第6話
王宮騎士団の朝は早い。
だが、今朝の訓練場には、異様な緊張感……ではなく、困惑の空気が漂っていた。
「おい、見たか? 団長の顔」
「ああ……見た。肌ツヤが良すぎて、朝日を反射して輝いていたぞ」
「それに、いつもの怒鳴り声がない。今の団長、なんだか『満たされている』感じがしないか?」
騎士たちがヒソヒソと噂し合う視線の先。
そこには、素振りを繰り返すライオネル団長の姿があった。
いつもなら鬼の形相で「軟弱者!」と檄を飛ばすところだが、今日の彼は剣を振るたびに、どこか恍惚とした表情を浮かべている。
(……あのサクサク感。そして溢れ出る肉汁……)
ブンッ! (鋭い風切り音)
(白米とのマリアージュ……完璧だった……)
ブンッ! (岩をも砕く気迫)
団長の剣圧が増すたびに、周囲の騎士たちは「ひぇっ」と身をすくませた。
そんな中、副団長であるギデオンが恐る恐る声をかけた。
「あの……団長。何か良いことでもありましたか? もしや、新しい恋人でも……」
「恋人? ……ふん、そんな生ぬるいものではない」
ライオネルは剣を止め、ニヤリと不敵に笑った。
「『運命の出会い』をしただけだ」
「は、はあ……(やっぱり女か!?)」
騎士たちが色めき立つ中、ライオネルは宣言した。
「今日の訓練は午前で切り上げる! 午後は貴様らにも、その『運命』をお裾分けしてやろう。ただし、精鋭部隊の五名のみだ。ついて来い!」
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
『月待ち食堂』の扉が、勢いよく開かれた。
「店主! 約束通り、腹を空かせた野郎どもを連れてきたぞ!」
ライオネル団長を筆頭に、屈強な騎士たちがぞろぞろと入ってくる。
昨日は一人だったから良かったものの、こうして鎧姿の男たちが六人も並ぶと、店内の圧迫感がすごい。
私は苦笑しながら、お冷の準備をした。
「いらっしゃいませ。……ふふ、随分と大柄なお客様ばかりですね」
「ここが団長の言っていた店……?」
「おい、いい匂いがするぞ」
副団長らしき優男(といっても筋肉質だが)が、疑り深そうな目で店内を見回し、そして厨房の香りに鼻を動かした。
「今日は団体様ですね。メニューは昨日と同じ『唐揚げ定食』でよろしいですか?」
「うむ! それと、全員に最大サイズのエールを!」
ライオネル団長が我が家のように注文する。
私は厨房に入り、大量の鶏肉を揚げ始めた。
ジュワァァァァ……!
パチパチパチ!
六人分となると揚げる音も豪快だ。
店内には瞬く間に香ばしい匂いが充満し、騎士たちの喉がゴクリと鳴る音が連鎖する。
「お待たせしました」
次々と運ばれる、山盛りの唐揚げと、どんぶり飯。
そして、今日は味変用に「特製ソース」も添えてある。
「こ、これが……団長の言っていた『疲労回復メシ』……」
「いただきまーーす!!」
騎士たちは掛け声とともに食らいついた。
ガリッ、ザクッ、ジュワッ。
「うおおおお!?」
「なんだこれは! 衣が立っている!?」
「肉汁で口の中が火傷しそうだ、だがそれがいい!」
「飯だ! 飯をよこせぇぇ!」
一瞬にして、店内は戦場と化した。
彼らは三日三晩戦った後のように、一心不乱に鶏肉と米を胃袋に収めていく。
そこで、副団長のギデオンが小皿の白いクリームに気づいた。
「店主、これは?」
「それは『マヨネーズ』です。卵と酢と油で作ったソースですが……唐揚げにつけてみてください。飛びますよ」
「ほう……」
ギデオンは半信半疑で、唐揚げにたっぷりとマヨネーズをつけ、口に運んだ。
――カッ!!
彼の目が見開かれ、背中に電流が走ったように硬直した。
「……罪だ」
「ギデオン?」
「これは罪の味だ! ただでさえ美味い肉の脂に、さらに卵と油のコクを足すだと!? 酸味が後を引いて、より一層こってりとしているのに爽やか……訳がわからん! だが、止まらん!!」
「なにっ、貸してみろ!」
他の騎士たちもマヨネーズ争奪戦に参加する。
唐揚げ、マヨ、白米、エール。
この魔のループから抜け出せる者は、ここにはいなかった。
結局、用意していた一斗(約18リットル)分の米は全て消え失せた。
「ふぅぅ……食った……」
「もう動けん……」
戦いを終えた騎士たちは、満足げに椅子の背もたれに体を預けている。
その顔は皆、幸せそうだ。
「店主殿。……我々は感動した」
ギデオンが立ち上がり、騎士の礼をとる。
「王宮の飯は、見た目は綺麗だが力が湧いてこない。だが、あんたの料理は……体に活力がみなぎるのがわかる」
「明日からの訓練、いつもの倍はこなせそうです!」
「俺、毎日通います!」
口々に称賛を述べる彼らに、私はエプロン姿で微笑んだ。
「ありがとうございます。スタミナが必要な時は、いつでもいらしてくださいね」
ライオネル団長が、満足げに部下たちを見渡して言った。
「いいか貴様ら。この店は我ら騎士団の『極秘補給基地』とする! 他の部署の連中、特に文官どもには絶対に教えるなよ。混雑して俺が食いっぱぐれたら万死に値する!」
「「「イエッサー!!」」」
野太い返事が響く。
こうして、『月待ち食堂』は開店二日目にして、国一番の武力を持つ騎士団の胃袋を掌握してしまったのだった。
◇ ◇ ◇
賑やかな騎士たちが去った後。
私は片付けをしながら、ふと窓の外に気配を感じた。
路地裏の闇の中に、誰かが立っている。
騎士たちとは違う、ひっそりとした、それでいて底知れない気配。
(……誰?)
目を凝らすと、紫色のローブを纏った人物が、じっとこちらを見つめていた。
その手には杖が握られている。
騎士団長の次は、まさか……?




