第11話
王都の港に『黒亀号』が着岸した瞬間、耳をつんざくような歓声が上がった。
「帰ってきたぞー! 俺たちの女神が帰ってきた!」
「店主ー! 痩せたかー!? ちゃんと食べてたかー!?」
「いや、むしろ艶やかになってないか……? 隣の騎士団長との距離が近くないか?」
桟橋には、あふれんばかりの人だかり。
私はタラップを降りながら、懐かしい顔ぶれに手を振った。
真っ先に駆け寄ってきたのは、目の下にクマを作った魔術師ルーカス様と、腕組みをして仁王立ちする父・ガラルド公爵だ。
「シェリル! 無事か! ……そして土産は! 大福はあるのか!?」
ルーカス様が私の肩を掴んで揺さぶる。禁断症状が出ているようだ。
「お帰り、シェリル。……ふん、少し日焼けしたようだが、元気そうで何よりだ」
父は素っ気ないふりをしているが、その目尻は下がっている。
「ただいま戻りました! お父様、ルーカス様」
私が挨拶しようとすると、背後からライオネル様がスッと前に出て、私の腰に手を回した。
自然な動作。あまりにも自然すぎて、父の目が点になる。
「……おい、ライオネル。その手はなんだ」
「『俺の女』に触れているだけですが、何か?」
「き、き、貴様ぁぁぁッ! 船の上で何を……!」
父が卒倒しそうになるのを、セバスチャンが「まあまあ、旦那様」と支える。
騒がしいけれど、温かい。ああ、帰ってきたんだ。
ひとしきり再会を喜んだ後、私たちは大量の荷物(米俵と調味料)を馬車に積み込み、店へと向かった。
「……なあ、ルーカス。店の方はどうなっているんだ?」
馬車の中で、ライオネル様が尋ねた。
すると、ルーカス様が急に視線を泳がせた。
「あー……。店、か。うん、繁盛はしているぞ。凄まじくな」
「凄まじく?」
「ギュスターヴ料理長たちの技術は完璧だ。騎士団の連中も手伝って、回転率も上がっている。……ただ、少し『方向性』が変わったというか……」
言葉を濁すルーカス様。
嫌な予感がする。
私たちは顔を見合わせ、急いで店へと向かった。
◇ ◇ ◇
路地裏に到着した私たちは、絶句した。
「……なにこれ」
そこにあったのは、私の知っている『月待ち食堂』ではなかった。
ボロかった外壁はピカピカに磨き上げられ、看板には金箔が施されている。
そして何より異様なのは、行列だ。
客たちが一言も喋らず、整然と二列縦隊で並んでいる。整理しているのは、完全武装した騎士たちだ。
「次! 二名様、入店許可!」
「イエッサー!」
軍隊か。
恐る恐る店内に入ると、さらに異様な光景が広がっていた。
シーン……。
静寂。
客たちは背筋を伸ばし、無言で食事をしている。
カチャ、カチャ、という食器の音だけが響く。
厨房では、ギュスターヴ料理長が鬼の形相で指揮を執っていた。
「2番テーブル、提供遅れ3秒! 貴様ら、たるんでいるぞ!」
「申し訳ありませんシェフ!」
「味の均一化を徹底しろ! 塩一粒の誤差も許さん!」
そこは食堂ではなかった。
「高効率栄養補給施設」兼「超高級レストラン」の成れの果てだった。
「……あ、あの」
私が声をかけると、ギュスターヴがバッと振り返った。
「誰だ、厨房に立ち入る不届き者は……って、し、師匠!?」
ギュスターヴの顔色が変わり、彼らは一斉に整列して敬礼した。
「お帰りなさいませ、師匠! ご覧ください! 貴女様の留守中、我々は店の『効率化』と『高級化』を極限まで推し進めました!」
彼は誇らしげに胸を張った。
「無駄口を叩く客は排除し、回転率を上げ、料理の見た目も芸術的にしました! 売上は倍増です!」
出された料理を見る。
確かに美しい。完璧な火入れ、美しい盛り付け。
