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【完結!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第8話

 王城の中庭に設置された特設会場。

 早朝の冷たく澄んだ空気の中に、パチパチと薪が爆ぜる音が響いていた。


「……ふん。相変わらず貧相な支度だ」


 対戦相手である式部卿が、鼻で笑いながらこちらを一瞥した。

 彼の調理台には、金箔を施した漆器や、氷で冷やされた水晶の器が並んでいる。

 彼に従う数十人の宮廷料理人たちは、音もなく繊細な包丁さばきで野菜を飾り切りし、透明な出汁を引いている。

 それはまるで、神に捧げる儀式のように厳かで、そして冷たかった。


「陛下は病み上がりであらせられる。脂ぎった下品な料理など、一口たりとも喉を通らぬわ」


 式部卿の言葉に、私は薪の火加減を調整しながら静かに答えた。


「下品かどうかは、食べてみてから判断してください。……それに、料理は神様に捧げるものではなく、人が食べるものです」


 私は羽釜はがまの蓋に手を置いた。

 中では、今まさに新米が踊っている。

 コトコト、チリチリ……。

 水分が飛び、お米が炊き上がる直前の、あの微かな音が聞こえる。


(大丈夫。お米は完璧)


 私は次なる工程に移った。

 TKG(卵かけご飯)は、究極にシンプルな料理だ。だからこそ、それを支える「汁物」と「副菜」には、最強の布陣を敷く必要がある。


 私が取り出したのは、豚肉の薄切りと、ごぼう、大根、人参、こんにゃく。

 そして、ヤマトでは禁忌とされる『胡麻油』。


 鍋を熱し、胡麻油を垂らす。


 ――フワァァッ……!


 香ばしい胡麻の香りが、清浄な中庭の空気を切り裂いた。

 

「な、なんだその異臭は!?」

「油だ! 神聖な御前で油を使ったぞ!」


 官僚たちが騒ぎ立てるが、私は構わず具材を炒める。

 豚肉の脂が溶け出し、野菜をコーティングする。

 そこへ出汁を注ぎ、味噌を溶き入れる。

 根菜の土の香りと、豚の脂、そして味噌の発酵臭が混然一体となり、力強い「生活の匂い」が立ち上る。

 『具だくさん豚汁』の完成だ。


 さらに、七輪の上では『塩鮭』が焼けている。

 皮がパリッと焦げ、ピンク色の身から透明な脂が滴り落ち、炭の上でジュッと煙を上げる。


 この匂いの暴力。

 御簾みすの向こうにいる帝の元へも、風に乗って届いているはずだ。


   ◇ ◇ ◇


「……両者、やめ!」


 銅鑼ドラの音が鳴り響いた。

 調理終了だ。


「まずは、式部卿の料理からだ。心して運べ!」


 先攻は式部卿。

 彼が自信満々に捧げ持ったお盆には、透き通るような美しい料理が並んでいた。

 『蓮根の水晶煮』、『かぶの淡雪スープ』、『湯葉の刺身』。

 どれも白く、淡く、儚げだ。

 これぞ、彼が提唱する「清貧」の極み。


 御簾がわずかに上げられた。

 そこに座していたのは、痩せ細り、顔色の優れない初老の男性――ヤマトの帝だった。

 うつろな瞳は、目の前の料理を見ても輝かない。


「……陛下。我が身を清める、至高の精進料理でございます」


 式部卿が恭しく勧める。

 帝は震える手で匙を持ち、スープを一口、口に含んだ。


「…………」


 無言。

 帝はゆっくりと飲み込み、力なく呟いた。


「……清らか、だな」


「ははっ! ありがたき幸せ!」


 式部卿が平伏する。

 だが、私は見逃さなかった。帝がスプーンを置き、それ以上食べようとしないことを。

 「清らか」という言葉は、裏を返せば「味がしない」「精気がない」ということだ。

 生きる力が枯渇している人間に、あんな水のような料理を出してどうする。


「……次は、異国の料理人よ。参れ」


 侍従の声がかかる。

 私はお盆を持ち、御簾の前へと進み出た。

 式部卿がすれ違いざまに、「ふん、貴様の油料理など、陛下が口になさるはずがない」と囁いたが、無視する。


 私はお盆を、帝の目の前にある台に置いた。


 そこに並んでいるのは、宮廷料理とはかけ離れた「食堂の朝ごはん」だ。

 湯気を立てる豚汁。

 皮が焦げた焼き鮭。

 小皿に盛られたお漬物。

 そして――おひつに入った、炊きたての銀シャリと、オレンジ色に輝く生卵。


「……なんだ、これは」


 帝が眉をひそめた。

 その視線は、豚汁に浮いた油の膜と、生卵に釘付けになっている。


「陛下。これは『卵かけご飯定食』でございます」

「卵かけ……? 卵を生で食うというのか?」

「はい。……陛下。貴方様は今、お腹が空いておられますか?」


 私の問いに、帝は自嘲気味に笑った。


「空いておらぬ。……もう何ヶ月も、腹が減るという感覚を忘れてしまった。ただ、生きるために義務として水と粥を流し込んでいるだけだ」


「でしたら、まずはこの『音』をお聞きください」


 私はおひつの蓋に手をかけた。

 そして、パカッ、と勢いよく開けた。


 ――フワァァァァ……!


