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【第3章開始!】断罪令嬢の飯テロ食堂  作者: 九葉
第2章

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第13話

 隣国の王子との「カレー対決」から数日後。

 『月待ち食堂』は、開店前から異様な熱気に包まれていた。


「おい、聞いたか? あのガレリア王国の大使が泣いて詫びたって話」

「ああ。ここの『黒い煮込み(カレー)』を食べた途端、故郷の母親を思い出して号泣したらしいぞ」


 尾ひれのついた噂が広まり、行列は路地の外まで伸びている。

 私は厨房で、大量の仕込みに追われながら、嬉しい悲鳴を上げていた。


「いらっしゃいませ! ああっ、ご飯が炊けるまであと十分待ってください!」


 本来なら猫の手も借りたい状況だ。

 しかし、頼みの綱である「騎士団皿洗い部隊」は今日は遠征で不在。魔術師ルーカス様も徹夜の研究でダウン中。

 聖獣シロは「我は用心棒だ」と言って、カウンターで鰹節を齧っているだけ。


 たった一人、厨房を走り回る私。

 額に汗が滲み、息が上がる。

 さすがに、限界かもしれない――そう思った時だった。


「……無理をするな」


 背後から、大きく温かい手が伸びてきて、私が落としそうになった大皿を支えた。


「え?」


 振り返ると、そこにいたのは遠征に行っているはずの騎士団長、ライオネル・バーンズだった。

 非番のラフな服を着ているが、その鍛え上げられた胸板の厚みと、男らしい体温が背中に伝わってくる。


「ラ、ライオネル様!? 遠征じゃなかったんですか?」

「俺だけ先に片付けて戻ってきた。……お前が一人で回せるとは思えなかったからな」


 彼は少し照れくさそうに視線を逸らし、慣れた手つきで袖をまくり上げた。

 太い腕に浮き出る血管と、無骨な筋肉。

 それが、私のすぐ隣で「皿洗い」の準備を始めている。


「ほら、貸せ。洗い物は俺がやる。お前は料理に集中しろ」

「でも、お疲れじゃ……」

「俺にとっての休息は、兵舎で寝ることじゃない。……ここで、お前の作る飯の匂いに包まれていることだ」


 ライオネル様は、濡れた手で私の頬に触れた。

 一瞬だけ、指先で粉のついた私の頬を拭う。


「……顔に粉がついてるぞ。……可愛いな」


 低く、甘い声で囁かれ、私はカッと顔が熱くなった。

 心臓が早鐘を打つ。

 いつもの「食いしん坊な団長さん」じゃない。今の彼は、完全に「男の顔」をしていた。


「あ、ありが、とうございます……!」


 私は動揺を隠すように鍋に向き直った。

 狭い厨房。すれ違うたびに肩が触れ合う距離。

 彼の存在感を意識せずにはいられない。


 そんな、甘くも忙しい空気が流れていた時だった。


 ガッ、ガッ、ガッ、ガッ。


 店の入り口から、軍隊の行進のような、規律正しい足音が近づいてきた。

 ドアベルが鳴ると同時に、入ってきたのは――真っ白なコックコートに身を包んだ男たちの集団だった。


 先頭に立つのは、立派なカイゼル髭を蓄えた、恰幅の良い初老の男性。

 彼が入ってきた瞬間、店内の空気がピリリと張り詰めた。


「……ここが、旦那様(ガラルド公爵)が仰っていた店か」


 カイゼル髭の男――我が実家、ウォルター公爵家の料理長ギュスターヴだ。

 彼は鋭い眼光で店内を見回し、私を見つけると、ビシッと踵を揃えて敬礼した。


「お初にお目にかかります、シェリルお嬢様! ……いえ、シェリル『料理長』殿!」

「り、料理長?」

「私はウォルター公爵家料理長、ギュスターヴと申します! 本日より、旦那様の命により、当店の『厨房支援』及び『技術研修』に参りました!」


 父が送ってくれた「人的支援」だ。

 ありがたい話だけれど、ギュスターヴはプライドの塊のような職人だ。

 彼は私を値踏みするように見つめ、そして隣にいるライオネル様に気づくと、驚いたように目を見開いた。


「騎士団長閣下!? なぜこのような場所で、皿洗いを!?」

「ん? ああ、俺の趣味だ。気にするな」


 ライオネル様は泡だらけの手で平然と答える。

 ギュスターヴは眉をひそめ、私に向き直った。


「お嬢様。……正直に申し上げます。私は不服です」

「正直ね」

「私は三十年間、最高級の食材と伝統ある技法だけを信じてきました。それを、このような路地裏の店で、しかも騎士団長に雑用をさせるような娘っ子の下で働けなどと……屈辱以外の何物でもありません!」


 彼の言葉には棘があった。

 まあ、当然の反応だ。

 私は何か言い返そうとしたが、それより早く、私の前に大きな背中が割り込んだ。


「……言葉を慎め、ギュスターヴ」


 ライオネル様だった。

 彼は私を背に庇い、鋭い眼光で料理長を射抜いた。


「この店の料理を『娘っ子の料理』と侮るなら、俺が許さん。シェリルの料理は、王宮のどんな晩餐よりも、俺の魂を震わせる。……彼女の腕を疑うことは、俺の舌を疑うことと同義だと思え」


