいたのに、どうして。
烈火の如く怒り狂う超有能君のせいでしょう、彼が早朝四時なんていう非常識な時間帯に私を探さなければこんなことにならなかったのです。
であれば、彼がこの屋敷の使用人として雇われたことが、今回の長期にわたるお説教の原因となるのでしょう。
そして彼がこの屋敷に雇われるきっかけとなったのが、どうも私が彼にトイレの案内をしたことだったらしいのです。
それなら、気まぐれにお節介なんてせずに、トイレの案内なんてしなければよかった、と後悔しました。




