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【第2章追加!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉
第1章

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第4話

 聖獣様(仮)がお帰りになった後、私は厨房で明日の仕込みを続けていた。

 時刻は深夜。本来なら店じまいをして寝る時間だ。

 けれど、私の手は止まらない。なぜなら、目の前には素晴らしい鶏肉があるからだ。


「やっぱり、お肉といえばこれよね」


 ボウルの中には、一口大にカットした鶏もも肉。

 そこに、すりおろしたニンニクと生姜、醤油、酒、そして隠し味の少しの砂糖を揉み込んでおく。

 この世界には「醤油」に似た調味料が東方交易で入ってきているものの、使いこなせる料理人が少なく、ただの塩辛い黒い液体だと思われている。

 だが、ニンニクや生姜と出会った時の爆発力を、彼らはまだ知らない。


「よし、いい感じに味が染みてる」


 漬け込みは十分。

 私は本来、これを明日のランチにするつもりだった。

 だが、先ほどの焼き魚の匂いのせいで、完全に私の胃袋は「もっと濃いもの」を求めてしまっている。


 ――深夜の揚げ物。

 それは、乙女(元悪役令嬢)にとって禁断の果実。背徳の味。

 だからこそ、美味しいのだ。


 私は片栗粉をたっぷりとまぶし、準備を整えた。

 鍋の油が温まるのを待っている、その時だった。


 カシャン、カシャン、カシャン。


 路地裏の静寂を破り、重たい金属音が近づいてきた。

 一定のリズムで刻まれるその音は、店の前でピタリと止まる。


 ドンドンドン!


 扉が叩かれた。控えめではない、切羽詰まったようなノックだ。


「……どちら様?」


 まさか、さっきの猫ちゃんが友達を連れてきたわけではないだろう。

 私は警戒しつつ、護身用の麺棒をカウンターの下に隠し持って扉を開けた。


 そこに立っていたのは、巨大な鉄の塊――ではなく、全身を銀の鎧に包んだ騎士だった。

 兜は小脇に抱えているが、その顔は恐ろしく険しい。

 整った顔立ちではあるが、眉間の皺が深く、鋭い眼光は人を射殺せそうなほどだ。


 私は彼の顔に見覚えがあった。

 王宮騎士団長、ライオネル・バーンズ。

 笑った顔を誰も見たことがないことから『鉄仮面』と恐れられ、その剣技は国内最強。

 かつて私の婚約者だった王太子の剣術指南役でもあったはずだ。


(げっ……なんで騎士団長がこんなところに?)


 私はとっさに扉を閉めようとしたが、ガシッと鉄の手甲で止められた。


「……店主、か」


 声が低い。地を這うようなバリトンボイスだ。


「はい、そうですが。あいにく本日の営業は終了して……」

「この匂いは、なんだ」


 ライオネル団長は、私の言葉を遮って鼻をひくつかせた。

 その鋭い視線は、私ではなく、厨房の奥――油の入った鍋と、下味をつけた鶏肉に向けられている。


「……匂い、ですか?」

「任務の帰りだ。三日間、ロクなものを食っていない。王都に戻り、兵舎へ帰ろうとしたところ……この路地から、暴力的なまでに食欲をそそる香りが漂ってきた」


 彼は一歩、ズイと踏み込んできた。

 威圧感がすごい。けれど、よく見ると彼の顔色は青白く、目の下には隈ができている。

 そして何より――。


 グゥゥゥゥゥゥゥ……キュルルル……。


 彼の重厚な鎧の中から、悲痛なほどの空腹音が鳴り響いたのだ。


「…………」

「…………」


 沈黙が流れる。

 最強の騎士団長の耳が、ほんのりと赤くなっているのを私は見逃さなかった。


「……金なら払う。言い値でいい。頼む、何か食わせてくれ」


 その言葉は命令ではなく、懇願だった。

 三日間絶食で激務をこなした男の、魂の叫び。

 料理人として、いや、かつて同じ王宮の飯のマズさに絶望した同志として、これを見捨てるわけにはいかない。


「……はぁ。わかりました。どうぞ、お掛けください」


 私が招き入れると、ライオネル団長はフラフラとカウンター席に倒れ込むように座った。


「メニューはありませんが、今から私が食べようとしていたもので良ければ」

「構わん。……早く、早くしてくれ」


 禁断症状が出ている。

 私は急いで厨房に戻り、調理を再開した。


 油の温度は適温。

 白い粉をまとった鶏肉を、一つずつ油の中へ滑り込ませる。


 ――ジュワァァァァ……ッ!


 一気に大きな音が店内に響き渡った。

 泡がぶくぶくと立ち上り、鶏肉を包み込む。

 ニンニクと生姜、そして醤油が焦げる香ばしい匂いが、油の匂いと混ざり合って爆発的に拡散する。


「っ……!」


 カウンターの方を見ると、ライオネル団長がカッと目を見開き、背筋を伸ばしてこちらを凝視していた。

 その目はもはや獲物を狙う猛獣だ。


 私は菜箸で肉を転がす。

 衣が固まり、徐々に美味しそうな狐色へと変わっていく。

 パチパチ、という音が軽くなってきた。中まで火が通ってきた証拠だ。


 まだだ。ここで一度取り出し、数分休ませる。

 そして高温の油で二度揚げする。

 これこそが、カリッとジューシーな『唐揚げ』を作るための絶対の掟。


「……なぜ出した? まだか?」


 一度バットに上げられた鶏肉を見て、団長が絶望的な声を上げた。


「美味しくするための魔法の時間です。あと二分、我慢してください」

「二分……永遠のように長いな……」


 鉄の意志を持つ騎士団長が、唐揚げの前では駄々っ子同然になっている。

 私は苦笑しながら、付け合わせの千切りキャベツを山盛りにし、櫛形に切ったレモンを添えた。

 そして、冷えたエール(ビール)をジョッキに注ぐ。


「お待たせしました。仕上げ、いきます!」


 温度を上げた油に、再び鶏肉を投入。


 ――カラカラッ! ジュワッ!


 より高く、小気味よい音が響く。衣の水分が飛び、カリカリに仕上がっていく音だ。

 黄金色に輝く肉の塊。

 油を切って、キャベツの横にどさっ、どさっと積み上げる。


 山盛りの『鶏の唐揚げ』の完成だ。


「どうぞ。揚げたてですので、火傷に気をつけて」


 カウンターに皿を置いた瞬間、ライオネル団長の喉がゴクリと鳴った。

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