表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉(くずは)
第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/56

第11話

 決戦の時が来た。

 『月待ち食堂』の厨房は、いつものランチ営業とは違う、静謐な空気に包まれていた。


 私は髪をキッチリと結び直し、手を洗う。

 目の前の調理台には、今日の武器となる食材たちが並んでいる。


 ヤマト皇国から持ち帰った、表面に白い粉を吹いた『利尻昆布』。

 血合いを取り除き、薄く削り出した『本枯れ節』。

 そして、リナが北の農場から送ってくれた、泥付きの『カブ』と『人参』。


「……始めます」


 私は誰にともなく呟き、鍋に水を張った。

 背後には、審査員兼監視役のマダム・ロッテンマイが、仁王立ちで目を光らせている。


「いいですか。塩、砂糖、その他一切の調味料の使用は禁止です。素材の味だけで勝負すると言ったのは貴女ですからね」


 マダムの声は冷たい。

 昨日の「泥ペースト事件」でレオンに拒絶された屈辱を、今日ここで晴らすつもりなのだろう。

 私が失敗し、レオンが再び泣き叫ぶのを待っている。


「ええ、わかっています。調味料は使いません」


 私は鍋に昆布を入れ、弱火にかけた。

 離乳食の基本は「薄味」だ。

 大人の味覚に合わせれば、赤ちゃんの未発達な腎臓に負担をかけてしまう。

 だからこそ、マダムは「味のない煮込み」こそが正義だと信じている。


 でも、それは違う。

 「薄味」と「味がしない」は、似て非なるものだ。


 鍋の水面が揺らぎ、細かい気泡が立ってくる。

 沸騰直前。

 昆布を取り出し、一度火を止める。

 そして、削りたての鰹節を一気に投入する。


 ――フワァッ……。


 厨房の空気が変わった。

 立ち上る湯気に乗って、上品で、それでいて力強い香りが広がる。

 魚の生臭さなど微塵もない。燻された香ばしさと、凝縮された海の恵みの香り。


「……ッ」


 マダムが鼻を動かした。

 ハンカチで口元を覆っているが、その目が驚きに見開かれているのがわかる。

 この国には、まだ「合わせ出汁」の概念が浸透していない。

 彼女にとって、これは未知の香水のようなものだろう。


 鰹節が鍋底に沈むのを待って、静かに濾す。

 現れたのは、黄金色に輝く液体。

 『一番出汁』だ。


「……ただのお湯が、金色に?」


 マダムが怪訝そうに呟く。

 私は答えず、次の工程に移った。


 リナの野菜だ。

 カブと人参の皮をむき、サイコロ状に細かく刻む。

 包丁を入れるだけで、水分が滲み出してくる。新鮮な証拠だ。


 別の小鍋に野菜を入れ、ひたひたになるまで一番出汁を注ぐ。

 火にかける。

 コトコト、コトコト。

 優しい音が厨房に響く。


 野菜が柔らかくなったら、炊いておいた『お粥』を加える。

 米粒が崩れ、出汁を吸ってふっくらと膨らんでいく。


 ここが勝負どころだ。

 私は木べらで鍋の中をゆっくりと混ぜながら、火加減を微調整する。

 強すぎれば香りが飛び、弱すぎれば味が馴染まない。

 野菜の甘みと、出汁の旨味。

 その二つが完全に融合し、お米一粒一粒に行き渡る瞬間を見極める。


「……ふん。所詮は煮込み料理」


 マダムが冷笑した。


「私が作ったものと大差ありません。塩気のない野菜の煮込みなど、あの我儘な子供が口にするはずがない」


 彼女はまだ気づいていない。

 彼女の料理が拒絶されたのは、味がないからではない。

 長時間煮込みすぎて野菜のエグみが出ていたこと、そして何より「美味しくなぁれ」という愛情が欠けていたからだ。


 鍋の中身が、とろりとしたクリーム状になる。

 リゾットのような粘度。

 最後に、香り付けの『かつお節粉』をほんの少しだけ振る。


「完成です」


 私は火を止めた。

 『お野菜と出汁のリゾット』。

 見た目は、淡いオレンジ色と白が混ざり合った、優しい色合い。

 昨日のマダムの「灰色ペースト」とは雲泥の差だ。


「……では、参りましょうか」


 私はお盆にボウルを乗せ、二階のリビングへと向かった。

 マダムが背後をついてくる。その足音は、断罪を下す裁判官のように重々しい。


 リビングでは、ライオネル様がレオンを抱っこしてあやしていた。

 レオンは不機嫌そうだ。

 昨日のトラウマがあるのだろう。空腹なのに、口を真一文字に結んで警戒している。