 真っ白な湯気が、キノコ雲のように立ち昇った。

 その向こうから現れたのは、一粒一粒が立ち上がり、宝石のように光を反射する「銀シャリ」だ。


「……!」


 帝の目が、わずかに見開かれた。

 お米の甘く、芳醇な香り。

 それはヤマトの民にとって、DNAに刻まれた「幸福の記憶」を呼び覚ます香りだ。


「私がよそいますね」


 私は茶碗にご飯をふんわりと盛った。

 そして、中央に窪みを作る。

 

 そこに、聖獣シロが持ってきた『鳳凰の卵』を割り落とす。


 ――プルンッ。


 弾けるような弾力を持つ、濃いオレンジ色の黄身。

 白身も盛り上がり、新鮮さを主張している。

 

 その上から、ザオ特製の『再仕込み醤油』を、たらり、たらりと回しかける。

 黒い醤油が黄身の上を滑り落ち、白いご飯に染みていく。


「さあ、陛下。……熱いうちに、豪快にかき混ぜて召し上がってください」


 目の前に差し出された茶碗。

 湯気と共に、醤油の香ばしさと、卵の濃厚な香りが漂う。

 帝の喉が、ゴクリと鳴った。


 式部卿が叫ぶ。

 「なりません陛下! そのような不浄なものを!」


 だが、帝の手は止まらなかった。

 何かに取り憑かれたように箸を取り、茶碗の中をかき混ぜた。

 黄身が崩れ、醤油と混ざり合い、ご飯一粒一粒を黄金色にコーティングしていく。

 

 ネチャ、ネチャという音が、なんとも背徳的で、食欲をそそる。


「……いただく」


 帝は茶碗に口をつけ、ズルズルッとかきこんだ。


 その瞬間。

 時が止まった。


「…………ッ!?」


 帝の瞳孔が開いた。

 やせ細った頬に、一瞬で赤みが差す。


 熱いご飯の熱気。

 冷たい卵の喉越し。

 鳳凰の卵が持つ、圧倒的なコクと生命力。

 そして、醤油の塩気と旨味が、それら全てをまとめ上げている。


「あ、甘い……! 米とは、卵とは、これほど甘かったか……!」


 帝は咀嚼した。

 噛む必要すらないほど滑らかに、喉の奥へと滑り落ちていく。

 飲み込んだ後、胃の腑からじんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。


「……美味い」


 帝の声が震えた。


「味がする……! 生きている味がするぞ!」


 帝は箸を止めることなく、二口、三口とかきこんだ。

 合間に『豚汁』をすする。

 ごま油の風味と、豚肉の脂。味噌の塩気。

 それが、卵でまったりとした口の中を洗い流し、次の一口を欲させる。


 そして『焼き鮭』。

 塩辛い皮ごと齧れば、白米の甘さがさらに際立つ。


 ガツガツ、ズルズル。

 御簾の向こうから聞こえるのは、高貴な方にあるまじき、しかし生命力に溢れた食事の音だった。


 あっという間に茶碗が空になった。

 帝は「ふぅ……」と長く息を吐き、そして――ポロポロと涙を流し始めた。


「陛下!?」

「……思い出したのだ」


 帝は涙を拭おうともせず、天井を仰いだ。


「幼き頃……母上が、お忍びで作ってくれた『ねこまんま』の味を」


「母上の……?」


「母上は言っていた。『人は、美味しいものを食べている時が一番幸せなのだ』と。……だが、私はいつの間にかそれを忘れていた。伝統だ、格式だと飾り立て、料理から『心』を削ぎ落としていたのだ」


 帝は私を見た。

 その目は、もう虚ろではない。生きる意思の光が宿っていた。


「そなたの料理には、母上の料理と同じ『温度』があった。……ただ腹を満たすだけではない。心を温め、明日を生きる活力をくれる、太陽のような料理だ」


 帝は立ち上がり、式部卿を睨みつけた。


「式部卿よ。余は目が覚めたぞ」

「へ、陛下……しかし、それは異国の毒で……」

「黙れ! 余を殺そうとしていたのは、毒ではなく、貴様の勧める『虚無』であったわ!」


 一喝。

 式部卿がその場にへたり込む。


「この料理人……シェリルの勝利とする! 余は満たされた。これほど幸福な朝餉あさげは、何十年ぶりであろうか」


 帝は私に向かって、深く頷いた。


「礼を言う、シェリルよ。そなたのおかげで、余はまた、ヤマトの民のために生きようと思えた」


「もったいないお言葉です、陛下」


 私は深く頭を下げた。

 勝った。

 私の料理が、帝の心を救ったのだ。


「……さて。約束であったな」


 帝は表情を引き締め、近衛兵たちに命じた。


「直ちに地下牢へ行き、異国の騎士ライオネルを解放せよ! そして彼には、国賓としての礼を持って遇せよ!」

「ははっ!」


「それから式部卿! 貴様には『清貧の令』を即時撤廃し、食料庫を全て開放することを命じる! ……罰として、貴様は一ヶ月間、貴様が推奨していた『味のない粥』のみで過ごすがよい!」


「ひぃぃぃっ! お助けをぉぉぉ!」


 式部卿が引きずられていく。

 その悲鳴は、ヤマトの新しい夜明けを告げるファンファーレのようだった。


 私は胸の前で手を組んだ。

 これで、ライオネル様が帰ってくる。

 早く会いたい。

 そして伝えたい。

 「貴方を助けるために作ったご飯、最高に美味しくできましたよ」って。

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