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【第2章追加!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉
第1章

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第3話

 開店初日の夜。

 『月待ち食堂』の客席は、静寂に包まれていた。


「……うん、知ってた」


 私はカウンターに頬杖をつき、誰もいない入り口を見つめる。

 時計の針は既に夜の八時を回っている。

 人通りもまばらな裏路地、看板も出したばかり、宣伝もゼロ。これでお客さんが来たら奇跡だ。


 だが、私は決して落ち込んではいなかった。

 むしろ、この静けさが愛おしい。

 誰かの顔色を窺う必要も、派閥争いに巻き込まれることもない。ここは私だけの城なのだから。


「でも、食材が余っちゃうのはもったいないわね」


 私は厨房へ戻り、木箱の中を覗き込んだ。

 今日の仕入れで見つけた、丸々と太った『アジ』のような魚。

 この世界の人は魚といえばムニエルかスープにするのが主流で、こういう青魚は「臭みがある」と敬遠されがちだ。


 けれど、私にはわかる。

 この澄んだ目、張りのあるお腹。これは間違いなく、焼けば化ける逸品だ。


「私自身の晩御飯にしちゃいましょう」


 私は魚の下処理を済ませると、身の両面に十字の飾り包丁を入れた。

 そして、少し高めの位置からパラパラと粗塩を振る。『振り塩』だ。

 こうすることで、魚の余分な水分が抜け、旨味が凝縮される。


 焼き台に炭を並べ、魔法で着火。

 網が十分に熱くなったところで、魚をのせる。


 ――ジューッ……。


 皮が焼ける音と共に、白煙が立ち昇った。

 パチパチと炭が爆ぜる音。

 次第に、脂の焦げるたまらない香りが店内に充満していく。


「ああ……これよ、これ」


 換気扇(これも風魔法の応用で作った魔導具だ)が、煙を外へと吐き出していく。

 この香ばしい匂いは、今ごろ路地裏を漂い、夜風に乗って流れていることだろう。

 日本人(の前世を持つ私)なら、この匂いを嗅いで素通りできるはずがない。まあ、この世界の人には「焦げ臭い」と思われるかもしれないけれど。


 皮目がパリッと狐色になり、切れ込みからフツフツと透明な脂が溢れてきた。

 身がふっくらと膨らんでいく。

 最高だ。塩むすび、豚汁ときて、焼き魚。私の食生活、充実しすぎている。


 その時だった。


 カリカリ、カリカリ。


 勝手口の方から、何かを引っ掻くような音が聞こえた。

 風の音かと思ったが、違う。明らかに何かが「入りたがって」いる。


「……どなた?」


 私は火加減を見つつ、警戒しながら勝手口の扉を少しだけ開けた。

 強盗ならフライパンで撃退する覚悟だったが、そこにいたのは――。


「みゃあ」


 一匹の、小さな猫だった。

 全身の毛は真っ白……と言いたいところだが、薄汚れて灰色になっている。

 けれど、その瞳は夜空のように深いサファイアブルー。宝石のように輝いていた。


「あら、猫ちゃん? お腹空いたの?」


「みゃう、みゃう!」


 猫は私の足元にすり寄り、必死に厨房の方を見上げている。

 その鼻はひくひくと動き、視線は一直線に焼き台の上の魚に釘付けだ。


「ふふ、鼻がいいのね。君もお魚が好きなの?」


 この匂いに釣られた最初のお客様が、人間ではなく猫だとは。

 私は苦笑しながら、ちょうど焼き上がったアジを皿に移した。


 熱々の身を箸でほぐす。

 パリッという音と共に皮が割れ、湯気がほわんと立ち上る。

 中の身は真っ白で、ほろほろと柔らかい。


「はい、骨は取ってあげるから待っててね」


 私は小皿に取り分けた身を冷まし、勝手口の前に置いてやった。

 猫は「待ってました!」と言わんばかりに飛びついた。


 ハフハフ、ガツガツ。

 一心不乱に食べている。よほどお腹が空いていたのだろう。

 脂の乗った身を噛みしめるたび、猫の喉がゴロゴロと鳴る。


「美味しい? よかった」


 私は残りの魚を自分の口に運んだ。

 皮の香ばしさと塩気、そして溢れ出す脂の甘み。

 白いご飯が欲しくなる味だ。


「みゃう……(至福じゃ……)」


「え?」


 今、何か聞こえたような?

 足元を見ると、綺麗に完食した猫が、満足げに顔を洗っているところだった。

 見間違いか、猫の体がぼんやりと淡い光を帯びているように見える。


 猫は私の顔をじっと見上げると、スッと背筋を伸ばして座った。

 その姿は、薄汚れているはずなのに、どこか気高く、神々しさすら感じさせた。


「にゃーん(礼を言うぞ、娘よ。久々に生きた心地がした)」


「……しゃ、喋った!?」


 私が驚いてスプーンを取り落とすと、猫は「しまった」という顔を一瞬だけして、すぐに「ただの猫ですけど?」みたいな顔で「みゃ〜ん」と甘い声を出した。

 いや、今のは完全に脳内に直接語りかけてきていた。


 猫は私の足に頭をこすりつけ(モフモフとした感触が心地よい)、くるりと踵を返して闇夜へと消えていった。

 その去り際、私のエプロンのポケットに、何かが『コロン』と入った感触があった。


 慌てて取り出してみると、それは透き通るような青い結晶石。

 魔力を秘めた宝石のようにも見える。


「これ……もしかして、お代?」


 呆然とする私の耳に、風に乗って再びあの声が届く。


『その焼き方、見事であった。また来るゆえ、席を空けておくがよい』


「…………」


 聖獣。

 この国を守護すると言われる伝説の存在。

 まさかとは思うが、伝説の聖獣様は、どうやら焼き魚(塩味)がお好きだったらしい。


「最初のお客様が聖獣様だなんて……この店、大丈夫かしら」


 私は青い石を握りしめ、夜空を見上げた。

 まあ、いいか。美味しそうに食べてくれたし。

 

 こうして『月待ち食堂』は、開店初日に人間ゼロ人、聖獣一匹という奇妙な実績を叩き出したのだった。

 

 だが、この「焼き魚」の匂いは、聖獣だけでなく、もう一人の厄介な……いや、大食らいの人物をも呼び寄せようとしていた。

 夜の闇の向こうから、カシャン、カシャンと、重厚な金属音が近づいてくる――。

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― 新着の感想 ―
猫ちゃんに人間用に塩振ったお魚あげるのはちょっとどうかな…と思います…
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