第1話
『月待ち食堂』のランチタイム。
いつもなら、騎士たちの豪快な咀嚼音と、客たちの笑い声で満たされているはずの店内が、今日は張り詰めた緊張感に支配されていた。
カウンターの中央。
黒いマントを脱ぎ捨てた少女が、凛とした立ち姿で私を見据えている。
東方の島国、ヤマト皇国の皇女サクラ。
濡羽色の黒髪を高く結い上げ、異国の装束に身を包んだ彼女は、カウンターに置いた一本の包丁に手を添えて言った。
「……我が国において、米は神の依代。穢れなき純白のまま食すことこそが至高の礼儀である」
彼女の美しい黒瞳が、鋭く光る。
「具材を入れて握るなど、米への冒涜! 邪道もいいところだ。……そなたが『おにぎり』と呼ぶその料理が、いかに浅はかなものであるか、余が証明してみせよう」
なかなかの言い草だ。
どうやらヤマト皇国では、お米信仰が強すぎて「塩むすび(具なし)」以外は認めないという、極端な原理主義が蔓延っているらしい。
私はエプロンの紐を締め直し、不敵に微笑んだ。
「なるほど。お米への愛は伝わりました。……でも、愛し方にも色々あるんですよ」
私の隣には、心配そうな顔……ではなく、面白そうな顔をした常連たちが控えている。
特に、ライオネル団長は私の腰に手を回し、低い声で囁いた。
「……強気だな、シェリル。だが、相手は皇女だぞ。大丈夫か?」
「平気ですよ。だって私には、ライオネル様と……最強の『ご飯のお供』たちがついていますから」
私がウインクすると、ライオネル様は「くっ、可愛い」と小さく呟き、耳を赤くして顔を背けた。
最近、この騎士団長様は私の言動に対して防御力が低い。
私はサクラに向き直った。
「では、勝負しましょう。貴女が作る至高の『塩むすび』と、私が作る『具入りおにぎり』。……どちらが、食べる人を笑顔にできるか」
「望むところだ! ジャッジは……そこにいる、舌の肥えた者たちに任せよう」
サクラが指差したのは、カウンターに陣取るライオネル団長、魔術師ルーカス様、そして父・ガラルド公爵だ。
さらに、東方商人ザオと、聖獣シロも審査員席(?)に加わった。
「では、調理開始!」
ザオの掛け声と共に、対決が始まった。
サクラの動きは、舞のように洗練されていた。
土鍋から炊きたてのご飯を、檜の桶に移す。
団扇で扇ぎ、余分な水分を飛ばす。
手に水をつけ、塩をまぶし、熱々のご飯を手に取る。
――キュッ、キュッ。
リズミカルで、無駄のない動き。
彼女の手の中で、お米が踊るようにまとまっていく。
握りすぎず、崩れすぎず。米と米の間に空気を含ませる、絶妙な力加減。
完成したのは、正三角形の美しい『塩むすび』。
一粒一粒が真珠のように輝き、湯気が立ち上っている。
「……見事だ」
父・ガラルド公爵が感嘆の声を漏らした。
「無駄を極限まで削ぎ落とした、禅の精神すら感じる一品だな」
一方、私は。
厨房で三種類の具材を準備していた。
一つ目は、王道の『焼き鮭』。
脂の乗った紅鮭を炭火で焼き、皮目をパリッとさせる。
香ばしい匂いが広がり、サクラの眉がピクリと動く。
身を大きめにほぐす。塩気は強めに。これがお米の甘みを引き立てるのだ。
二つ目は、博多名物(異世界版)『辛子明太子』。
ザオが仕入れてきた鱈の卵を、唐辛子と昆布出汁、そして酒で漬け込んだものだ。
鮮やかな赤色。ピリッとした辛さと、濃厚な魚卵の旨味が、白米泥棒となる。
そして三つ目。これが私の秘密兵器。
ボウルに、油を切った『ツナ(マグロ油漬け)』を入れる。
そこにたっぷりの『マヨネーズ』と、少しの醤油、黒胡椒。
混ぜ合わせる。
――ネチャ、ネチャ。
音は少し下品かもしれない。見た目も茶色っぽいペーストだ。
サクラが信じられないものを見る目でこちらを睨んでいる。
「……正気か? 神聖な米に、油と卵のドロドロしたものを混ぜるなど!」
「これが『ツナマヨ』です。見た目に騙されないでくださいね」
私はご飯を手に取り、それぞれの具材を中心に埋め込み、優しく握った。
海苔をパリッと巻く。
海苔の黒と、ご飯の白。そのコントラスト。
頂点には、中身がわかるように具材をちょこんと乗せる。
鮭のピンク、明太子の赤、そしてツナマヨのクリーム色。
色鮮やかな『三色おにぎり』の完成だ。
「さあ、実食の時間ですよ!」
まずはサクラの『塩むすび』から。
ライオネル様たちが手に取る。
「……うむ。美味い」
父が頷いた。
「米本来の甘みが、塩によって極限まで引き出されている。雑味がなく、心が洗われるようだ」
「技術は確かだな。米への敬意を感じる」
ルーカス様も高評価だ。
サクラが勝ち誇った顔をする。
だが、ライオネル様は首を傾げた。
「確かに美味いが……これだけだと、少し寂しいな。酒のつまみにはならんし、戦の前の腹ごしらえとしては物足りん」
「なっ……!?」
そして、私の『三色おにぎり』の番だ。
