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【完結!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉(くずは)
第4章

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第10話

 翌日の昼。

 『月待ち食堂』の二階にあるリビングは、法廷のような重苦しい空気に包まれていた。


「……準備が整いました」


 マダム・ロッテンマイが、銀のトレイを持って現れた。

 彼女は朝から厨房を封鎖し、私やギュスターヴ料理長さえも追い出して、一人で「調理」を行っていたのだ。

 王宮式・英才教育に基づく、完璧な離乳食を作るために。


「さあ、レオン様。お食事の時間です」


 マダムは私の腕からレオンを取り上げようとはせず、ベビーチェアに座らせるよう指示した。

 私は渋々、レオンを椅子に座らせる。

 レオンは「まんま? まんま!」と足をバタつかせ、期待に目を輝かせていた。

 可哀想に。

 これから出てくるのが、ママの料理ではないとも知らずに。


 トン。

 マダムがテーブルに皿を置いた。


「……これは」


 私は絶句した。

 白い磁器のボウルに入っていたのは、料理と呼ぶにはあまりに無残な物体だった。


 灰色。

 あるいは、くすんだ深緑色。

 粘土を水で溶いたような、ドロリとしたペースト状の何か。

 湯気は出ているが、香りが全くしない。

 いや、微かに青臭いような、土っぽい匂いが漂ってくる。


「……マダム。これは何ですか?」

「『完全栄養野菜ペースト』です」


 マダムは胸を張って答えた。


「ほうれん草、人参、ブロッコリー、そして白身魚。これらをすり潰し、裏ごしして煮詰めました。成長に必要な栄養素がすべて含まれています」

「味付けは?」

「一切しておりません。素材の滋養をそのまま摂取させるのが目的ですから」


 塩も、出汁もなし。

 ただ野菜をごった煮にして潰しただけの物体。

 色が濁っているのは、別々に調理せず、全て一緒に長時間煮込んだせいだろう。


「さあ、口を開けなさい」


 マダムが銀のスプーンで、灰色のペーストをすくい上げた。

 レオンは口を開けた。

 彼はまだ知らないのだ。世の中には「不味い食べ物」が存在するということを。


 スプーンが、小さな口へと運ばれる。

 パクッ。


 レオンが口を閉じた。

 ゴックン。

 飲み込んだ。


 一瞬の静寂。


「…………」


 レオンの動きが止まった。

 ぱっちりとした青い瞳が、驚愕に見開かれる。

 そして、みるみるうちに顔が歪み、眉間に深い皺が刻まれた。


「……べぇぇぇぇぇっ!!」


 レオンは舌を突き出し、盛大に吐き出した。

 そして、顔を真っ赤にして泣き叫んだ。


「ギャアアアアアアッ!! まずいぃぃぃぃぃッ!!(意訳)」


 凄まじい咆哮。

 窓ガラスがビリビリと震える。

 彼は手足をバタつかせ、テーブルの上のボウルを小さな手で薙ぎ払った。


 ガシャンッ!!


 ボウルが床に落ち、灰色のペーストが絨毯にぶちまけられる。


「なっ……!?」


 マダムが凍りついた。

 彼女の完璧な計算で作られた食事が、赤ん坊によって拒絶されたのだ。

 彼女の顔色が、驚きから怒りへと変わっていく。


「……なんと、浅ましい」


 彼女は震える声で言った。


「食べ物を粗末にするなど、言語道断! これが公爵家の嫡男の振る舞いですか!」


 マダムはステッキを振り上げ、床をドンと叩いた。


「拾いなさい! そして食べるのです! これは貴方の血肉となる尊い糧なのですよ!」

「嫌だぁぁぁ! こんなの泥だぁぁぁ!(意訳)」


 レオンは泣き叫び、私の方へ手を伸ばして助けを求めている。

 私は耐えきれず、レオンを抱き上げた。


「やめてください! 泣いているじゃありませんか!」

「甘やかすなと言ったはずです! 泣けば許されると思っている。その傲慢な精神を叩き直さねばなりません!」


 マダムは私からレオンを引き剥がそうと手を伸ばした。

 その時。


 ドォォォォォン……!


