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【第2章追加!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉
第1章

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第8話

 宮廷筆頭魔術師ルーカス・ヴァイデルは、スプーンを持ち上げ、震える手で皿の中央に鎮座する『大根』と対峙していた。

 

 直径五センチほどの円柱形。

 元は白かったはずのその根菜は、今は美しい飴色に染まり、半透明に透き通っている。


「……信じられん。これほど長時間煮込まれていながら、形が崩れていない。これは高度な形状維持魔法が施されているのか?」

「ただの面取りです。角を削ると煮崩れしにくいんですよ」

「メントリ……? 物理的な処置だけで、この耐久性を?」


 ルーカスは疑わしげに呟きながら、スプーンの縁を大根に当てた。

 力を入れる必要すらなかった。


 ――スッ。


 まるで雪解け水に触れたかのように、スプーンが大根の中へと吸い込まれていく。

 抵抗感ゼロ。

 切り分けた断面からは、じゅわりと琥珀色の出汁が溢れ出し、皿のつゆと混じり合う。


「……いただきます」


 彼は切り取った大根を口に運んだ。


 ――ハフッ、ジュワァァ……。


 熱い。けれど、吐き出すわけにはいかない。

 噛んだ瞬間、大根の繊維がほろりと解け、その内部に蓄えられていた大量の出汁が一気に口内へ放出された。


「!!?」


 ルーカスの眼鏡がカシャっとずり落ちた。


「なんだこれは……! これはもはや野菜ではない! 『食べるスープ』だ!」


 彼は口元を手で覆い、早口で捲し立てる。


「本来、根菜特有の土臭さがあるはずだ。だが、それが完全に消えている。代わりに、先ほどの『出汁』の旨味と、大根そのものが持つ微かな甘みが融合し、至高の味へと昇華されている……! これは錬金術か!? 物質の構成要素を書き換えたのか!?」


「下茹でしただけです」

「シタユデ……恐ろしい技術だ」


 彼は感動に打ち震えながら、あっという間に大根を完食した。

 そして次なるターゲットへ視線を移す。


「……さて、次はこの灰色の物体だ」


 プルプルと震える三角形。

 『こんにゃく』だ。

 この世界にはスライムはいるが、こんにゃく芋はない。彼にとっては未知との遭遇である。


「見た目はスライムの死骸に近いが……」


 彼は箸(私が渡したフォーク)でそれを突き刺し、口に入れた。


 ――プリッ、クニュッ。


 独特の弾力。

 歯を押し返すようなコシがありながら、歯切れは良い。


「……味がない?」


 ルーカスが眉をひそめた。

 そう、こんにゃく自体に強い味はない。


「いや、待て。……食感だ。この奇妙な弾力が、咀嚼する喜びを与えている。そして、表面の細かな切れ込みに絡みついた出汁と辛子が、噛むたびに弾け飛ぶ……!」


「それは『隠し包丁』と言って――」

「黙っていろ! 今、考察中だ!」


 もはや完全に自分の世界に入っている。

 彼は「なるほど、無味ゆえに最強の依代よりしろとなるわけか……」などとブツブツ言いながらこんにゃくを飲み込んだ。


 そして最後は、『ゆで卵』だ。

 茶色く色づいた白身。彼はそれを半分に割った。


 パカッ。


 中から現れたのは、しっとりとした黄身。

 彼はその黄身を、あえてつゆの中に溶かし込んだ。


「……ふっ。私は天才かもしれない」


 黄身が溶けて白濁したスープをすすり、ルーカスがニヤリと笑った。


「出汁の塩気と、黄身のまろやかさが混ざり合い、濃厚なソースへと変貌した。これを白身に絡めて食べる……これぞ、完全食だ」


 彼は恍惚の表情で卵を平らげ、最後に残ったつゆを一滴残らず飲み干した。

 

 カチャン。

 空になった皿を置き、ルーカスは深く息を吐いた。


「……認めよう」


 彼は眼鏡の位置を直しながら、真剣な表情で私を見た。


「貴様は魔女ではない。だが、食材という触媒を用いて、人の心身に作用する『食の魔術』を行使している。その腕前……宮廷の錬金術師たちよりも遥かに上だ」


「お褒めいただき光栄です。で、調査は終了ですか?」

「いや、まだだ」


 彼は懐から、昨日の騎士団長と同じように金貨を取り出した。

 そして、カウンターの奥にある棚を指差した。


「この料理には、何か『対』になる飲み物が存在するはずだ。私の勘がそう告げている。……例えば、米を発酵させた透明な聖水のような」


 鋭い。

 さすがは王宮一の切れ者。

 私は苦笑しながら、棚の奥に隠していた『日本酒』の瓶を取り出した。もちろん、この世界では超高級品扱いの東方の酒だ。


かんにしますか? それとも冷やで?」

「……『カン』で頼む。熱を加えることで、香りがどう変化するのか見極めてやる」


 結局、ルーカス様はその夜、熱燗と追加のおでん(ごぼう天とはんぺん)を堪能し、顔を真っ赤にして帰っていった。

 

 帰り際、彼は千鳥足でこう言い残した。


「明日からは、私の研究室をここに移動する……ヒック。毎晩のデータ収集が必要だ……」


 こうして。

 騎士団長に続き、王宮の頭脳である筆頭魔術師もまた、『月待ち食堂』の出汁の海に溺れていったのだった。


 だが、私の平穏な日々は長くは続かない。

 私の胃袋掌握計画が順調に進む一方で、王宮では――私を追放した元婚約者と、その恋人が、新たな騒動を巻き起こそうとしていた。

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― 新着の感想 ―
な…なんて難儀でケッタイな山岡士郎なんだ…っ! 熱燗と宮廷料理は真逆ですよね…(温度)
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