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【完結!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉(くずは)
第4章

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第8話 

 レオンが生まれてから、一ヶ月が経った。

 初夏の風が心地よい昼下がり。

 『月待ち食堂』のランチタイムもひと段落し、私は厨房の指定席(司令塔用の椅子)で、ほっと息をついていた。


 腕の中では、お乳を飲んで満腹になったレオンが、安心しきった顔で眠っている。

 生まれた直後の猿のような顔から、少しずつ肉がつき、プニプニとした白い肌になってきた。

 重みも増している。成長の証だ。


「……そろそろね」


 私は壁掛け時計を見上げた。

 数日前、北の辺境から一通の手紙が届いていた。

 差出人は、かつて私を断罪した元聖女、リナ・バーンズ。

 そして、元王太子ジュリアン様。

 『出産祝いを持って駆けつけますわ!』というハイテンションな文面通りなら、今日あたり到着するはずだ。


 ガタガタガタッ!


 店の表から、馬車の止まる音と、何かが荷台から転がり落ちるような騒がしい音が聞こえた。


「着いたーっ! ここですわね、懐かしの『月待ち食堂』!」

「おいリナ、もっと丁寧に降ろせ! トマトが潰れるだろうが!」


 聞き覚えのある、しかし以前よりずっと張りがある声。

 私はレオンを抱き直し、入り口へと向かった。

 店番をしていたギュスターヴや、非番で手伝いに来ていたライオネル様も、何事かと顔を出す。


 扉を開けると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。


「……え?」


 店の前に横付けされていたのは、貴族用の優雅な馬車ではない。

 泥だらけの、ほろ付きの荷馬車だった。

 そして、そこから降りてきた二人の姿に、私は目を丸くした。


「シェリル様ー! 会いたかったですわー!」


 日焼けした肌。

 麦わら帽子。

 そして、土汚れのついた作業着オーバーオール

 かつてピンク色のドレスを着ていた「聖女」の面影はどこにもない。

 そこにいたのは、健康的で、生命力に溢れた「農家の娘」だった。


「リナ……さん?」

「はいっ! 北の大地から愛を込めて、爆走してきましたの!」


 彼女は私の前に立つと、ニカっと白い歯を見せて笑った。

 その笑顔は、以前のような作り物めいたものではなく、太陽のように眩しい。


「久しぶりだな、シェリル。……ライオネルも」


 荷台からひょいと飛び降りてきたのは、ジュリアン様だ。

 彼もまた、貴族服ではなく、袖をまくったシャツ姿。

 細かった腕には筋肉がつき、精悍な顔つきになっている。

 かつての「頼りない王太子」の雰囲気は消え失せ、一人の自立した青年の顔をしていた。


「ジュリアン殿下……いえ、ジュリアン様。お久しぶりです」

「ああ。……聞いたぞ。元気な男の子が生まれたそうだな」


 彼は少し照れくさそうに鼻をこすり、私の腕の中を覗き込んだ。


「こいつか。……ふっ、随分と美味そうな顔で寝ているな」

「あら、失礼な。……でも、可愛いでしょう?」

「ああ。本当に」


 ジュリアン様が目を細める。

 すると、リナが「私にも見せて!」と割り込んできた。


「きゃあぁぁぁっ! なんですのこの生き物は! 天使!? 天使ですわよね!?」


 彼女はレオンを見るなり、黄色い悲鳴を上げた。

 その声に驚いて、レオンが「ふえっ」と目を覚ます。

 青い瞳が、キョロキョロとリナを見つめる。


「目が合いましたわ! 今、私を見て微笑みましたわ!」

「いや、まだ表情筋が動いただけだと思うが……」


 ライオネル様が冷静にツッコミを入れるが、リナには届かない。

 彼女は泥を拭った手で、そっとレオンの頬をつついた。


「初めまして、レオン君。おばちゃ……お姉さんですわよ。貴方のために、とびきりのプレゼントを持ってきましたの」


 彼女はジュリアン様に合図を送った。

 ジュリアン様が荷台の覆いをバサッと取り払う。


 そこに積まれていたのは、山のような野菜だった。


 真っ赤に熟れたトマト。

 太くて立派なキュウリ。

 泥付きのニンジン。

 そして、黄色く輝くトウモロコシ。

 どれもが宝石のように輝き、濃厚な土と緑の香りを放っている。


「これは……すごい」


 私は思わず息を飲んだ。

 王都の市場でも、これほど生命力に満ちた野菜は見たことがない。


