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【完結!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉(くずは)
第4章

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第6話

 小鳥のさえずりで目が覚めた。

 まぶたを持ち上げると、窓から柔らかな昼前の日差しが差し込んでいる。

 嵐のようだった昨夜が嘘のような、穏やかな天気だ。


「……いたた」


 身じろぎした瞬間、全身に鈍い痛みが走った。

 腰も、背中も、腕も。

 まるでフルマラソンを完走した直後のように体が重い。

 これが「産後の肥立ち」というやつか。

 私はゆっくりと首を横に向けた。


 すぐ隣、白木のベビーベッド。

 その中で、小さな生き物が規則正しい寝息を立てている。

 レオン。

 私とライオネル様の子供。

 昨晩の野太い産声とは打って変わって、今は天使のように静かだ。

 金色の産毛が光に透けて輝いている。


「……本当に、産んだのね」


 指先でそっと、彼の柔らかな頬に触れる。

 温かい。

 この温もりが、私の中から出てきたなんて信じられない。

 愛おしさが胸いっぱいに広がるのと同時に――。


 グゥゥゥゥ……。


 私のお腹が、とてつもなく大きな音を立てた。

 感動的な空気が一瞬で霧散する。

 そういえば、昨日の夕食から何も食べていない。出産という大仕事を終え、私の体は枯渇したエネルギーを猛烈に求めていた。


「お腹……空いた」


 起き上がろうとするが、力が入らない。

 ライオネル様はどこだろう。

 部屋にはいない。買い物だろうか。


 クンクン。

 鼻を動かす。

 ドアの隙間から、何とも言えない良い匂いが漂ってきていた。


 出汁の香り。

 お米が炊ける甘い匂い。

 そして、少し焦げたような、香ばしい醤油の匂い。


「……ご飯?」


 ギュスターヴたちが店を開けているのだろうか。

 いや、今日は臨時休業のはずだ。

 それに、この匂いは店のメニューにはない。もっと繊細で、優しい魚の香り。


 ガチャリ。

 ドアノブが回り、ライオネル様が入ってきた。

 その姿を見て、私は目を丸くした。


 彼は、私のエプロンをつけていた。

 大柄な彼には少しサイズが小さく、紐がピチピチになっている。

 顔の端には煤がつき、前髪が少し焦げているようにも見える。

 そして手には、湯気を立てる土鍋が乗ったお盆を慎重に抱えていた。


「……起きたか、シェリル」


 彼は私を見ると、ホッとしたように表情を緩めた。


「ライオネル様、その格好……」

「ああ。……腹が減っているだろうと思ってな」


 彼はベッドの脇のサイドテーブルにお盆を置いた。

 土鍋。茶碗。お箸。

 そして、急須に入ったお茶。


「俺が作った。……毒見はシロにさせたから、味は保証する」

「貴方が? 料理を?」


 驚いた。

 彼は最近、手伝いはしてくれるものの、一から十まで一人で作ったことはないはずだ。

 しかも、この香りはただの男料理ではない。本格的な和食の香りだ。


「開けてみてくれ」


 促され、私は身を起こして土鍋の蓋に手をかけた。

 まだ熱い。

 重たい蓋を持ち上げる。


 ――フワァァッ……!


