第一話 石碑が拒んだ日
※本作はカクヨムにも掲載しています。
石碑に拒まれた少年が、歴史に名を刻もうとあがく剣戟ファンタジーです。
『歴史に刻む剣』
第一話 石碑が拒んだ日
アルスケリア王国、最果前線圏第31州――クラウフェル。
空は高く、乾いた風はまだ春の名残を残していた。
州都クラウフェルの中心にそびえる騎士団本部は、戦うために建てられた石の城そのものだった。
飾りより厚み。
威容より実用。
外壁には魔物の爪痕すら残っていて、この町が王都のような華やかな場所ではないことを、初めて訪れた者にまで無言で教えていた。
その本部に隣接するように建つのが、クラウフェル騎士学院である。
入学の日。
まだ新しい制服に袖を通した少年少女たちが、緊張と高揚を隠しきれずに石畳の広場へ集められていた。
「見ろよ、あいつ……」
「ああ、間違いない。ハルヴェン団長の息子だ」
「第31州団長の?」
ひそひそと囁く声が、嫌でも耳に入る。
シュライドはそれを聞こえないふりでやり過ごした。
だが、聞こえていないわけがなかった。
父、ハルヴェン。
第31州騎士団長。
称号は栄光。辺土の不帰。
この州でその名を知らない者はいない。騎士を目指す者ならなおさらだ。
辺境で育った子どもにとって、ハルヴェンとは“いつか自分もああなりたい”と見上げる名であり、同時に“自分には遠すぎる”と知る名でもあった。
その息子。
見られないはずがない。
「よう」
背中を軽く叩かれ、シュライドが振り向く。
そこには、日に焼けた顔でまっすぐ笑う少年が立っていた。
「団長の子か。すげえな、お前」
「……誰だよ」
「レオグ。今日から同期だ。よろしくな」
差し出された手は大きく、指の節が太かった。
まだ入学前の少年の手とは思えないほど、もう剣を握り込んでいる手だった。
シュライドは少しだけ眉をひそめたが、その手を握り返した。
「シュライドだ」
「知ってる。そりゃ知ってるよ。ハルヴェン団長の息子だろ」
あっけらかんとそう言われて、シュライドは少しだけ肩の力が抜けた。
「よろしくな、シュライド。先に言っとくけど、俺は遠慮しねえからな。どうせお前、強いんだろ」
「……さあな」
「はは、否定しねえのかよ」
笑うレオグの横を、涼しい顔で通り過ぎる影があった。
「さすがに目立つね、団長の息子は」
声の主は少女だった。
明るい茶の髪を肩口で揺らし、整った所作でこちらへ向き直る。
「リーゼよ。よろしく、シュライド」
「……ああ」
「将来の団長候補が同期にいるなんて、心強いわ」
その言葉は冗談半分のようでいて、目は本気だった。
期待。
興味。
値踏み。
その全部が、柔らかな笑みの奥に透けて見えた。
「で、こっちがヴァルツェン」
リーゼが顎で示す。
ひときわ整った顔立ちの少年が、腕を組んで立っていた。背筋は真っ直ぐで、立ち姿だけで既に訓練の差が見える。
「……ヴァルツェンだ」
短く名乗ったその声は硬い。だが不快そうではなかった。
「ハルヴェン団長の息子なら、面白い」
「面白い?」
「良いライバルになれそうだってことだ」
そう言って、ヴァルツェンはまっすぐシュライドを見る。
その目には侮りではなく、確かな期待があった。
シュライドは少しだけ顎を上げた。
「負ける気はねえよ」
「それでこそだ」
そのやり取りの横で、二人の少年がそろって寄ってくる。
「おお、やっぱすげえなあ」
「団長の息子と同期とか、俺らついてるよな」
一人は人のよさそうな笑顔を浮かべた軽い男。
もう一人はその隣で、にこやかだが目だけが妙に忙しい。
「ミルドだ。よろしくな」
「フェインです。いやあ、最初からこんな有望株と知り合えるなんて」
シュライドはうんざりしそうになったが、今はそれを顔に出さない。
皆が自分を見ている。
それも当然だと思っていた。
父はハルヴェンだ。
この第31州で、あの背中を見て育った。
剣も振ってきた。鍛錬もした。
自分が期待される側であることに、何の不思議もなかった。
むしろ、そうでなければならないと思っていた。
やがて、広場のざわめきが静まる。
重い足音。
教官たちを従えて現れた男が、石段の上に立った。
灰色の短い髪。
深く刻まれた眉間の皺。
立っているだけで空気が張るような男だった。
ドルグレフ教官。
元・第30州騎士団長。称号は栄光。
今はクラウフェル騎士学院にて若者を鍛える、辺境の現実そのものみたいな男である。
「静粛にしろ」
一声で、広場から私語が消えた。
「本日より貴様らは、クラウフェル騎士学院の生徒となる。剣を振るいたいだけのガキは要らん。騎士を名乗る覚悟がある者だけが残れ」
声は大きくない。
だがよく通る。
言葉の一つ一つが石のように重かった。
「騎士になるとは、称号を得ることではない。州を守ることだ。民を守ることだ。魔物に食い千切られて終わるかもしれん地で、それでも前に立つことだ。覚悟のない者は今ここで帰れ」