「北の農場で、私たちが手塩にかけて育てた最高傑作ですわ!」


 リナが胸を張る。


「土作りからこだわりましたの。肥料の配合、水の管理、そして毎日の『美味しくなーれ』という魔法(物理的な魔力注入)。……この子たちは、私の子供同然ですのよ!」


 彼女の野菜への愛が重い。

 でも、それが確かな品質に繋がっているのは一目瞭然だ。


「ありがとう。最高の出産祝いよ」

「ふふん! 食べてみてくださいな。その辺の野菜とは格が違いますわよ」


 私たちは店内に移動し、早速野菜を味わうことにした。

 調理はいらない。

 リナの自信作なら、そのまま食べるのが一番だ。


 私はトマトとキュウリを冷水で洗い、適当な大きさに切った。

 それだけ。

 皿に盛り、以前私がリナに送った『マヨネーズ』と、少しの『味噌』を添える。


「いただきます」


 ライオネル様が、キュウリを手に取り、味噌をつけて齧った。


 ――パリッ!


 小気味よい音が響く。

 瑞々しい断面から、水分が溢れ出す。


「……!」


 ライオネル様の動きが止まった。


「甘い。……なんだこのキュウリは? 青臭さが全くない。まるで果物のように甘くて、それでいて爽やかだ」

「でしょう! 朝採れですもの!」


 リナが得意げに言う。

 私もトマトを口に放り込んだ。


 ジュワッ。

 噛んだ瞬間、濃厚なジュースが口いっぱいに広がる。

 酸味は控えめで、とにかく味が濃い。旨味が凝縮されている。


「美味しい……。野菜って、こんなに美味しかったかしら」

「ええ。貴女が教えてくれましたもの。『素材の味』というのは、薄味のことじゃなくて、こういう力強さのことだって」


 リナは優しく微笑んだ。

 かつて「味のしない健康食」を強要していた彼女が、今では誰よりも「本物の味」を知っている。

 なんだか胸が熱くなった。


 ジュリアン様も、トウモロコシをかじりながら言った。


「俺たちは、国を追われて初めて、土の温かさを知った。……王宮にいた頃より、今のほうがずっと充実しているよ」

「そうだな。……いい顔をしている」


 ライオネル様が、かつての主君(教え子)に言葉をかけた。

 ジュリアン様は照れくさそうに笑い、レオンに視線を移した。


「こいつが大きくなったら、北へ遊びに来いよ。農業体験させてやる。……泥んこになって遊ぶのも、悪くないぞ」

「ええ。ぜひお願いします」


 和やかな時間。

 美味しい野菜と、昔話に花が咲く。

 リナはレオンを抱っこさせてもらい、「きゃー! 重い! いい匂い!」と大はしゃぎしている。


 ふと、リナが真剣な顔で私を見た。


「シェリル様。この野菜、ただのお土産じゃありませんのよ」

「え?」

「レオン君のためですわ」


 彼女は人差し指を立てた。


「今はまだお乳でしょうけど、数ヶ月もすれば『離乳食』が始まりますわよね? その時……最初に口にするものが、その子の味覚を決めると言いますわ」


 彼女の目は、プロの料理人(生産者)のそれだった。


「不味い野菜を食べさせて、野菜嫌いになったら大変ですもの。……最初の一口には、最高に甘くて美味しい野菜を使ってあげてくださいな」

「リナさん……」

「これは、私からの『食育』のプレゼントですわ!」


 彼女はウィンクした。

 なんて頼もしいんだろう。

 かつての敵が、今では息子の未来の食卓を守る、最強の味方になってくれている。


「ありがとう。……約束するわ。この子には、貴女の野菜で最高の離乳食を作ってあげる」


 レオンが、リナの腕の中で「あうー」と声を上げた。

 まるで「楽しみにしてる!」と言っているようだ。


 こうして、再会のお祝いは賑やかに過ぎていった。

 リナたちは「収穫が忙しいから」と、夕方には嵐のように帰っていった。

 残されたのは、山のような野菜と、温かい気持ち。


 私はキッチンに立ち、夕食の献立を考えた。

 この野菜たちを使えば、どんな料理だってご馳走になる。

 レオンが大きくなるのが、今から楽しみだ。


 ――だが。

 私たちはまだ知らなかった。

 この幸せな時間に、王宮からの「黒い影」が忍び寄っていることを。


 その日の夜。

 店じまいをした『月待ち食堂』に、一通の封書が届いた。

 差出人は王宮筆頭女官長。

 中には、一枚の辞令が入っていた。


 『次期公爵家当主レオンの教育係として、マダム・ロッテンマイを派遣する』


 厳格で、古風で、そして「美食」を敵視するお局様。

 彼女の足音が、すぐそこまで迫っていた。

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