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【孤独な数列と、部屋に残されたひとつの点】

掲載日:2025/11/30

1


古いアパートの一室で、数学講師の田代が死んでいるのを見つけたのは、

僕が訪ねた日の夕方だった。


鍵は内側から施錠され、窓も締まっている。

部屋は完全な密室だった。


異常がひとつだけあった。


机の上に置かれたルーズリーフの片隅に、

たった“ひとつのドット”が鉛筆で強く打たれていた。


文章も数式も何もない。ただ一点だけ。


まるで「ここを読め」と言わんばかりに。


「点……か。これはメッセージや」


そう呟いたのは、僕が呼んだ友人・神代かみしろだった。

工学部出身で、物事を“コード”として読む癖がある。


「田代の授業プリント、全部見せてみ」


僕は机の脇から数十枚のプリントを拾い上げた。

どれも数学の補講の資料だ。


神代はざっと目を通し、すぐに言った。


「これ、ほんまは“数式”に見せかけた暗号やで」


僕は目を瞬いた。


「え、見せかけ?」


「点はな、“インデックス(参照位置)指定”や。

 この点が、どのページのどの行を読めと言うてるかが

 この事件の核やろ」


2


ルーズリーフの点は、丁度“右上”にあった。


神代は田代のプリントを床に広げ、

右上に何か共通点がないかを調べ始めた。


そして数分で勝手に納得したように頷く。


「やっぱりな。田代らしいわ」


「わかったの?」


「このプリント、全部“点対称”になっとるやろ」


そう言われて初めて気づいた。


連立方程式の例題、

三角比の図形、

積分計算のグラフ──


全部のレイアウトが、

表の“右上”に問題番号が寄せられていた。


「つまり、この点は“その右上を読め”ってこと?」


「せや。

 そして重要なんは、

 その右上に“ひとつだけ違うもの”が存在してたページや」


神代は1枚のプリントを取り上げた。


表題は **『数列(6)』**。

右上には、他と違って **黒塗りの四角** があった。


神代が指でなぞる。


「田代のメッセージはこれや。

 “ここを読め” と。

 つまり、犯人は“数列6”の授業に出てたやつや」


僕は息を呑む。


確かにその補講を受けていたのは、

田代の研究室の学生たち4名に限られている。


その中に、田代と揉めていた学生がひとりいると聞いていた。


神代はさらに続けた。


「でも、犯人はもっと絞れるで」


ルーズリーフの“点”の場所をもう一度見る。


右上より、もっと右端に寄っている。


神代はプリントの右端を確認し、

すぐに低くつぶやいた。


「……犯人は“右利きじゃない”やつや」


「なんで?」


「右利きのやつが強く点を打ったら、

 力点は斜め左下に流れるからな。

 でもその点は“真横方向”から打たれとる。

 左利きか、あるいは癖のある筆圧や」


その特徴に当てはまる学生は、

ただひとり──佐伯だった。


3


佐伯を研究室で問い詰めると、

彼は最初こそ否定したが、

神代の説明を聞くうちに膝から崩れ落ちた。


「……バレるわけ、ないと思ったんです。

 あのルーズリーフ、僕らはみんな“ただの授業プリント”だと思ってた」


「田代は気づいてたんや。

 お前が盗んだ研究データをな」


田代は、数列の“点対称”を利用して

メッセージを忍ばせた。


・右上の“黒四角”で授業を特定

・“点”の位置で犯人の利き手を特定

・密室は、犯人が“鍵を回してから窓の外へ戻った”

 という単純なトリック


すべては、

この「ただのルーズリーフの一点」に集約されていた。


佐伯は泣きながら言った。


「先生は……最後まで、僕を信じてくれようとしてたんですか?」


神代は答えなかった。


ただ、ルーズリーフの一点を指差して言った。


「田代は、“点”しか残さへんかったんや。

 お前の名前も、動機も、恨みも書かんかった。

 そんなん全部どうでもええ。

 “事実だけ残す”ってのが、あの人の美学や」


僕は静かにルーズリーフを閉じた。


一点が残り、

世界がそこから逆算される。


数学者らしい、

あまりに静かな遺言だった。


【完】


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