誰も動かない。
ドルグレフはそれを見回し、やがて視線をシュライドの上でほんの一拍だけ止めた。
その目に、何かを量る色があった。
「……よし」
短く吐き捨てるように言って、ドルグレフは背後を示した。
「今から石碑前へ移動する。今日、貴様らは初めて王の幻影と相対する」
空気が変わる。
109期生たちの顔に、一斉に緊張が走った。
石碑。
王の幻影。
殺陣。
模範。
そして、石碑から与えられる最初の称号――新星。
まだ今日それが授与されるわけではない。
だが、ここからすべてが始まる。
広場の奥、騎士団本部の内庭へ続く重い門が開かれた。
その向こうに、巨大な黒い石碑が立っているのが見える。
あれが、この州の石碑。
王がこの地を救い、最後に立てた礎。
シュライドは自然と拳を握っていた。
胸が鳴る。
血が熱い。
当たり前のように、自分はそこへ認められるのだと思っていた。
ハルヴェンの息子としてではない。
シュライドとして。
今日、その最初の一歩を刻むのだと。
「行くぞ」
ドルグレフの声に、生徒たちは一斉に歩き出した。
リーゼが緊張をごまかすように笑う。
「なんか、本当に始まるって感じね」
「怖ぇけど、燃えるな!」とレオグが拳を握る。
ミルドは「いやぁ、団長の息子がどんな感じか最初に見れんの嬉しいな」とへらへら笑い、
フェインは「ええ、注目の的ですね」と細く目を細めた。
ヴァルツェンだけは何も言わず、前だけを見て歩いていた。
その中央を、シュライドは進む。
石碑が近づくにつれて、不思議と周囲の音が遠のいていく。
風の音も、足音も、呼吸さえ少しずつ薄くなるようだった。
石の表面には、長い年月を経てもなお、かすかに光を宿したような紋様が走っている。
あれに触れれば、王の幻影が現れる。
そう教えられてきた。
そう見てきた。
そう信じてきた。
だから何の疑いもなかった。
最初に名を呼ばれたのは、別の生徒だった。
彼が石碑に手を置いた瞬間、空気がぴんと張りつめる。石碑の紋様がわずかに光り、少年は息を呑んだ。
「うお……」
「反応した……!」
ざわめきが走る。
ドルグレフは「騒ぐな」と低く言ったが、その声にも当然だという色があった。
次々と生徒が呼ばれ、石碑に触れていく。
強く反応する者。
弱い者。
わずかにしか光らない者。
それでも、皆何かしらは起きていた。
シュライドの番が近づく。
心臓が大きく跳ねた。
当然だ。
父はハルヴェンだ。
期待されている。
いや、そんなことは関係ない。
自分はここに立つために剣を振ってきた。
「――シュライド」
ドルグレフが名を呼ぶ。
シュライドは一歩、前に出た。
視線が集まる。
リーゼも。
ヴァルツェンも。
レオグも。
ミルドも。
フェインも。
教官たちも。
周囲の大人たちも。
シュライドは石碑の前に立つ。
黒い石は、何も語らない。
右手を持ち上げた。
息を吸う。
そして、石碑に触れる。
――静寂。
何も起きなかった。
光らない。
空気も張らない。
幻影の気配もない。
ただ、自分の手のひらの熱だけが、冷たい石に吸われていく。
「……え」
誰かが、そう漏らした。
シュライドは瞬きをした。
触れ方が悪かったのかと思って、もう一度押し当てる。
それでも何も起きない。
石碑は、沈黙したままだった。
ざわめきが広がる。
「おい……」
「どういうことだ」
「団長の息子だろ?」
「いや、でも……」
「反応、してない?」
背中が冷える。
頭の奥が白くなる。
何かの間違いだ。
そう思って、さらに強く手を押しつけた。
けれど石碑は、まるでそこに自分など最初からいないかのように、何ひとつ返してこなかった。
沈黙。
ただそれだけ。
シュライドは、初めて石碑から目を離した。
視界の端で、リーゼの口元から笑みが消えていた。
ヴァルツェンは眉を寄せている。
ミルドは目を丸くし、フェインは何かを飲み込むように唇を結んでいた。
レオグだけが「……?」と本気で分からなそうな顔をしていた。
ドルグレフ教官が前へ出る。
その目は厳しいが、今は怒りではなく、困惑に近かった。
「手を離せ、シュライド」
低い声。
シュライドは言われるまま手を離した。
石碑には、指先の温度すら残っていないように見えた。
ドルグレフが石碑を見上げ、次にシュライドを見る。
「……次」
その一言だけだった。
それが、どれほど残酷だったか。
シュライドはその時まだ、うまく理解できなかった。
だが周囲の空気だけは、はっきりと変わっていた。
期待は、音もなくひび割れた。
そしてその亀裂は、この日から三年をかけて、失望と嘲笑へ育っていくことになる。
石碑だけが、最初から知っていたかのように静かだった。
第1話をお読みいただき、ありがとうございます。
次話では、石碑に拒まれたあとの空気の変化と、シュライドの最初の夜を描きます。