でも……お客さんの顔は、誰も笑っていなかった。
ただ「ありがたい高級料理」を、緊張しながら胃に流し込んでいるだけ。
「……馬鹿者ッ!」
私の怒声が響いた。
ギュスターヴたちがビクリと震える。
「こ、これは師匠……どこか不備が?」
「全部よ! ここは『食堂』よ? お客さんがお喋りしながら、笑ってご飯を食べる場所なの! こんな息の詰まる場所で食べて、美味しいわけないでしょう!」
私はエプロンをひったくるように手に取り、腰に巻いた。
旅の疲れなんて吹き飛んだ。
私の店を、私の「温かい場所」を取り戻さなきゃ。
「総員、配置転換! これより『月待ち食堂』本来の営業を再開します!」
「は、はいっ!」
「ライオネル様! お客さんの緊張を解いてあげて!」
「了解だ。……おい野郎ども! いつまで気取ってやがる! 酒だ! エールを持ってこい!」
ライオネル様が豪快に笑いながら客席に乱入すると、凍りついていた空気がパリンと割れた。
「だ、団長だ!」
「生きて帰ってきたぞー!」
「ぷはぁっ! やっと息ができる!」
ざわめきが戻ってくる。
私は厨房に立ち、深呼吸をした。
今、みんなが求めているのは、洗練されたフルコースじゃない。
旅帰りの私たちが食べたいもの。そして、緊張していたお客さんたちがホッとするもの。
私が選んだのは、ヤマトからの最高のお土産を使った一品。
『鮭茶漬け』だ。
ヤマトで貰った新米を、土鍋で炊く。
艶やかに炊き上がった銀シャリを、大きめの茶碗にふんわりと盛る。
その上に乗せるのは、道中の船旅で作った『塩鮭』のほぐし身。
皮目をパリパリに焼いて香ばしさを出し、身はしっとりと仕上げてある。
さらに、ヤマトの『高級海苔』を手でちぎって散らす。
あられ(砕いたおかき)と、三つ葉、わさびを添える。
そして、ここからが肝心。
熱々の『一番出汁』に、香りの良い『煎茶』を混ぜた特製スープを、たっぷりと回しかける。
――サラサラサラ……。
心地よい水音。
出汁の香りと、お茶の香ばしさ、そして海苔の磯の香りが一気に立ち昇る。
鮭の身が白く変わり、脂がスープに溶け出して金色の輪を描く。
「お待たせしました! 旅の土産、特製『鮭の出汁茶漬け』です!」
私はギュスターヴや、父、そして常連客たちの前に丼を置いた。
質素な見た目。
けれど、その湯気には「おかえり」という言葉が含まれていた。
「……いただく」
父・ガラルド公爵が、レンゲでご飯とスープをすくい、口に運んだ。
ズズッ。
「…………ふぅ」
父の肩から力が抜けた。
厳格な顔が、ふにゃりと緩む。
「……染みるな」
「ええ。出汁の優しさと、お茶の渋み。……張り詰めていた神経が、ほどけていくようだ」
ギュスターヴも一口食べて、泣きそうな顔になった。
「ああ……これです。私が忘れていたのは、この『緩さ』でした。完璧を目指すあまり、お客様を緊張させてしまっていた……」
店内は、ズルズルと茶漬けをすする音と、「うめぇ」「あったまるぅ」という声で満たされた。
高級料理もいいけれど、やっぱり最後はこういうご飯に帰ってくるのだ。
厨房の隅で、ライオネル様が私に微笑みかけた。
「……やっぱり、お前の店はこうでなくちゃな」
「はい。ここが私の、私たちの居場所ですから」
私たちは顔を見合わせ、クスクスと笑った。
こうして『月待ち食堂』は、日常を取り戻した。
……と言いたいところだが、まだ終わりではない。
ライオネル様には、まだ果たしていない「約束」があるのだから。
閉店後。
客が帰り、静けさが戻った店内で、彼は改まった様子で私を呼び止めた。
「シェリル。……少し、いいか」
その真剣な瞳に、私の心臓が高鳴る。
いよいよ、その時が来たのだ。