「あーあー(メシはまだか)」

「よしよし、もうすぐママが来るからな」


 私が部屋に入ると、レオンの鼻がピクリと動いた。

 青い瞳が私――正確には、私の手元にあるボウルを捉える。


「……まんま?」


 レオンの声色が、期待を含んだものに変わる。

 わかるのね。

 この香りには、嫌なものが一切入っていないってことが。


「お待たせ、レオン。ご飯よ」


 私はテーブルにボウルを置いた。

 湯気と共に、出汁の芳醇な香りと、野菜の甘い匂いが広がる。

 ライオネル様がゴクリと喉を鳴らした。


「……いい匂いだ。俺が食いたいくらいだ」

「ダメですよ。これはレオンのです」


 私はレオンをベビーチェアに座らせた。

 マダムが腕組みをして、私の手元を凝視している。


「お手並み拝見といきましょう。……もし一口でも吐き出したら、即座に没収します」

「ええ。構いません」


 私はスプーンでリゾットをすくい、ふうふうと息を吹きかけて冷ました。

 人肌の温度。

 これが一番、味を感じやすい温度だ。


「はい、あーん」


 スプーンをレオンの口元へ運ぶ。

 レオンは一瞬、ためらった。

 昨日の苦い泥の記憶が蘇ったのかもしれない。

 小さな眉をひそめ、疑り深い目でスプーンを見つめる。


 でも。

 鼻をくすぐる出汁の香りが、彼の本能を刺激した。

 意を決したように、レオンが小さな口を開ける。


 パクッ。


 スプーンが口の中へ。

 私は祈るような気持ちで、その瞬間を見守った。


 モグ……モグ……。


 レオンの口が動く。

 マダムが勝利を確信したように口角を上げる。

 「ほら見なさい、味のないものなど――」と言いかけた、その時だった。


 カッ!


 レオンの目が、信じられないほど大きく見開かれた。

 そして、パァァァァッ! と、まるで花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。


「んマンマァァァァッ!!」


 歓喜の叫び。

 彼は小さな手でテーブルをバンバンと叩き、「もっと!」と催促するように口を大きく開けた。


「なっ……!?」


 マダムの眼鏡がずり落ちた。

 彼女は信じられないものを見る目で、レオンを凝視した。


「食べた……? しかも、笑った……?」


 私は二口目を運ぶ。

 レオンは待ちきれない様子で、自分からスプーンに食いついてきた。

 モグモグ、ゴックン。

 ニコニコしながら、体を揺らして喜んでいる。


「美味しいのね。よかった」


 私も思わず涙ぐんでしまう。

 食べてくれる。

 私が作ったものを、笑顔で食べてくれる。

 料理人として、そして母親として、これ以上の幸せがあるだろうか。


 ライオネル様が、安堵のため息をついて私の肩に手を置いた。


「さすがだな、シェリル。……レオンも、正直なやつだ」


 一方、マダムは呆然と立ち尽くしていたが、やがて我に返り、叫んだ。


「い、イカサマです! 何か入れたのでしょう! 甘味料か、あるいは中毒性のある薬物を!」

「失礼なことを言わないでください」


 私は毅然と言い返した。


「疑うなら、貴女も食べてみますか? ……まだ鍋に残っていますよ」


 私は予備の皿にリゾットを盛り、スプーンを添えてマダムに差し出した。


「これが『本物の素材の味』です。……貴女が信じてきたものと、何が違うのか。その舌で確かめてください」


 マダムは屈辱に顔を歪めたが、ここで逃げるわけにはいかないと思ったのか、ひったくるように皿を受け取った。


「ふん。いいでしょう。化けの皮を剥いで差し上げます」


 彼女は乱暴にスプーンを口に運んだ。

 塩も砂糖も入っていない、ただの煮込み。

 不味いに決まっている。

 そう確信して、飲み込もうとした瞬間。


 彼女の動きが、ピタリと止まった。


「…………」


 時が止まったかのような静寂。

 マダムの手から、スプーンがカチャンと滑り落ちた。

次回最終話になります!

最後まで楽しんでいってくださいー!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このお話しを読んで思い出した事が一つ有る 普通にスーパーで買うおかかは「かつお節削り」って書いてあるけど セブンイレブンのは「本枯れ節粉砕」って書いてあるんだよね 粉砕が気になるけど本枯れの魅力で買っ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