「だ、団長閣下……」


「それに、俺は彼女に『雑用をさせられている』のではない。俺が、彼女の役に立ちたくてここにいるのだ。……俺の大切な、女性のためにな」


 大切な、女性。

 その言葉に、私の心臓がドキンと跳ねた。

 背中越しに伝わる彼の怒りと、私への信頼。

 守られている。その事実が、私に勇気をくれた。


 私はそっとライオネル様の腕に手を添えた。

 硬い筋肉が、私の手の下で少しだけ緩む。


「大丈夫です、ライオネル様。……ありがとうございます」


 私は彼の横から一歩前に出て、ギュスターヴと対峙した。


「ギュスターヴ。貴方のプライドは理解します。……なら、試してみますか?」

「試す、とは?」

「私のまかない料理を食べて、それでも『学ぶことはない』と思うなら、帰っていただいて構いません。……でも、もし美味しかったら」


 私は不敵に微笑んだ。


「そのコック帽を脱いで、私の指示に従っていただきます」


「……よろしいでしょう。受けて立ちます!」


 勝負成立だ。

 私は厨房に戻り、木箱から新鮮な『サバ』を取り出した。

 貴族が嫌う青魚。しかも、使う調味料は、泥のように見える『味噌』だ。


 ギュスターヴたちが「正気か?」とざわめく中、私は調理を始めた。

 

 三枚おろし。湯霜による臭み消し。

 手際よく動く私の横で、ライオネル様が自然とサポートに入ってくれる。

 私が何も言わなくても、必要な道具を差し出し、火加減を見てくれる。

 まるで長年連れ添った夫婦のような呼吸あうんの呼吸。


(……動きやすい)


 彼が隣にいるだけで、不思議と心が落ち着く。

 私は彼に微笑みかけ、仕上げの味噌を鍋に溶かし入れた。


 ――コトコト。


 甘辛く、芳醇な味噌の香りが広がる。

 生姜の清涼感がアクセントになり、食欲を刺激する。


「お待たせしました。『鯖の味噌煮』です」


 飴色のタレを纏った鯖。

 ギュスターヴは疑わしげに一口食べ――そして、絶句した。


「な、なんだこれは……!?」


 魚の臭みなど微塵もない。

 ふっくらとした身。濃厚な味噌のコク。脂の甘み。

 それらが口の中でとろけ合い、未知の旨味となって脳を揺さぶる。


「美味い……! 認めざるを得ない、これは極上の料理だ!」


 彼は震える手で完食し、そして私に向かって深々と頭を下げた。


「……参りました。私は思い上がっていました。どうか、この老骨に……貴女様の技術を学ばせてください!」


「ええ、よろしくね。ギュスターヴ」


 店内から拍手が湧き起こる。

 私はホッと息をついた。

 すると、ライオネル様が私の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。


「……見事だったぞ、シェリル」


「ライオネル様のおかげです。庇ってくれて、嬉しかったです」


「庇ったわけじゃない。本心を言っただけだ」


 彼は私の腰に手を回し、少しだけ引き寄せた。

 公衆の面前だというのに、彼の独占欲が漏れ出ている。


「だが、あまり他の男にその笑顔を見せるなよ。……たとえ料理人でも、俺は嫉妬する」


「えっ……?」


 真っ赤になる私を見て、彼は満足げに笑い、私の頭をポンと撫でた。


「さて、仕事に戻るか。弟子が増えたんだ、俺はもうお役御免か?」

「い、いえ! ライオネル様がいてくれないと、困ります!」

「そうか。なら、ずっとそばにいてやる」


 甘い。

 今日の鯖の味噌煮よりも、ずっと甘くて心臓に悪い。

 最強の騎士団長は、いつの間にか私の心まで攻略しようとしているらしい。


   ◇ ◇ ◇


 こうして、公爵家の料理人たちが加わり、店は盤石の体制となった。

 ギュスターヴたちの働きぶりは凄まじく、厨房はオーケストラのように統率されている。


 だが、幸せな時間は長くは続かない。

 閉店後、片付けをしていると、東方商人ザオが深刻な顔でやってきた。


「店主様。……ちっとばかし、厄介な話だ」

「どうしたの?」

「『王都飲食業組合』だ。あんたの店が客を独占しすぎだって、老舗のレストランたちが騒ぎ始めてる。……『食材の不当独占』の疑いで、明日にも査察が入るかもしれねえ」


 商売敵からの嫌がらせ。

 ライオネル様がスッと目を細め、剣呑な空気を纏う。


「……俺の大切な場所に手を出す愚か者がいるようだな」


 彼の手が、私の肩を抱き寄せる。

 その力強さに、私は守られている安心感と共に、これから始まる戦いへの覚悟を決めた。


「大丈夫です、ライオネル様。……美味しいご飯があれば、どんな敵も怖くありませんから」


 私は彼を見上げて微笑んだ。

 二人の距離は、もう息がかかるほど近い。

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