 真っ白な湯気と共に、磯の香りが爆発した。

 現れたのは、淡い桜色のご飯。

 その中央には、立派な鯛の切り身が鎮座している。

 周りには鮮やかな緑色の三つ葉が散らされ、針生姜が添えられている。


「これは……『鯛めし』?」

「ああ。……お前が前に、『出産祝いといえば鯛よね』と言っていただろう?」


 言ったかもしれない。

 ヤマトからの帰りの船で、そんな雑談をした記憶がある。

 彼はそれを覚えていてくれたのだ。


「魚を捌くのに苦労した。鱗が硬くてな……」


 彼が照れ隠しに頬を搔く。

 その指先には、いくつもの新しい絆創膏が貼られていた。

 包丁で切ったのだろうか。それとも、硬い鯛の骨と格闘したのか。

 不器用な彼が、私のために必死で魚と向き合っている姿が目に浮かぶ。


「……よそいますね」


 私はしゃもじを手に取った。

 鯛の身をほぐし、ご飯と混ぜ合わせる。

 ふっくらと炊けたご飯。昆布と鯛の出汁を吸って、艶やかに輝いている。

 鍋底をこそげると、カリッとしたお焦げが現れた。


「あ、すまん。火加減が強すぎたか」

「いいえ。このお焦げが美味しいんですよ」


 茶碗によそい、彼に渡す。そして自分の分も。

 二人で手を合わせる。


「いただきます」


 私は箸で一口分をすくい、口へ運んだ。


 ハフッ。


 熱い。

 そして、優しい。


「……っ」


 噛みしめるたびに、鯛の上品な旨味と、昆布出汁の風味が口いっぱいに広がる。

 塩加減は絶妙だ。薄すぎず、濃すぎず、体に染み渡る塩梅。

 生姜の爽やかな辛味が、魚の臭みを完全に消している。


 そしてお焦げ。

 醤油と出汁が焦げた香ばしさが、ふっくらしたご飯のアクセントになり、食欲を加速させる。


「……どうだ?」


 ライオネル様が、心配そうに私の顔を覗き込む。

 最強の騎士団長が、まるで試験結果を待つ子供のような顔をしている。


「……美味しいです」


 私は心からの言葉を伝えた。


「すごく、美味しい。……今まで食べたどんな料理よりも、優しい味がします」

「そうか。……よかった」


 彼は安堵の息を吐き、自分もご飯をかきこんだ。


「うん、悪くない。……だが、やっぱりお前の料理には勝てんな」

「そんなことありません。このお焦げの加減、プロ顔負けですよ」


 私たちは向かい合って、土鍋いっぱいの鯛めしを食べた。

 箸が止まらない。

 産後の疲れた体に、栄養と愛情が満ちていく。


 半分ほど食べたところで、ふと視線を感じた。

 ベビーベッドの方を見る。

 レオンが目を覚ましていた。

 泣きもせず、ぱっちりと開いた青い瞳で、こちらをじっと見つめている。

 その小さな鼻が、ヒクヒクと動いている。


「あら。……匂いがわかるのかしら」

「まさか。生まれて半日だぞ?」


 ライオネル様が笑う。

 だが、レオンは明らかに興味深そうに、私たちが食べている茶碗を目で追っていた。

 そして、小さな口をもごもごと動かし、舌なめずりをした。


「……将来有望だな」

「ええ。きっと、パパに似て食いしん坊になりますよ」


 シロが窓から入ってきて、レオンの枕元に座った。

 口元に魚の食べカスがついている。どうやら「毒見」と称して、失敗作の鯛をたっぷり頂いたらしい。


『みゃう(安心しろ、小僧。お前の分は、母の乳となって届く)』


 シロの言葉通りだ。

 私が食べたこの美味しいご飯は、栄養となってレオンを育てる。

 食べることは、生きること。

 そして、命を繋ぐこと。


 完食して、お茶をすすると、ライオネル様が私の手から食器を受け取った。


「そのまま休んでろ。片付けも俺がやる」

「でも……」

「これからは、俺も厨房に立つ」


 彼は真剣な眼差しで言った。


「お前が育児で忙しい時、俺が代わりにお前の味を守る。……そしていつか、レオンにも俺の飯を食わせてやるんだ」

「ライオネル様……」

「『お父さんの唐揚げ』とか、悪くないだろう?」


 彼はニカっと笑い、お盆を持って部屋を出て行った。

 その背中は、騎士団長の時よりも、ずっと大きく、頼もしく見えた。


 私はベッドに身を沈め、レオンの寝顔を見つめた。

 満たされたお腹と心。

 窓の外からは、賑やかな街の音が聞こえてくる。

 そして、店の下からは微かに、父・ガラルド公爵の「通せ! 孫に会わせろ!」という怒鳴り声と、セバスチャンの「旦那様、まだ早朝でございます!」という制止の声が聞こえてくる。


 平和だ。

 騒がしくて、美味しくて、愛おしい日常が、また始まる。


 私は目を閉じ、幸せな眠りについた。

 次は、何を食べようか。

 そんなことを考えながら。

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