 部屋の温度が、氷点下まで下がったような錯覚。

 背後のドアが軋み、圧倒的な殺気が流れ込んできた。


「……俺の息子に、その汚い手を伸ばすな」


 低い、地を這うような声。

 振り返ると、そこには鬼神の如き形相のライオネル様が立っていた。

 剣こそ抜いていないが、全身から立ち昇る闘気は、ドラゴンと対峙した時以上のものだ。

 後ろには、真っ青な顔の父・ガラルド公爵もいる。


「ラ、ライオネル……」

「マダム・ロッテンマイ。貴様、今なんと抜かした? 『拾って食え』だと?」


 ライオネル様が一歩踏み出す。

 床板がミシリと悲鳴を上げた。


「俺は戦場で泥水を啜ったこともある。だがな……生まれたばかりの我が子に、床に落ちたものを食わせる趣味はない」

「ひっ……!」


 さすがのマダムも、国最強の騎士の本気の殺気に圧され、たじろいだ。

 しかし、彼女はすぐに気丈に言い返した。


「野蛮な……! これは教育です! 好き嫌いを許せば、将来わがままな人間に育つと言っているのです!」

「好き嫌い以前の問題だ」


 私が口を挟んだ。

 私は床に落ちたスプーンを拾い、残っていたペーストを舐めた。


「……っ」


 吐き気を催すほどの不味さ。

 野菜のえぐみと、魚の生臭さが濃縮されている。

 長時間煮込みすぎて素材の良さが死に絶え、ただの「苦い泥」になっていた。


「マダム。貴女、これを味見しましたか?」

「味見? 必要ありません。栄養価は計算されています」

「食べてみてください」


 私はスプーンを突き出した。


「貴女が『尊い糧』だと言うなら、ご自身で食べて証明してください。これが本当に、美味しいものなのかどうか」


 マダムは顔をしかめ、スプーンを払いのけた。


「……私は大人です。幼児食など口にしません」

「食べられないものを、子供に強要するんですか?」


 私はレオンを強く抱きしめた。

 レオンは私の服にしがみつき、まだヒックヒックと泣いている。


「子供の味覚は敏感なんです。大人が我慢して食べるようなものは、彼らにとっては毒と同じです!」

「黙りなさい! 素人が口を出すな!」


 マダムはヒステリックに叫んだ。


「栄養さえあればいいのです! 『美味しい』などという快楽は、堕落への入り口! 私は王命を受けてここに来ているのです。私のやり方に従いなさい!」


 平行線だ。

 彼女の辞書に「食の喜び」という言葉はない。

 このままでは、レオンは食事を嫌いになり、心まで痩せ細ってしまう。


 なら、証明するしかない。

 私のやり方が正しいと。


「……賭けをしましょう、マダム」


 私は静かに告げた。


「明日、私が離乳食を作ります。……もしレオンがそれを食べなかったら、私は今後一切、貴女の教育方針に口を出しません」

「ほう?」

「でも、もしレオンが笑顔で完食したら……今後、食事に関しては私のやり方に従ってください」


 マダムは鼻で笑った。


「無駄なことを。一度あのペーストを拒絶した赤子が、すぐに他のものを食べるはずがありません。食事そのものを警戒していますよ」

「それでも、やります」

「よろしい。その愚かな自信、へし折って差し上げましょう」


 マダムはドレスの裾を翻し、部屋を出て行った。

 部屋に残されたのは、散らばった灰色の泥と、泣き疲れたレオン。そして怒りに震える家族たち。


「……許さんぞ、あの婆」

 ライオネル様がギリリと歯噛みする。

「俺の息子にあんな残飯を……」


「大丈夫です、ライオネル様」


 私はレオンの頭を撫でながら、力強く言った。


「明日は、最高のご飯を作ります。……レオンが、『生まれてきて良かった』って思えるくらいの、とびきりの離乳食を」


 私の頭の中には、すでにレシピが浮かんでいた。

 リナが届けてくれた最高の野菜。

 ヤマトで手に入れた極上の昆布と鰹節。

 それらを使い、素材の命を最大限に引き出した「あの一皿」を。


 レオン。

 パパとママの子だもの。

 美味しいものは、ちゃんとわかるよね?


 私は泣き止んだ息子の頬にキスをした。

 戦いのゴングは鳴った。

 明日のランチタイム、この部屋が決戦の場となる。

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― 新着の感想 ―
ふむ、つまり王命がなくなったらこの婆はいなくなるんだな? 爺様出番だ。王宮でひと暴れしてこい。なんなら婆にテメエが作った離乳食を食えと王命もらってこい。
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