まずは『焼き鮭』。
――パリッ。
海苔の歯切れの良い音。
続いて、ご飯の甘みと、塩気の効いた鮭の旨味が口の中で混ざり合う。
「これだ!」
ライオネル様が目を見開いた。
「米の甘さが、鮭の塩気を受け止めている! そして海苔の磯の香りが全体をまとめているぞ。……たまらん、これはいくらでも食える!」
次は『明太子』。
ピリッとした刺激に、ルーカス様が反応する。
「ほう……! この赤い粒、舌を刺激する辛味があるが、その奥に濃厚な海の旨味がある。淡白な米と合わせることで、味が何層にも深まっている。……これは計算された味だ」
そして最後。問題の『ツナマヨ』だ。
サクラが「あんな不浄なもの……」と顔を背ける中、父・ガラルド公爵が恐る恐る口に運んだ。
ハムッ。
……沈黙。
次の瞬間、厳格な父の表情が、とろりと蕩けた。
「…………ぬぅぅぅッ!?」
父がテーブルを叩いた。
「なんだこれは! 邪道だと思っていたが……美味すぎる! 魚の油漬け(ツナ)のコクを、マヨネーズの酸味が包み込み、醤油が味を引き締めている! それが温かいご飯と混ざり合うと……クリーミーなリゾットのような、しかし和の心も感じる、得体の知れない中毒性が生まれている!」
「こってりしていて最高だ!」
「マヨネーズと米、背徳の味がする……!」
審査員たちは争うようにツナマヨおにぎりを頬張った。
あっという間に皿が空になる。
サクラは呆然と立ち尽くしていた。
自分の信じていた「米の常識」が、目の前で崩れ去っていく。
「そんな……まさか……」
「サクラ様」
私は一つ残しておいたツナマヨおにぎりを、彼女に差し出した。
「貴女も、食べてみてください。……お米のことが好きなら、きっとわかります」
サクラは迷った末、震える手でそれを受け取った。
そして、小さく一口。
――モグ……モグ。
彼女の大きな瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「…………っ、卑怯だ」
彼女は泣きながら、夢中でおにぎりをかじった。
「こんな……こんなに美味しいなんて……! 米が、喜んでいる気がする……。具材と抱き合うことで、米がより一層輝いている……!」
完食した彼女は、その場に膝をつき、私を見上げた。
その顔には、憑き物が落ちたような、清々しい表情があった。
「余の負けだ、シェリル殿。……ヤマトの古い因習に囚われていたのは、余の方であった」
「わかってくださればいいんです。お米は自由なんですから」
私が手を差し伸べると、彼女はその手を強く握り返してきた。
「頼みがある! シェリル殿、どうかヤマトへ来てくれぬか!」
「えっ、ヤマトへ?」
「うむ! 実は……我が国の帝(父)が、原因不明の食欲不振で床に伏せっておるのだ。宮廷料理人たちが作る『伝統的な精進料理』には手をつけず、日に日に衰弱している……」
サクラは切実な目で訴えた。
「そなたの料理なら、父上の閉ざされた胃袋を開けることができるかもしれない! どうか、父上を救ってくれ!」
ヤマト皇国。
お米と、和食の本場。
前世の記憶を持つ私にとって、それは憧れの地でもある。
そこへ行って、本場の食材で料理ができる。しかも、人助け(帝の救済)になる。
私の料理人としての血が騒いだ。
「……わかりました。行きましょう、ヤマトへ!」
「本当か!? 感謝する!」
サクラが歓声を上げる中、背後からライオネル様がずいっと前に出た。
「待て。シェリル一人を行かせるわけにはいかん」
彼は私の肩を抱き寄せ、サクラを鋭く見据えた。
「ヤマトまでは船で数週間の長旅だ。それに、異国の地で何があるかわからん。……俺も同行する」
「ライオネル様……でも、騎士団のお仕事は?」
「有給休暇だ。ここ数年、一日も休まず働いてきたからな。数ヶ月休んだところで文句は言わせん」
彼はニカっと笑った。
「それに……これは俺たちの『新婚旅行』の前哨戦みたいなものだろう? 二人きりの船旅、悪くない」
みんなの前で堂々と言い放つ彼に、私は顔から火が出そうだった。
「お、俺も行くぞ!」
ルーカス様が手を挙げる。
「私も行く!」
父まで立ち上がる。
しかし、ライオネル様が却下した。
「ダメだ。お前たちは留守番だ。店を守る者がいなくてどうする」
「ぐぬぬ……!」
結局、ヤマトへの旅立ちメンバーは、私とライオネル様、案内役のサクラ皇女、通訳兼荷物持ちの商人ザオ、そして――。
「みゃう(我を置いていくでないぞ)」
当然のように同行を主張する、聖獣シロ。
こうして、『月待ち食堂』はしばらくの休業……ではなく、ギュスターヴ料理長たちに任せての「出張営業」が決まった。
目指すは東方の島国、ヤマト。
そこには、頑固な伝統と、まだ見ぬ極上の食材たちが待っている。
そして、ライオネル様との、初めての長い二人旅が始まる。




